現場ドキュメント: 2011年9月アーカイブ

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    日本最高齢現役パイロット
    財団法人日本飛行連盟
    名誉会長 高橋 淳さん(88歳)

     

    "年を取ったら特にオシャレになれ!って言いたい"と語って下さったのは、ピンクのシャツがよく似合う88歳にして現役のパイロットの高橋淳さん。
    "楽しいこと、人を喜ばせることが好き"と笑顔で話して下さった高橋さんですが、第二次世界大戦では、数々の死線をくぐりぬけてこられたそうです。現在ではフリーのパイロットとして活躍中。若い人からは『飛行機の神様』と呼ばれています。

  • 【プロフィール】

    高橋 淳(JUN TAKAHASHI)

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    1922年生まれ。1941年海軍飛行予科練習生として、海軍に入隊。一式陸上攻撃機のパイロットとして従軍し、周りの仲間が戦死するなか、唯一の生き残りとなる。戦後は、フリーのパイロットとして、航空測量や斜め写真撮影、機体のテスト飛行、遊覧飛行やメディアの仕事など幅広くこなし、また、パイロットをトレーニングする教官業も行っている。現在、社団法人日本飛行連盟名誉会長を務め、航空スポーツに尽くした人に贈られる国際航空連盟の「ポールティサンディエ」賞を受賞。
    著書に「淳さんのおおぞら人生、俺流」(イカロス出版)。

  • 反省がなくなったら終わり。僕はまだまだ成長したい。

    戦後は、"新日本グライダー研究会"を発足し、また、予科練時代の後輩たちや戦前にパイロット養成を行っていた航空機乗員養成所のOBが集まり、『社団法人日本飛行連盟』を立ち上げます。その後、プロのパイロット育成を中心に、航空写真の撮影やビラまき、宣伝放送の仕事を引き受け、プロのパイロットの養成が一段落したところで、アマチュア・パイロットの育成にシフトし、たくさんのパイロットを育てたそうです。しかし、49歳にして20年近く所属していた飛行連盟を離れ、フリーのパイロットへ。独立後には、パイロットの育成の他、海外から輸入された新しい飛行機のテスト飛行、また、小型機とパイロットを自社で抱える会社で人員が足りない時のフライト依頼など、様々な仕事をこなします。一機、一機コンディションが違うという飛行機は、パイロットなら誰でも操縦ができるというものではないので、今までの経験を基にどんな機体でも乗りこなせる高橋さんへの仕事依頼は非常に多かったそうです。88歳になった現在でも、仕事で週に1~2度はフライトをする高橋さん。しかし、70年近く飛んでいて、今まで完璧なフライトなんて殆どないそうです。「人前では、名人だ、うまいなんていわせるのはわけないのよ。そういうごまかしするのは。でも、自分自身で今日はいいフライトしたなって思うのは、年に1回か2回。自分で満足するようなフライトはね。あとは飛行機降りてから、あそこはこうすれば、良かったかな。って毎回反省してます。反省がなくなったら終わりじゃない。」と、高橋さんは語ります。

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    現在はアマチュア・パイロットの育成に力を注ぐ高橋さんですが、1回1時間位のトレーニングの中でも、終わった後に、「もう少しこういうのを教えてあげればよかったかな」などと考えるといいます。その為、反省がなくなったとき、人を教えたりなんかはしないで、自分の楽しみで飛ぶだけにしようとボーダーラインを決めているそうです。

    人を育てることについて、お伺いすると「物凄く難しい。やっぱり、人間十人十色だからね。アマチュアの人の場合は安全に飛べるようになればいいでしょ。だから、その人の性格をよく掴んで教えないと、みんなお金を払ってくれるわけだから。だから、払った上に、向こうが今日はいいこと教わりました。ありがとうって逆にお礼を言われるようにならなくちゃプロじゃないね。だから、死ぬまでプロであり続ける、そして、死ぬまで進歩するために、毎回きちんと反省をしてます」と、高橋さんは語ります。

  • 慣れるが『狎れる』になると、それが大変なミスに繋がるってことがあるんだ。

    たまに新聞等で、"ベテランパイロットが事故"という記事を目にすることがあります。「4000時間、5000時間乗ってる。とかいって、なんでこんな事故を起こすの?って思うと思うんだけど、そのくらいの時が一番危ないんだよね。自分じゃ絶対にうまいと思っちゃってる。僕もちょうどその頃、絶対に自分はうまい。俺よりうまい奴はいないっと思ったこともあったよ。僕は事故を起こさなかったけど、でも、その時を越す頃、あ~やっぱり飛行機って難しいなぁ~って。自分で反省することがいっくらでも出て来た。だからね、変に慣れた時って一番危ないんだよ。思わぬところで、"え"っていうのが出てくるの。これはどんな仕事でも一緒だと思うよ。慣れるって獣偏の『狎れる』になってるの。妙な"なれ"になってるわけよ。立心偏の『慣れ』じゃなくて。だから、"自分はうまい"と思ったらおしまいだね。」と、高橋さん。

    ※狎れるとは:物事になじみすぎて、その為にかえって新鮮な感覚を失うこと。

    高橋さんは現在、フライトをする前に、チェックリストでチェックした後、必ずもう一度見直し(リチェック)を行うそうです。「年取った分、若い時より当然頭は衰えているだろうというふうに自分じゃ思っていますから。だから、今の方が安全に飛んでるよ」と。

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    高橋さんは「チェック、リチェック、ジャッチメント(判断力)が必要」と語ります。地上では、ゆっくり考えることができる。でも、空中じゃ一瞬の判断で決めなくてはいけない。その為、プロパイロットに最も必要なのは判断力。そして、"先を読める能力"だといいます。「普通のビジネスやるんでもマニュアルがあるでしょ。マニュアル通りに出来る人は普通の人なんだよね。マニュアルから抜けだして、自分のモノを創りだす人。こういうふうになったらどうなるだろうって、先読みが出来る人。それが、プロだね。でも、先を読んだだけじゃダメなのね。僕は先の先の先くらいを読んでるの。こうなったら、こうなるだろう。こうなったら...じゃ、こっちに行ったほうがいい、とかね。それは、ビジネスの中で相手が何をしたいか、その先を読めるか、と一緒だよね。そうなってくると、マニュアルの中では収まりきれなくなるでしょ。だからあとは、自分で創っていかなくちゃいけない。でも、マニュアルが完璧に出来ていなかったら、そんなこと出来ないでしょ。だから、あくまでも基本は大事なの。」といいます。

    最後に、今後の目標をお伺いしたところ、「パイロットは年一度、身体検査があるんだけど、その検査で異常があると飛びたくても飛べなくなっちゃうんだよね。だから、今の体調を維持して行きたい。」維持するために何かしていることは?と質問すると「良く寝ることと、犬の散歩、あとは、生活のリズムを壊さないことかな。それに、食べる量は腹八分目と若いころから決めている。体重が全然変わらなくて、いまだに健康でいられるのは、そのせいかもね。あと、女性との楽しい会話かな」と笑って答えてくださいました。

取材を終えて・・・


高橋さんの取材を終えて、一番心に残っているのが、"人前で名人だ・上手いといわせるのはわけない。ただ、自分で満足いくようなフライトはほとんどない。だから毎回反省している"という言葉です。

人は、毎日同じ仕事・同じ作業を繰り返していると、無意識に自分は成長している、上手くなっていると勘違いしがちです。しかし、それは"無価値な熟練"であり、作業は上手くこなせても、本当の意味での成長ではないのではないでしょうか。

常に振り返りをし、何が良かったのか、悪かったのか、何が出来て、何が出来なかった、出来ない事に対しては、次はどうするか。を自分自身で考える事が大切なのだと思います。

高橋さんはそれを70年以上続けてきているそうです。
プロは一日にして成らず。
改めて、高橋さんから"プロとは振り返りの積み重ね"なのだとということを学びました。


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    日本最高齢現役パイロット
    財団法人日本飛行連盟
    名誉会長 高橋 淳さん(88歳)

     

    "年を取ったら特にオシャレになれ!って言いたい"と語って下さったのは、ピンクのシャツがよく似合う88歳にして現役のパイロットの高橋淳さん。
    "楽しいこと、人を喜ばせることが好き"と笑顔で話して下さった高橋さんですが、第二次世界大戦では、数々の死線をくぐりぬけてこられたそうです。現在ではフリーのパイロットとして活躍中。若い人からは『飛行機の神様』と呼ばれています。

  • 【プロフィール】

    高橋 淳(JUN TAKAHASHI)

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    1922年生まれ。1941年海軍飛行予科練習生として、海軍に入隊。一式陸上攻撃機のパイロットとして従軍し、周りの仲間が戦死するなか、唯一の生き残りとなる。戦後は、フリーのパイロットとして、航空測量や斜め写真撮影、機体のテスト飛行、遊覧飛行やメディアの仕事など幅広くこなし、また、パイロットをトレーニングする教官業も行っている。現在、社団法人日本飛行連盟名誉会長を務め、航空スポーツに尽くした人に贈られる国際航空連盟の「ポールティサンディエ」賞を受賞。
    著書に「淳さんのおおぞら人生、俺流」(イカロス出版)。

  • 初めから"ダメかも"なんて思うってことは、最初から負けてるんだよ。

    小学校の2・3年の時から、模型飛行機が大好きで、組み立てキットを買って作ったり、竹ひごで自ら作って飛ばしたり、勉強そっちのけで飛行機に夢中になっていた日々。そして、小学校5年生の時に初めて、飛行機に乗せてもらい『僕は飛行機乗りになる』と、心に決めたそうです。

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    当時、飛行機乗りになるには日本の海軍の航空隊(現海上自衛隊)、陸軍の航空隊(現陸上自衛隊)、そして、民間の3つしか道がなかったそうです。しかし、その頃、ちょうど日本は徴兵検査があり、20歳になると2~3年軍務をしなければいけない。高橋さんは、どうせ軍隊に入るなら、最初から入って飛行機に乗ろうと考えたそうです。「でも、僕は根っからの軍人ではないからね。だから、3~4年したら、辞めて民間に出ようと思ってたんだよね。そしたら、入隊したとたんに太平洋戦争が始まっちゃってね、辞めるどころの騒ぎじゃなくなっちゃったんだよ」と高橋さん。

    予科練(※)に入隊した高橋さんですが、実際に飛行機を操縦できるのは4分の1程度。あとは、操縦士の適性がないと判断されると、偵察員、無線通信士、機関銃士などに振り分けられるそうです。

    ※予科練:海軍飛行予科練習生の略で、少年を集めて海軍のパイロットや偵察員などの搭乗員を養成する制度。

    高橋さんは、適性検査に合格し、一式陸上攻撃機のパイロットとなります。一式は翼の大きさが25メートルと大きな機体で、通常7人(偵察員や無線通信士等)で乗るのですが、高橋さんが戦地に出る頃には、人が少なくなってきてしまい、5人で出撃したそうです。

    しかも、当時まだ21歳で訓練生上がり、コ・パイ(副操縦士)の経験もない高橋さんが、いきなりキャプテンになり、搭乗員4人を乗せ、戦地へ飛び立ちます。高橋さんの指示で全員が動く、責任は重大。「"だから、もうどんな戦闘に行っても、俺は絶対に帰ってくるぞ"と思って飛び続けたね」と、高橋さん。昔の軍隊は、敵を攻撃し、最後には体当たりして、向こうの船を沈め、靖国神社に祀られるのが名誉と教えられた時代。しかし、高橋さんは「僕は軍人精神に反していたかもしれないけど、どんなことがあっても帰ってきた。最善を尽くして帰ってくるつもりだった。だから、一緒に乗っている連中にも"お前ら遺書なんか書くなよ、絶対どんなことをしてもお前らを連れて帰るから"といい聞かせたね。だって、攻撃に行くのに、今日はやばそうだな...なんていってるやつは絶対に帰ってこない。最初から負けてる」と、高橋さん。戦地では、いつの間にか、心がおかしくなっていく...。死ぬことが当たり前になってきてしまうそうです。そのため、少しでも機体がやられると、「敵艦に突っ込んでやる」という気持ちになってしまう。しかし、高橋さんは「僕は、そこまで心がやられてなかった。俺は絶対に負けない。乗ってる人間達をみんな無事に帰してやるって気持ちだったよ。」

  • 自分が最善を尽くすから運が付いてくる。待ってたって運はこないよ。

    一式陸上攻撃機は大きいだけに、一番攻撃を受けやすいそうです。

    特攻隊というのは、とにかくそのまま体当たりですが、一式に乗った高橋さんたちは艦船を沈めるために爆弾や魚雷を落とし、また、基地へと戻ります。しかし、敵に見つかれば下から雨が降ってくるみたいに弾丸が飛んで来る。そこを弾丸をかわしながら攻撃しなくてはいけない...。そこで、弾丸を避けるために、普段では絶対に行わない危ない操縦をするそうです。こういった時に一番重要になるのは、冷静であること。「僕は常に70~80%で飛んでるよ。もう、それはいつでもそうですよ。余裕があるから100%が出せるわけでしょ。弾丸が飛んで来たとき、そん時が100%だよ。それまでに、余裕があったからこそ正しい判断ができる。パイロットでも、普通の仕事でもいえるけど、特に飛行機乗りなんてパニックになったらダメですよ。最後に100%が出せるようにしておかないと。その100%のレベルは皆違うけど、経験も違うし。でも、本当にこれ以上やることがないって思うまで全ての力を出すことを100%っていうんだ。それでやっぱり運がよかったからね。ただ運っていうのは、待ってて来るもんじゃないから。自分が最善を尽くすから運が付いてくる。待ってたって運はこないよ。って僕は思ってる」と、高橋さん。

    そして、高橋さんの"運"を手伝ったものの一つが「ハンガートーク」だったそうです。

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    ハンガーとは飛行機の格納庫のこと。操縦のマニュアルなんかはまったくない時代、戦闘で弾丸を避ける危険な操縦方法などは、格納庫で先輩たちと夜一杯飲みながら、「弾丸を避けるときはこうしないと避けられないぞ」と教わり、自分と仲間の命を守るために、普段からいざという時のためにイメージトレーニングや練習を欠かさずしていたそうです。「そういうのが一番身になるわけよ。偉い人が来て、話をされても寝ちゃうよね。でも、実質的になんかやってた人の話しならみんな真剣に聞くでしょ。それと同じですよ」

    高橋さんへ戦争体験から学んだことはなんですか?と質問したところ

    「やはり、精神的な強さだね。僕は弾丸の中、何回も潜って、それで養われたと思う。だから、今の若い人より僕のほうが精神的に強いと思うよ。たぶん。それから、僕はパイロットだから、飛行機の操縦テクニックだね。だから、どんな気流が悪くて、飛行機がどんな格好になっても直せる。それに、僕は戦争中の真っ暗闇のなか、なんにもない中で飛んでたから、今はGPSだなんだってあるけど、なんにもなくても僕は飛べる。どれが故障しても心配ない。想定外なモノを戦時中ではいろいろ経験しているからね。だからね、僕の人生にとっては非常にプラスだったわけですよ。いい意味にとってだけどね」。

    高橋さんは取材中、終始笑顔が絶えませんでした「僕は嫌いなことは忘れる方なの。先の楽しみを考える。だって過去は戻ってこないもん。楽しいことだけ思っていればいいじゃん」と。自分が苦労したこと・辛かったことは語らない。これは高橋さんのポリシーだそうです。

    後編では、プロのパイロットとしての考え方をお聞きしました。

取材を終えて・・・


現代では、今日死ぬかも...なんて、考え日々を生活をている人はそう多くはないと思います。

しかし、若干20歳前後の高橋さんは毎日が"死"と隣り合わせ。そんな過酷な状況下でも、『俺は絶対に帰ってくるぞ』と強い精神力を保ち続けていました。では、なぜそんなにも強い精神力を保ち続けることができたのでしょうか...。

それは、"守るものがあったから"だそうです。同じ飛行機に乗り、一緒に戦っている仲間。仲間を絶対に守る。死なせはしない、という思いが誰よりも強かったのだと。

今回のお話から、私たちが学ぶべきことは、自らに課す、また、背負うものがあることで、人は強くなることができる。そして、一度課したものに対して、最後まで諦めずに貫くことで成長する。

"ダメかも"なんて思うってことは、初めから負けてるんだよ"高橋さんの言葉が、胸に刺さります。


*続きは後編でどうぞ。
  第二回【仕事を極めた人の成長プロセス-後編】死ぬまで進歩したい

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