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株式会社 ベジテック
農産加工事業部 立川工場長
根岸 勇一郎さん
"育つ人と育たない人"の差は何なのか?OBT協会では、人が成長するのは仕事の場での経験・体験だと考えています。そこで、今回我々は第一線で働くビジネスマン達にどのようなプロセスを経て育ってきたのか、その成長の軌跡について伺いました。(聞き手:伊藤みづほ、菅原加良子)
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【プロフィール】
根岸 勇一郎(YUICHIRO NEGISHI)
1976年生まれ。2001年にベジテックに入社。入社以来工場に勤務し、グループ長を経て、2012年より現職。
株式会社ベジテック(http://www.vegetech.co.jp/)
1969年、東京都昭島市に株式会社紀之國屋を設立。青果物の加工・販売、仲卸業務や土壌調査、残留農薬検査、栄養価分析、品質管理業務等幅広く手掛ける。1992年、株式会社多摩サービス及び株式会社埼玉青果サービスを吸収合併し、社名を株式会社ベジテックに変更。
資本金/4億3,750万円、従業員数/480名(臨時社員含)、売上高/559億円(平成24年3月期) -
自身の未熟さを知る
────今回、私たちは"成長の瞬間"について様々なビジネスマンの方々にお話をお伺いしております。同じような環境の中で育っても、そこから何かを学びとる人と、何も学ばない人(学べない人)、その違いは一体何なのか。どういった経験を経て成長したのかをお聞きし、その成長プロセスをひも解いていきたいと思っております。根岸さんは、ご自身の成長に大きく影響を与えた物はなんだったと思いますか?
自分が成長したとはあまり思っていないですし、全然まだまだなのですが、工場を任されるという経験は、非常に影響が大きかったと思います。以前は、私も工場全体ではなく、包装室だとか、一つの部屋を管理し、一つのラインを管理している立ち位置だったんです。パートさんと一緒に現場に入って仕事をしながら、コンテナを運んだりとかをしていて。でも、たまたま今の工場で製造のトップの方が辞めることになって、その次っていなかったんですよね。年齢的にも経験的にも僕がちょうどその下くらいで。それで、その時の上司も『やってみなよ』て形で、この工場を任されるようになったんです。
────以前から、少しずつでも工場全体を見る・管理する等のご経験はされていたのでしょうか?
いえ。全くしていないですね(笑)当時、僕は選手だったと思うんですよ。ラインに入って、商品のコントロールをして、生産性を上げたり、自分が改善をしてやり易くなったりすることが凄く好きで、パートさんたちと目標をもってやっていて、毎日が充実していたんです。なのに、いきなり全体を見ろ、管理しろって言われて、正直何をしていいか分からなかったですね。
────管理する人数はどれくらい増えたのでしょうか?
今までは、包装室7ラインで50人くらいの人とやっていたのですが、全体を見るとなると社員も含めて160人くらいを見なくてはいけない。ここは24時間365日稼働していますので、夜もあるし、昼もある。本当に手探りな状態でした。しかも上司は工場に常駐していないので、常にコミュニケーションをとって、いろいろ相談をしながら進めて行きました。そういった時に、OBT協会さんの次世代リーダー研修の話があって、それが凄く参考になったんです。
────根岸さんにとって、研修からどういったことを学ばれたのでしょうか?
改めて、自分を見つめ直す場になりましたね。危機感やグループ長として会社での今の立ち位置を感じるようになりました。今までの自分は、目の前のことだけ、自分のラインだけがうまくいっていれば、工場の数字が良くても悪くても、気にしていなかったというか。でも、トレーニングでは今の世の中の潮流や、強いと言われる企業を題材に"その企業の本質的な強さとは何か"の議論や"我が社を俯瞰"するということをしたのですが、そこでは目に見える部分だけではなく、もっと広く・高い観点から物事を捉えることが重要だということを学びました。
ただ、そういった観点から今までの自分をみると、自分自身は何の知識も力もないなと感じたんです。だから、もっと自分から積極的に勉強しないといけないと思いました。それまでは自分は管理者で、一つの部屋を任されている思ってたけれど、それって世間からしてみたら、本当に大したことないなって。普通に会社に勤めていると、あまり危機感って無いじゃないですか。でも辞めて一人になった時、自分は食べて行けるだけの力があるんだろうかって思いましたね。
────同じ研修を受けても、根岸さんの様に聞いた内容を自分事として受け止め、自身に置き換えられる人もいれば、まったく自分には関係がないと思う人もいます。根岸さんは研修を通して、どういった気付きを得ましたか?
そうですね。やはり危機感ですね。今ここでポンって外に放り出されたら、本当にどこも働くところがないなって思いましたから(笑)そういう気持ちで聞いていたので、及川先生の一言一言がグサグサって刺さったんだと思います。
それから、私は現在立川工場の管理者なんですけれども、ずっと選手だったから、管理する立場になっても、いかに生産性を上げるかとか、いい環境を作ってあげるかだとか、そういったことになかなか頭が切り替えられなくて、部下を伸ばすことも出来ず戸惑っていたところだったんです。そしたら、及川先生が『経営者の視点でものごとを考え、常に広い視野で見ていないと下の人たちも伸びないよ』というようなことを仰っていて、確かにそうだよなと。その時、上に立つ人の責任って大きいんだなって、改めてわかったりもしましたね。そこから実際にどういうことをやればもっと工場がよくなったり、部下たちが目標を持って主体的に動けるのかとかを考えるようになりました。だから、研修で学んだことをどんどん業務とつなげていくようにしていましたね。
────部下を育てる上で、なにか気を付けていることなどありますか?
今年から工場長になったので、僕も今度評価する側になりました。そうなると部下に説明責任が必要にある。それには部下の言動だったり、行動だったりというところを、しっかり見て把握していかなくちゃいけないし、一部の出来事を見るのではなく全体を見て、そして、工場全体の動きとも絡めて考えながら評価しなくちゃいけない。なので、常にメモ帳じゃないですけれども、部下の動きだったりをメモ書きをしたり、そういう小さなことなんですけれども、始めたりしました。これもトレーニング中に及川先生に教わったことですが(笑)確かに、日々の事って積み重なって行くと忘れちゃいますよね。でも、たわいもないこともメモしておくと『こういことやってたよね』って誉めることもできるし、そういうことって、部下からしたらモチベーションに繋がるかなって。私も上の人からやってもらって嬉しかったので。その他に説明とかする時も、理路整然と話ができるようにとか考えていますね。
自身の役割を認識する
────部下の育成も含め、全体をまとめる立場になって大変だったこと等ありますでしょうか?
一時期、工場でクレームが結構発生してしまって、その時は本当に辛かったです。上からは『どう対応するんだ』と言われ、僕もそれは部下の責任ではなく、自分の責任だと思っていまして、本当に自分自身の考え方や行動を変えないと、工場も変わらないと思いましたね。
最終的にクレームの件は、得意先に私と専務と本部長で謝罪に行くことになって、専務と本部長が得意先に対して凄く謝っていて、本当に申し訳なく思いました。改めて、自分の責任だと思いましたよ。それで、謝りに行ったあとファミレスに寄ったんですけれども、専務は普段から厳しい方なので『もうお前なんかいらない』って言われるのかと思っていたのですが、『なんかあったらおれが全部責任取るから』と言われて、がーって胸が熱くなって涙が溢れちゃったんですよね。"責任を取る"って、上の方の仕事なのかもしれないですけれども、実際に一緒に謝ってくださって、本当に感動で、今でも思い出すと泣いちゃうんですけれども(笑)だから、そういった方に対して裏切れないですよね。それに、その時に日々自分自身が成長していかないとダメだと強く思いました。
────仕事は自分一人ではなく、いろいろな人に支えられて進めているんだという事が改めてよく分かりますね。また、これからは、より良い職場を目指す為に、一層社員やパートさんの力が必要になるかと思います。
そうですね。元々、うちの工場の社員は自分達で考えながら、改善をしたりして、やっている人が多いんですけれども、目標を持たせることが大事だと思っています。それは、パートさんも一緒なんですけれども。ちっちゃな事でもいいんで『今月は少しでも生産性上げましょうね』でもいいですし、『クレームをゼロにしましょうね』とか。チームになって目標を達成することでやりがいって感じると思うんです。それは、現場を管理している社員たちもそうだし、目標を持たせることによって、人ってそれに対してモチベーションが上がってくる。そういう意識付けが重要かなって。
それに、この立場になってから凄く考えるようになったことが、いい環境にしてあげたいということですね。それは、僕自身がそういうことを思わないと多分変えられないと思います。担当の人達が変えようっていうのは無理だと思いますし、そういう部分で、上の者としての責任というか、考え方が変わりました。
────そうですね。そういった下からの思いをきちんと受け止めて改善して行くということは非常に重要な事ですね。その他、今度は工場ではなく、ベジテックという会社全体の為に何か行っていること等はありますか?
研修を通じて、今まで知らなかった人達たちと交流することで、随分と他部署の人達とコミュニケーションを取るようになったんですね。みんなとは研修を通じて同じ勉強をさせてもらったり、経営層への提案として、会社の将来についてのプレゼンテーションをした仲間なので、同じ視点で話ができるんで凄く話やすいんです。それに、私は30代なんですけど、30代とか40代の人たちが、自分たちが変えていかないとって意識が前に比べて非常に強くなっています。前は誰かがやってくれるんじゃないかって、たぶん私もそうでした。でも今は違います。『自分達が変えなくては』という意識が強くなってきました。
────御社では、現在会社のステージを変えている最中ですよね。それに伴って、自主的に動ける人財を多く育てようとしておられます。私たちも、いろいろな企業でトレーニングを行っているのですが、やはり、研修だけで人を育てるのは限界があります。だからこそ、学んだことを現実の場で活かすチャンスを与えるってことが必要になってくると思っています。そして、御社は、そういった場を積極的に経営陣の方が作っていらっしゃいますよね。
そうですよね。じゃなきゃ僕なんかもチャンスもらえないと思います(笑)
────そういった事に対して、会社からの期待は感じますか?
それは本当にありがたいことに感じています。だから、裏切れないなって思いますね。それに、専務は『いつでも入れ替えするぞ』と、そういうプレッシャーも同時にかけるので。本当に厳しくもいい経営陣に恵まれたなって思います。会社も本気で考えていてくれてっということが大きいと思います。
────最後の質問ですが、根岸さんの今後も目標をお聞かせいただけますか?
そうですね...。ちょっと話はずれてしまうのですが、今、動いている工場も今後どうなるかわからない。そういった危機感はあります。だからこそ、読めない未来に向かって、アクションを起こして行かなくちゃいけないと思っているんですね。そういう意味では、仕事をするってことは常に先の事を考えていなくちゃいけないのかなって思います。答えになっていなくてすみません。
でも、今までは、そんなこと考えてなかったですが。研修を受けて、考えるようになったというのは事実です。やはり自分達で、10年後どうして行ったらいいんだという"考え"を常にもたなくちゃいけないんだなって。。
それに、今は『私はこれをやりたいんだ』って明確な考えが無くて、経営者の方に提案出来ないのが現状です。次のステップはそこかなって思いますね。社長と専務は常に考えていますから。休みの日でも何でも。いろいろな情報を持っていますし、たまに今後の戦略についての話をしていて、『何か質問あるか』ていわれて、質問しても即答してくれます。ああゆう風に自分達もなって行かないといけないし、そういう自分になりたいと思います。
────根岸さんは、管理者という立場、そして、会社の環境や上司との関わりにを通して、様々なことを吸収し、成長されて来られたんですね。本日は、非常に貴重お話をありがとうございました。
インタビュー後記
根岸さんのお話を伺いし、改めて感じたことは、人は与えられた環境や与えられた立場によって、大きく成長するということ。しかし、それには素直であること、柔軟であることが必要だと思った。いくら新たな環境、新たな立場に立っても、今までの自分の考えを捨てきれずにいると成長はできない。今の自分を見つめなおし、出来ていない部分を素直に置けとめることから成長するのだと改めて感じた。
聞き手:OBT協会 伊藤みづほ
OBTとは・・・ 現場のマネジャーや次世代リーターに対して、自社の経営課題をテーマに具体的な解決策を導きだすプロセス(On the Business Training)を支援することにより、企業の持続的な競争力強化に向けた『人財の革新』と『組織変革』を実現している。
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株式会社 ベジテック
神奈川事業部 副事業部長
橋本 徹さん
"育つ人と育たない人"の差は何なのか?OBT協会では、人が成長するのは仕事の場での経験・体験だと考えています。そこで、今回我々は第一線で働くビジネスマン達にどのようなプロセスを経て育ってきたのか、その成長の軌跡について伺いました。(聞き手:伊藤みづほ、菅原加良子)
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【プロフィール】
橋本 徹(TORU HASHIMOTO)
1969年生まれ。1987年に前身の紀伊国屋(現ベジテック)入社。配送担当、大手スーパーの営業担当を経て、2011年より現職。
株式会社ベジテック(http://www.vegetech.co.jp/)
1969年、東京都昭島市に株式会社紀之國屋を設立。青果物の加工・販売、仲卸業務や土壌調査、残留農薬検査、栄養価分析、品質管理業務等幅広く手掛ける。1992年、株式会社多摩サービス及び株式会社埼玉青果サービスを吸収合併し、社名を株式会社ベジテックに変更。
資本金/4億3,750万円、従業員数/480名(臨時社員含)、売上高/559億円(平成24年3月期) -
環境の変化を受け入れる
────今回、私たちは"成長の瞬間"について様々なビジネスマンの方々にお話をお伺いしております。同じような環境の中で育っても、そこから何かを学びとる人と、何も学ばない人(学べない人)、その違いは一体何なのか。どういった経験を経て成長したのかをお聞きし、その成長プロセスをひも解いていきたいと思っております。橋本さんは、ご自身の成長に大きく影響を与えた物はなんだったと思いますか?
職場を異動したことが大きかったと思います。私は、ここ数年で2回の異動を経験しているのですが、そこで考え方・ものの見方、そして仕事観が180度変わりましたね。
────環境が変わったことによって、具体的に何が変わったのでしょうか?
私は、入社してから、ずっと東京事業部というところに22年間所属してたんですけれども、その事業部はうちの会社の中で一番大きくて、凄く忙しいところだったんです。今日・明日で何をしなくちゃいけない、来週は何がある...とか、とにかく仕入れや分荷、配達、そして、営業まで一人でいろいろなことを並行しやらなくちゃいけないところでした。だから、全てにおいて日常に追われる日々だったんです。ただ、一人で任される分、自分の努力で注文数をクリアーしたり、大きな商談を取るとか、そういったやりがいはありましたね。それが、今から3年前に千葉に異動になり、行ってみるとそこは同じ会社なのに、東京とはまったく違う環境だったんです。同じ品物、同じお客様に商売しているんですけれども、やり方が全然違っていて、作業は全部アウトソーシング、運送業者さんがいて殆どやってもらってるんですよ。だから営業職は、営業だけを集中的に考えることができたりとか。かなり時間に余裕があるところだったんです。
私も以前から管理職という役職にはついていましたが、千葉に異動したことによって初めて本来の管理職としての役割を経験することが出来たというか。例えば、細かい話すると、経費の部分で電気代だったりガス代だったり、減価償却費とか。今まで知らなくていいことも知ってここを運営していかなくちゃいけないという環境になったんです。これは経営者的な視点に立つことが出来るいい勉強になりました。
────今まで、部分しか見ていなかったところから、組織を運営して行くという経験をされたということですね。その他に何か、気付いたことはありますでしょうか。
東京に居た時は、常に忙しくて、自分の事しか考えていませんでしたね。人の話もあまり聞かなかったし。でも、こっちに来たらそうはいかないですよね。異動してきて右も左もわからない組織の中にポンと入れられて、自分中心だみたいな態度をしていると全然話にならないじゃないですか。自分から声をかけて信頼関係を築いていかなくてはいけないし、組織をまとめていかなくちゃいけない。私は、部下を引き連れて異動したわけでもないですから、自分には何もないわけですよね。下手すればマイナスからスタートしなくちゃいけない。そんな中では、みんなの話を聞かなくちゃいけないんだって思いましたよ。
────自分一人で自分の範囲内の仕事を進めることは簡単であっても、全体を見渡しながら人をマネジメントして行くということは、非常に大変なことと思います。
そうですね。千葉に来て初めて全体を見ながら人を動かすという経験をしましたから。やっぱり見ないと、指示も出来ないですよね。その人にあった指示ってあるじゃないですか。ちょっと、とんがってる人と、控え目な人じゃ指示の仕方が違う。それに、不平不満もみんな必ずある。私も昔はかなり言っていましたし(笑)。あとは、自分の言動や考え方が組織に大きな影響を及ぼすとか。例えば、ミーティングの中で使った物のいい方を部下がお客様にそのまま伝えてしまったことがあって。だから、自分がちゃんと注意して、指示を与えなくちゃいけないとか。そういう失敗はありますね。
────部下は上司を良く見ていますからね。いい部分も、悪い部分も。
本当にその通りだと思います。これは研修で学んだことなのですが、"リーダーとは居心地の良さを求めてはいけない"と。自分で居心地良くしてしまうと、それが全部部下に伝わって行く。そのことによって、組織が乱れて壊れて行くとか、雰囲気がおかしくなって行くっていうのを聞いて。そういう観点もあるんだって思って。だから、それから自分自身の行動にも気を配るようになりました。
────異動によって橋本さんは、自身を見直すいい機会を得たということですね。
そうですね。物事をゆっくりと考える時間がたくさんあったので、今までの仕事の仕方、そして、今与えられている仕事を一歩下がって客観的に見ながら日常が過ごせるようになっていましたね。でも、そこで思ったのが、これだけ時間があって、80数名の人がいて、それで売上規模と比較すると、これでは儲からないなって。実際に本当に数字が出ていないところだったので、どうにかしなくちゃいけない。とはずっと思っていましたね。初めに業務の効率化。例えば、仕事のやり方、人の適正化を図ったりもしました。会社からも追い込まれましたし。それは凄くプレッシャーでしたよ。
経営会議に参加した時には、『これからどうするのか』てことを聞かれて、『この組織を預かっている人間として、これをこうしたいと思っています』て話をしたら、『それじゃ全然甘い』て言われて。どうしたらいいんだろう...て、物凄く考えました。もう誰かにすがって教えを請うぐらい切羽詰まっていましたし、人の話を聞くタイミングがなければ、本を読んでました。最終的に65歳以上のパートさんの雇用契約を更新しないことになったんですけれども、その時は本当に胃が痛くなりましたよ。当時、単身赴任をしていたので部屋に帰っても一人。だから、向き合うしかないんですよね。逃げ道がない状態でした。
────こういったご経験は、誰もが体験することではないと思いますが、橋本さんは、この事実をどのように受けとめ、対応していったのでしょうか。
そうですね。私は8名の方とそういった話をしたんですけれども。「これこれこういう理由で、更新出来ない」となかなか言えないんですよ。そうすると、「もうはっきり言って下さい。噂では聞いていますから」と、逆に言ってきた70歳の男性の方が1名いて、その時は本当に辛かったです。言葉が出てこないんですよ。そういうのは物凄く嫌な役目ですよね。人の収入を奪うんですから。正直、こういう役割を何で自分がやらなくちゃいけないんだよって。その当時職場には上司が居たんですね。だから、上の人がやってくれよって思ったんですよ。でも、何回か話をしているうちに、これは私の役目だなって思って。上司よりも私の方が多く接していましたし、他の人からこの事実を伝えられるんだったら、自分で話そう。ここは私が頭下げようって思いましたね。
────こういった辛い経験を通して、橋本さんは何を学んだのでしょうか?
この経験があったからこそ誰かの話を聞く・受け止める姿勢ができてきたのだと思います。そして、今、この組織を運営して行く基礎にはなったと思いますね。それに、こういう時って、自分はこう考えるっていうきちんとした自分の考えをもってぶつかっていかないとダメなのかなって思いました。会社のせい、世の中になんてしてもしょうがないですよね。
本当に辛かったですけれども、異動してきてこういった経験もなく順当に上手くいっていたら、人の話も聞かなくていいし、やり方も間違って無い、そのままでいけばいい。と思ってたと思います。だから、大変なこともあるけど、いろいろ経験することは重要だなって思いますよ。もう二度とあんな経験はしたくないですけど。
人財の育成を通じて、自らも成長する
────業績はどのように変わったのでしょうか?
そうですね。実際に数字は上向いたんですよ。数字が改善されて、2年目以降利益が出るようになったんです。個々の能力は元々ちゃんとあったし、それをきっちり評価して、ちゃんと個々の能力を引き出すようなやり方をしていたら変わりましたね。ただ単に、全体を見ている人がいなかっただったんですね。それに、みんなも目標に向けて頑張ろうって構えになってきていたので。ただそれは、たまたま自分がついているだけかもしれないですし、その時の相場環境とかも全部含めてよかっただけだと私は思っています。
────その後、現在の事業部に異動されたということですね。
そうですね。今の事業部も千葉と一緒で、仕事の役割がしっかりと別れてはいますが、縦割りではなく、横との連動も取れるようになってきていますね。
────現在の事業部で橋本さんが取り組んでいること等ありますでしょうか?
ちょっとしたことなのですが、全体ミーティングをする機会を作ったんですよ。うちはパートを含めても22名しかいないので、全員で集まって10分20分でも、共通認識で、組織としてこういう問題があったとか、誰がこうしたとかそういった話を皆が顔を合わせて話をする時間が必要だと。やっぱり、上の人だけが全体を知っていればいいというわけではなく、全員の共通理解ってすごく重要だと思うんですよね。自分の経験からいって。
それから、初めは私が全体ミーティングを回していたんですけれども、今は部下主導でやらせてるんです。部下に少しでも負荷をかけているというか。若い世代のうちからいろいろ経験することは重要だなって思いますし。部下も大変だろうけど、ここはそんなに大きく無い組織なので、そこは話を聞くしフォローするからやってみないと。そうやって少しずつ部下を育てていかないといけないなとも思っています。自分もそうですけれども、辛いことや面倒くさいことからは逃げたがる。誰かが背中を押すから勢いで『うん』ってい言えるだけで(笑)。でも、今度は私が部下の背中を押す立場だと思っていますね。そうして行かないと成長はしないし、人が成長しないと会社が成長しないというか
────OBT協会でも企業の最大の経営資源は人財だと考えております。では、今度は部下育成についてですが、ご自身の経験上、育つ人と育たない人、伸びる人財と伸びない人財の差は何だと思いますか?
簡単に白か黒かって物事を判断しない人ですね。時には、即に判断することもしなくちゃいけないんですけれども、そのプロセスをいろんな風に考えている人の方がいいじゃないかと思います。それに、最終的には答えが一つになるんですけれども、自分なりの考え方を持って、その意見を発言して、人から違う視点を貰うことが出来る人ですね。それが、過去の自分はそれは出来なかったんですけど(笑)
あとは、先を見るってあるじゃないですか。5年10年後どういう風にしなくちゃいけないって。このまま続くわけではないので、それをどういう風にしていかなくちゃいけないとか。先のことを考えながら、日々を積みかねて行くことが重要じゃないかなって思います。私たちが扱っているのが、野菜や果物なので2~3日で腐っちゃうので目の前の事が凄く大切で、そういう風に捉えがちなんですけれども、もっと先を見て5~10年短くて3年後とか、来年どうなっているとかを考えながら、今日をやっていかないとって思いますね。
────職場を異動したことによって、今まで見えていなかった全体を見るということ、そして、自分自身の業務を真っ先に考えるという思考から、部下育成の重要性に気づいた橋本さんですが、部下の育成という観点での考え方はどうでしょうか?
そうですね。千葉での経験は非常に大きかったですから。それで、今後は組織全体の活性化を考えた人事異動が重要になってくると思います。一つの組織に人財の能力が偏るということがないようにする為にも定期的に異動させる。そのことで、個人を刺激し、今以上の能力が引き出せるような環境を整えてあげることが、会社を継続的に成長させる手段と考えます。大きい組織と小さい組織では仕事の仕方、管理の仕方に違いがあり、そのことを認識することも重要になってきますし、大きい組織では出来ないことも、小さいところで培ったノウハウを大きいところで生かすみたいなことが大切になると思います。
────御社は数年前から、変革に向けて、すごいスピードで進んでおられますよね。それに伴って、社員の方には今までにない仕事の機会が与えられていると伺っています。そういった環境の中で、橋本さんにとって仕事とはどういう存在か、お聞かせいただけますか?
最初はお金を稼ぐための手段だけだったんですね。でも自分もある程度年齢を重ねて、いろんな経験させてもらって責任者の立場になってやって来た時に、初めて今までの経験を部下に伝えて行かないといけないなと思いましたね。弊社の遠矢社長は、我が社を未来につながなる会社にしたいって話をよくしているのですね。それで、社長は今私たちにいろいろな経験の場を与えてくださっていて、将来、我々が成長して会社を背負っていくというようにと人財育成にも凄く力を入れていて。それもあって、自分にしてもらったように、私も人を育てて行かなくちゃいけないなって思います。それが自分の仕事かなと。それに、会社を継続していかなくちゃいけないなって。なんていうか社会の役割じゃないですけれども、そういう風に考え方が変わりましたね。
────橋本さんにとって職場の異動は、視野を広げ、将来を見るという、とてもいいきっかけとなったのですね。本日は貴重なお話をありがとうございました。
インタビュー後記
今回橋本さんのお話をお伺いしていて感じたことは、大変な状況と遭遇しても、他責にせず、全てを自分事として捉え、向き合っていったことにあると思います。向き合ったからこそ、たくさんの気付きを得ることが出来た。逃げる・人のせいにする事は簡単ですが、そのことから学ぶことは少なく、成長は望めない。逆に、きちんと受け止め、負荷が大きいければ大きい分、それを乗り越えた時には大きく成長する。まずは、自身と向き合うことが成長の要因だと感じます。
聞き手:OBT協会 伊藤みづほ
OBTとは・・・ 現場のマネジャーや次世代リーターに対して、自社の経営課題をテーマに具体的な解決策を導きだすプロセス(On the Business Training)を支援することにより、企業の持続的な競争力強化に向けた『人財の革新』と『組織変革』を実現している。