先日、管理職手前の中堅社員を対象に教育を実施した際、
「外部環境の変化をどの様にとらえているか」というテーマで
ディスカッションを行ったときのこと。
その時、ディスカッションの題材は、ある業界における価格競争であった。
自社にとっては前例のない、激しい競争環境を目の当たりにした参加者からは、
次の様な意見が聞こえてきた。
「景気が戻れば、違った(もっと状況の良い)局面が来るのではないか」
「異常な過当競争。この様な状況が長く続くはずがない」
「我々の業界では(この様な激しい競争環境は)起こり得ない」
このディスカッションの一幕を振り返ってみると、
重要なポイントが二つあったように思える。
一つは、環境の変化を「一時の異常事態」と取るか、
「恒常的なもの」と取るのか-ということだ。
前提によって、手の打ち方は全く異なる。
環境の変化を誤って認識し、手の打ち方を間違い続ければ、
時間がたてばたつほど、組織が、個人が被る影響はより大きなものとなってしまう。
そしてもう一つは、「我々にとって何が言えるか」ということを考える重要性だ。
つまり、「うちの業界は特殊(同じ事態は起こらない)」と考えるのか、
または、「他で起きていることが自分にも起こりうる」という前提で物事を捉えるのか。
自分は日々どのような考え方で、どのような前提で行動をしているのだろうか-
ディスカッションを後ろで見ていた、私はそのような事を考えてしまった。
天動説と地動説と同じ様に、同じ状況なのに、ふと、見方を変えれば、
正反対に局面が変わってしまう"怖さ"に、気づきを得た教育の現場だった。