2013年3月アーカイブ

  • matsumoto.jpg

    浄土真宗本願寺僧侶、布教師
    松本 紹圭さん


    "人の育成に最も重要なことは?"第4回目にご登場いただくのは、浄土真宗本願寺僧侶の松本紹圭さんです。一般家庭に生まれながらも、幼少期に祖父のお寺で仏教に触れたことにより、大学卒業後、仏門へ入られた松本さん。2011年にはお寺の運営をもっと良いものにしていくためにマネジメントの勉強をすべく、インドでMBAを取得。今回は、松本さんに"仏教の教えからひも解く人財育成"について詳しくお話をお伺いしました。(聞き手:伊藤みづほ、菅原加良子)


  • 【プロフィール】

    松本 紹圭(SHOUKEI MATSUMOTO)

    1979年北海道生まれ。東京大学文学部哲学学科卒業。東京神谷町の光明寺所属。仏教の魅力を老若男女に発信すべく、インターネット寺院「彼岸寺」を設立。また、お寺を会場とした音楽イベント「誰そ彼(たそがれ)」や寺院内カフェ「ツナガルオテラ神谷町オープンテラス」を運営。2012年からは、お寺の運営と住職の在り方を学ぶ「未来の住職塾」を開講

    インターネット寺院「彼岸寺」http://www.higan.net

  • 仏教からみる人との関わり方

    ────後編では、仏教と経営という観点からお話をお伺いしたいと思います。まず、仏教から見た人財の育成についてのお考えをお教えいただけませんでしょうか。

    仏教の経典のひとつに『六法礼経』というものがあります。主人と使用人の幸せな関係を築くための方法が書かれていのですが、現代の私たちならば、上司と部下の関係に当てはまると思います。

    【上司が部下に対してすべきこと】

    ①能力に応じた仕事を与える
    ②仕事に見合った給料を与える
    ③病気の時は看病をする
    ④美味しい食べ物を分け与える
    ⑤時期を見て休みを与える

    【部下が上司に対してすべきこと】

    ①上司より早く出勤する
    ②上司より後に仕事を終える
    ③与えられた給料だけを受け取る
    ④仕事に熟練し、責任を持つ
    ⑤会社や上司の名誉を傷つけない

    これらは2千年の時を経ても変わらないことだと思います。

    ────考え方の本質というのは何年たっても変わらないのですね。

    matsumoto-2shot2.jpg

    そうですね。ただ、現代の企業における人財育成に関しては少し違ってきていると思います。今までの様に一方的に企業の論理を教えて育った人財はこれからの会社で必要なのかという問題があります。

    "自社の考え方を身につけさせる"というのは、型を身に付けるというと少し聞こえもいいですが、実際には型にはめて行く作業だと思うんですね。でも、これだけ変化の速い社会では、そこから本当の変革が始まるとは決して思えません。では、そういう時代に人財に対して何ができるかというと、やはり一人ひとりの可能性を伸ばすことだと思うんです。

    ある人のポテンシャルを最大限引き出すためには、やはり何かを入れるというよりは、まず空っぽにするところから始まると思います。加えるより、捨てる作業の方が重要だと思うんです。(前編参照)それは短期的に見ると、企業にとってはリスキーな部分もあります。捨てる作業は本質に向き合う作業でもありますから。下手をすると、「自分にとってこの会社は大切なものじゃない」ということに気がついて、(考えに至って)会社そのものを捨てる対象として捉えてしまうこともありえます。

    でも、それぐらい本気で、その人の人生の可能性を伸ばしてあげようという懐の大きさが、これからの人財育成なのではないでしょうか。人財の育成を会社の論理で進めようとしても、想像を超える人財は育ってきません。やはり、懐深く、その人の人生という視点で育ててあげなくてはいけないんじゃないかと。

    最近では、人を引き付けるためになにか条件で処遇しようとしても、できる人は集まりませんね。私も含め、若い人たちはやりがいを求めていると思います。

    ────"やりがい"となると、やりがいは与えるものなのか、自ら得るものなのではないかと言う議論がありますよね。

    確かにそうですよね。企業側ができることとしては、社員の人生の重要な部分を構成する仕事において、その人が生きがいを追及できるようなカルチャーになっているかどうかは大きな違いを生むと思います。

    それから、働く側の考え方なのですが、仏教では『サンガ(※)』というものをとても大事にしているんですね。仏・法・僧と言って"仏"はお釈迦様で"法"というのは教えそのもの、そして、"僧"は仲間、それらをまとめて三宝といいます。仏教における三つの宝のうちのひとつが、「仲間」なんです。よい仲間を得ることは悟りへの近道ではなくて、もし本当によい仲間を見つけれらたら、悟りを得たもの同然だと言われるくらいです。

    (※)サンガ:僧伽(そうぎゃ)は仏教の用語で修行者の集まりや、教団のことを指す。

    ────それは、共に頑張れる仲間を見つけるということで、切磋琢磨することによって自身のモチベーションもあげていけるということですね。

    はい。志が高い人達が集まり、自らで考えることをし始める。それが社員が所属する企業が、他人事ではなく、その人自身のもの、人生そのものになった状態だと思うんです。だからこそ、先程も申し上げた通り、それをみんなでやっていけるような風土になっているか、カルチャーになっているか、体制になっているかっていうことが企業にとって重要だと考えます。

    社会のブレークスルーを仏教の視点から後押しする

    ────結局は、人の育成も縁起(前編参照)と言う考え方に通ずるということですね。松本さんが立ち上げた『未来の住職塾』でございますが、始めようと思われたきっかけはなんだったのでしょうか。

    これまで「お寺カフェ」や「インターネット寺院」などさまざまな試みを行ってきましたが、一度立ち止まって、これからのお寺の在り方というのを私自身整理して考えたいと思いました。今までやってきた活動が点としては成り立っていたんですけれども、それら全体がどう統合されていくのか、お寺の未来を本気で描きたかったのです。そして、それをちゃんと社会と接続していきたいと思いました。

    CIMG1798.JPG _DSC0075 のコピー.jpg

    (※)左:寺院内カフェ「ツナガルオテラ神谷町オープンテラス」 右:お寺を会場とした音楽イベント「誰そ彼(たそがれ)」

    私は、お寺は気づきの場だと思うんですよね。その気づきの機会をどう提供していくのか。今、企業や学校でも教育プログラムというものがありますけれども、それが本当の意味で効果を発揮していくためは、人生レベルの思想を理解することが絶対に必要になってきます。そして、その思想から、教育プログラムを学ぶと今以上に気づくことがたくさんあると思います。その思想を学ぶ場として今後お寺が果たしうる役割は、すごく大きいと思うんですね。残念ながら今は、果たしきれていないのですが。

    お寺とは、人の根本的な価値観を育てる場所であって欲しいという気持ちがあります。そのような心を支える社会インフラがあったうえで、教育プログラムがあれば、もっともっと歯車がかみ合っていくのではないかと思うんです。その根っこの部分が、今の日本社会にはずいぶん抜け落ちているように感じます。

    ────現在、お寺で座禅を組む人、説法を聞きに来る若者が増えてきているそうですが。

    そうですね。今、そういう思想を学べる場が求められているのだと思います。だから、まずは教える側のお坊さんが、自ら人財としての質を高めて、自分にとって損か得かというところでの生き方ではなく、もっと大きい視点に立つことが必要なのだと思います。

    ────最後に今後の目標をお伺いできますでしょうか。

    今後、「未来の住職塾」が発展したら、お寺がいろいろな人(一般の方)への気づきを促していく役割を果たせるよう、さまざまなプログラムを皆とともに作っていきたいと思います。

    お寺は今まではお葬式や法事をする場所だけだと思われてきました。確かに、お葬式は大事です。なぜなら、お葬式を通じて人は「死」を意識し、自分自身の人生で本当に大切なものを考える機縁となるからです。しかし、現在のお葬式がそのような機縁として機能しているかどういか。

    他人の「死」に触れることは、気づきを得るためのとても重要な体験です。自分の死は体験出来ないですけれども、人の死に触れることから、自分の死を意識することはできます。それによって、ふだんは損か得かという物差しで生きていたとしても、最後には全部手放さなくちゃいけないということに気づくんです。

    「葬式仏教」などと揶揄されますが、私は葬式という重要な「気づき」の現場にお坊さんが関われるということは、とても意味があることだと思っています。だからこそ、その意味をきちんと人へ伝えて行かなくてはいけないのですが、それが上手くできていない。まだまだやるべきことはたくさんありますので、ひとつひとつ本当に実現していきたいと思います。

    ────それは、お寺に限らず一般の企業でも同じことですね。顧客の為に、何をするべきかを社員一人一人が見つめ直さなければ、世の中は変わって行きません。本日は貴重なお話をありがとうございました。


    インタビュー後記

    今回は仏教という視点から人財育成についてお話をお伺いしたのですが、そこから感じたことは、起縁と言う考え方です。『一切のものは、それそのものとして成り立っているものは何一つなく、必ず何かと繋がっている』ということ。
    人は一人では生きられず、周りの助けがあり、そして、周囲と関わり合いながら生きています。しかし、忙しい時や、自分自身が落ち込んでいる時などは、その事を忘れ、自分一人が仕事をしている気になる。また、自分中心に物事を考えてしまったり、他責にしてしまったりしていないでしょうか。
    人は自分自身に目を向けることは非常に難しく、周りの人達との繋がりや対比によって、自分を見ることができます。だからこそ、人との関わりは重要になる。
    今回のお話を通じ、改めて周囲の人達の存在の大切さ、尊さを学んだように思います。職場や普段の生活でもその事を意識し、より良い関係性を築きあげられるよう自ら努力する必要があるのだと痛感しました。

  • matsumoto-mizu.jpg

    聞き手:OBT協会  伊藤みづほ

    OBTとは・・・ 現場のマネジャーや次世代リーターに対して、自社の経営課題をテーマに具体的な解決策を導きだすプロセス(On the Business Training)を支援することにより、企業の持続的な競争力強化に向けた『人財の革新』と『組織変革』を実現している。

  • matsumoto.jpg

    浄土真宗本願寺僧侶、布教師
    松本 紹圭さん


    "人の育成に最も重要なことは?"第4回目にご登場いただくのは、浄土真宗本願寺僧侶の松本紹圭さんです。一般家庭に生まれながらも、幼少期に祖父のお寺で仏教に触れたことにより、大学卒業後、仏門へ入られた松本さん。2011年にはお寺の運営をもっと良いものにしていくためにマネジメントの勉強をすべく、インドでMBAを取得。今回は、松本さんに"仏教の教えからひも解く人財育成"について詳しくお話をお伺いしました。(聞き手:伊藤みづほ、菅原加良子)


  • 【プロフィール】

    松本 紹圭(SHOUKEI MATSUMOTO)

    1979年北海道生まれ。東京大学文学部哲学学科卒業。東京神谷町の光明寺所属。仏教の魅力を老若男女に発信すべく、インターネット寺院「彼岸寺」を設立。また、お寺を会場とした音楽イベント「誰そ彼(たそがれ)」や寺院内カフェ「ツナガルオテラ神谷町オープンテラス」を運営。2012年からは、お寺の運営と住職の在り方を学ぶ「未来の住職塾」を開講

    インターネット寺院「彼岸寺」http://www.higan.net

  • 自分の在り様を明らかにする

    ────松本さんは、現在、仏教を取り入れた様々なお取組みをされていると伺っております(プロフィール参照)。この度は、仏教の観点から、人の育成や経営ついてお話をお伺いできればと考えております。まず、松本さんの仏教に対するお考えをお教えいただけますでしょうか。

    仏教の面白いところは、私も10年間お坊さんをやっていますけれども、本当に氷山の一角といいますか、まだほんの一部にしか触れられていないのではないかと思います。どこまで深いんだろう...と思うくらい深いです。

    人生のその時その時で抱えている問題や悩みは違いますよね。だからこそ、同じ経典でもその都度響いてくる部分が違ったり、後から振り返ってみて「これはこういうことだったのか」と気づくこともあります。

    仏教とはブッダの教えであり、ブッダとは目覚めた人という意味ですから、仏教は目覚めた人の教えであり、みんなが目覚めていくための教えです。ですから、教えをただ聞いていればいいということではなく、それを学んで私たちも目覚めて行くということが大事です。

    ────与えられたことを鵜呑みにするのではなく、自ら考え、感じることが重要ということですね。

    そうですね。知的に理解するということだけでなく、自分の人生において、仏教から頂いた物が身になっていく。我が身が照らされることで、仏教が生きてくるわけです。

    そして、仏教は仏道とも言いますから、ずっとその道を歩き続けることが大事です。仏教が私の人生においてどう働いてくるのかというと、我が身の在り様を明らかにしてくれることで、前に進んで行く力を与えてくれる。自分の現在地が分かるということは、迷いから抜け出る第一歩です。

    人間は自分の顔は鏡を使わなければ見ることができないですよね。目も外向きに付いていますから、自分で自分を見ることができない。それなのに、人間は自我が強いものですから、自分が自分がという、自分の正しさだったり、そういうところにこだわりますよね。それは、自分が見えていないものがたくさんあるんだってことが見えていない状態なんです。で、わかった気になってしまう。

    ────大方の人が、自分自身を見る事が出来ていないと言う事ですよね。

    matsumoto-1shot.jpg

    はい。つまり、自分が自分と思っているものの不確かさを、あたかもあるがように捉えて生きているんです。たとえば、人は"私"という存在を中心に考えてしまいがちです。そして、私という存在の領域を、不安感に突き動かされて、より拡大して行こう、より他の人よりも大きな物にしていこうと思っているんですね。そういう見方でいうと、人生損か得かという話になってくる。しかし損か得かという見方で生きていくということは、かなり息苦しい生き方です。仏教的に突き詰めれば、「私」という存在の根拠は、本当はどこにもありません。

    裕福な人が必ずしも幸福度が高くないというのも、つまりどこまで「私」を拡大しても、不安感は解消されないどころか、大きくなってしまうからだと思うんです。もちろん、今日明日の食べるものがないという状態は解消していかなくてはいけません。しかし、最低限の物が満たされていているならば、本来損か得かという発想ではなく、心をどう自由にしていくのかということが重要だと思います。

    ────そうですね。確かに常に損か得かという発想であったり、人と比べることによって初めて自分の幸せを実感するという考え方の方もいらっしゃいますよね。

    はい。でも、それでは深い幸せは感じられないでしょう。人間は人と人とが繋がりあって生きているんですね。仏教の大切な考え方として「縁起」というものがあります。この世の一切のものは、それそのものだけで成り立っているものは何一つもないと言うことです。

    結局、私という人は、人との繋がりや、その他あらゆる命との繋がりの中にしかないんだということです。周りの存在を感じずして、自分自身の今の立ち位置を見ることはできません。そして、その一瞬一瞬で今まさに自分がここにあるということがどれだけありがたい、文字通り"有り難い"ことか、考えてみる。

    ────日々忙しく生活をしていると、そういったことを考えずに自分中心で物事を考えていたなと改めて痛感します。周りの人の助けや支えによって今の自分がある...。そう思うと感謝の気持ちが湧いてきます。

    もちろん人生楽しい事ばかりではなく、辛いことや悲しいこと等いろいろなことがありますが、瞬間瞬間が人生修業であり、幸せは今の瞬間の他にないんだと知ることが大事だと思います。

    幸せというのもいろんな語源があるみたいですけれども、幸せって"あわせ"という言葉が入っていますよね。瞬間瞬間に、今たまたま出会っているご縁を、最大限に楽しむこと、最大限享受することの他に、人生はないのでしょう。

    ────ご縁というと、とてもいいイメージですが、先程おっしゃられたように仏教の考え方から言うと苦難や失敗事もまたご縁であり、幸せということだと思います。しかし、自分にとってプラスの事ならばすんなりと受け入れられますが、辛いこと悲しい事を目の前にして、それを楽しむという気にはなかなかなれませんよね。

    はい。しかし、今の地点からいうと。未来に行けるわけでもないし、過去に行けるわけでもありません。未来と過去と言うものだって、その自分の認識の中のものですから。つい未来に意識が行ったり、何であんなことしちゃったんだろう...。というところに気持ちが行ってしまうと、今しなくてはいけないこと、受け止めなくてはいけないことが、おろそかになってしまうんです。それが、迷いの状態だと思います。

    事業の使命とビジョンを明確にし、足元を固める

    ────今起きている事を、受けとめることがまずは一番重要という事ですよね。

    そうなんです。自分のことを省みる時間や機会が無くなると自身を見失ってしまうので。それから、物事に対し文句ばっかり言っている人もいますよね。たしかに、自分を客観的に見る作業は辛いものです。変化を迫られるからです。自分以外の周囲だけをみていれば、誰かのせいにすればいい。だから、文句が出てくる。

    ────私自身も、なかなか自分を見る事が苦手で(笑)周りの人から注意されて、見たくない自分を見て抵抗してしまい、後々反省したりすることもあるのですが、松本さんはそういったことはありますでしょうか。

    よくあります(笑)。ただ、自分の感情をありのままに受け入れ、反発したくなる気持ちも含め、そういう人間なんだなと。ハッと気づいて、一歩引いて見るようには心がけています。

    特に浄土真宗では、自分のことを愚者と見る視点があります。人間わかってるような顔をして本当は分かってないんだということ。自分が何も分かっていない・出来ていないことがわかるということは、大きな意識転換です。何もわかっていなんだということが本当に腹の底に落ちてくるということは、真理に照らされないとそうはならないわけですから。

    ────親鸞の言葉で『善人なほもって往生をとぐ、いはんや悪人をや(善人でさえ、すくわれる。悪人ならば、なおさらだ)』と言う言葉がありますよね。

    はい。それは、自分のことを善人であると信じているうちではダメで、自分の悪いところや至らないところを深く自覚した人からこそ出てくる言葉だと思います。

    ────私どもは、企業の人財育成のお手伝いをさせていただいておりますが、トレーニングをしている中で、"自分は何もわかっていなかった..."、と気づいた受講者の方がどんどんブレイクスルーをして変わっていくのを目の当たりにしています。

    matsumoto-2shot.jpg

    私は、人が成長するということは、自分を捨てるということだと思うんです。成長すればするほど、さらにどこまで捨てられるかということが勝負になってくる。私も教育現場を持っておりまして、『未来の住職塾』というお坊さん向けのお寺経営塾を開いております。そこに来るお坊さんは、みなさんお寺を背負って来られているんですね。お坊さんも同じなんですけれども、これからのお寺をどうしたらいいのかという話をするんです。その中で、最新の経営学も教えたりするのですが、すると、みなさんそこに何かこれからの経営に対する答えがあるんだと思ってしまうんですよね。

    でも、私はまずはお寺をいろんな角度から見てみましょうと言うんです。そこで何が見えてくるかというと、魔法のようなこれからのお寺の突破口など、どこにもないということ。そして「自分はお坊さんとして、絶え間なく精進し続けなくちゃいけないんだ」ということがわかる。

    結局、新しいことに飛びつくことではなくて、足元をみることが大事なんだと。そして本当にやらなくてはいけないことを本当にやっていくということ。それに尽きるんだということを知るために、1年間かけてプログラムをやっています。

    ────具体的にはどのような事をされているのでしょうか。

    プログラムの一つですが、お寺360°診断というのをやっています。お寺の住職は、実は企業の社長さん以上に孤独なところがあって、お坊さんにものを申してくれる人がなかなかいないんですね。だから、まずは足元、自分自身を見てもらうために顧客視点というか、ぐるり360度からステークホルダーのみなさんに評価してもらう。お寺のステークホルダーは檀家さんだけではなく、地域社会の人とか業者さん、親しいお寺さんだったり、寺族といってご住職の奥さんとか家族とか、そういう人みんなにアンケートに回答してもらい、それを事務局で集計してレポートとして渡すということをしています。

    ────私達も教育の際に他面評価は結構使うんですね。ただ、なかなか受け入れられない人もいますよね。

    やはり、かなりの葛藤があると思います。でも、お坊さんの面白いところで、ここで仏教が効いてくるんですね。人間の性質としては、自分に対するネガティブな評価は受け入れたくないものですが、自分はお坊さんだという自覚も当然あるので、ネガティブな評価にも目をつぶるわけにはいかないなと。普段から、「仏法とは自分の在り様を照らしてくれるものです」という説法している自分が、客観的な意見に蓋をするわけにはいかないよね...と(笑)。だから苦しいながらもみんな受け入れようとします。

    ────そこを超えると何か変わりますか?

    それは、物凄い変化です。一度小さなプライドを捨てて、自分の良いところも悪いところも全部受け止めてしまえば、それはある意味、自分を捨て去った状態になるわけですよ。ちっぽけな自分が壊される。そうすると今度は、ポテンシャルが100%開いていくことが始まると思うんですよね。空っぽにならないと何も入って来ませんからね。

    気付きを得るためには、自身の足元をきちんと見つめること。その為には、自身の至らなさを知る事が重要と語って下さった松本さん。後編では仏教から見た人財育成や経営についてお話を伺いました。


    インタビュー後記

    今回松本さんにお話をお伺いし、最も印象に残っているのは『成長するということは、自分を捨てるということだと思うんです』という言葉です。
    一見すると、成長とは"今までの積み重ね"と思いがちですが、その積み重ねがあるからこそ、過去の経験という狭い枠の中から簡単に答えを導きだそうとしたり、挑戦する前から諦めてしまったりしてしまうと言います。
    今ままで培ってきたものを一旦、空っぽにする...。つまり、自分の自尊心を捨てることが必要になります。しかし、それはなかなか出来ないことだと思います。だからこそ、指導者側がきちんと今の現状を伝え、そのことを気づかせることが重要になります。そして新たな考えを入れるためのスペースを作ってあげる(頭の中を空っぽにさせる、変なこだわりを捨てさせる)。そのことこそが、指導者が行うべき任務の一つなのかもしれません。


    *続きは後編でどうぞ。
      第四回【育成の瞬間】成長とは自分を捨てること-後編

  • matsumoto-mizu.jpg

    聞き手:OBT協会  伊藤みづほ

    OBTとは・・・ 現場のマネジャーや次世代リーターに対して、自社の経営課題をテーマに具体的な解決策を導きだすプロセス(On the Business Training)を支援することにより、企業の持続的な競争力強化に向けた『人財の革新』と『組織変革』を実現している。

このアーカイブについて

このページには、2013年3月に書かれたブログ記事が新しい順に公開されています。

前のアーカイブは2013年2月です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。