2008年1月アーカイブ

伝統のものづくりに学ぶ、オンリーワンの競争力とは(前編)

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    株式会社一ノ蔵
    マーケティング室室長 山田好恵さん

    昭和30年には4021場あった清酒メーカーは、平成17年には1737と、往年の4割近くにまで減少しています。一部の大手メーカーによる寡占が進み、極端な価格競争の波に飲まれて個性的な中小の事業所が姿を消していく。この現象は、他の産業にも共通なものといえます。その中にあって「オンリーワン」を目指し、清酒の復興に賭ける企業があります。時代の波に流されずに本物を守り続けられる強さの秘けつとは。一ノ蔵マーケティング室室長、山田好恵さんに伺ったインタビューを、前編・中編・後編の3回シリーズでご紹介します。

  • 株式会社一ノ蔵http://www.ichinokura.co.jp/

    宮城県にあった4つの酒蔵、浅見商店・勝来酒造・桜井酒造店・松本酒造店が企業合同して昭和48年に誕生した清酒メーカー。機械化すれば6名前後の蔵人で生産可能な3万石の蔵に48名の蔵人を配し、「良い米を使い、手間暇をかけ、良い酒を造る」という姿勢を貫く。昭和52年には良い酒を安く提供するために、あえて級別監査(現在は廃止)に出さず2級酒として発売した本醸造酒「無監査」がヒット。以来、こだわりを貫く酒蔵として清酒ファンの支持を広く受ける。

    YOSHIE YAMADA

    1964年生まれ。86年に、大卒の新卒社員一期生として株式会社一ノ蔵入社。物流企画課に配属になり、入社したその年に、女性向けの低アルコール酒「ひめぜん」の開発を任せられ、ヒット商品に育て上げる。05年に現職に就任。

  • 4社が企業合同して、「一ノ蔵」が誕生。
    平等主義を貫き、4社合同の組織をまとめあげる。

    ──御社は1973年に4社の酒造メーカーが企業合同するという形で創業されました。創業後の滑り出しは、順調だったのでしょうか。

    いえ、やはり最初の10年間はものすごくギクシャクしたらしいです。企業合同という姿についていけない人たちもいて、当時の蔵人の中には辞める人もいたと聞いています。それまでは、自分のところの社長だけを見て仕事をしてきていますので、急に「社長ではなく副社長になった」といわれても従えないわけですね。でも、そういう悪しき習慣といいますか、過去の習いはここ15年ぐらいですっかりなくなりました。

    経営者自身が「自分たちの会社」ではなく、「わたくしたちの会社」「みなさんの会社」ということをずっと言い続けてきて、みんなの中に「アワーカンパニー」という意識が生まれてきたのだと思いますね。

    ※高度成長期を経た1970年代から80年代にかけてのこの時期は、ウィスキーやビールの台頭により清酒需要に陰りがみられるようになり、「大量生産、大量消費」の風潮の中で、地方の中小の酒蔵は苦戦を強いられていた。その中、地酒の生き残りをかけた4つの酒蔵の企業合同により、一ノ蔵は誕生した。

    ────「みなさんの会社」というのは、具体的にはどのようなことなのでしょうか。

    創業役員は4人おりますが、それぞれ個性も能力も違いますから、抜きん出て優秀な経営者が長期間に渡って社長を務めることがあってもよさそうなところを、町内会の会長さん選びみたいに4年任期で社長を交代していくんですね。すごく平等だなと思います。

    そうすることによって、「みんなに機会を与える」とか「一人だけのものにしない」といった風土が根付いたのではないかと思うんです。1社、絶対的に強いところがあったというわけではなくて「みんな平等」で始まっていますので、そういう平等感が社風の一つにある。「チャンスはみんなで分ける」という雰囲気があるんですね。

    伝統を守った手作りの酒造り。
    理念を貫くことが競争力の源泉に。

    ────「伝統の手造り」を貫かれていることも、創業以来のこだわりだと伺っています。

    そうですね。そもそもは、東北地方というのは地元の酒を飲むという文化がある地域でしたから、いうなれば自分たちの地域、自分たちの市町村で飲んでもらえれば、十分に経営は成り立っていたわけです。けれども一ノ蔵が創業した当時は、大手の酒造メーカーがテレビコマーシャルで攻勢をかけ、東北の小さな町や村にまで大手の銘柄が入ってきて地酒が次々と淘汰されていく厳しい時代がスタートしたころでした。資金力でも宣伝力でも、とても大手にはかないません。だったら、大手にはできない手造りで心をこめた酒を造ろうと。そして「オンリーワン」になろうというのが、一ノ蔵のもともとの発想なんです。

    ですから、経営者からは「どんな時代になっても品質へのこだわりだけは捨てるな」といわれてきました。とにかくこだわって、いいものを作り続ける。そうしてできあがったものがわれわれの唯一の宝なんだということを、一人一人が本当によく理解していると思います。

    今では多くの清酒メーカーで機械化されている作業も、一ノ蔵では頑なに伝統の手作業を守っている。写真は、醪(もろみ)の仕込み風景。(写真提供/一ノ蔵)

    ────昭和52年に日本酒の階級別制度の挑戦として「無監査」という商標の清酒を発売されましたが、これも「オンリーワン」を象徴していますね。

    いいお酒を作って高い値段で売るというやり方はあまりにも当たり前ですし、それは消費者の立場に立って考えるとメーカーのエゴだというのが、創業者の考えなんですね。お客さまに喜んでいただける良いお酒を作るためには、あえて監査を受けずに酒税が安い二級に甘んじる方法があるということに鈴木(創業者の一人である鈴木和郎氏。故人)が気づきまして、「無監査」という商標を取って出したわけです。税務署ともずい分喧嘩をしたらしいんですが(笑)、この考えが日本酒通の方々にいたく共感いただき、「無監査」は全国的なヒット商品に成長しました。

    今では多くの清酒メーカーで機械化されている作業も、一ノ蔵では頑なに伝統の手作業を守っている。写真は、醪(もろみ)の仕込み風景。(写真提供/一ノ蔵)

    その後、平成4年に級別制度はなくなりましたが、「無監査」という商標で引き続き出しています。もう級別がないわけですから、無監査も何もあったもんじゃないとも思うんですけども、これはやはり一ノ蔵が伸びる起爆剤になった商品。安くてよいものを提供するという当社の弊社のこだわりを象徴するものでもありますので、今後も継承されなければいけない商標だと思っています。

    「一ノ蔵 無監査本醸造」:1977年発売。知名度の低さで業績が低迷していた一ノ蔵が、創業4年目に起死回生をかけて発売した商品。清酒を特級から二級にまで種別していた当時の級別制度を逆手に取り、あえて監査を受けずに二級酒として発売。酒税が低く抑えられることで高品質の酒を低価格で提供でき、ヒット商品となった。(写真提供/一ノ蔵)

    現場主導で開発した商品がヒット。
    社員の間に自主性が生まれる。

    「ひめぜん」※写真は2008年1月現在。3月にリニューアルを予定
    アルコール分8%の低アルコール酒。すだちやかぼすを思わせる柑橘系の香りが女性客を中心とする日本酒の初心者に支持され、1988年の発売以来、ロングセラー商品となる。(写真提供/一ノ蔵)

    ────山田さんは1987に入社されてすぐ、女性向け低アルコール酒の商品企画を手がけられたそうですね。

    「ひめぜん」ですね。女性にとって、飲みやすい、買いやすい、持っていって恥ずかしくない、もらってうれしいようなものは何なのかと考えてつくった商品です。

    ────入社後すぐに新商品の企画を任されたというのは、すごいですね。

    私が入社した当時は創業してまだ十数年の、ようやく会社としてまとまりができてきた、非常に伸び盛りの段階でしたので、新商品をつくる専従者を育てていこうという考えがあって新卒の採用計画を進めていたんですね。ですから配属された物流企画課はまったく新しい新設の部署で、女性の先輩社員もいませんでした。

    けれども入社してみましたら、やはりこの業界はものすごく古いんですよ。男社会ですし、新しいものを作るといっても、なかなか難しいものがある。けれども何かの飲み会のときに、当時発売したばかりだった低アルコールのお酒(「あ、不思議なお酒」)を「うちも女性向けのこういうお酒を作っているんだよ」と注がれまして。それがあまりにもおしゃれではなかったものですから(笑)、「これでは売れないのではないですか」という話をしましたら──事実、売れていなかったのですが──、恐らく経営者はカチンときたんでしょうね(笑)。「それなら、商品を開発してみろ」といわれて担当することになりました。

    ────商品のコンセプトは、どのようにして固めていかれたのですか。

    そのころは「ものを売るにはストーリー性が必要だ」といわれていましたので、それならば、宮城の一ノ蔵を売り出していくために「宮城県」ということを連想できるものにしようと。ちょうど当時、伊達正宗の話が大河ドラマになっていたときでしたので(※)、伊達正宗に関係することで、しかも女性に関わること、伊達正宗の奥方だった愛姫(めごひめ)に通じるストーリーを考えようと考えたんです。

    ※1987年1月4日〜12月13日に放送の「独眼竜政宗」

    愛姫は12歳で山形から輿入れしています。まだ子どもですから、お父さんやお母さんが恋しいといって泣くんですね。その姿を見て、自分自身もまだ13歳だった正宗が、非常にかわいそうに思うんです。そして愛姫なぐさめるために朱塗りのままごとの道具「お姫様御膳」を贈った。その「お姫様御膳」から取ったのが「ひめぜん」という名前です。「なぜ「ひめぜん」というのですか」と聞かれたときに、正宗と愛姫の話にまでふくらませてお客様に伝えることができるということが、発想の一つにあったんですね。

    もう一つ、「ひめぜん」の開発では、コンセプトを「ネオクラシカル」という風にしました。酒造りの技術というのは。室町時代に完成に近い姿を見るのですが、当時は環境も整っていませんでしたので、今のように18度、19度まで発酵しなかったんですよ。せいぜい12、13度くらいで発酵が止まっていた。そこで、低アルコール酒は室町時代のお酒に似ているということで生まれたコンセプトが「ネオクラシカル」。そこに、実際にあった過去の話である「お姫様御膳」を重ねて、「ひめぜん」という商品を考えたわけです。

    当時の社長でありました鈴木に「こういう風に考えているのですが、どうでしょうか」と話しましたら、「それでいこう」と。「後は好きなようにやりなさい」といわれましたので、容量はどうしようか、ボトルの形状は、という風に進めていきました。

    「ひめぜん」は500mlのボトルを採用していますが、この容量のお酒というのはお土産用として一部あるくらいで、当時はそんなにありませんでした。けれども720 mlでは女性が一人で飲むには持て余してしまう。500mlならボトルの背も高くないのでテーブルに置いても邪魔にならないということから、容量は500mlにしようと。

    実は、ワインで女性のお酒に対する門戸がずいぶん広がったので、「ひめぜん」の前身となった「あ、ふしぎなお酒」のボトルも当初はワイン風のデザインでした。けれども、一ノ蔵は日本酒なのだからワイン風にすることはないだろうと思ったんですね。もっと和風のシンプルな作りにして、金や白、赤などの色づかいだけでやりましょうと提案して、今現在のラベルになりました。

    ────男社会といわれる風の中で、入社したての女性が新商品を開発することに対する、社内の反応はいかがでしたか。

    「ひめぜん」は、発売と同時に好調な売れ行きを見せ、低アルコール酒の市場を開拓する先駆け的な商品となった。「八八年十月に売り出すやたちまち売り切れというありさま。二年目以降もずっと二桁の伸びを示すヒット商品になった。」(「オンリーワンの蔵」今井亮平氏著 ブレインキャスト刊 より引用)

    仕事はものすごく楽しかったのですが、周りの先輩からすれば面白くない存在であったとは思います。ずいぶん、鼻っ柱をへし折られました(笑)。けれども、そういう経験も今となってはとてもありがたいことだなと思えるようになりましたし、経営者は新人を育てるということも想定しながら仕事を託したのかなという風にも思うんですね。

    ────「ひめぜん」がヒットしたことで、社内にも何か変化は起こりましたか。

    「ひめぜん」のヒットをきっかけに、企画を社員に任せるということを役員自身ができるようになり、それを社員が受けて、形にしていこうと自主的に動くことができるようになってきたのではないかと思うんです。

    「ひめぜん」はプロモーションも工夫していまして、テレビコマーシャルにでも乗せれば、もしかしたらあっという間に広がったのかもしれませんが、地酒ですからナショナルブランドと同じようなことはするまいと。お客さまの口コミによって商品が伝播していく、その力を信じようと考えまして、発売するときには「『ひめぜん』パーティー」というのを、特に大きな宣伝もせずにやったんですね。200名ぐらいの方が集まったでしょうか。

    パーティーでは、仙台で活躍している料理研究家2人に「『ひめぜん』に合う和食」「『ひめぜん』に合う洋食」と、それぞれテーマを持ってテーブルコーディネートをしていただいて、「なぜこの料理が『ひめぜん』に合うのか」をプレゼンテーションしてもらったんです。そして、お客様には実際にそのテーブルまで降りてきていただいて、試食していただくというようなことをしました。

    「ひめぜん」のこのパーティーは、規模は非常に小さいものでしたが、新商品を出す時には発表会をすべきだいうことが社内で認識できたものですから、その後に出された商品では、ホテルを借り切ってパーティーをするということが定着しました。そのときの企画も、役員が社員に任せるんです。

    「大和伝」宮城県松山町の刀匠 法華三郎信房氏(県重要無形文化財指定)の伝える「大和伝」から命名。名刀大和伝のごとく鍛え上げ、蓋麹での製麹、低温発酵と造りにこだわり抜いた酒。(写真提供/一ノ蔵)

    例えば「大和伝」という商品を出したときには、刀鍛冶の方に来ていただいて実際に刀を展示して「なぜこの刀が酒になるのか」というようないわれを説明したり。大きな生け花のパフォーマンスを取り入れたパーティーをしたこともあります。「お酒を飲んで美味しかった」というだけではなくて、お酒プラスαで強く印象づけるということを社員が考えるようになったんですね。

    ────そういった体験を通して、社風も徐々に変化してこられたのですね。

    そうですね。「絶対的な経営者と従業員」というそれまでの関係図から、「会社を動かしていくのは、われわれ社員にもできるんだ」ということが何となくできあがってきたのかなという気がするんですよ。旗振り役の経営者だけが社員を引っ張るのではなくて、社員も一緒に会社を動かしていくということの動機づけになったような気が、私はしてるんですね。

    創業から30年を経てなお、伝統の酒造りを守る一ノ蔵。創業の精神を、ブレることなく貫き続けられるのはなぜなのか。中編では、一ノ蔵の経営理念や人材の採用・育成について伺います。

本物経営への道のり(後編)

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    株式会社再春館製薬所
    ITM営業現場部 兼 社員満足推進室 人事部
    マネージャー 岡村 宗敬さん
    広告広報企画部 濱田 恵輔さん

    「お客様第一主義」、「社会への貢献」、「従業員の幸福の追求」──経営理念にこういった言葉を掲げる企業は、非常に多くあります。しかし、現場に目を向ければ売上至上主義が横行し、企業の永続的な発展のために不可欠であるはずの理念が「絵に描いた餅」になっている企業が多いのもまた実情です。理念の追求とは。本物の経営とは。3回シリーズの最終回では、再春館製薬所のITM営業現場部 社員満足推進室 人事部 マネージャー、岡村宗敬さんと広告広報企画部の濱田恵輔さんに伺いました。

  • 株式会社再春館製薬所https://www.saishunkan.co.jp/

    1932年設立。『ドモホルンリンクル』で知られる、漢方の医薬品・化粧品を開発する製薬会社。人間が本来持っている自然治癒力、自己回復力を最大限に引き出す製品づくりにこだわる。行動規範に5つの『しん』、『心』『真』『診』『深』『信』を掲げ、顧客と直接コミュニケーションを図ることで個人商店のように心の通ったサービスを提供するために、自社製造とテレマーケティングによる直接販売方式を貫く。

    MUNETAKA OKAMURA (写真左)

    1964年生まれ。00年株式会社再春館製薬所入社。お客様満足室責任者を経て、2002年に営業現場部責任者、2003年営業現場部マネージャー、2007年より社員満足室人事部マネージャーを兼任。

    KEISUKE HAMADA (写真右)

    1976年生まれ。01年株式会社再春館製薬所入社。お客様満足室、営業現場部アウトバウンドを経て、2004年より広告広報企画部にて主に企業広報を担当。

  • 組織間での壁をなくすために、フロア内の壁を取り払う。

    ────オフィス内に仕切りがないことに驚きましたが、この設計も『ありたい姿』を伝えるための仕掛けといえるのでしょうか。

    岡村 まさに仕掛けです。見ての通りフロアに壁は一切ありませんし、会議室もすべてガラス張りです。オフィスのこの形そのものが、最終的にはお客さま満足につながるんです。部署と部署の間に壁があったり、5階建てなどで階を移動しないといけないとなると、それだけで伝わる情報のスピードが落ちてしまいます。また、社員同士が頻繁に顔を合わせなくなると、その相手は情報を伝えなくてもいい存在になり得るんですよね。でも顔を合わせれば、「あ、伝えておかなければ」となる。いかに情報を早く伝えて共有し、対応に活かせるかということを考えた結果がこの形。その中心に会社のトップがいるのも、社内の動きを敏感に感じたいと考えているからなんです。

     

    (写真左)2007年1月に移転した新本社屋は2階建てで延床面積は1万1600平方メートル。フロアには一切の壁や仕切りがなく、社長室もない。写真中央、椅子の背にスーツのかかっている席が、西川社長の席だ。また環境にも配慮して、資料を必要以上に保管しないよう机に引き出しはない。足元にカゴを置き、持ち物はそこに入れるルールになっている。
    (写真右)フロアのそこかしこに人の輪ができ、立ち話し風のラフなスタイルでミーティングが行われている。

     

    (写真左)ガラス張りの会議室。(写真下)サーバールームもガラス張り。誰からも見える環境にすることで社員の中にも自律が生まれ、セキュリティも自然と強化される。

    岡村 こういうフロアにおりますと、「彼は最近笑顔が少ないね。何か悩んでるんじゃないか」とか、「あの部署はいつも笑い声がして、非常に動きがよくなってきたね」といった、感覚で感じることがたくさんあるんですね。西川自身も何かあればすぐコミュニケーターの席に行って、当社で『しおり』と呼ぶ、お客さまとの会話の記録を実際に見ます。

    これが、階段があったり、部屋の壁がありノックしないといけなかったりすると、少なくともスピードは間違いなく落ちる。壁をなくすことで社員の間の連携がよくなって、情報がスピーディに伝わり対応できることが、最終的にはお客さま満足につながると思うんです。

    ────部署ごとの壁がなく、社内を自由に行き来できるオフィスというのは、ともすると仕事をしているのか遊んでいるのか、けじめがなくなることを危惧して導入を躊躇される企業もありますが、御社でよい効果が出ているのはなぜなのでしょうか。

    岡村 確かに、私も席にはほとんどいませんので「あいつは何をしているんだ」と思われても仕方はないかもしれませんが、そこは信頼関係といいますか、そういうもので成り立っているんだろうなと思います。ですから、本当の意味での自主性がないと、こういったオフィスの設計はできないだろうなと思います。

    濱田 テレビドラマによくあるような、スポーツ新聞を読んで仕事をサボっているような世界は、ここには一切ないですね。風通しのいいフロアだということは、あらゆる目から見られているということでもありますから、そんなことができる環境にはまずないんです。

    また、若手のうちから大きな裁量権が与えられますので、各自の仕事は自分の責任においてしなくてはならない。それを時間内にうまくこなしていこうとすると、サボっている余裕はないというのが正直なところです。でも逆に、それが面白いんですね。指示されてするような仕事ではないので、いろいろと自分の頭の血を巡らせることができる。「コピーとって」なんていわれることもありませんし。面白いですね。

    ────社員のみなさんの表情にも、いきいきとされている様子が表れていますね。

    濱田 入社2年目で、20何万人以上のお客さまに送るダイレクトメールを作成する仕事が任されたりするんですね。もちろん、先輩に相談しながら進めますが、若いうちからこれほどの仕事を任されるのはすごいなと思います。そのダイレクトメールにお客さまからどれくらいの反応があったのかというのを見れば、また次もと、やる気になりますよね。

    確実に、迅速に情報を共有するために、
    生のコミュニケーションにこだわる。

    パソコンの常時使用が許可された部署や担当者以外は、12時から18時の間は自席でのパソコン使用は不可。フロアに設置された『臨時PC机』においてのみ使用が可能となる。

    岡村 フロアに壁がないという物理的なことだけではなく、コミュニケーションでも直接話すということにこだわるのが当社の特徴なのかなと思います。例えば、社員同士がメールでやりとりしていると、西川はよく「直接行って話せばいいじゃない」というんですね。なるべく生で伝えたいという意識がものすごく強いというのを感じます。

    メールの使用を制限する施策も導入していまして、12時から18時の間は原則としてパソコンの使用が禁止されています。対面でのコミュニケーションを活性化させるためにワンフロアのオフィスで働いているのにメールでのコミュニケーションが増えてきて、もともとの目的からのズレを感じるようになったことから導入した施策です。ただし、システム部門や経理など一部の部署や担当者に関しては、『PC使用許可証』を発行していまして、その他の部署も理由や期間を明記して役員に申請し、許可されれば常時の使用が可能ですが、審査のハードルは非常に高くなっています。

    太鼓も、そのための仕掛けの一つです。太鼓が鳴れば、鳴ったということはフロア中が分かりますし、各部署の代表が必ず集められる。これがメールですと、一斉に発信はできても、一斉に認識は取れないんですね。相手がそのメールを開かない限り、情報を共有できないわけですから。

     

    (写真左)オフィスの中央に置かれた太鼓。
    (写真右)太鼓が鳴ると、各部署の代表がすぐに集まり、必要な情報を共有して部署に持ち帰る。

    ────定例で太鼓が鳴る時間があるそうですね。

    岡村 昼と午後の4時から4時半ぐらいの間の2回がそうですね。夕方の太鼓では、翌日の朝一番から認識を取らないといけないことを共有します。インバウンドは朝8時から営業していますので、昼の太鼓で認識を取っても遅いことがあるんです。ですから昼の太鼓では、それ以降の時間、夕方までの間に認識を取らないといけないことを共有します。

    ────定例の時間以外では、どのようなときに太鼓が鳴るのですか。

    岡村 例えば、どこかで台風や地震があったときには即座に鳴ります。関東地方に台風が接近したとしますね。該当地域のお客さまに今当社からお電話するのはご迷惑だと判断したら、「その地域のしおり(顧客カード)は一切抜きなさい」、「その地域のお客さまからお電話をいただいた場合は、気遣いを持って対応しなさい」という情報を一斉に流すわけです。

    何かしらお客さまからお叱りをいただいて、これはすばやく認識を取らないといけないといった場合にも召集がかかります。また当社の商品のことでなくても、漢方薬で何か変わったことが起きたというときには、「再春館は大丈夫?」という声が、必ずお客さまから入るわけです。それに対してどうお答えするかということなど、瞬間的に認識を取らないといけないことに対しては太鼓が鳴って各部署から社員が集まり、また各部署に戻って情報を共有するという流れになっています。

    けれども情報の共有方法が完成されているかというと、そんなことは全然なく、これは今、再春館が抱えている問題でもあるのですが、人数が多くなる中でいかに考えを浸透させていくかということが、難しくなってきてはいるんです。ただし、西川の口からもよく出ることですが、無造作に会社を大きくしたいとはまったく思ってないんですね。考えをしっかり共有できる人数の中で経営ができることが大切なのであって、売上高や社員数の多さに対する重要性を西川はあまり感じていない。規模の拡大を目指して経営をしているわけではないのですが、それでもやはり人数が多くなりますといろんな考え方の人間が増えてきますから、いかに会社の考えをみんなに伝えていくかということについて、これからもいろいろな取り組みを続けていかなくてはいけないと、強く思います。

    ですから、西川は直接社員と対話をしようという意識が強くて、例えばアンケートなどは嫌がるんですよね。直接話して、直接聞いて。そういうところからコミュニケーションが生まれて本当のことが理解できるって思っていますので。本当に、そこは徹底してますね。『統計』というものも、大嫌いですしね。

    お客さまとの会話を記録する『しおり』は手書き。パソコン入力は記録が簡潔になる傾向があるとして、手書きのスタイルにこだわる。

    濱田 商品開発でも、「この声の比率が高いから、それに基づいた商品を開発する」といったことはありませんしね。「それはあくまでも統計でしょう」と。同じ声でも、その背景は違う。統計はそれらをまとめた集約でしかないわけで、一つひとつの声を分解していかないと真実はわからないんです。

    岡村 お客様とのコミュニケーションでも、同じことがいえると思います。例えば、お客さまから「商品の使い方が分からない」というお問い合わせをいただいたときに、その背景がわからないと説明を間違えてしまうんですね。もしかしたら、使用説明書そのものがわかりづらいのかもしれない。とすれば、説明書を改善しないと根本的な解決にはなりませんよね。もしくは、効能、効果をあまり感じていらっしゃらないということであれば、お話をする内容もまた変わってくる。同じ言葉が出たとしても、その言葉が出てきた背景はみんな違うので、その背景を理解したうえでお答えしないと、そのお客さまの悩みは解決できないんです。ですから、いかにお客さまとのコミュニケーションを取るかが重要になります。

     

    2階建ての新本社で上下階を結ぶのは、階段ではなく、立ち止まって情報を見やすいようにスロープ。その途中にはたくさんの掲示があり、商品情報や目標などの情報共有が徹底して行われている。これらの掲示もすべて手書き。情報に温度を持たせるために、『POP隊』と呼ばれる社員が手書きで作成する。

    当たり前のことを地道に継続することこそが、
    本物を生み出す力になる。

    ────オフィスの設計や社員教育、手書きにこだわる『しおり』や社内掲示など、すべては「お客様の満足」のためのお取り組みだということが、本当に一貫されているのですね。

    岡村 でも、特別な何かをしているということではないんです。当り前のことを、当たり前にやっていくことが一番大事だと思います。商いの本来は、お客様に買っていただいたことに、どれだけ感謝ができるかということ。その当然のことを、いかに根付かせるかがすごく大事なんだろうなと思うんです。

    といっても、それを短期間でなし遂げることは難しくて、直接のコミュニケーションを大事にする、お客さまの満足がなぜ大事なのかということをきちんと説明する、そういったことに時間を使わないと、根づかないんだろうなと思います。

    ────当り前のことをやり続けるのは非常に難しいことですが、御社ではなぜそれができるのでしょうか。

    岡村 西川自身が、本当にそう思っているということが大きいと思います。うわべやカッコよさで言っているわけではなく、本当に『ありたい姿』を目指したいと思っている。そして、「そういう仲間になろう」というメッセージを社員に送っている。だから私たちも「やろう」という気になるんですね。

    ────研修でも、「人としてのあり方」に関わる教育をされている印象を受けました。

    岡村 そうですね。社員と話をするときも、社員が色々と悩んだときのアドバイスとして、「誰のためにやりたいのか、主語は誰なのか。迷ったときにはそれを考えなさい」と言いますし。本当に単純なんですよ、西川は。「お客様のためになるかどうか」ということしか言いませんから。もちろん経営者ですから、売上や利益も考えていますが、お客さまの満足がなければ売上は絶対にあがらない。そのことをいつも言っていますね。

    ────『お客さま満足』という、本当にそこ1点なんですね。

    岡村 他社の話もまったくしませんからね。『競合』という言葉も聞いたことがないですし。

    濱田 「あそこがこんな商品出したからうちも出すぞ」みたいな話も、まったくしたことがないですね。

    ────御社が大事にされていることを、改めて一言でいっていただくと、何になるのでしょうか。

    岡村 やはり、『人間力』と言えるようにならないといけないんだろうなと思います。当社が目指しているのは瞬間的な売上ではなく、お客さまに長くお付き合いをしていただける関係。地道に長くお付き合いいただける会社になるためにはどうすればよいのかということを、常に考えています。そうしたときに大事になる要素は、やはり『人』なんですね。

    どれだけ商品が良くても、お客様のお悩みにきちんとお答えしたいという気持ちがない限りは成り立ちません。もちろん商品に対する思いや品質、安全性も大切ですが、他にも素晴らしい商品を出している同業他社はたくさんあります。その中で、この会社だったら一生付き合っても間違いないと思っていただけるかどうかは、社員一人ひとりの『人間力』に関わってくるんじゃないかと思います。ここ数年、売上げが右肩上がりできているのはなぜかという話になったときにも、西川は「それは人が成長していることの表れだろう」と言っていました。

    ですから、人の育成に力を入れることが大事なんですね。さきほどお話したようないくつかの仕掛けをしていますし、これからは、それを途切れさせずに引き継いでいくやり方をきちんと考えないといけない。人の育成は一瞬でなし得るものではありませんし、極端にいうと30年後の社員は今とはまた変わっているわけです。けれども、方法論には時代の流れがあったとしても、根本の考え方は絶対に変わらない。本物じゃないと、ロングセラーは生まれないし、会社も長く続けていけないですよね。商品であれ、人であれ、会社の対応であれ。本物だけしか生き残れない。それは強く思います。

    ────ありがとうございました。

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