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    <title>この人に聞く</title>
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    <updated>2010-07-27T10:02:18Z</updated>
    
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    <title>長寿企業研究──時流に左右されずに本業を守る&quot;貫く経営&quot;（後編）</title>
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    <published>2010-07-28T11:00:00Z</published>
    <updated>2010-07-27T10:02:18Z</updated>

    <summary>株式会社久月</summary>
    <author>
        <name>OBT</name>
        
    </author>
    
        <category term="この人に聞く" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<ul class="secList">
<li class="clearfix">
<p class="photo"><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/kyugetsu_00.jpg" alt="" /></p>
<div class="textArea">
<p class="fs16 spacing10"><em><$MTEntryTitle$><br />
株式会社久月<br />
代表取締役社長<br />
横山久吉郎さん</em></p>　
<p class="fs14 spacing10">『長寿企業特集』のシリーズ四回目は、創業天保6年（1835年）の人形問屋・久月の横山久吉郎代表取締役社長にお話を伺います。明治維新、関東大震災、第二次世界大戦と、たび重なる歴史の荒波をくぐり抜け、"人形屋"としてのご本業を守り続けてこられました。創業200年に迫ろうとする今、直面している少子化・人口減少の流れの中でも、本業を貫く経営姿勢にはみじんのぶれもありません。「時流に迎合せずに本物を守り続けることが、事業永続の秘けつ」と明言する横山社長に、伝統を守り伝えるための経営観を伺いました。</p>
</div>
</li>
<li>
<div class="alignright" style="width:300px;">
<p><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/kyugetsu_0001.jpg" alt="" /></p>
<p class="fs12 spacing10" style="padding-left:10px;"> 1928年当時の久月総本店（画像提供：久月）</p>
</div>
<p class="fs14 spacing05"><em>株式会社久月</em> （<a href=" http://www.kyugetsu.com/" target="_blank"> http://www.kyugetsu.com/</a>）1835年に雛人形問屋として創業。明治時代には古くからの商習慣であった掛け値販売を改め、競合他社に先駆けて正札販売を導入するなど時代の先を行く経営を展開し、創業以来黒字経営を続ける。1971には人形業界で初めてテレビCFの放映を開始し、久月の名前を全国に広める。2006年には台東区より「したまち TAITO産業賞」を受賞。<br>
企業データ／資本金：3750万円、従業員数／132名、売上高／53億円（2009年7月期実績）
</p>
<p class="fs14 spacing05"><em> KYUKICHIROU YOKOYAMA </em></p>
<p class="fs14">1948年生まれ。1971年に大手都市銀行に入行。都内の支店に勤務した後、1974年に久月に入社。仕入れに予算管理を取り入れ、賃金体系に職能資格制度を導入するなど、経営を刷新。1995年に代表取締役社長に就任する。</p>
</li>
<li class="end clearfix">
<h3 class="fs18">「人形屋」であり続けるために革新を重ねる</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────ご創業以来黒字を続けておられます。無理な規模の拡大はなさらないということも（前編参照）、その秘けつの一つなのでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">一番は、やはり先人の歴史があり、久月という名前があるということですね。それが資産となって利益をもたらしてくれているのではないかと思います。また、久月がなぜ、人形業界で今の立場に置かれているかということでいえば、これも父がしたことですが、業界で最初にテレビCFを打ったということが大きいですね。他社がテレビCFなどには見向きもしなかった時代に、当社のサウンドロゴをつくって全国に久月の名前を浸透させた。早いもの好きといいますか、伝統を守る一方で斬新なことにも挑戦するのが久月なんです。</p>
<p class="fs14 spacing10">段飾りの雛人形も、7段飾りが主流だった時代に、父が8段飾りをつくりましてね。「三棚（さんたな※1）」というお道具のミニチュアをこしらえて、「段飾りに加えろ」というんです。社員が「乗せる場所がありません」というと、「それなら段を増やせばいい。江戸時代には8段や9段の段飾りがあったと、記録にも書いてあるだろう」と。さらに三歌人（※2）を加えて、久月のオリジナルをつくったわけです。それが昭和50年ごろのことですが、経済が右肩上がりに成長していましたから、大きい物が売れる時代です。地方に持っていったら、お客さまから大変な支持をいただきました。業界からはかなりの反発がありましたが、8段飾りを武器に全国に取り引き先を広めることができたのです。</p>
<p class="fs12 spacing10" style="padding-left:10px;">※1三棚：高貴な女性の嫁入道具とされた棚。御厨子(みずし)棚・黒棚・書棚からなる。<br>
※2三歌人：菅原道真、小野小町、柿本人麻呂の三人の歌人。「賢く、美しく、才能豊かな女性に成長して欲しい」という願いをこめて作られ、江戸時代のおひな様に飾られていた」という（出典：久月の企業サイトより）</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────ご業界からはどのような反発があったのですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">名古屋に出店した際に、「8段は破談に通じる」というチラシを競合店にまかれましてね。その年はいったん名古屋から撤退し、時期を改めて出店したということがありましたね。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────革新的なお取り組みの陰には、そういったご業界内での軋轢との戦いもおありなのですね。著名な衣装デザイナーの方が監修された雛人形も発売されています。これもご業界初の取り組みと伺いました。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">8段飾りが非常に売れて市場を席巻すると、これが一つの成功体験になって次は何を考えるかということになるんですね。そこで、「次は衣装だ」と。「人形屋」から逸脱しない範囲で新しい可能性を探し求め、久月の伝統を守りながらチャレンジを重ねる。こういったことが、事業を継続させる活力になるのだと思いますね。</p>
</div>
<h3 class="fs18">消費者の声を聞きすぎてはいけない</h3>
<div class="txt"> 
<p class="fs14 spacing10"><em>────久月の節句人形は、商品数としては何点くらいあるのでしょうか。</em></p>
<p class="alignleft"><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/kyugetsu_0201_b.jpg" alt="" /></p>
<p class="fs14 spacing10">これはもう、数えきれません（笑）。例えば、人形の眉一つとっても職人さんが違えば異なったものになります。同じ職人さんでも、シーズンの最初と最後では手が変わることもある。衣装はまた別な職人さんがつくりますから、その組み合わせたるや膨大な数になります。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────同じ人形はないのですね。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">一点一点が手づくりですから、人形屋は同じものをつくれというほうが難しい。違うのが当たり前なんです。ただ、職人さんの手が変わるのは、我々としては怖いところでもありますので、キーサンプルを持って合わせるということもします。かといって、すべてのキーサンプルを用意することはできませんので、そこは難しいところですね。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────一方で、消費者の嗜好も変化するかと思いますが、それはどのように商品に反映されるのでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">最近は、かつてのような7段飾り、8段飾りといった大きなものではなく、小さなものが売れるという傾向はあります。当社もそれに合わせた商品展開はしていますが、この流れをそのままにしていいのかというと、私はそうは思いません。あまり小さくなると、人形としてよろしくない。衣装の生地の厚みは決まっていますから、それに見合った人形の比率というものがあるんです。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────消費者のニーズに応えることが、実は人形の価値を失うことにつながり、"売れない"という悪循環を自ら生み出しかねないということでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">そうです。ですから、我々は人形の良さをしっかり守り、これは間違いないというものをつくっていくことが大切なんです。時流に迎合したものをつくれば、百貨店や小売店さんも、その比率で仕入れますね。そうではなくて、本当にいいものを我々がつくり続けてそれが売れれば、売り場の方々も本物を仕入れるようになる。ですから、近視眼的なものづくりをしないで、我々が思うことを着実にやっていくことが大切だと思います。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────消費者のニーズに対応すべきか否か、判断に迷われることはございませんか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">迷うことも、もちろんあります。しかし、我々が良いと思う人形が、本当に良い人形なのだ、と。その信念だけが支えですね。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────そういった信念は、社員の方々とどのようにして共有されているのでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">特に、何かを意識してやっているということはないように思います。ただ、私は淋しがり屋ですから（笑）、社長室に一人でいるのが大嫌いなんです。かといって、社員は社長室になんて来やしませんから、来客がないときは「ちょっと油を売りにいってくるよ」と秘書に伝えて、一日に何度か社内を散歩します。みんなが、楽しそうに仕事をしているのかどうかといったことを見ているのですが、そういった折に私が社員にあれこれいうことが、メッセージを伝える一つのキッカケにはなっているのかもしれませんね。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────どのようなことをおっしゃるのですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">例えば、本社の1階にある総本店におかしな人形が飾ってあると、「誰だ、これを仕入れたのは」といったことは言いますね。時として、腕が長すぎる人形が飾ってあったりするわけです。束帯（※）でいえば、着物をたくして持つわけですから手は指しか出ないんですね。それが手首から出ていたらおかしな話で、そういうような人形が飾ってあったら「お前はどこに目をつけているんだ」と。</p>
<p class="fs12 spacing10" style="padding-left:10px;">※束帯：公家（男子）の正装</p>
<p class="fs14 spacing10">仕入れにしても、担当者には「お客さまの声を聞きすぎるな」と常日頃から言っています。なぜ人形に千年の歴史があるかといえば、フォルムとして美しいからなんです。「小さいものの方が売れます」と言う担当者には「人形から美しさを取ってしまったら、人形の本当の良さはどこにあるんだ」と。そういったやり取りの一つひとつが、社員への教育になっているのかもしれませんね。</p>
</div>
<h3 class="fs18">目先の変化に一喜一憂せず、本物を守り続ける</h3>
<div class="txt"> 
<p class="fs14 spacing10"><em>────少子化による影響はどのようにお考えでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">私が子どもの頃も、似たようなことをいわれました。アメリカナイズが急激に進んだ時代ですから、「お前が大きくなったときには、節句人形なんてなくなるのではないか」と。しかし、そういった人たちも人形を買いにきてくれています。ということは、日本の伝統を守ろうとする意識は、日本人の中に必ずあるんです。</p>
<p class="fs14 spacing10">出生率にしてもそうで、物事には波があるもの。下がるときもあれば、上がるときもあります。それを一喜一憂しても仕方のない話で、我々がいいと思うものを、信念を持って守り続けていくことの方が大切なんです。それをやっていけば、この業態は必ず続くと私は信じています。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────そこで迷いが生じると、自らの価値を自ら失う悪循環に陥るのですね。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">そうです。それが、父が言った「人形屋だ」ということなのだと思います。ほかの事業に手を広げないで、人形をしっかりつくり続けていく。それがポイントなのだろうと思いますね。</p>
<p class="fs14 spacing10">といっても、すべて私の言う通りになるわけではないんですよ（笑）。現場はやはりふらつきますし、職人さんにしても「つくっても売れないならいやだよ」という話になる。あるときなどは、「本店のこの一角だけは、私が選ぶ人形だけを揃えさせてくれ」と、仕入れの者に言ったこともありました。簡単に私が言う通りに事が運ぶなら、こんなに楽なことはありませんが、実際には言う通りにならないことの方が多い（笑）。だからこそ私自身が強い信念を持って、本物を守り伝えることの大切さを言い続けるしかないと思っています。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────ありがとうございました。</em></p>
</div>
</li>
</ul>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>長寿企業研究──時流に左右されずに本業を守る&quot;貫く経営&quot;（前編）</title>
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    <published>2010-07-14T09:00:00Z</published>
    <updated>2010-07-14T01:23:24Z</updated>

    <summary>株式会社久月</summary>
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        <name>OBT</name>
        
    </author>
    
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        <![CDATA[<ul class="secList">
<li class="clearfix">
<p class="photo"><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/kyugetsu_00.jpg" alt="" /></p>
<div class="textArea">
<p class="fs16 spacing10"><em><$MTEntryTitle$><br />
株式会社久月<br />
代表取締役社長<br />
横山久吉郎さん</em></p>　
<p class="fs14 spacing10">『長寿企業特集』のシリーズ四回目は、創業天保6年（1835年）の人形問屋・久月の横山久吉郎代表取締役社長にお話を伺います。明治維新、関東大震災、第二次世界大戦と、たび重なる歴史の荒波をくぐり抜け、"人形屋"としてのご本業を守り続けてこられました。創業200年に迫ろうとする今、直面している少子化・人口減少の流れの中でも、本業を貫く経営姿勢にはみじんのぶれもありません。「時流に迎合せずに本物を守り続けることが、事業永続の秘けつ」と明言する横山社長に、伝統を守り伝えるための経営観を伺いました。</p>
</div>
</li>
<li>
<div class="alignright" style="width:300px;">
<p><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/kyugetsu_0001.jpg" alt="" /></p>
<p class="fs12 spacing10" style="padding-left:10px;"> 久月総本店（画像提供：久月）</p>
</div>
<p class="fs14 spacing05"><em>株式会社久月</em> （<a href=" http://www.kyugetsu.com/" target="_blank"> http://www.kyugetsu.com/</a>）1835年に雛人形問屋として創業。明治時代には古くからの商習慣であった掛け値販売を改め、競合他社に先駆けて正札販売を導入するなど時代の先を行く経営を展開し、創業以来黒字経営を続ける。1971には人形業界で初めてテレビCFの放映を開始し、久月の名前を全国に広める。2006年には台東区より「したまち TAITO産業賞」を受賞。<br>
企業データ／資本金：3750万円、従業員数／132名、売上高／53億円（2009年7月期実績）
</p>
<p class="fs14 spacing05"><em> KYUKICHIROU YOKOYAMA </em></p>
<p class="fs14">1948年生まれ。1971年に大手都市銀行に入行。都内の支店に勤務した後、1974年に久月に入社。仕入れに予算管理を取り入れ、賃金体系に職能資格制度を導入するなど、経営を刷新。1995年に代表取締役社長に就任する。</p>
</li>
<li class="end clearfix">
<h3 class="fs18">100年を超える"仕入れ"のスタイルにメスを入れる</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────横山社長は、大手都市銀行でのご勤務を経て久月にご入社されました。事業を継承されるということは、早くからご決心されていたのでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">別な道を進むこともできるという思いもありましたが、一方では久月を継ぐのだという使命感のようなものは子どもの頃から抱いていました。そういう運命なのだろうなと。大学卒業後はアメリカに短期留学し、その後に銀行に入行しましたが、それも孫悟空のようなもので、父の手のひらの上にいるのだろうなという思いはありましたね（笑）。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────ご入社後は、どのような仕事を手がけられたのでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">入社してすぐ、仕入部というところに入れられましてね。我々の商売は「利は仕入れにあり」といって、仕入れを覚えることが一番大切なんです。仕入れに携わるのは私どもの中枢の人間で、当時いた中での最年長は私の祖父の弟。部長を始めとするほかの社員も、後に役員になるような者ばかりで、そんな中に私が入れられたわけです。名前だけは"次長"でしたが、部長と課長がすべてを握っていて入ろうにも入れない。そのころが一番辛かったですね。何しろやることがないんですから。</p>
<p class="fs14 spacing10">そこで、時間だけはたっぷりありましたので、仕入れ先をすべて洗い出して、年間にどのくらいの仕入れを行っているのかをチェックしたんです。すると、「昨年は10体注文したから、今年も10体くらいで」というような仕入れをしていた。前年が足りなかったとすると、「じゃあ、今年は12体くらいで」と。そうすると、今度は余ったりするわけです。そこに何の計算式もなかったんですね。</p>
<p class="fs14 spacing10">それを、例えば屏風屋さんなら屏風屋さん、台屋さんなら台屋さんを全部集めてみようと。そうすれば、毎年どの程度の数をつくればいいかが、割り出せるのではないか。その大枠をベースに予算をつくってはどうかと提案したのが、最初の仕事でしたね。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────"屏風屋さん"や"台屋さん"というのは、それぞれ専門の職人の方がいらっしゃるということですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">そうです。例えば段飾りの雛人形でいいますと、段、毛せん、屏風、人形、お道具、桜橘、ぼんぼりといったものは、それぞれ専門の職人によってつくられます。さらに人形は、型から顔を抜いて目鼻を整える頭師（かしらし）、髪を結う結髪師...と担当が細分化されています。最近では、この分業体制も変わってきていますが、人形業界というのは今も昔も変わらず、家内制手工業で成り立っているのです。それを取りまとめて、「この段にはこの人形、この段にはこのお道具」とセットをつくるのが我々の仕事です。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────では、仕入れ先となる職人の方は、かなりのご人数に上られますね。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">我々が接するのは全体を束ねる職人さんだけですが、私が入社した昭和49年当時でいえば、窓口となる方だけで150人近くはいたでしょうか。その先にはすそ野が広がっているわけですから、全体ではかなりの人数になりますね。とてもその全てをコントロールすることはできませんが、大元となる職人さんへの発注には予算を持つべきだ、と。そうすれば、欠品や過剰在庫をある程度調整できるはずだと提案したわけです。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────長年のやり方にメスを入れることに、周囲の反対はありませんでしたか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">それが、ある程度聞いてもらいましてね。社長の息子ですから、みんな聞かざるを得なくて了承してくれたのだと思いますが、とにかく予算制度を導入できた。そこで、仕入部は一年でやめることにして、次は総務部に行きたいと父に願い出たんです。</p>
</div>
<h3 class="fs18">賃金体系を見直し、売り場の人員構成も改善</h3>
<div class="txt"> 
<p class="fs14 spacing10"><em>────なぜ、総務部を希望されたのですか。</em></p>
<p class="alignleft"><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/kyugetsu_0201_a.jpg" alt="" /></p>
<p class="fs14 spacing10">銀行にいたからでしょうね。銀行時代に感じたことがいくつもありまして、まず考えたのが、なぜ銀行はこんなに儲かっているのかということ。私がいた当時は、銀行はえらく儲かっていたんです（笑）。よくよく考えてみると、銀行というのは優秀な人を採用しているんですね。私の周囲にも、国立大学や有名私立大学出身の優秀な人間がたくさんいました。その優秀な人財をこき使うわけですから、これは儲かるな、と（笑）。</p>
<p class="fs14 spacing10">では、なぜその優秀な人たちがそこまで一所懸命にやるのだろうと考えて思いついたのが、賃金システムによるのではないかということです。当時は号俸がありまして、一号俸が50円のピッチ。私の初任給が3万9000円だった時代のことです。昇給の時期になるとみんなこそこそと喫茶店へ行って、「お前はいくら上がった？」とやるわけです（笑）。相手が自分よりも昇給していれば悔しいですから、そういうような競争をあおるシステムが銀行にはある。それをどうにかして、当社にも導入できないかと考えたんです。それまでは、父が鉛筆なめなめ「あいつはこんなものだな」と（笑）。そういうような給与システムだったのを、銀行と同じように等級をつくって号俸を導入したわけです。</p>
<p class="fs14 spacing10">ただ、「4等級には早ければ3年、遅くとも6年で昇級する」といった規定を設けたところ、能力が不足している社員も6年で上にあげなくてはいけない。それが果たして正しいことなのかということに、運用している途中で悩みましてね。賃金システムを完全には理解していなかったんですね。その後、専門のコンサルティング会社に依頼して賃金システムをもう一度見直したものが、現在の体系になっています。</p>
<p class="fs14 spacing10">また、総務部と兼務して店舗の責任者も務め、本店の人員構成にも手を入れました。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────店舗にはどのような課題があったのでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">私ども節句人形の商売というのは、12月から4月の5カ月間に年間売上高の8割が集中します。つまり、繁忙期と閑散期の山谷が非常に大きいんです。雛人形と5月の節句人形の売り出し期間中は、毎日、深夜の12時、1時はあたり前で、休みを取るなんてとんでもない。今はもちろん労働基準法を遵守していますが、当時はそのくらい忙しかった。私なども5月5日が待ち遠しくて、本店の前の柳を見ては「あの枝がもう少し伸びれば、この忙しさもおしまいだ」と首を長くして（笑）。一方で、夏場はやることがなくてどうしようかと。それくらいの格差がありました。</p>
<p class="fs14 spacing10">そうすると、人員構成が問題になるわけです。百貨店の売り場ではマネキン（販売専門の派遣社員）を活用していましたが、浅草橋の総本店だけは正社員を中心に、補助はアルバイトスタッフで運営していたんです。久月の中心となる神聖な店だから、マネキンの方々が出入りすることで何か重要な情報が外に漏れてはいけないというんですね。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────競合他社に派遣された場合のことを危惧されたということでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">当社に来ているマネキンと、他社に派遣されているマネキン同士が仲がいいということもありますしね。今考えれば妙な心配ですが、浅草橋の総本店にマネキンを導入することには、社内から結構な反対がありました。しかし、当時私が部長職で、一緒にやっていた課長が「やりましょう」と賛同してくれて、二人で何とか役員を説得して導入したという覚えがあります。</p>
</div>
<h3 class="fs18">老舗の伝統は強みであると同時に、弱みでもある</h3>
<div class="txt"> 
<p class="fs14 spacing10"><em>────改めてお伺いしたいのですが、ご入社された当時、会社の強みと弱みをどのようにご覧になられましたか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">久月の強みは、これは常々思っていることですが、資産を持っているということです。「久月」という名前、仕入れ先や小売店のネットワーク。これらは、非常に大きな資産であり、久月の強みです。しかし、それは同時に弱みでもある。それだけのものがあるがために、自由闊達に動けないわけです。「久月だから、業界のトップだから、これはやっちゃいけません」と。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────どのようなことが「やってはいけない」ことだったのでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">例えば、私が入社してまだ間もないころに、当社の近くに競合店が出店されましてね。5月の節句が終わると、夏場は着物を販売するなど、柔軟な営業をなさるわけです。私も、繁忙期と閑散期の山谷をどう埋めるかを考えていたときでしたから、「我々も、夏場の商材を何か考えないといけないのではないか」と、父に言ったんです。そうしたら、こう言われました。「考えるのはいいことだが、うちは人形屋だ」と。</p>
<p class="fs14 spacing10">その後もバブル時代に、周囲の経営者が「不動産投資でこれだけ儲かった」というのを聞きましてね。「そんなに儲かるならうちもやらなくては」と父に言ったら、また、「うちは人形屋だ」と。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────本業から外れることは一切なさらない。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">そうです。ですから、当社は一切の投資をしませんでした。だから助かったんです。人形という一つのものに長年注力していることは私どもの強みだと、今も思っております。ただそれがゆえに、そう大きくなれない。父にはこうも言われました。「八百屋は八百屋。人形屋は人形屋だ」と。今考えれば、無理して大きくなろうと思うなということでしょう。ですから、当社には175年の歴史がありますが、大きくもなっていないわけです。けれども、事業は継続している。事業の継続を取るか、拡大を取るかは、それぞれのご判断だと思いますが、人形屋には人形屋の適正規模があるというのが父の教えだったのだと思いますね。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>「うちは人形屋だ」という先代の教えには含蓄があると、横山社長は言います。少子化などの逆風も吹くなか、先代の言葉をどのように実践されているのか。後編では、横山社長の経営にかける信念を伺います。</em></p>
</div>
</li>
</ul>]]>
        
    </content>
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    <title>長寿企業研究──倒産の危機を乗り越えた&quot;変化の経営&quot;（後編）</title>
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    <published>2010-06-23T09:00:00Z</published>
    <updated>2010-06-23T05:32:21Z</updated>

    <summary>株式会社永楽屋</summary>
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        <name>OBT</name>
        
    </author>
    
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/person/">
        <![CDATA[<ul class="secList">
<li class="clearfix">
<p class="photo"><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/eirakuya_00.jpg" alt="" /></p>
<div class="textArea">
<p class="fs16 spacing10"><em><$MTEntryTitle$><br />
株式会社永楽屋<br />
代表取締役社長<br />
細辻伊兵衛さん</em></p>　
<p class="fs14 spacing10">帝国データバンクが2008年に行った「長寿企業4,000社アンケート」によると、全体の56.3％が創業時からの主力事業を変更、商品やサービスは70％以上が「変更した」と回答しました。"老舗企業の歴史は変革の歴史"とはよくいわれることですが、まさに企業存続の鉄則が伺えるデータといえます。創業約400年の歴史を誇る京都の老舗織物商、永楽屋も変革を続けてきた一社です。代々、太物商（綿・麻の織物商）を営んできた家業を、戦後にタオル卸に転換。しかし、海外のライセンスブランドに太刀打ちできずに倒産の危機を迎え、1999年に事業の大改革に踏み切ります。正解が見えない中で、何をどう決断したのか。『長寿企業特集』第三回目は、永楽屋十四代当主・細辻伊兵衛さんにお話を伺います。</p>
</div>
</li>
<li>
<div class="alignright" style="width:300px;">
<p><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/eirakuya_0001.jpg" alt="" /></p>
<p class="fs12 spacing10" style="padding-left:10px;"> 永楽屋本店（画像提供：永楽屋）</p>
</div>
<p class="fs14 spacing05"><em>株式会社永楽屋</em> （<a href=" http://www.eirakuya.jp/" target="_blank"> http://www.eirakuya.jp/</a>）1615年創業。創業家の先祖が、戦国時代に永楽通寳の紋を使用していたことから、屋号を『永楽屋』とする。代々、"太物"と呼ばれる木綿・麻の織物を扱い、第二次世界大戦後にタオル卸業に業態転換。全国有名百貨店との取引を広げるが、ライセンスブランドを持たなかったことから業績が悪化。1999年には債務超過に陥り、倒産の危機を迎える。同年に十三代当主が引責辞任し、十四代細辻伊兵衛氏が代表取締役に就任。明治から昭和初期にかけて同社が扱っていた手拭いを復刻し、2000年に『京三条町家手拭「永楽屋　細辻伊兵衛商店」』を再開。自社ブランドを立ち上げたことで経営の再建を果たす。2004年からは多ブランド化に乗り出し、新感覚の手拭いブランド「RAAK（ラーク）」、帆布鞄専門店の「伊兵衛 Ihee」、風呂敷専門店の「伊兵衛　ENVERAAK」ほかを展開。<br>
企業データ／資本金：2600万円、従業員数／100名、店舗数／22店（2010年5月末現在）
</p>
<p class="fs14 spacing05"><em> IHEE HOSOTSUJI </em></p>
<p class="fs14">1964年生まれ。高校卒業後、卓球の実業団選手として大手自動車メーカーのグループ企業に入社。1985年にアパレル業界に転身し、海外系ブランドの店長として高い業績をあげる。1991年に永楽屋十二代当主の長女と結婚して永楽屋に入社、翌年に十二代当主が急逝。叔父が十三代目を務めた後、1999年に十四代細辻伊兵衛を襲名し、代表取締役に就任。</p>
</li>
<li class="end clearfix">
<h3 class="fs18">目指すのは"オンリーワン＆ナンバーワン"</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────"限定したものづくり"（前編参照）とは、こだわったものをつくるということでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">こだわっていても、限定してなければダメですね。つまり、"オンリーワン"でなければならないということです。例えば大手の流通チェーンなどは、京都でも大阪でも東京でも、店で売っているものは同じことが多いでしょう。それを、すべて変えるくらいの発想で考えないと。実際には、今の流通システムではそこまではできませんが、やはり"オンリーワン"でないと魅力がないじゃないですか。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────"2009年限定"や"東京限定"といった限定版の手拭いを出されていますが、これも"オンリーワン"の発想からなのですね。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">そうです。年や店によって品ぞろえを変えているんです。今はものが売れない時代だと言われていますが、それは買いたいと思うものがないだけなんですよ。デフレが加速して、アパレルでも低価格をウリにしたブランドが売れていますが、低価格商法は大企業だからできること。中小企業が同じことをしようとしても無理です。ではどうすればいいのかというのが、"オンリーワン"なんです。どこにでも売っているようなものを、わざわざ買おうとは思いませんが、「ここでしか手に入らない」といわれれば、「ほんなら買うていこうか」という気になる。限定したものづくり、限定した店づくり。これしかないと思います。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────タオルは卸売業でしたが、手拭いは自社で小売までされています。これも当初から決めておられたのですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">問屋では社名が知られることはありませんので、小売までやろうということは考えていました。また、繊維業界というのは特殊な業界で、メーカーの名前が知られることも少ないんです。例えば電化製品なら、パナソニックや任天堂など、メーカーの名前が有名になるじゃないですか。けれども繊維業界は、仮にライセンスブランドを獲得したとしても、そのブランドの名前で認知されるだけなんです。ですからいわゆる"SPA"、製造小売り業を実現しようと考えたのです。しかし、最初は売れませんでした。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────販売が苦戦する期間は、どのくらい続かれたのですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">2年くらいは続きましたね。当初は本店（本社ビルの1階店舗）で販売していまして、平成12年に復刻版の手拭いを発売してから平成15年までは売上が伸びませんでした。その間、平成14年に四条店をオープンしたところ、ある程度は売れたんですね。これで手拭いが事業になるかもしれないという手応えをつかんだので、同じ平成14年に京都で有名な街・祇園に店を出したんです。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────そこからは順調に業績を伸ばしておられますが、苦戦された2年の間、手拭い事業からの撤退を考えたことはありませんでしたか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">思いました。何度も思いましたが、永楽屋の手拭いは、生地も染めも、日本でこれ以上のものはできないといえる品質のものです。しかも、絵柄は京の老舗の復刻版。ブランドになるにふさわしい条件がそろっているんです。ですから、安売りもしたくありませんでしたし、いつかは認めてもらえると思ってやっていました。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────その間、どのような試行錯誤をされたのですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">ものづくりに力を入れました。当初は手拭いだけでしたが、手拭いを使った小物や鞄をつくったり。手拭いに馴染みがない人でも、鞄やったら馴染みがありますよね。商品の幅を広げていったということです。</p>
<p class="fs14 spacing10">ただ、良い品物をつくっても、まずは存在を知っていただかなければ、買っていただくこともできませんので、有名になるのも非常に大事なことです。有名になることを私は"ナンバーワンになる"と言っていますが、中小企業は"オンリーワン"に加えて"ナンバーワン"になる努力も必要なんです。</p>
<p class="fs14 spacing10">しかし、中小企業には広告費の負担は重い。なけなしのお金を使って広告も出しましたが、有名になるにはメディアさんに取り上げていただくのが一番です。ですから、当社はどんな取材も断ったことはありません。商品の幅を広げて変わったものをつくっていると、テレビや雑誌、新聞から取材にきていただけるんです。それでも、"知っていただく"というのは難しいですね。ほんまに、難しいです。</p>
<div style="width:600px;">
<p><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/eirakuya_0101_b.jpg" alt="" /><font color="#F5F5F5">＊</font><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/eirakuya_0102_b.jpg" alt="" /></p>
<p class="fs12 spacing10" style="padding-left:10px;"> 手拭いの柄をモチーフにした鞄。このほかに、カードケースや小銭入れ、姉妹ブランドで展開する帽子など商品展開は年々広がっている。（写真左・フラットバック、写真右・タックバック、絵柄はいずれも「おきばりやす！おきばりやす！」、画像提供：永楽屋）</p>
</div>
<h3 class="fs18">経営は、時の流れに任せる</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────社長に就任された当初、「手拭いを"老舗ブランド"にして何かできないか」とお考えになった通りの展開で、ご事業が発展しておられます。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">私は基本的には、"時の流れに身を任せる"という考え方でずっとやってきました。当社でいえば、タオルの卸売事業で債務超過になってしまった。私が一からやるなら、自社ブランドを立ち上げるしか、中小零細企業の道はないと考えた。せっかく、この京都という街でお商売をさせていただいて、400年近い歴史もある。"京都"と"老舗"という2つの看板を使って何かできないかということを考えたわけです。</p>
<p class="fs14 spacing10">経営というのは、今、与えられていることの範囲でしかできませんよね。ですから時の流れに身を任せて、その時々に対応していくしかないんです。言い替えれば、いかに時代を読めるかどうかということです。時代が読めれば、商売はうまくいきます。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────時代を読んでも失敗する...ということはありませんか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">そんなことは、しょっちゅうです（笑）。売れないと思ったものが売れることもありますし、「完ぺきや」と思っても売れないこともよくあります。「絶対にいける」と思ってコケた経験は、何回もありますよ。お商売というのは、やってみないとわからない。それが商売なんです。だから、手堅い人はやりたがらないですよね。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────しかし、挑戦しなければ成功もありません。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">成功はないし、成長もないですね。ただ、自分自身の力は知れています。ですから、いかに追い風に乗れるかということが大きいんです。追い風に乗るためには、何かしら少しずつ"種"を蒔いて、何かを起こしておくことが必要です。かといって、あんまり思いきって突っ込んでも会社が傾いてしまいますから、資金が許す範囲のことになりますが。何が当たるかわからないんですから、少しずつリスクヘッジをしていくべきだとは思いますね。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────細辻社長は、将来の計画をどれくらい先までお考えになるのですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">10年先、20年先のことも、もちろん考えます。でも、それはあくまでも今現在の予想であって、時代は変わっていくものです。それを「こうと決めたから、そうしないといけない」というような頑固一徹の考え方は、今の時代には向きません。それこそ、坂本龍馬のように柔軟に対応しないと。商品も、手拭いでずっといければいいですが、それ以外の事業に広がる可能性もありますよね。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────そういった可能性もお考えなのですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">もちろんです。手拭いの前はタオル屋でしたし、その前は着物屋でしたのでね。この3つは"繊維"ということではつながっていますが、例えば手拭いの染色技術を食料品に活かすということだってあるかもしれませんし。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────"染める"が次のキーワードになるということでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">いえ、これは単なる例えで、この先何が当たるかなんてわからないですよ。それがわかったら、みんな大金持ちです（笑）。だから1つのことに固執せずに、時の流れに身を任せて変わっていくということなんです。"時"と、それから"場所"ですね。大切なのは"時"と"場所"。2009年に東京に初出店しましたが、東京は難しいです。それこそ、変化が激しいですね。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────テナントの入れ替わりが激しいということですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">そうです。飲食店でもすぐ変わりますね。京都は、変化しない街なんです。そもそも、お寺の位置が変わりませんから、参拝に来た方の"人の流れ"も変わらない。お店の細かい入れ替わりは多少はありますが、大きくは変わらない街なんです。それに比べて、東京は変化が速くてついていくのが大変です。例えば店舗の償却期間一つとっても、ものすごく短く考えるんですね。びっくりします。</p>
<p class="fs14 spacing10">でもそれはそれで、東京は日本のトップクラスの人たちが集まっているところですから、その方たちに合わせるようなことをやっていかないと。「東京は合わん」などと言っていたら、始まらないですね。2010年の秋には、2ブランドの東京への出店を予定しています。東京は世界への近道ですから、これからもより一層柔軟に"時"と"場所"に合わせた対応をしていきたいと考えています。</p>
</div>
<h3 class="fs18">どれほど変化に対応しても、商売の原点だけは変わらない</h3> 
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────柔軟に変化される一方で、老舗として変わらず守り続けておられるものは何でしょうか。</em></p>
<p class="alignleft"><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/eirakuya_0301_b.jpg" alt="" /></p>
<p class="fs14 spacing10">日本人の生活文化に貢献するものをつくっていく。そして、お客さまに得をしていただく。この"商売の原点"だけは、変わりません。そのために、われわれの技術を使うものが今は手拭いだけれども、時代の風向きが変わってきたら事業は変化させていく。それは、時代が言う通りにするしかないんです。けれどもその行く先は、お客さまに得をしていただくことにある。これだけは変わりません。</p>
<p class="fs14 spacing10"> "得をしていただく"というのは、喜んでいただく、感動を与える、癒しを与える...、いろいろな形がありますが、お客さまに得をしていただいて、われわれもちゃんと採算が取れて、健全な経営が成り立つ。商売というのは、それしかありませんよね。</p>
<p class="fs14 spacing10">それが健全な商売にならないということは、どこかがおかしいんです。時代を読めていないのか、読めていたとしてもそれに準ずるものをつくっていないのか。世間やお客さまは何も悪くありません。われわれは自然界に生きているわけですから、自然に逆らうことはできない。ですから、やはり "時"なんですね。商売の原点は守りながらも、柔軟に変化していくということです。</p>
<p class="fs14 spacing10">といいつつも、私はこうして何かを一概に言うのは、好きではないんですよ。私自身が言うことも徐々に変化していますので、「以前はこう言っていたやないですか」と言われても困りますから（笑）。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────キーワードは"変化"ですね。ありがとうございました。</em></p>
</div>
</li>
</ul>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>長寿企業研究──倒産の危機を乗り越えた&quot;変化の経営&quot;（前編）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/person/2010/06/post-80.html" />
    <id>tag:www.obt-a.net,2010:/web_jinzai_magazine/person//2.527</id>

    <published>2010-06-09T09:00:00Z</published>
    <updated>2010-06-09T03:31:12Z</updated>

    <summary>株式会社永楽屋</summary>
    <author>
        <name>OBT</name>
        
    </author>
    
        <category term="この人に聞く" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/person/">
        <![CDATA[<ul class="secList">
<li class="clearfix">
<p class="photo"><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/eirakuya_00.jpg" alt="" /></p>
<div class="textArea">
<p class="fs16 spacing10"><em><$MTEntryTitle$><br />
株式会社永楽屋<br />
代表取締役社長<br />
細辻伊兵衛さん</em></p>　
<p class="fs14 spacing10">帝国データバンクが2008年に行った「長寿企業4,000社アンケート」によると、全体の56.3％が創業時からの主力事業を変更、商品やサービスは70％以上が「変更した」と回答しました。"老舗企業の歴史は変革の歴史"とはよくいわれることですが、まさに企業存続の鉄則が伺えるデータといえます。創業約400年の歴史を誇る京都の老舗織物商、永楽屋も変革を続けてきた一社です。代々、太物商（綿・麻の織物商）を営んできた家業を、戦後にタオル卸に転換。しかし、海外のライセンスブランドに太刀打ちできずに倒産の危機を迎え、1999年に事業の大改革に踏み切ります。正解が見えない中で、何をどう決断したのか。『長寿企業特集』第三回目は、永楽屋十四代当主・細辻伊兵衛さんにお話を伺います。</p>
</div>
</li>
<li>
<div class="alignright" style="width:300px;">
<p><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/eirakuya_0001.jpg" alt="" /></p>
<p class="fs12 spacing10" style="padding-left:10px;"> 永楽屋本店（画像提供：永楽屋）</p>
</div>
<p class="fs14 spacing05"><em>株式会社永楽屋</em> （<a href=" http://www.eirakuya.jp/" target="_blank"> http://www.eirakuya.jp/</a>）1615年創業。創業家の先祖が、戦国時代に永楽通寳の紋を使用していたことから、屋号を『永楽屋』とする。代々、"太物"と呼ばれる木綿・麻の織物を扱い、第二次世界大戦後にタオル卸業に業態転換。全国有名百貨店との取引を広げるが、ライセンスブランドを持たなかったことから業績が悪化。1999年には債務超過に陥り、倒産の危機を迎える。同年に十三代当主が引責辞任し、十四代細辻伊兵衛氏が代表取締役に就任。明治から昭和初期にかけて同社が扱っていた手拭いを復刻し、2000年に『京三条町家手拭「永楽屋　細辻伊兵衛商店」』を再開。自社ブランドを立ち上げたことで経営の再建を果たす。2004年からは多ブランド化に乗り出し、新感覚の手拭いブランド「RAAK（ラーク）」、帆布鞄専門店の「伊兵衛 Ihee」、風呂敷専門店の「伊兵衛　ENVERAAK」ほかを展開。<br>
企業データ／資本金：2600万円、従業員数／100名、店舗数／22店（2010年5月末現在）
</p>
<p class="fs14 spacing05"><em> IHEE HOSOTSUJI </em></p>
<p class="fs14">1964年生まれ。高校卒業後、卓球の実業団選手として大手自動車メーカーのグループ企業に入社。1985年にアパレル業界に転身し、海外系ブランドの店長として高い業績をあげる。1991年に永楽屋十二代当主の長女と結婚して永楽屋に入社、翌年に十二代当主が急逝。叔父が十三代目を務めた後、1999年に十四代細辻伊兵衛を襲名し、代表取締役に就任。</p>
</li>
<li class="end clearfix">
<h3 class="fs18">自社の"個性"を打ち出せなかったタオル卸時代</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────細辻社長は27歳で永楽屋さまにご入社されましたが、会社にはどのような第一印象を持たれましたか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">まず感じたのは、自社の独自性を打ち出すことが難しい事業だということですね。当時はタオルの卸売業が主力事業でしたが、タオルは手拭いと似ているようでいて、実はまったく異質な事業です。商品の需要というのは"自家需要"と"進物需要"に分かれるのですが、当時のタオル業界は"進物需要"がほとんどでした。これの何が難しいかといいますと、進物というのは体裁が重視されるんですね。贈った相手の方に「良いものをいただいた」と思っていただける体裁が大事になる。つまり、ブランドもののタオルが重宝されるわけです。なおかつ、デザインの個性が強すぎてもいけませんから、多くの方に好まれるものが売れていくんですよ。</p>
<p class="fs14 spacing10">しかし、当時の私は"自家需要"や"進物需要"という言葉すら知らず、前職のアパレルと似たような業界かなという程度の考えでいたわけです。「これからは、タオルでファッションや」と。しかし入ってみたら、ファッション業界とは違う世界でした。</p>
<p class="fs14 spacing10">むしろ逆に、異質な存在は私の方だったかもしれません。その頃の私は、髪を金髪に近い色に染めて、当時流行りのベルサーチのネクタイを締めていったりしていましたので（笑）。今は京都らしくしていますが（笑）、17、18年前はそんな感じで周囲の反発を買ったこともありましたし、何かを言うにしても、業界をよく知らないままでは理解してもらえない。ですから、まずは既存のお取引先にタオルの営業に行き、問屋さんの勉強をすることから始めたんです。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────まずは事業の仕組みを知ろうということですね。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">ええ。ただ、例えば"バーバリー"といった強いブランドがあれば、自信を持って営業できますが、当社にはそういったライセンスブランドがありませんでした。商品といえば、ノーブランドの無地のタオル。非常に売りにくかったんですね。タオルで会社を再生させることは、非常に時間がかかると考えました。それを確信した経験でした。</p>
</div>
<h3 class="fs18">本家を売却し、会社の再建に乗り出す</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────その後、1999年に14代当主として永楽屋を継承され、事業の大胆な改革に乗り出されました。</em></p>
<p class="alignleft"><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/eirakuya_0201_a.jpg" alt="" /></p><p class="fs14 spacing10">私が永楽屋に入社した翌年に、12代当主の義父が急逝しまして。叔父が13代目として代表取締役に就任したのですが、事業を立て直すことができず、ついに債務超過になってしまったんです。永楽屋は代々、本家が株のほとんどを所有しますから、何かあったときには家長である私が責任を取ることになります。それならば、経営の舵も自分の手でとりたいと考えたのです。</p>
<p class="fs14 spacing10">そこでまずは、本家（自宅）を売却して、事業再建の元手を作りました。土地建物だけでなく蔵にあった古道具も全部売って、仏壇は大きすぎてマンションには入りませんでしたので、お寺に預かってもらいました。そのうえで、叔父に「辞めていただきたい」と退任を迫ったのです。会社の財務がそこまで悪化していたということと、私が本家の売却にまで踏み切ったことで、叔父も当時の役員の方々も、みなさん辞める気になっていただいたようです。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────歴史のある本家を売却されることに、迷いはありませんでしたか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">まったくありません。会社は社員の給料も払えないような状況だったんです。周囲には反対されましたが、本家は私が家長として受け継いだもの。決断に迷いはありませんでした。結果として、売却で得た資金を退職金に充てて当時30名いた社員を7名にまで減らし、借入金も返済して身軽になった。じゃあ、これからは自分が納得のいく事業をやろうと。そう考えて始めたのが、明治から昭和初期にかけて当社がつくっていた手拭いの復刻だったのです。</p>
</div>
<h3 class="fs18">不可能に挑戦した"老舗ブランド"復活への道
</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────社長ご就任時には、手拭い事業の立ち上げを決めておられたのですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">いいえ、そのときはまだ何も考えていません。"復刻"なんて、そんなにすぐに思いつきませんよ（笑）。簡単に思いつくんやったら、先に誰かがやっているはずでしょう。ただ、気にはなっていました。本家の売却で倉庫を整理していたときに昔の手拭いが出てきまして、非常に多くの絵柄が残されていたんです。ああ、永楽屋にはこんな面白いものがあるやないかと。そして、一日の業務が終わってから手拭いを写真に撮って、関連する資料を調べるということを毎日続けていたんです。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────なぜ、手拭いが気になられたのですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">明治、大正、昭和とそれぞれの時代につくられた柄は、どれも時代背景を物語っています。それは、その当時に生きていないとわからないことなんですね。現代のどんなに素晴らしいアーティストとは一味違ったものです。つまり、"老舗"であることが活かせるわけです。そうして次第に、この手拭いを"老舗ブランド"にして、何かできないかなと思うようになっていったんです。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────手拭いの染色に使う原版なども残っていたのですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">いえ、版はございません。残っていたのは、手拭いの現物だけです。ですから、忠実に復刻するためにはどうするかということが問題になりました。昔はPL法（製造物責任法）といった法律もありませんから、色落ちするような染料も使っていたんです。それでよかった時代なんですね。でも、今は違います。高品質で安定したものづくりをしていかなくてはいけない。また、昔は着物という事業の柱がきっちりとありましたので、手拭いは趣味程度につくっていたものでした。それを事業の採算ベースに乗せるのも非常に困難なことで、周囲からは「無理や」といわれたんです。できるのやったら、みんなやってるはずですからね。現に、百貨店さんなどにも興味を持っていただいて、手拭いを見に来られたこともありましたが、誰も手をつけませんでしたのでね。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────その難題を、どう解決されたのですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">新しい技術を開発していこうという考え方です。不可能を可能にしようと思ったんです。それが"ブランド"ですから。そこでまずは、染織業界のトップクラスの職人や技術者の方々にお会いして、手拭いの復刻に何とか協力してもらえないかと。そういう話からスタートしました。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────すぐにはお取引いただけないこともあったと伺っています。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">当初は、京都の老舗だということを前面に打ち出していたのですが、どうもそれが胡散臭かったようです（笑）。それに、職人さんは話すことが得意でない方も多くて、理路整然と説明しても通らないこともあるんですね。私自身が、アパレル業界に入る前は部品メーカーで工員をしていましたから、技術者の方の気持ちはわかるような気がします。それをお互いお話し合いをし、「この人と付き合ってもいい」と思ってもらえるかどうか、なんですよ。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────そのためには、どのようなことが大切になるのでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">契約の透明性を高めて、「永楽屋の仕事ならしてもいい」と思われるような取引をするということです。また、なるべく高く買うということも、すべてそうできているわけではありませんが、心がけています。普通は値切るでしょう。でも、その会社が困っておられたら、私は言い値で買います。といっても、みなさん正直な方ばかりですので、極端に高い値段はつけないんです。言われる値段は、それがなかったらやっていけないという話。それを叩いたところでね...。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────しかし、繊維業界ではその"業者叩き"が起こっています。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">だから、みんな中国に行ってしまったんですよ。そして、日本のものづくりがなくなってきて、えらいことになってるんです。では、どうすればいいかといえば、"限定したものづくり"しかないんです。</p>
<div style="width:600px;">
<p><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/eirakuya_0301_a.jpg" alt="" /><font color="#F5F5F5">＊</font><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/eirakuya_0302_a.jpg" alt="" /></p>
<p class="fs12 spacing10" style="padding-left:10px;"> 昭和初期の柄を再現した"復刻版"の手拭い。当時の永楽屋では、毎年百種類の色柄の手拭いを発表する頒布会「百いろ会（ももいろかい）」を主催し、染色の最高技術を注ぎ込んだ数々の名品が生み出された。（写真左「月夜の舞妓[昭和8年]」、右「私は昔『桃太郎』と云われてました[昭和7年]」、画像提供：永楽屋）</p>
</div>
<p>
<div style="width:600px;">
<p><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/eirakuya_0303_a.jpg" alt="" /><font color="#F5F5F5">＊</font><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/eirakuya_0304_a.jpg" alt="" /></p>
<p class="fs12 spacing10" style="padding-left:10px;"> 現当主である14代細辻伊兵衛氏が発表した新柄の手拭い。糸も、手拭いでは通常使わない番手の細いものを使用し、きめ細かな生地を実現。染色は、細やかな絵柄を表現できる友禅染。すべて職人の手作業で染められている。（写真左「すだれ朝顔」、右「鯉」、画像提供：永楽屋）</p>
</div>
<p class="fs14 spacing10"><em>タオルの卸業から、手拭いの自社ブランド立ち上げへ。「事業転換の明確な道筋が、最初から見えていたわけではない」と細辻社長は話しますが、"稀少価値のある高品質な商品だけを扱う"という信条は、一貫して経営の根底に流れています。信条は曲げずに、戦術は柔軟に。後編では、細辻社長の"変化の経営論"を伺います。</em></p>
</div>
</li>
</ul>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>長寿企業研究──プロフェッショナル集団を育てる&quot;共育の経営&quot;（後編）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/person/2010/05/post-79.html" />
    <id>tag:www.obt-a.net,2010:/web_jinzai_magazine/person//2.516</id>

    <published>2010-05-26T01:00:00Z</published>
    <updated>2010-06-09T07:35:14Z</updated>

    <summary>富士屋ホテル株式会社</summary>
    <author>
        <name>OBT</name>
        
    </author>
    
        <category term="この人に聞く" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/person/">
        <![CDATA[<ul class="secList">
<li class="clearfix">
<p class="photo"><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/fujiyah_00.jpg" alt="" /></p>
<div class="textArea">
<p class="fs16 spacing10"><em><$MTEntryTitle$><br />
富士屋ホテル株式会社<br />
取締役総支配人<br />
安藤 昭さん</em></p>　
<p class="fs14 spacing10">100年以上に渡って存続し続ける企業の強さの根源を探るシリーズ『長寿企業特集』。第三回目は、日本を代表するクラシックホテル、富士屋ホテルの取締役総支配人　安藤昭さんにお話を伺います。富士屋ホテルは、1878年創業の日本初のリゾートホテル。登録有形文化財でもある由緒ある建物は明治の面影を今に伝え、親子三代に渡って利用する顧客も多い、愛される名門ホテルです。伝統と風格を保ちながらも、世代交代していく顧客を魅了し続ける秘けつは何か。人事制度や組織運営など"ヒトと組織"の観点から、安藤総支配人にじっくりと伺いました。</p>
</div>
</li>
<li>
<p class="fs14 spacing05"><em>富士屋ホテル株式会社</em> （<a href=" http://www.fujiyahotel.co.jp/" target="_blank"> http://www.fujiyahotel.co.jp/</a>）1878年（明治11年）創業。創業者・山口仙之助氏の手により、箱根宮ノ下の地に開業する。1887年には塔ノ沢・宮ノ下間の全長7キロの道路を、私財を投じて開通させ、1893年には水力発電機も開発。インフラを一つずつ整備しながら、ホテルを拡張していった。1930年には、国内初のホテルスクールである『富士屋ホテルトレイニングスクール』を開校。内装の隅々にまで趣向を凝らした建物がホテルの象徴だが、利用客が富士屋ホテルを語るときに必ず言及するのが、"スタッフの心温まるサービス"。チャールズ・チャップリン、ヘレンケラー、ジョン・レノンなど、富士屋ホテルを愛した海外VIPも数多い。1966年には創業家が経営から退き、国際興業グループ入り。富士屋ホテルチェーンとして国内に12のホテル・施設を展開する。<br>
企業データ／資本金：5億372万円、従業員数／1214名（2009年10月末現在）、売上高／130億円（2009年3月末現在）</p>
<p class="fs14 spacing05"><em> AKIRA ANDO </em></p>
<p class="fs14">1959年生まれ。1982年に富士屋ホテルに入社。料飲部門からスタートし、フロントなどさまざまな部署を経験。1990年に社内の留学制度に合格し、国際興業グループが所有するハワイのホテルで1年間、現地のマネジメントトレーニングを受ける。帰国後は、本社の総務部で社員教育を手がける。人材開発課長、経営企画室長、管理本部長などを歴任し、2007年7月から現職。</p>
</li>
<li class="end clearfix"><h3 class="fs18">社員の「こうしたい」に応えることが、トップの仕事</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────富士屋ホテルは、年間の婚礼組数を大幅に伸ばされたことでも、ご業界では有名です。平成18年度に導入された新人事制度「共育型・期待伝達制度」（前編参照）では、各部署に期待することを、安藤総支配人自ら管理職の方々に直接伝えておられますが、業績を伸ばすには、このように目標を具体的に共有することが大切になるのでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">期待を伝えるだけでなく、社員が「こうしたい」ということは叶えてあげる。これも大切なことだと思っています。</p>
<p class="fs14 spacing10">ブライダルは、平成18年度が年間205組、私がこちらに赴任した平成19年度も205組と、2年続けて同じ実績でした。それを、「平成20年度は300組にする」とみんなの前で宣言しました。担当マネジャーをはじめブライダルのスタッフは戸惑っていましたので（笑）、私はこう伝えたんです。「どうすれば300組を実現できるのかを、みんなで考えてほしい」と。</p>
<p class="fs14 spacing10">そうすると、スタッフから提案や要望が続々と出てくるんです。それを一つずつ形にしていきました。「宴会場が足りない」といわれれば、「ではどこにつくろうか」とみんなで議論し、あまり活用されていないスペースをすぐに宴会場に改装して。平成19年当時は1日4、5組が宴会場のキャパシティでしたが、今は約3倍に増えました。といっても上限までお受けすることはありませんが、計算上は1日12組まで可能なキャパシティを有しています。</p>
<p class="fs14 spacing10">そもそもは、私は平成14年に一年間だけ富士屋ホテルの副支配人を務めたのですが、このときに最初に手をつけたのがホテル内にチャペルをつくることだったんです。赴任と同時に着工して、2カ月後には完成させました。その前年まで、本社で総務課長兼人事課長をしていましたので、昇進昇格試験などでホテルの社員と面談する機会があるんですね。すると、ブライダルの担当者が「頑張っていますが、業績がなかなか伸びません」という。何が問題かと聞くと、「室内チャペルがないことがネックです」というわけです。</p>
<div class="alignright" style="width:260px;">
<p><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/fujiyah_0101_b.jpg" alt="" /></p>
<p class="fs12 spacing10" style="padding-left:10px;"> 富士屋ホテルのチャペル。チャペルのある"花御殿"は登録文化財に指定されているが、内装は変更可能。改装した結果、婚礼数は大幅に伸びた。
</p>
</div>
<p class="fs14 spacing10">当時の富士屋ホテルでは、挙式はテラスで行う"ガーデンウェディング"でした。しかし、屋外では真冬や雨の日は挙式ができません。ですから、「せっかくお客さまが下見に来られても、チャペルがないことが理由でご成約いただけない」というんですね。これは、とても大きなヒントです。チャペルがあれば婚礼数は伸びるのかと聞けば、「確実に伸びます」という。それなら作ろう、と。</p>
<p class="fs14 spacing10">富士屋ホテルは明治の建物ですから、きちんとしたレクリエーションルーム（舞踏会などに使われるホール）があったのですが、当時はたまの会議にしか使われないスペースになっていました。そこをチャペルにしたのです。歴史あるレクリエーションルームですから、社内には反対意見もありましたが、「私が責任を持ちます」と説得して改装に踏み切りました。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────そうした成功体験があると、社内も活性化しますね。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">雰囲気は変わりますね。社員が「こうしてほしい」、「こうしたい」ということは、一つずつ叶えてあげる。これが私の一番の仕事だと思っています。</p>
</div>
<h3 class="fs18">130年超の歴史で培われた「当たり前」を疑う</h3>
<div class="txt"> 
<p class="fs14 spacing10"><em>────社員の方々の提案やアイデアは、まずは肯定することが大切でしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">大きな投資を伴うことは費用対効果を判断します。そうではない細かなことは、まずはやってみますね。ダメならやめればいいわけですから、私の姿勢は基本的にはすべて「イエス」です。ただし、「その案で大丈夫なの？」ということは確認します。たいていは「大丈夫です」と答えますから、しばらく会話を続けた後に「本当に大丈夫なの？」とまた聞いて、2、3回は念押しをするんです（笑）。それでも「絶対に大丈夫です」と答えたら、「では、やってみよう」と。これは保険といいますか、この言葉が出たら成功しますね。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────現場のアイデアは、どのようにして吸い上げておられるのですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">私が思いつくことが多いのですが、長年ずっと続けてきたことも、気づいたことは何でも改善しようと周囲には話しています。例えば、ドアには内開きと外開きがありますね。外開きのドアは、開けたときに廊下を歩く方にぶつかってしまうかもしれません。日々の仕事の中で、ドアの向き一つとっても「これでは危ないな」と不審に思わないのはおかしな話で、ちょっとしたことでも、もっとお客さまに喜ばれるための改善、もっと自分たちが働きやすくするための改善を考える。このくり返しです。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────例えば、どのような改善をなさったのですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">挙げればキリがないほど、いろいろと改善しました。おそらく、500件以上はあるのではないでしょうか。こうして実際に私からいろいろな改善案を出すと、スタッフもアイデアをどんどん出してくるようになるんです。</p>
<div  style="width:560px;">
<p><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/fujiyah_0302_b.jpg" alt="" /><font color="#F5F5F5">・</font><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/fujiyah_0303_b.jpg" alt="" /><font color="#F5F5F5">・</font> <img src="/web_jinzai_magazine/person/images/fujiyah_0304_b.jpg" alt="" /></p>
<p class="fs12 spacing10" style="padding-left:10px;"> （写真左）ロビーの一部を改装した、本館・フロントの近くにあるティーラウンジ。（写真中）ビリヤード場を改装した、ダイニング棟・地下1階にあるカフェ＆レストラン／バー「ヴィクトリア」。いずれも改装によってサービス提供の機会が広がり、スペースの収益化に成功した。（写真右）レストランにはウエイティング客の案内番号を表示する機械を設置。案内の機械化には社内で議論が起こったが、ホテルの営繕スタッフがオリジナルの木製カバーを製作し、"富士屋ホテルらしさ"を保つ工夫を施して導入。待ち時間が予測しやすいなど利用客の利便性が高まり、テーブルの回転率も向上した。</p>
</div>
<p class="fs14 spacing10"><em>────ブライダル事業でなさったように、まず「300組」という目標を立てて、実現するためにはどうすればよいかを考える"逆算"の発想も大切でしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">改革や改善は、すべて逆算の論理ですね。平成20年度は300組、平成21年度は350組の実績を残しました。この4月から始まった平成22年度は、400組という目標を掲げています。婚礼の販促は前年の夏からスタートしますから、どの時期にどんな手を打たなくてはならないのかという期限も逆算する必要があります。いつまでに、何を、誰が責任を持ってやるのかを明確にして、一つひとつ実行していくということです。</p>
<p class="fs14 spacing10">昨年12月にはブライダル事業本部が新設されて、甲府富士屋ホテルなど富士屋ホテルチェーンの他のホテルのブライダル事業も、私が事業本部長を兼務して統括するようになりました。今は、スタッフの意識改革から取り組んでいるところです。</p>
<p class="fs14 spacing10">若いスタッフの中にも、固定観念にとらわれている人がいるんですね。私が「こうしてみたら」ということに、「それは以前にもやってみましたが、効果がありませんでした」という。しかしよく聞くと、一度試しただけで諦めているんです。「ここは、箱根とは地域が違います」というスタッフもいます。そうかもしれませんが、でも同じ日本でしょう。思い込んでいることは本当にそうなのか、過去に試したことは他に工夫の余地がないのか。もう一度考えてみようという話をしています。</p>
</div>
<h3 class="fs18">"伝統"という基盤があるからこそ、新たな挑戦ができる</h3>
<div class="txt"> 
<p class="fs14 spacing10"><em>────今後の課題としてお考えのことをお聞かせください。</em></p>
<p class="alignleft"><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/fujiyah_0201_b.jpg" alt="" /></p>
<p class="fs14 spacing10">富士屋ホテルは133年の歴史のあるホテルですが、見直さなくてはいけない点はたくさんあります。特にハードの部分は、施設のバリアフリー対応など改善課題が多くありますので、一つひとつ対応していかなくてはいけないと考えています。収益力の強化も掲げているテーマの一つです。しかし、いくら魅力的なプランをつくって、見せかけの企画を考えても、おもてなしや料理といった基本ができていなければ、今後、150年、200年と続いていくことはできません。</p>
<p class="fs14 spacing10">その意味では、富士屋ホテルの社是である「至誠（このうえなく誠実な事、まごころ）」と、サービススタンダードである「5S（ファイブS）※」、これを守り続けることが基本中の基本。「富士屋ホテルはサービスがいい」とお客さまにいっていただける"おもてなしの心"、これがすべての基本です。</p>
<p class="fs12 spacing10" style="padding-left:10px;">-------------------------------------------------------------------------------------------------------

--------------------------------------------------<br>
※富士屋ホテルでは、社是である「至誠」を具現化するためのキーワードとして、5つの「S」からなるサービススタンダードを掲げている。<br>
「この5つがあってこそ、お客様に本当に満足していただけるサービスをご提供できると考えます。お客様に心からのおもてなしとおくつろぎのひと時をご提供するために。<br>
Sincerity（心をこめて）<br>
Speedy（迅速に）<br>
Smile（笑顔を絶やさず）<br>
Security（安全に）<br>
Sensibility（目配り・気配り・思いやり）」<br>
──富士屋ホテル・会社案内パンフレットより抜粋<br>
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------</p>
<p class="fs14 spacing10">そのために当ホテルでは、海外派遣研修や各種の内部研修など、さまざまな研修を実施して、人財育成に力を入れています。このところの景況でも教育費は削減していませんので、業界の中でもかなり積極的に注力していると自負しています。</p>
<p class="fs14 spacing10">けれども、仕事の基本を身につけるうえでは、やはり日々の気づきが大切です。座学の研修でいろいろなことを「知る」ことも大切ですが、毎日の基本の部分がないがしろになってはいけません。まずは上司と部下が良いコミュニケーションをとって、OJTを通じていろいろなことを指導することが、一番大切だと思っています。</p>
<p class="fs14 spacing10">富士屋ホテルは130年を超える歴史の中で、基本中の基本である"おもてなしの心"が、先輩方から代々受け継がれていると思うんですね。例えば、お客さまと廊下ですれ違うときには、立ち止まって笑顔で会釈する。こうした富士屋ホテルらしいおもてなしを、次の若い人たちに伝えていかなくてはいけないですね。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────"富士屋ホテルらしさ"は、何を基準に判断されるのでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">明確な基準はありませんが、"おもてなしの心"に加えるとすれば、"品格"でしょうか。133年の歴史が築いた品格は、今後も守り続けなくてはいけないものです。施設を改修するといっても、この地に近代的なホテルがあったのでは、それは富士屋ホテルではありませんよね。この何ともいえない異空間的な建物、こういったものがあってこその富士屋ホテルですから。</p>
<p class="fs14 spacing10">しかし、守り続けなくてはいけないものがある一方で、変えるべきこと、挑戦できることもまだまだあると感じています。当ホテルでは毎年、年度のスローガンを私から発表していまして、一昨年は『改善』、昨年度は『緻密にそして貪欲に』、今年度は『販売チャンスを逃さず、積極果敢にトライ』をスローガンに掲げています。</p>
<p class="fs14 spacing10">『トライ』は寅年とひっかけたのですが（笑）、景気の先行きは依然として不透明ではあるものの、こういうときこそが最大のチャンスなんです。今年の3月には、近くに会員制のリゾートホテルがオープンしましたが、これも絶好のチャンスです。私どもにはフランス料理、日本料理、洋食と3つのレストランがありますし、ティーラウンジやバーもございます。国道に面しているベーカリーとスイーツの店『ピコット』本店は改装を急ぎ、そのホテルの開業に合わせてリニューアルオープンさせました。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────まさに『販売チャンスを逃さず』ですね。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">これに限らず、日々の中でも販売チャンスを逃さないことが今年度のテーマです。2010年はメインダイニングルームが80周年、披露宴会場のカスケードルームが90周年を迎える周年の年でもあり、ブライダルの新しい宴会場も先ごろオープンさせました。今年は、まさにビックチャンスの年です。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────ありがとうございました。</em></p>
</div>
</li>
</ul>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>長寿企業研究──プロフェッショナル集団を育てる&quot;共育の経営&quot;（前編）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/person/2010/05/post-78.html" />
    <id>tag:www.obt-a.net,2010:/web_jinzai_magazine/person//2.515</id>

    <published>2010-05-12T09:00:00Z</published>
    <updated>2010-05-12T05:12:30Z</updated>

    <summary>富士屋ホテル株式会社</summary>
    <author>
        <name>OBT</name>
        
    </author>
    
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        <![CDATA[<ul class="secList">
<li class="clearfix">
<p class="photo"><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/fujiyah_00.jpg" alt="" /></p>
<div class="textArea">
<p class="fs16 spacing10"><em><$MTEntryTitle$><br />
富士屋ホテル株式会社<br />
取締役総支配人<br />
安藤 昭さん</em></p>　
<p class="fs14 spacing10">100年以上に渡って存続し続ける企業の強さの根源を探るシリーズ『長寿企業特集』。第三回目は、日本を代表するクラシックホテル、富士屋ホテルの取締役総支配人　安藤昭さんにお話を伺います。富士屋ホテルは、1878年創業の日本初のリゾートホテル。登録有形文化財でもある由緒ある建物は明治の面影を今に伝え、親子三代に渡って利用する顧客も多い、愛される名門ホテルです。伝統と風格を保ちながらも、世代交代していく顧客を魅了し続ける秘けつは何か。人事制度や組織運営など"ヒトと組織"の観点から、安藤総支配人にじっくりと伺いました。</p>
</div>
</li>
<li>
<p class="fs14 spacing05"><em>富士屋ホテル株式会社</em> （<a href=" http://www.fujiyahotel.co.jp/" target="_blank"> http://www.fujiyahotel.co.jp/</a>）1878年（明治11年）創業。創業者・山口仙之助氏の手により、箱根宮ノ下の地に開業する。1887年には塔ノ沢・宮ノ下間の全長7キロの道路を、私財を投じて開通させ、1893年には水力発電機も開発。インフラを一つずつ整備しながら、ホテルを拡張していった。1930年には、国内初のホテルスクールである『富士屋ホテルトレイニングスクール』を開校。内装の隅々にまで趣向を凝らした建物がホテルの象徴だが、利用客が富士屋ホテルを語るときに必ず言及するのが、"スタッフの心温まるサービス"。チャールズ・チャップリン、ヘレンケラー、ジョン・レノンなど、富士屋ホテルを愛した海外VIPも数多い。1966年には創業家が経営から退き、国際興業グループ入り。富士屋ホテルチェーンとして国内に12のホテル・施設を展開する。<br>
企業データ／資本金：5億372万円、従業員数／1214名（2009年10月末現在）、売上高／130億円（2009年3月末現在）</p>
<p class="fs14 spacing05"><em> AKIRA ANDO </em></p>
<p class="fs14">1959年生まれ。1982年に富士屋ホテルに入社。料飲部門からスタートし、フロントなどさまざまな部署を経験。1990年に社内の留学制度に合格し、国際興業グループが所有するハワイのホテルで1年間、現地のマネジメントトレーニングを受ける。帰国後は、本社の総務部で社員教育を手がける。人材開発課長、経営企画室長、管理本部長などを歴任し、2007年7月から現職。</p>
</li>
<li class="end clearfix">
<h3 class="fs18">創業1878年。133年の歴史を今に受け継ぐ</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────今日は、箱根登山鉄道でこちらまで参りました。箱根湯本から急こう配を登ること26分。鉄道も車もなかった132年前に、この地にホテルを開業されたのは、大変なご決断だったと実感します。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">ええ。ですから、箱根の発展は、道路の整備と深いつながりがあるんです。小田原から箱根の玄関口ともいえる湯本の三枚橋までの道路をつくられたのは、箱根塔ノ沢温泉の福住楼（ふくずみろう）の当時の当主、福住正兄氏。三枚橋から塔ノ沢までの道は、沿道の温泉旅館のご当主たちが、塔ノ沢から富士屋ホテルのある宮ノ下までの道は当ホテル創業者の山口仙之助がつくりました。そして宮ノ下からさらに上、芦之湯までの道は、松坂屋さん（鶴鳴館 松坂屋本店）のご当主がつくられたのです。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────道路といえば"公共工事"というイメージがありますが、当時はみなさまが私財を投じてつくられたのですね。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">道路だけでなく、山口仙之助は火力発電機も導入しましたし、水力発電の合資会社や、地元のバス会社の前身である富士屋自動車株式会社も設立しました。そういったインフラなくしては、ここでのホテル業は成り立たたないんですね。神奈川県の松沢知事も「官から私へ」をテーマの一つに掲げておられますが、当時の箱根の発展はまさに「私」の力によるもの。当時に生きた方が、私財を投じてインフラを整備されたのです。</p>
<p class="fs12 spacing10" style="padding-left:10px;">---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------<br>
※宮ノ下までの道路が開通したのは、開業9年目の明治20年。それまでの間の交通の不便さは想像を絶するほどだったという。「パンや肉類は横浜から馬車で小田原へ運び、朝の食卓に間に合わせるため、毎朝小田原まで人夫を出して運搬した。輸送だけで大変な労力を要したのだ」（富士屋ホテル130周年記念誌「Fujiya Story」より抜粋）<br>
当時の当主たちが建設した道路は、現在は国道一号線として箱根の交通の生命線となっている。<br>
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────ホテル内にある史料展示室も拝見し、歴史を伝えるさまざまな写真や資料、什器などが、関東大震災や太平洋戦争を越えて、残っておられることにも驚きました。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">箱根は昔から保養地だったものですから、戦時中は日本人だけでなく外国の方もたくさん箱根に疎開して、住んでおられました。ですから、空襲を受けなかったんですね。それがなければ、明治のこの建物は残っていないと思います。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────そういったご創業時から伝わるものに囲まれていると、スタッフの方々も、歴史の重みを自然と実感されるのではないですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">毎日16時から行われる館内ツアーでは、担当スタッフは、あたかも自分がその当時にいたかのように話していますからね（笑）。建物や調度品にはそれぞれ由来があり、歴代の皇室や著名な方などのご来館も多くいただいています。そういった歴史は、やはり当ホテルの財産ですね。</p>
</div>
<h3 class="fs18">プロが集まる組織になれば、ホテルは強くなる</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────そういった歴史を受け継がれる一方で、人事制度については平成6年、平成13年、平成18年と、12年間に改定を3回なさっておられます。どういった経緯で制度を見直されたのでしょうか。</em></p>
<p class="alignleft"><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/fujiyah_0201_a.jpg" alt="" /></p>
<p class="fs14 spacing10">人事制度は、その時代、時代で変わるべきものです。制度を一度つくったからといって、10年も20年も使い続けるのではなく、何か問題が出たときにはそれに合わせて制度を変える。そういった発想で、改定を重ねてきたということです。</p>
<p class="fs14 spacing10">平成13年の人事制度改定は、私自身が総務課長兼人事課長時代に、平成18年の改定は総務部長時代に手がけました。平成13年の改定は、"努力した人が報われる"制度にすることが目的でした。平成6年の人事制度改定で職能資格制度を導入したものの給与とリンクしておらず、処遇は年功序列になっていました。それを等級にあわせた号俸と賃金テーブルを導入し、努力してもしなくても賃金が同じという"平等"な制度から、努力した人が報われる"公平"な制度に改めたのです。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────年功序列の弊害が、何か実際に起きていたのでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">当時のホテルの処遇はどこも年功序列だったと思いますが、それではやはり頑張っている人に不満が出ます。もっと認めてもらえる、もっとポジションが与えられるホテルが他にあるとすれば、そこでやってみたいと思う人もいるかもしれません。頑張っていない人は何の不満もないと思いますが（笑）、優秀な人ほどそう思うはずですね。ですから、成果主義を取り入れることで、努力している人たちのモチベーションを高めることが制度改定の狙いでした。</p>
<p class="fs14 spacing10">またホテルには、ベルマンやフロント、ソムリエ、バーテンダー、日本料理や洋食料理の調理人など、さまざまな専門職がいます。専門性として求められることは一律ではなく、必要なスキルや資格はそれぞれの分野で異なります。そういった、それぞれの専門性を高いレベルで習得していなければ、お客さまにプロとしてのサービスはご提供できません。そこで、平成13年の制度改定では、総合職一本だった人事コースを、総合職と専門職の2コース制に改めました。</p>
<p class="fs14 spacing10">さらに、ソムリエやTOEICといった資格取得には報奨金を支給し、専門性を評価する社内資格として「CS1級～3級」というグレードを導入しました。「CS」とは「Customer Satisfaction（顧客満足）」の略です。総合職なら「副主任、主任、係長」と昇進するところを、専門職には「CS」のグレードを付与し、名刺にも「CS1級」などと肩書きを入れて、お客さまにもアピールするようにしました。</p>
<p class="fs14 spacing10">業界で有名なあるベルマンの方は、3000名のお客さまの名前を覚えているそうです。車のナンバーとも一致させて、お車を見ただけで「○○様」だとわかる。すごいことですね。ホテルというのは、プロフェッショナルが集まる組織になることができれば、本当に強くなります。そういった、高い専門性を有する個を育てるために、2コース制を導入したということです。</p>
<p class="fs14 spacing10">ただし人事制度は、社員のやる気を引き出して、それがホテル全体の力につながらなければ、意味がありません。ですから、新制度導入時には、富士屋ホテルチェーンの20近い事業所を一つひとつ回って説明会を開き、制度の目的を説いて回りました。社員が200人いるホテルなら40人ずつ5回開催するなど、一つのホテルが1回では済みませんので、全部で50回は実施したでしょうか。最後には声が出なくなりました（笑）。</p>
</div>
<h3 class="fs18">ホテルと社員が"共に育つ"仕組みを導入</h3>
<div class="txt"> 
<p class="fs14 spacing10"><em>────その制度を、平成18年にさらに改定されました。どのような課題があったのでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">総合職と専門職の2コース制と等級を廃止し、賃金テーブルは係長まで。管理職は3段階のグレードによる年俸制としました。平成13年の制度は、今でも良い仕組みだと思っています。しかし、運用する中ではいろいろな問題も出てくるんですね。</p>
<p class="fs14 spacing10">例えば、ホテルというのは、何をもって仕事の「成果」とするのか、判断が難しいところがあります。先ほどお話したベルマンのように"お客さまの名前を覚える"という人も、ホテルにとっては大切なスタッフです。フロントスタッフの笑顔が、お客さまのリピートにつながることもあります。ホテルの業績が伸びたときに、それが誰の働きよるものか、物差しでは測れない部分があるんですね。</p>
<p class="fs14 spacing10">専門職コースにも、運営上の難しさがありました。熱心な社員は勉強して、ソムリエやTOEICなど、資格をたくさん取るのですが、中には資格取得が目的になっている人もいるんですね。また、「CS1級～3級」という社内グレードでは、保有資格だけでなく人間性なども加味した要件を職種ごとに定義していたものの、判定がなかなに難しい。あまり若いときから競争させると、大切な仕事の基礎がおろそかになる、という懸念もありました。そこで、2コース制と等級を廃止することにしたのです。</p>
<p class="fs14 spacing10">代わりに導入したのが、「共育型・期待伝達制度」です。社員それぞれに期待する「役割」と「成果」を伝え、人事考課では期待に対する達成の度合いを評価の対象とする制度です。</p>
<p class="fs14 spacing10">具体的には、まずは年度の方針を上半期と下半期の二度、社員に向けて私から直接発表します。上半期は前年度の方針に対する達成状況と、当年度の方針を発表し、下半期は達成状況と方針の修正があればそれを発表します。今年度でいえば、「ベーカリー・スイーツ店舗全面改装による売上増」や「メインダイニングルーム80周年記念プランの拡販」などが重点課題。いわばマニュフェストのようなものですね。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────とても具体的な方針ですね。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">「サービスの改善」や「ホスピタリティの向上」といった表現では、ホテルとしてどんな課題に取り組みたいのかが伝わりませんので、私の方針はいつも具体的です。全体方針を発表した次には、管理職に対して各人に期待することを、これも具体的に一人ひとり紙に書いて、私から直接渡します。</p>
<p class="fs14 spacing10">ホテルはさまざまな専門職の集合体ですから、例えばブライダルの担当者に「宿泊稼働率○％アップ」と要望しても、それは本人の持ち場でできることではありません。その期待は予約の担当者に伝え、ブライダルの担当者には「婚礼組数の向上」を具体的な数値目標にするなど、専門分野に応じた期待を伝えています。</p>
<p class="fs14 spacing10">ただし、私からの期待だけではノルマのような強制的なものになってしまいますから、本人にも目標を立ててもらいますが、私としては「あなたにこんなことをしてほしいと思っているよ」という期待を伝えているのです。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────その期待に従えば、各部署での実践の積み重ねが、ホテル全体として目指すことに自然とつながる。まさに「期待を伝えて、共に育つ」制度ですね。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">その通りです。社員の成長が大きな力になって、ホテル全体の成長につながる。そのためには"期待を伝える"というコミュニケーションを大切にしなければいけない。この2つの思いを込めて「共育型・期待伝達制度」と命名した制度です。</p>
<p class="fs14 spacing10">ホテルの事業運営をする立場になって、これはとてもいい方法だと実感しています。レストランを守る人、お客さまをお迎えする人...と、ホテルにはいろいろなスタッフがいます。その人たちに期待することを伝えれば、自分たちなりに考えて実行し、富士屋ホテルが本当にいいホテルになっていく。こんなに素晴らしいことはないと思いますね。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>組織が抱える問題にスピーディに手を打つ富士屋ホテルでは、そのときどきの課題に応じて人事制度を柔軟に改定してきました。しかし人事制度には、いくら仕組みを練り上げても、制度そのものが組織を硬直化させる原因にもなるという課題が内在しています。制度を"活きた仕組み"にし、組織の活性化や人財育成に結び付けるにはどうすればよいのか。後編では安藤総支配人の組織運営術を伺います。</em></p>
</div>
</li>
</ul>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>長寿企業研究──社員の力を引き出す&quot;幸せの経営&quot;（後編）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/person/2010/04/post-77.html" />
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    <published>2010-04-21T01:00:00Z</published>
    <updated>2010-06-09T07:33:54Z</updated>

    <summary>株式会社船橋屋</summary>
    <author>
        <name>OBT</name>
        
    </author>
    
        <category term="この人に聞く" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/person/">
        <![CDATA[<ul class="secList">
<li class="clearfix">
<p class="photo"><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/funabashiya_00.jpg" alt="" /></p>
<div class="textArea">
<p class="fs16 spacing10"><em><$MTEntryTitle$><br />
株式会社船橋屋<br />
代表取締役社長<br />
渡辺雅司さん</em></p>　
<p class="fs14 spacing10">不況が長引く中で、持ちこたえる会社とダメージを受ける会社は、何が違うのか。困難に社員一丸となって立ち向かう会社と、難題を前に士気を失う会社の分かれ道はどこにあるのか。『この人に聞く』では、企業存続の秘けつを探るために、今回からシリーズで『長寿企業研究』をお届けします。第一回目にご登場いただくのは、創業205年の歴史を誇る和菓子の老舗、船橋屋。江戸の昔から受け継ぐ『くず餅』の味を守り続け、昭和27年に法人化して以降、1期の赤字も出さずに成長してきた驚異の企業です。変化する時代の中で伝統を守り続ける経営の極意を、8代目当主・渡辺雅司さんに伺いました。</p>
</div>
</li>
<li>
<p class="fs14 spacing05"><em>株式会社船橋屋</em> （<a href=" http://www.funabashiya.co.jp/" target="_blank"> http://www.funabashiya.co.jp/</a>）1805年創業。下総船橋出身の初代勘助が、亀戸天神の参道に創業。出身地の地名をとり、屋号を『船橋屋』とする。独自に開発した『くず餅』は、葛粉を使う関西の葛餅とは違い、小麦粉を乳酸菌で発酵させたもの。厳選した小麦粉の澱粉質を450日間という長い年月をかけて発酵・熟成させてつくり上げる。保存料や添加物は一切加えないため、賞味期限はわずかに2日間。効率が優先される今の時代にあって、頑固なまでに『本物』にこだわり続けている。その味を愛して、亀戸本店には吉川回英治氏や芥川龍之介氏らの文豪も通い詰めた。1952年に法人化、2005年には創業200年記念店舗『こよみ』 を東京・広尾にオープンし、新感覚の『和』のスイーツを展開するなど、伝統と新進を融合させた経営に取り組む。<br>
企業データ／資本金：2000万円、従業員数／160名、売上高／14億円（2009年3月末現在）
</p>
<p class="fs14 spacing05"><em> MASASHI WATANABE </em></p>
<p class="fs14">1964年生まれ。1986年に大手都市銀行に入行。融資業務やディーリング業務、法人営業などを手がけた後、1993年に船橋屋に入社。専務取締役時代から、業界初となるISO9001の認証を取得するなど、伝統を守り続けるための経営改革に着手。2008年8月に代表取締役に就任する。</p>
</li>
<li class="end clearfix">
<h3 class="fs18">経営の孤独の中で見つけた、究極の答え</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────社内が思うように活性化しないという状況（前編参照）の中で、どのような「経営の原点」を見つけられたのでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">まず気づいたのは、問題の原因は私にあったということです。私はそれまでずっと、社員に対して「なぜ私の指示がわからないのか」、「なぜできないのか」ということばかりいっていた。まさに、ここに原因があったんです。</p>
<p class="fs14 spacing10">どういうことかといいますと、例えば目玉焼きを食べるときに塩を使う人、ソースを使う人、醤油を使う人と色々ですよね。それは人それぞれが持つ価値観で他の人が決めるものではありません。一見当たりまえのことなんですが、私はソースで食べるのが絶対だと思い込み、「醤油をかけるなんて非常識」と言う。社員は「醤油が美味しいのに社長がソースだというので機嫌を損ねるのでそうしておこう」となりコミュニケーションを絶ち思考を停止したうえで指示を待つようになる。それに対し「なんて自主性がないんだ」と憤る。このような価値観の押しつけによる弊害が結構起きていたのです。</p>
<p class="fs14 spacing10">でもそれは、天に向かって唾を吐くのと同じで、すべて自分に返ってきます。会社の業績は伸びましたが、幸せではないんですね。どんどん孤独になっていくんです。それに気がつかないで、「なぜ私の言うことがわからないのか」と、ずっとガリガリやってきたわけです。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────その問題を、どのようにして解決されたのでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">自分を変えるために大切なのは、己を知るということ。自分が抱えている問題に気づくということです。ただし自分で自分に気づくのは難しいですから、第三者に指摘してもらう必要があります。私も、ある方に指摘されたことで自分の問題に気がつきました。その意味では、メンターを持つということは、経営者にとって大切な事だと思いますね。</p>
<p class="fs14 spacing10">では問題に気づいたとして、自分をどう変えていくか。これは、自分にしかできないことなんですね。人に自分を変えてもらうことはできません。変わりたいと強く願うことが、すべての出発点です。過去は変えられないけれど、これからの生き方は選べる。だったら、一度しかない人生をどう生きるかを考えたんです。そして、社員を見る目や接し方を変えていきました。</p>
</div>
<h3 class="fs18">"幸せの経営"で、社員の成長意欲を引き出す</h3>
<div class="txt"> 
<p class="fs14 spacing10"><em>────人財観は、どのように変わられたのでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">『社員満足なくして、顧客満足なし。顧客満足なくして成長なし』ということが、当社の経営の根幹目的。社員が自己成長できる環境を提供したいということを、ずっと考えてきました。そのために必要なのは、まずは社員に対して「キミは今のままで大丈夫だよ」と言ってあげることなのだということに気がついたんです。</p>
<p class="fs14 spacing10">社員が社長の顔色を伺って、社長が喜ぶことをしようとする。これは、経営者がそういう経営をしているからでもありますが、突き詰めて考えると、子どものときに親の顔色を伺っていたのと同じことなんですね。といっても何も特殊なことではなくて、誰でも多かれ少なかれ、幼少期にそういう体験があるはずです。その延長線上のまま大人になった人には、自分に自信がない、人に対してものが言えない、自分から一歩を踏み出すことができないという人が多い。だから経営者は、それに対してこう言ってあげればいいんです。「誰の顔色も見なくていい。今のままで大丈夫だよ」と。</p>
<p class="fs14 spacing10">先ほども言いましたように、人が人を変えることはできません。「なぜ私の指示がわからないんだ」と叱りつけても、そういった外的な圧力で人を変えることはできないんです。自分を大切にするということに目覚めさせて、自分のために自分を変えたい、成長したいと強く願うようにサポートする。これが、人づくりの根幹なのです。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────社員の方々への接し方を変えるのは、勇気がいることでもありますね。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">自分の根っこを変えるわけですから、勇気はいりますね。でも、変化できなければ経営者としては失格です。ただ、社員にはすぐには受け入れられないだろうなと思っていました。今までハードなマネジメントをしていた社長が、"愛"だの何だの言いだすわけですから（笑）。実際、みんなが戸惑っているのがわかりましたしね。それに対して、私ができることは一つ。実践あるのみです。行動で示して、自分たちが幸せになった、自分たちの心が強くなったと実感したときに、社員は初めて納得してくれるんです。</p>
</div>
<h3 class="fs18">仕事は、人生の目的を達成するためにある</h3>
<div class="txt"> 
<p class="fs14 spacing10">そのために、まずは社員と一対一でじっくり話をしました。彼らの生い立ちやこれまでの生き様も聞いた。そして「今のままで大丈夫」というメッセージを伝えたら、次に話すのは「人生の目的を持つという」ということです。『目的』とは、何のためにこの世に生まれたのかということ。自分が生を受けた意味は何かを、よく考えるということです。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────それは考えて見つかるものでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">究極の答えは、一つに行き着くんです。それは、『幸せになる』ことです。それも『物心両面で幸せになる』こと。自分が幸せになることで周囲にも良い影響を与え、そのことでまた自分が幸せになる。これが、生きることの意味。当社の経営目的もそこにあるんです。</p>
<p class="fs12 spacing10" style="padding-left:10px;"> ----------------------------------------------------------------------------------------------------<br>
船橋屋には200年を超えて受け継がれる『社訓』があり、<br>
それを今の時代に置きかえた『経営理念』と『経営目的』が明文化されている。<br>
<br>
 [社訓] <br>
売るよりつくれ<br>
浮利を追うな<br>
<br>
[経営理念] <br>
く・ず・も・ち　ひと筋真っ直ぐに<br>
くじけない心意気<br>
ずっと磨き続ける自慢の商品<br>
もっと良いを実現する経営体制<br>
ちから強く全力で目標達成する人財<br>
<br>
[経営目的] <br>
私たちは、「仕事を通じて自己成長」をしながら<br>
「妥協のない商品づくり」と「真心を込めたおもてなし」<br>
を常に実践し、お客様の「美味しい！」という笑顔を頂きます。<br>
そして、この事業活動を通し心豊かな社会の実現に貢献することで<br>
私たち自身も物心両面の豊かな人生を送ります。<br>
----------------------------------------------------------------------------------------------------</p>
<p class="fs14 spacing10">目的が明らかになれば、次は目標です。ワタミの渡邉（美樹）会長がよくおっしゃっているように、『夢に日付をつける』ということですね。何を年次の目標とし、具体的に何をしていくのか、つまり、生きる目的を会社の中でどう実現するのかを、明らかにしていくということです。プロジェクトは、そのための手段の一つなんです。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────目的が明確になって初めて、"仕組み"が生きるのですね。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">そうです。人生の目的に気づかせることと、目的を実現するための環境を用意すること。この両輪を回すことが、経営の根幹なのです。自分が何のために生きているのかわからないままに会社に属し、『対前年○％アップ』などと、目標を達成することだけが求められるとすれば、こんなに辛いことはないと思います。</p>
</div>
<h3 class="fs18">真の社員満足は、自己成長にある</h3>
<div class="txt"> 
<p class="fs14 spacing10">『社員満足なくして、顧客満足なし。顧客満足なくして成長なし』。当社はこのテーマを追求し続けていますが、『満足』は人が与えてくれるものではありません。自分の成長を実感することによって、自分で納得するもの。他責ではなく、自責で生きることによってしか、得られないものです。</p>
<p class="fs14 spacing10">社員満足度を高めるために、福利厚生を充実させる、オフィスをきれいに改装するといった話も聞きますが、それも方法の一つではあるものの、真の社員満足は自己成長にあるんです。ですから逆説的なのですが、私は社員が辞表を持ってくると「やっと来たか」と喜ぶんですよ（笑）。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────それは、なぜでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">辞めたいと思うということは、逃れたいほどの苦しみの中にいるということ。これは、成長する大きなチャンスです。平凡に生きていたのでは、人は変わりません。今までの自分の殻から出ようとしているから苦しいわけです。そうして本当に切羽詰まって、もう打つ手がないと思ったときに、初めて知恵が生まれるんです。ですから、「やっと辞表を持ってきたか。待っていたよ」と。社員は意表を突かれた顔をしますが（笑）、私はそう言って迎えます。</p>
<p class="fs14 spacing10">そして、本人とじっくり話します。その結果、思いとどまった人は、間違いなく大きく成長しますね。現に、幹部として当社を支えてくれている社員は、一通り辞表を提出してきましたから（笑）。辞表を書かないまでも「辞めたい」と騒いでいると耳に入ってきた人もいましたが（笑）、その後にしっかりと乗り越えて大きく成長してくれている。そうやって見守ることができるのも、私自身が過去に苦しみ、悩んだ経験があって今があるから。苦しみなくして、成長はないということです。</p>
<p class="fs14 spacing10">日常業務にも、私はあまり口を出さないと決めています。社長としての権限を行使するのは、商品の安全に影響を及ぼすような事態が起こったときだけ。それ以外は、社員が自分の意思で動くことができ、自己成長を実感できる組織にならなくては、本当の社員満足は成しえないのです。</p>
<p class="fs14 spacing10">自己成長し続けられる組織にするために、昨年は評価制度にも手を入れました。月々の給与は、『行動』に連動させて決定します。そして、賞与にあたる業績給は完全に『業績』にリンクさせる。業績給は月給に係数をかけて算出しますから、『行動』と『業績』のどちらも追求する仕組みにしたということです。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────『業績』は数字で表わすことができますが、『行動』は何を基準に評価されるのでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">当社では『8つの基本行動』を定めています。経営目的を達成するために、つまり、われわれが幸せになるために、8つの行動を実践しようということです。</p>
<p class="fs12 spacing10" style="padding-left:10px;"> ----------------------------------------------------------------------------------------------------<br>
 [8つの基本行動] <br>
1	私たちは経営目的を満たす定量化出来る目標を設定します<br>
2	私たちは物事を前向きに捉え積極的に行動します<br>
3	私たちは約束したことを必ず守ります<br>
4	私たちは過去の習慣にとらわれず常に改善をします<br>
5	私たちは事前準備を整え時間を有効に使います<br>
6	私たちは惜しまず成長の為の自己投資をします<br>
7	私たちは「共に勝つ」の気持ちで周囲に心を配ります<br>
8	私たちは仲間の成長を願い自分の一番得意な仕事を教えます<br>
----------------------------------------------------------------------------------------------------</p>
<p class="fs14 spacing10">社員が自己成長することで会社の業績も伸び、お客さまにも支持していただける。そういった『共に勝つ』組織をつくりたい。これが、私が目指す理想の組織のあり方です。</p>
</div>
<h3 class="fs18">『売るよりつくる』ことが、長寿の秘けつ</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10">205年前に初代勘助が残した当社の社訓は、『売るよりつくれ』というもの。『つくる』という言葉には、たくさんの意味が込められているということを、今、改めて実感しています。『安全をつくる』、『人の心をつくる』...くず餅という商品をつくることを通して、われわれはいろいろなものをつくっているんです。そのことを真摯に受け止めて、正直に、まっすぐにやっていきたい。その思いを込めたのが、『く・ず・も・ち　ひと筋真っ直ぐに』という経営理念です。</p>
<div class="alignright" style="width:150px;">
<p><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/funabashiya_0501_b.jpg" alt="" /></p>
<p class="fs12 spacing10" style="padding-left:10px;">船橋屋の新卒採用パンフレット。『老舗』のイメージをいい意味で裏切る"漫画仕立て"で、会社の沿革や経営理念を解説。ユニークな表現から、同社の自由な社風が伝わってくる。</p>
</div>
<p class="fs14 spacing10">伝統の美味しさを次の時代に伝えるために、会社は大きく変わりました。今では、社員がそれぞれ自分の夢や目的を持ち、目標を達成するために、自分たちで考えて動いてくれています。組織横断のプロジェクト活動も、ISO9001の認証取得後に立ち上げた『品質管理プロジェクト』を皮切りに、『高度衛生管理システムプロジェクト』、『老舗ブランディングプロジェクト』、『社員活性化プロジェクト』、『適正消費プロジェクト』、『可視化プロジェクト』の6つが稼働中です。昔は、「どうしてみんな、私の言うことがわからないのか」と思っていたのが、今は、「こんなにすごい社員が集まっている」と、心の底から思うんです。それは、私が変わったからなんですね。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────渡辺社長が目指される組織の状態を『10』とすると、今はどの程度まで近づかれたと思われますか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">まだまだ道半ば、5点といったところでしょうか。私自身について言えば、まだ4点くらい。こうして聖人君子のようなことを言っていますが（笑）、いまだに「どうしてできないの」と言ってしまうこともありますので...。目標は、引退するときに理想のレベルに達していること。年齢を重ねるごとに自分を変えて、人生を振り返ったときに、私と出会えたことで自分が変わったと言ってくれる人が、一人でも多くいてくれればいいなということが、私の願いなんです。</p>
<p class="fs14 spacing10">組織としては、今の取り組みをさらに続けて、より一層の磨きをかけていきたいと思っています。ゆくゆくは、京セラの稲盛和夫名誉会長が提唱されている『アメーバー経営』も取り入れる予定。さまざまなプロジェクト活動も、その布石として行っているものです。社員一人ひとりが主役になって、共に夢を追いかけて一緒に幸せになれる。そんな会社をつくりたいと思っています。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────ありがとうございました。</em></p>
</div>
</li>
</ul>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>長寿企業研究──社員の力を引き出す&quot;幸せの経営&quot;（前編）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/person/2010/04/post-76.html" />
    <id>tag:www.obt-a.net,2010:/web_jinzai_magazine/person//2.503</id>

    <published>2010-04-07T09:00:00Z</published>
    <updated>2010-06-09T07:31:05Z</updated>

    <summary>株式会社船橋屋</summary>
    <author>
        <name>OBT</name>
        
    </author>
    
        <category term="この人に聞く" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/person/">
        <![CDATA[<ul class="secList">
<li class="clearfix">
<p class="photo"><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/funabashiya_00.jpg" alt="" /></p>
<div class="textArea">
<p class="fs16 spacing10"><em><$MTEntryTitle$><br />
株式会社船橋屋<br />
代表取締役社長<br />
渡辺雅司さん</em></p>　
<p class="fs14 spacing10">不況が長引く中で、持ちこたえる会社とダメージを受ける会社は、何が違うのか。困難に社員一丸となって立ち向かう会社と、難題を前に士気を失う会社の分かれ道はどこにあるのか。『この人に聞く』では、企業存続の秘けつを探るために、今回からシリーズで『長寿企業研究』をお届けします。第一回目にご登場いただくのは、創業205年の歴史を誇る和菓子の老舗、船橋屋。江戸の昔から受け継ぐ『くず餅』の味を守り続け、昭和27年に法人化して以降、1期の赤字も出さずに成長してきた驚異の企業です。変化する時代の中で伝統を守り続ける経営の極意を、8代目当主・渡辺雅司さんに伺いました。</p>
</div>
</li>
<li>
<p class="fs14 spacing05"><em>株式会社船橋屋</em> （<a href=" http://www.funabashiya.co.jp/" target="_blank"> http://www.funabashiya.co.jp/</a>）1805年創業。下総船橋出身の初代勘助が、亀戸天神の参道に創業。出身地の地名をとり、屋号を『船橋屋』とする。独自に開発した『くず餅』は、葛粉を使う関西の葛餅とは違い、小麦粉を乳酸菌で発酵させたもの。厳選した小麦粉の澱粉質を450日間という長い年月をかけて発酵・熟成させてつくり上げる。保存料や添加物は一切加えないため、賞味期限はわずかに2日間。効率が優先される今の時代にあって、頑固なまでに『本物』にこだわり続けている。その味を愛して、亀戸本店には吉川英治氏や芥川龍之介氏らの文豪も通い詰めた。1952年に法人化、2005年には創業200年記念店舗『こよみ』 を東京・広尾にオープンし、新感覚の『和』のスイーツを展開するなど、伝統と新進を融合させた経営に取り組む。<br>
企業データ／資本金：2000万円、従業員数／160名、売上高／14億円（2009年3月末現在）
</p>
<p class="fs14 spacing05"><em> MASASHI WATANABE </em></p>
<p class="fs14">1964年生まれ。1986年に大手都市銀行に入行。融資業務やディーリング業務、法人営業などを手がけた後、1993年に船橋屋に入社。専務取締役時代から、業界初となるISO9001の認証を取得するなど、伝統を守り続けるための経営改革に着手。2008年8月に代表取締役に就任する。</p>
</li>
<li class="end clearfix">
<h3 class="fs18">銀行員時代に、経営の原点を見つける</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────渡辺社長は、大手都市銀行でのご勤務を経て、船橋屋様にご入社されました。経営を継承されるということは、ご自身の中では早くから決心されていたのでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">父は何も言いませんでしたが、「いずれ継ぐのだろうな」という自覚は子どもの頃からありました。ただ、そうであったとしても、外の世界を知っておくべきだというのが父の考え。ですから、私は本店がある亀戸には、生まれたときの3年間と結婚してからの2年間を除いては住んだことがないんです。小学校卒業までは千葉県・船橋市の自然の中で過ごし、その後は麹町と、亀戸からは離れた地域で育てられました。銀行に入行したのも、経済の流れを広く知るため。銀行ではさまざまな企業の案件審査も担当させていただきましたが、船橋屋は貸借対照表も損益計算書も、一度も見たことがなかったんです（笑）。</p>
<p class="fs14 spacing10">銀行に勤務したのは、1986年から1993年というまさにバブル時代。最後の2年間は銀座支店に配属になり、銀座6､7､8丁目という日本で一番難しいといわれる地域を担当しました。今のようにブランドチェーンが入ってくる前の時代です。銀座がこれからどう生き残っていくかという仕掛けをいろいろとお手伝いさせていただき、もう楽しくて、日曜日の夜になると「今週は何を提案しようか」とワクワクしていました。</p>
<p class="fs14 spacing10">その一方で、浮き沈みにもたくさん接しました。バブルの絶頂期から崩壊までですから、それはもういろんなことがありました。札束で相手を叩くようにしていた人が次々と消えていった。私は当初、『ヒト、モノ、カネ』の中で、『カネ』が経営の根幹だと思っていたのですが、これはどうも違うな、と。大切なのは商品である『モノ』であり、モノをつくる『ヒト』なのだということに、思いが至ったのです。ここで学んだことが、今の私の経営の原点につながっています。</p>
</div>
<h3 class="fs18">待っていたのは、親方が絶対の"職人の世界"</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────そして1993年に船橋屋様ご入社されました。会社の第一印象は、どのようなものでしたか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">ひと言でいえば、"職人の会社"ですね。工場には、昔ながらの職人さんがたくさんいまして、一番驚いたのは夕方の4時でも親方が「酒を飲もう」といったらみんなで飲み始めてしまうこと。「今日の仕事は終わったんだからいいだろう」というわけです。親方の言うことが絶対で、若手は黙ってついて行くという世界ですね。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────厳しい徒弟制度は、日本古来の伝統文化でもあるように思います。その職人世界のあり方に、問題を感じたということでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">そうですね...。職人さんたちが、頑固なまでに昔ながらの製法を守り続けてくれているからこそ船橋屋の歴史があります。当社の社訓は、「売るよりつくれ」というもの。これは、初代勘助が残した言葉であり、利益の追求に走らず、こだわったものづくりをすることが、商売の永続につながることを諭した言葉です。社内に入ってみて、その伝統を実践し続けることの重みを改めて強く感じました。</p>
<p class="fs14 spacing10">ただその一方で、今の慣習を続けたのでは、若手が自分の思考を奪われてしまうことになりかねないのではないかという危機感を抱いたんです。また、まだ今のように『食の安全』がいわれる前のことではありましたが、いずれ『伝統の製法』という以上のことが求められる時代がくる。船橋屋の伝統は守りつつも、工場の管理など、いろいろな面で近代化や合理化も必要になるのではないかということも、同時に感じました。</p>
</div>
<h3 class="fs18">古くからの取引先も、社員も、聖域を設けずに改革</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────最初に手をつけたのは、どのようなことだったのでしょうか。</em></p>
<p class="alignright"><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/funabashiya_0301_a.jpg" alt="" /></p>
<p class="fs14 spacing10">新人の私が何をいっても耳を貸してもらえないと思いましたので、5年間は黙々と働こうと決めました。その間に現場にも積極的に出て、課題を自分なりに整理したうえで、5年後にまず手を付けたのは経費の削減と合理化です。具体的には、これまでおつき合いのあった業者さんとの関係をすべて見直していきました。小豆屋さん、砂糖屋さん、寒天屋さん、折り箱屋さん...と、戦前・戦後を通じて当社を支えてくださった業者さんがたくさんありましたが、残念ながら今もお取引を続けているのはわずかです。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────どういった観点で見直しをされたのでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">例えば、砂糖や小豆の価格は、通常なら市場の変動相場で決まります。それが、バブル時代に高騰した価格のまま据え置きになっていたんですね。「価格を変動制にしてください」とお願いすると、「それでは安定供給できない」とおっしゃる。「他社の見積りも検討しています」とお話しても、「うちはできません」と。そこで苦渋の決断でしたが、お取引先を替えていったのです。</p>
<p class="fs14 spacing10">私は銀行でバブルを経験しましたので、これからは大変な不景気がくると予想していました。『山が高ければ谷深し』、です。現に、銀行を辞める少し前から、経済は悪化し始めていました。そのディフェンスをどうするかということが、念頭にあったんです。当時はバブルの余熱がまだあった時期で、そこまで考える人は少なかったと思いますが、私には大きな危機感があった。ですから、一気に手を入れたのです。</p>
<p class="fs14 spacing10">古くからの社員の中には、反発して退職していった人もいましたが、それもやむなしと受け止めました。もちろん、今も残って支えてくれている人もいます。当社は基本的には定年がなく、本人が「もう勘弁してください」というまで頑張ってもらうんです（笑）。今も、最高齢は70歳の社員が2人、頑張ってくれていますよ。</p>
</div>
<h3 class="fs18">"魂"のない仕組みは、ただの"箱"にすぎない</h3>
<div class="txt"> 
<p class="fs14 spacing10"><em>────当時の社長（7代目当主、渡辺孝至・現会長）とお考えがぶつかることはありませんでしたか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">私から見た会社の現状と課題を伝えたうえでのことでしたので、会長も理解してくれました。それはありがたかったですね。進め方が厳しいのではないかといわれたこともありましたが、私にはこれからの時代の変化に対応する会社をつくりたいという強い思いがあった。ですから、取引先の見直しといった改革を進めていったのです。</p>
<p class="fs14 spacing10">次に、現場の社員も経営に参加できる組織をつくりたいと考えて、2001年にISOの認証取得に向けたプロジェクトを立ち上げました。職人の勘がモノをいう伝統的な和菓子の製法でISOを取得するのは大変な挑戦でしたが、いくつもの困難を乗り越えて2003年にISO　9001の認証を取得。そして、これをきっかけに品質管理プロジェクトや高度衛生管理システムプロジェクトなどのプロジェクトを立ち上げ、組織を横断するチームによる全員参加型の経営に向けて動き出しました。</p>
<p class="fs14 spacing10">しかし、見ていると、どうも参加している社員に元気がない。神輿でいえば"魂"が入っていない状態と言いますか、プロジェクトという"箱"はつくったものの、うまく機能していないんですね。なぜうまく回らないのだろうと、悩む日々が続きました。問題を確信したのは、社員活性化プロジェクトという3つ目のプロジェクトをつくったときのこと。メンバーから、「社員満足度が低い」という指摘を受けて、愕然としたんです。</p>
<p class="fs14 spacing10">それまでも、手がけてきた改革に対する葛藤はありました。これで本当に正しいのだろうか、と。現に、社内も思うように活性化していない。眠れない夜が続き、どうにもこうにも窮したときに、私は、経営の根幹に関わる究極の答えを見つけたんです。これを機に私自身は大きく変わりましたし、会社も変わりました。このときに見つけた答えが、私の経営のすべての原点になっているんです。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>バブル崩壊後、どの企業も大きなパラダイム転換を強いられた時代に200年の伝統を受け継ぎ、今も未曾有の世界同時不況の中、経営の舵を取る渡辺社長。「経営の原点」と語るのは、どのようなことなのでしょうか。後編では、渡辺社長の経営観、人財観を伺います。</em></p>
</div>
</li>
</ul>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>急成長企業の人財育成──&quot;効率化するもの&quot;と&quot;しないもの&quot;（後編）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/person/2010/03/post-75.html" />
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    <published>2010-03-24T09:00:00Z</published>
    <updated>2010-03-24T04:55:47Z</updated>

    <summary>株式会社アイケイコーポレーション</summary>
    <author>
        <name>OBT</name>
        
    </author>
    
        <category term="この人に聞く" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/person/">
        <![CDATA[<ul class="secList">
<li class="clearfix">
<p class="photo"><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/ikco_00.jpg" alt="" /></p>
<div class="textArea">
<p class="fs16 spacing10"><em><$MTEntryTitle$><br />
株式会社アイケイコーポレーション<br />
取締役副社長<br />
大谷真樹さん</em></p>　
<p class="fs14 spacing10">長引く不況下で、「経営の効率化を推し進める」といった表現が経済誌や企業各社の株主通信などに頻出するようになりました。しかし例えば、短期的な費用対効果を重視しすぎると長期的な投資が後手に回るなど、何かを効率化すれば必ず副作用もあるもの。万能の効率化策はありません。では、"効率化するもの"と"しないもの"をどう見極めるのか。1994年に創業し、2006年には東証二部上場を果たしたオートバイ買取専門店「バイク王」を運営するアイケイコーポレーションでは"目的に対する合理性"を基準に、"効率化"と"非効率化"が人財育成を始めとする経営のあらゆる場面で巧みに使い分けられています。同社取締役副社長　大谷真樹さんにお話を伺いました。</p>
</div>
</li>
<li>
<p class="fs14 spacing05"><em>株式会社アイケイコーポレーション</em> （<a href=" http://www.ikco.co.jp/" target="_blank">http://www.ikco.co.jp/</a>）</p>
<p class="fs14 spacing20">1994年創業。取締役会長 石川秋彦氏と代表取締役社長 加藤義博氏が、オートバイの買取専門店「メジャーオート有限会社」を共同出資で設立。翌年から、1法人・1ブランド・1店舗の多ブランド戦略を掲げ、グループ会社を次々と設立する。1998年にグループ会社の総合コンサルティングを目的に、株式会社アイケイコーポレーションを設立。その後、経営の効率化を図るために2001年から2003年にかけてグループ会社を順次アイケイコーポレーションに統合。店舗名を「バイク王」に統一する。2005年にジャスダック、2006年に東証二部に上場。2009年に「バイク王」100店舗を達成。「オートバイライフの総合プランナー」を目指して、オートバイ買取に加えて、オートバイ小売販売、オートバイ駐車場事業、パーツ販売などを幅広く展開する。<br>
企業データ／資本金：585百万円、従業員数／923名(2009年8月末日現在、連結) 、販売台数(買取販売)／155,914台(2009年8月期)</p>
<p class="fs14 spacing05"><em> MAKI OTANI </em></p>
<p class="fs14">1971年生まれ。代表取締役社長 加藤義博氏は、小学校・中学校の同級生。1992年に外食企業・株式会社ル・グランに入社。1995年以降、グループ会社の有限会社オーケイ、有限会社バイク王、有限会社モトガレージオープンの設立に参加し、取締役、代表取締役に就任。その後グループ会社統合にともない、2000年に株式会社アイケイコーポレーションに入社。2001年取締役に、2007年副社長に就任。営業本部と教育研修室を管掌</p>
</li>
<li class="end clearfix">
<h3 class="fs18">社員一人ひとりと向き合い、「1000名の壁」を乗り越える</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────社員数が1000名近くなり、急に意思統一が難しくなってきたという課題（前編参照）に対して、どのような手を打たれているのでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">今、管理職に対して取り入れているのは、何事もフォローを徹底するということです。例えば、管理職を集めて何かの講義を行ったとしましょう。昔はそれで終わりでしたが、今は、出席者に後日アンケートを取ります。その内容を見て、講義で伝えたことを理解していない人、これは危ないなと思う人は、すべて個別にフォローアップをしています。</p>
<p class="fs14 spacing10">そして、フォローするための編成チームも立ち上げました。グループ会社の取締役や社員教育を担当する教育研修室のスタッフなど、組織横断でメンバーを集めたチームが、アンケートの実施から記入内容のチェック、その後のフォローまでのすべてを担当します。フォローが必要な人に対しては、本社に呼ぶかスタッフが店舗を訪ねるなどして、マンツーマンで再講義し、理解できたという状態にまでもっていく。そのうえで、フォローアップの対象が営業サイドの管理者であれば、営業本部にバトンタッチする。組織の指揮命令系統とは異なりますが、今はそういうやり方を取っています。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────個別にフォローすることは、ご本人の今後の自覚を促すことにもつながりますね。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">アンケートを取ることも事前に伝えていますので、あらかじめ心構えはできていると思います。それでも「その話は聞いていません」ということも往々にしてあるんです。それを放置したのでは、管理職を集めて講義をした意味がありませんから、やはり何らかのフォローはせざるを得ないと思います。ですから最近は、何かを伝えてそれで終わりという方法は、まず取らないですね。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────社内の意思を統一するためには、管理職の役割は大きいですね。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">階層を分ければ分けるほど伝言ゲームが難しくなりますから、管理職はキーマンでありネックにもなるポジションです。ですから情報伝達に関しては、組織のラインを通して･･･という理想形だけに頼ることはしなくなりました。もちろん、初期の伝達はそこに頼りますが、それで完全に伝わるだろうという考えをしなくなりましたね。</p>
<p class="fs14 spacing10">例えば、私の下に本部長、その下に副本部長、次にマネージャーという階層がありますが、本部長に伝えて終わりではなく、必ず週に1度、マネージャー以上を集めたミーティングを持っています。伝えたことがしっかり伝達されているかを、週に1度必ず確認するということです。次はそこからまた、マネージャーからシニアリーダー、シニアリーダーから店長へという伝達がありますが、これも伝えて終わりではなく、伝達事項が行き届いているかどうかを、先ほどお話した編成チームが一般社員にヒアリングをかける。このフォローに、今は非常に重きを置いています。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────そういったフォローが重点課題になっている背景には、組織が急拡大して管理職への昇進昇格スピードが速まった、などのご事情もありますか？</em></p>
<p class="fs14 spacing10">それはありますね。2009年8月に「バイク王」が100店舗を達成するまでは、かなりの急ピッチで出店しましたので、人事考課での評価が追いつかないくらいのスピードで昇格してもらわないといけませんでした。新卒2年目で店長になる人も多く、実力が伴わないまま店長やシニアリーダー、マネージャーになったケースもあったと思います。</p>
<p class="fs14 spacing10">一方で、こうした登用は当社の社風によるところもあります。完全な状態にまで育成してから管理職にする企業もあれば、成長の期待を込めて任命する企業もあり、当社はまさに後者のケース。期待を込めた分、本人を成長させるのは会社の役目になる。そういったスタンスでいます。</p>
</div>
<h3 class="fs18">手間を惜しんでいては、人は育てられない</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────人財育成についてもお聞きしたいのですが、多店舗展開を機に教育研修体系を構築されたと伺いました（前編参照）。しかし、研修効果が見られず、研修の限界を感じる企業も少なくありません。研修で人を育てることはできるのでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">どこまでを「研修」と捉えるかによると思いますね。ただ受講してもらうだけでは、まったく効果はないと思います。まず、どんな研修を受講したのかを上司が知っていることが重要です。さらに、研修内容と上司の指導内容が一致しなければいけませんし、指導内容がその通りにずっと一貫していなくてはいけない。しかし人間がすることですから、その保証はありません。ですから当社では、研修して終わりではなく、研修で教えたことが現場で実行されているのか、そのフォローまで行います。組織内の情報伝達のフォローを重視しているように、研修もフォローが必ず必要だということです。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────研修のフォローは、どなたがどのようにされるのですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">まさに今年から始めようとしているところですが、研修の2、3カ月後を目途に教育研修室のスタッフが店舗を訪問し、受講内容を覚えているかを、研修に参加したスタッフにヒアリングします。ただし、"覚えている""理解している"というだけでは不十分。実行していることが重要ですから、例えば査定に一日同行するとか、店舗での店長とスタッフのやり取りを確認するなどして、問題がないということを判定する。そういったフォロー策を考えています。また、管理職が研修内容に沿った指導をしていることも重要ですから、管理職に対するフォローも同時に行います。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────大変な手間がかかる方法かと思いますが、研修の内容を定着させるにはそこまでのフォローが必要なのでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">手間はかかりますが、手間を惜しんでいては、人は育てられません。物事は何でもそうですが、特に研修は"実施した"、"受講した"というだけで満足してしまいがちです。しかし、それでは時間を割いて研修した意味がない。意味のないことに時間を注いでも、それこそ意味がありません。であるならば、フォローに手間をかけるしかないんですね。教育研修室は、こういったフォロー策を始めとして社員教育をさらに進化させるために、昨年の12月に新設した部署です。これまでは人事部門が、採用、教育、制度、労務という四つの人事機能を担っていましたが、教育は切り分けて専任の部署としたのです。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────大規模な基幹システムを導入して業務を効率化される一方で、情報伝達や人財育成には手間をかけるなど、効率化するものとしないものを明確に分けておられるように感じます。何を基準に、その線引きをされているのでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">明確にどこかで線を引いているということはありませんが、例えば、システムを使えば1時間で終わるけれども、手作業なら1日かかる仕事があった場合、手作業は時間がかかる反面、システムを構築するのと同じくらいの知見が身に付く利点があります。一方で、その知見を持っている人が手作業でやっても合理的ではありませんので、そのときはシステムを使う。そういった使い分けをしています。</p>
<p class="fs14 spacing10">ただ、買取業務をシステム化したことについては、弊害が一つだけ起こっています。査定で最も大切になるのは、お客さまにご納得いただける価格を提示することですが、重要なのは、提示した金額ではなく、価格をご理解いただけるだけの丁寧な説明をするということなんです。査定をシステム化したことで、説明を怠る査定員が増えた。これが、唯一の弊害です。</p>
<p class="fs14 spacing10">手作業で査定していたときは、オートバイに傷があれば、「お客さまご覧ください、ここに傷があります。どのようにしてついたものですか」と、一つひとつやり取りをして、「車体にこういう問題がありますので、この金額になります」と、価格の根拠を必ずご説明していました。しかし、システムでこれをやると、車体に傷がある箇所を入力するだけで金額が出てしまう。お客さまからすれば、買取価格を提示されても「どうして？」ということになるわけです。</p>
<p class="fs14 spacing10">初期研修はしっかり行っていますから、説明する能力はあるはず。問題は、心構えにあります。お客さまの心理になってみれば、価格に納得できなければ「売ろう」という気持ちにはならないわけで、そこに思いが至らないことが問題なのです。この点の教育にも、今後は力を入れていきたいと思っています。</p>
</div>
<h3 class="fs18">小売販売にも進出。"オートバイライフの総合プランナー"を目指す</h3>
<div class="txt"> 
<p class="fs14 spacing10"><em>────"オートバイライフの総合プランナー"をビジョンに掲げておられます。そこに向けた次の一手としてお考えのことをお聞かせください。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">次の一手として考えているのは、小売販売です。"オートバイライフ"がいつ始まるかといえば、オートバイを買ったとき。売るのはその次の行動です。ですから、"オートバイライフの総合プランナー"になるには、 お客さまがオートバイを買うところから接点を持つことが必要です。また、オートバイ人口は、年々減少傾向にあります。ライダーの数が減っているというよりは、新規のライダーが増えていない状況。当社の新卒採用に応募してくる学生でも、オートバイの運転免許を持ってない人が多いですからね（笑）。ですから今後は、オートバイに興味を持ってもらうための事業に注力する必要があるということです。</p>
<p class="fs14 spacing10">さらに、オートバイ販売店の数は全国に約1万店舗ありますが、当社が出店する販売店「バイク王ダイレクトSHOP」は10店舗。まだまだ拡大の余地があります。買取店の「バイク王」は、視認性という当初の目的は果たしましたので、出店を加速するステージは卒業しました。今後は、小売販売が次の出店の柱になります。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────100店の店舗網を持つ買取店の「バイク王」を、小売販売も兼ねる業態に転換していかれるということでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">いえ、「バイク王」はあくまでも買取店としての立地に出店していますので、販売に適しているとは限りません。販売は、基本的には別の立地で、別の店舗と屋号を構えて、スタッフも別の人員で展開する予定です。一店舗だけ買い取りと販売を兼ねる店舗がありますが、店内は壁で仕切って、スタッフも管理者も完全に分けて運営しています。そこはこだわる境界線かもしれないですね。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────なぜ分けて運営されるのですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">販売店が買い取りも兼ねると、主な収益源が買い取りなのか販売なのかが、よく分からなくなると思うんですね。仮に販売に主軸を置くとすると、買い取りは販売の在庫を仕入れるためのものになりますので、「売れる」と思えば高く買っても構わないなど、買取基準もいい加減になってしまいます。自動車業界でもその失敗例は見ていますし、オートバイ業界にも同様の失敗例は多くあります。</p>
<p class="fs14 spacing10">また、「バイク王」がお客さまから信頼されているのは、「買い取りの専門店だから」ということが大きな理由の一つ。販売も兼ねてしまったら「何をしたい店なのか」とお客さまも戸惑われるかもしれません。ですので、効率的ではないかもしれませんが、販売店と買取店のオペレーションは完全に分け、販売店のスタッフは買取店からの異動か新規に採用して展開しています。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────やはり、効率化するものとしないものが明確ですね。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">明確かどうかはわかりませんが、物事は理想通りにはいかないということですね。理想論でいえば、オペレーションを分けたりせずに共通の人員で運営したほうがいいのでしょうが、恐らく計算通りにはいかないと思うんです。</p>
<p class="fs14 spacing10">また、販売店の役割はオートバイに興味を持ってもらうことにあります。昔からのオートバイのイメージだと初心者や女性、ファミリーには入りにくいと思いますし、オートバイに興味を湧くこともないと思います。そのイメージを覆すために、当社のバイク王ダイレクトSHOPは、アパレルやインテリアショップを思わせるような明るいデザインで「明るくて、大きくて、入りやすい」をコンセプトに出店しています。</p>
<div class="alignright" style="width:420px;">
<p><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/ikco_0401_b.jpg" alt="" /><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/ikco_0402_b.jpg" alt="" /></p>
<p class="fs12 spacing10" style="padding-left:10px;"> 写真：バイク王ダイレクトSHOP GLOBO蘇我店（写真提供／アイケイコーポレーション）<br>
「バイク王ダイレクトSHOP」：<a href=" http://www.8190ds.jp/" target="_blank"> http://www.8190ds.jp/</a></p>
</div>
<p class="fs14 spacing10"><em>────オートバイ人口を広げることも狙った店舗展開なのですね。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">そうですね。目先の商売を優先するのであれば、昔なじみのイメージのほうがいいのかもしれません。しかし、常にユーザー視点に立って考えないと、一時的な業績は好調だったとしても、長い目で見ると業界自体が縮小する可能性が出てくるかと思います。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>ありがとうございました。</em></p>
</div>
</li>
</ul>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>急成長企業の人財育成──『効率化するもの』 と 『しないもの』（前編）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/person/2010/03/post-74.html" />
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    <published>2010-03-10T09:00:00Z</published>
    <updated>2010-03-10T07:31:11Z</updated>

    <summary>株式会社アイケイコーポレーション</summary>
    <author>
        <name>OBT</name>
        
    </author>
    
        <category term="この人に聞く" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<ul class="secList">
<li class="clearfix">
<p class="photo"><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/ikco_00.jpg" alt="" /></p>
<div class="textArea">
<p class="fs16 spacing10"><em><$MTEntryTitle$><br />
株式会社アイケイコーポレーション<br />
取締役副社長<br />
大谷真樹さん</em></p>　
<p class="fs14 spacing10">長引く不況下で、「経営の効率化を推し進める」といった表現が経済誌や企業各社の株主通信などに頻出するようになりました。しかし例えば、短期的な費用対効果を重視しすぎると長期的な投資が後手に回るなど、何かを効率化すれば必ず副作用もあるもの。万能の効率化策はありません。では、"効率化するもの"と"しないもの"をどう見極めるのか。1994年に創業し、2006年には東証二部上場を果たしたオートバイ買取専門店「バイク王」を運営するアイケイコーポレーションでは"目的に対する合理性"を基準に、"効率化"と"非効率化"が人財育成を始めとする経営のあらゆる場面で巧みに使い分けられています。同社取締役副社長　大谷真樹さんにお話を伺いました。</p>
</div>
</li>
<li>
<p class="fs14 spacing05"><em>株式会社アイケイコーポレーション</em> （<a href=" http://www.ikco.co.jp/" target="_blank"> http://www.ikco.co.jp/</a>）</p>
<p class="fs14 spacing20">1994年創業。取締役会長 石川秋彦氏と代表取締役社長 加藤義博氏が、オートバイの買取専門店「メジャーオート有限会社」を共同出資で設立。翌年から、1法人・1ブランド・1店舗の多ブランド戦略を掲げ、グループ会社を次々と設立する。1998年にグループ会社の総合コンサルティングを目的に、株式会社アイケイコーポレーションを設立。その後、経営の効率化を図るために2001年から2003年にかけてグループ会社を順次アイケイコーポレーションに統合。店舗名を「バイク王」に統一する。2005年にジャスダック、2006年に東証二部に上場。2009年に「バイク王」100店舗を達成。「オートバイライフの総合プランナー」を目指して、オートバイ買取に加えて、オートバイ小売販売、オートバイ駐車場事業、パーツ販売などを幅広く展開する。<br>
企業データ／資本金：585百万円、従業員数／923名(2009年8月末日現在、連結) 、販売台数(買取販売)／155,914台(2009年8月期)</p>
<p class="fs14 spacing05"><em> MAKI OTANI </em></p>
<p class="fs14">1971年生まれ。代表取締役社長 加藤義博氏は、小学校・中学校の同級生。1992年に外食企業・株式会社ル・グランに入社。1995年以降、グループ会社の有限会社オーケイ、有限会社バイク王、有限会社モトガレージオープンの設立に参加し、取締役、代表取締役に就任。その後グループ会社統合にともない、2000年に株式会社アイケイコーポレーションに入社。2001年取締役に、2007年副社長に就任。営業本部と教育研修室を管掌。</p>
</li>
<li class="end clearfix">
<h3 class="fs18">創業直後から、『24時間・365日・全国』に対応</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────「バイク王」は、オートバイ買取業界で初めて『24時間365日の申し込み受付・全国無料出張買取（※）』というサービスを手がけ、業界ナンバーワンの実績をあげておられます。この『24時間・365日・全国』というサービスコンセプトは、ご創業後のいつ頃から掲げ、どのようにして実現されたのでしょうか。</em></p>
<p class="fs12 spacing10" style="padding-left:10px;">※一部離島を除く</p>
<p class="fs14 spacing10">メジャーオート(有)の設立当初から意識していました。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────1店舗の時代から、全国対応をされていたのですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">対応していました。さすがに九州まで行くとなると時間がかかりますので、現地に出張所を置きましたが、そのほかは2トントラックをレンタルして、社長の加藤や私が東北や関西へ出張買取に出かけていました。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────経営効率からいえば、非効率ではありませんでしたか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">確かにそうですが、例えばバイク雑誌などに買い取りの広告を出すと、全国からお問い合わせをいただくんですね。最初のうちは、地方のお客さまには「お伺いできません」とお断りしていたのですが、そういった対応はお客さまからすればご不満でしょうし、当社としてももったいないな、と。それで徐々にお伺いする地域が広がって、全国対応するようになっていったのです。</p>
<p class="fs14 spacing10">『24時間・365日』も同じ発想です。オートバイを売るというのはプライベートなことですから、お問い合わせはどうしても夜に集中します。それを「受けないのはもったいない」と対応し続けているうちに、気づいたら朝まで電話を取っていたなんてことも頻繁にありました。それが『24時間365日の申し込み受付』につながっていったのです。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────ご創業当初は、『1法人・1ブランド・1店舗』という形式をとり、多ブランド戦略を取られたと伺っています。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">当時は、車の買い取りがようやく認知され始めた頃で、オートバイの買い取りは、そもそも認知されていませんでした。では、どう世の中に認知されていくかと考えたときに、オートバイの買取業が普及している状態をまずはつくろうと。そこで、すべて別会社・別ブランドで展開し、オートバイ買取専門店の急速な普及を図ったのです。</p>
<p class="fs14 spacing10">これは、お客さまにとっては、お店がいくつもあって比較できるというメリットがある方法でしたが、当社にとってはブランドが増えていくうちに、経営的には非合理的な面が増えてきました。1998年には、グループ会社を統括するために(株)アイケイコーポレーションを立ち上げましたが、それでも、このままブランドが増え続けるのは辛い状態になった。そこで創業7年目、2001年のことでしたが、当時7社あったグループ会社のうちの4社をまずはアイケイコーポレーションに合併し、2003年に残りの3社も合併、3年をかけてグループ会社を統合したのです。</p>
</div>
<h3 class="fs18">自前主義で、独自のシステムを構築</h3>
<div class="txt"><p class="fs14 spacing10"><em>────事業拡大に伴って、IT投資にも力を入れられたと伺っています。</em></p>
<p class="alignright"><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/ikco_0201_a.jpg" alt="" /></p>
<p class="fs14 spacing10"> ITシステムは、グループ会社の統合を始めたときに導入しました。当時は1店舗あたり1日約15件のお問い合わせに対応していた時代。その程度の数ならIT化する必要もないのですが、まずは4社を統合したところ、4社分のお問い合わせが集約されますので、1日約60件という数になり、1カ所で対応する件数が一気に数倍になりました。</p>
<p class="fs14 spacing10">そうなると、まずつまずいたのが運行管理です。それまでは、ホワイトボードに「誰が、どこに、何時」と書くというアナログ的な方法で管理していたのですが、それでは到底さばけない件数になり、まずは運行管理からシステムを内製していきました。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────外注せずに、自社でつくられたのですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10"> 2005年に導入した「i-kiss」（※）という基幹システムをはじめ、ほぼ全てのシステムを社内設計してきました。パッケージシステムは価格がリーズナブルであっても、当社のオペレーションに沿ったものではありませんので、カスタマイズしなくてはなりませんし、ほんの少しのカスタマイズにも時間や費用がかかり、必ずしも意図したものが完成するとも限りません。それを考えると、内製したほうがいいという判断をしました。現在は、約10名の担当者でシステムを開発、運用しています。</p>
<p class="fs12 spacing10" style="padding-left:10px;">※i-kiss：IK Interactive Solution System。全国統一の査定基準による買い取りを支える基幹システム。査定項目を係数化した「パソコン査定システム」や、オリジナルのノウハウで広告宣伝の効果を測る「広告費用対効果測定システム」など、同社が独自に開発した五つの業務システムを統合している。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────同業他社にもこういったシステムはあるのでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">オートバイ業界では、恐らくないと思いますね。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────雑誌広告やテレビCMなどの広告宣伝にも、システムを活用されていると伺っています。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">これも、当社の強みの一つです。どんな媒体に、どんな広告を、どのように展開し、どんな反響があったのかを、当社が独自に構築した「広告費用対効果測定システム」で測定し、結果を次の広告展開に反映する。その積み重ねを継続しています。他業界の大手企業と比べても、ひけを取らないレベルの仕組みではないでしょうか。</p>
<p class="fs14 spacing10">といっても、当社も最初からノウハウがあったわけではありませんので、広告代理店の提案をそのまま受けていた時期もありました。しかし、どうもお金のかけ方にムダがあるのではないかと疑問を持ち始めました。そこで、会社の規模に関係なく、複数の広告代理店の意見を聞いた結果、自分たちで戦略をきちんと立てないと、効果的な宣伝はできないなと感じ、独自のシステム開発に着手したのです。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────かなり綿密なシステムだそうですね。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">計算式も複雑ですし、綿密ですね。完成したシステムだけを見れば、誰にでもつくれそうなものですが、同業他社ではここまでたどり着けないのではないかと思いますね。バイク雑誌、テレビCM、WEBと広告媒体は複数ありますが、お客さまは何を見たのか覚えていらっしゃらないことも多い。テレビCM一つとっても、ストレートにお問い合わせにつながるケースもあれば、WEBに流れてホームページからアクセスいただくなど、仕訳しきれないものもあります。そこは推定値を入れたり、そのほかの複合的な要素も加味して、どの広告にどの程度の予算をかけて、どういう露出をすれば最適かということを、常に検証し続けているのです。</p>
</div>
<h3 class="fs18">目先の効率よりも、目的に対する合理性を重視</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────同業他社と同様に1店舗からご創業されたわけですが、他社に大きな差をつけて全国に100店舗を出店されるまでに成長されたのは、ご創業当時から「全国展開する」という明らかな目標を掲げておられたことが最大のポイントでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">それもありますが、常にお客さまの視点に立ち続けてきたことも大きいのではないかと思います。当社が店舗展開を始めたのは2002年のことで、新潟市に出店した「バイク王新潟店」が第一号店です。そこから多店舗展開を始めたのですが、当社のビジネスモデルは"出張買取"ですから、見方によっては、実は店舗は不要なんです。お問い合わせを受けるコールセンターと査定員の出張所、オートバイを収容する倉庫があれば、業務はできてしまいます。実際、2002年までは出張所・倉庫型で展開していました。</p>
<p class="fs14 spacing10">しかし、お客さまの視点に立ってみれば、店舗がないということは見たこともない会社に問い合わせをしなければならないことになります。それでもお問い合わせはいただいていましたが、「そういえばあそこに店舗があったな」くらいの認識は持っていただけるようにならないと、ご利用いただきにくいのではないか、と。また、ご自分でオートバイを持ち込みたいというお客さまもいらっしゃいましたから、その意味でも店舗は必要です。そういった経緯から、多店舗展開に踏み切ったのです。</p>
<p class="fs14 spacing10">ただし、一般の小売業と違って出店は視認効果による広告宣伝活動の一環という意味合いが強く、新しく店舗を出したからといって、いきなり1店舗分の売り上げが増えるわけではないんですね。お問い合わせは、あくまでもコールセンターでお受けするものが中心です。しかし、店舗を出すとそこで働く社員も抱えることになりますから、収益を成り立たせなくてはいけない。ですから、出店した地域のお問い合わせをいかに増やすかが大切になります。多店舗展開を始めた2002年当時は、地域特化型のテレビCMや地域のフリーペーパーが普及し始めたころで、それ以前から活用していたタウンページなども含めて、各地の広告媒体を一つずつ開拓していきました。</p>
<p class="fs14 spacing10">また、当社の事業はそんなに頻繁にご利用いただくものではなく、オートバイを売るというのは、4、5年に1回あるかどうかというもの。いつ訪れるかわからないそのタイミングに、当社を利用したいとお客さまに思っていただく必要があるのです。そのためには広告宣伝を続けて、お客さまにリーチし続けなくてはいけませんが、それには莫大な費用がかかります。何とか低予算でできないかと考えたことから、先程お話した「広告費用対効果測定システム」の開発に至ったのです。こうして築いた100店の店舗網とそれを支えるITシステムが、当社の強みの一つです。</p>

</div>
<h3 class="fs18">働く意欲があれば採用し、入社後に育てる</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────オートバイの買取業は「サービス業である」として、人財育成にも力を注いでおられます。求める人物像や教育研修施策で工夫されていることなどをお聞かせください。</em></p>
<p class="alignleft"><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/ikco_0401_a.jpg" alt="" /></p>
<p class="fs14 spacing10">まず採用ですが、多店舗展開を始めた当初は、「求める人物像」などという理想論が通用する業界ではなかったというのが正直なところです。ある地方都市で4名の社員募集を行っても、応募自体4名あるかは分からないということも少なくありませんでした。ですから無条件とまではいいませんが、当社で働く意欲さえあればとにかく入社してもらって、入社後に教育する。当社はそういったスタイルでやってきました。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────どのようにして教育されたのですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">出店を始めた2002年当時は、教育体系もありませんでしたので、マンツーマンの完全なOJTでした。出店の仕方にも特徴がありまして、まず新潟に一号店を出し、2店目は東海地区、3店目は九州地区と、出張所がなくて移動効率が悪かったエリアを優先に展開しましたので、それぞれバラバラの地域に店舗があるわけです。合同で研修するには本部に呼ぶしかありませんが、それでは研修中は店舗を閉めることになってしまいますので、私か加藤（社長）が店舗に出向いて直接指導しました。</p>
<p class="fs14 spacing10">店長は関東地区のベテランの査定員から登用しましたが、査定はベテランでもマネジメントの経験はありませんから、店長とスタッフの両方を教育する必要がありました。ですから、店舗がオープンしたときには、1カ月からときには3カ月くらい張り付きましたね。現地である程度の形にまで教育して、また次の出店地へと向かう。このくり返しでした。</p>
<p class="fs14 spacing10">しかし、多店舗展開を始めて2年ほどのうちに、そのやり方にも無理が生じるようになり、研修制度を作って東京で集合研修する形式に変えました。今は、5日間に縮めましたが、当時は2週間くらい研修していましたね。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────中途採用で2週間の研修は長いですね。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">なぜそこまで研修するかといいますと、出張買取は、査定員は外出したら夕方まで帰ってきません。お客さまとどのようなやり取りをしているかを、店長が常にチェックすることができないんですね。また、1店舗あたり約4人の査定員が1日に10件から20件の査定に対応するのですが、店長はその管理で精いっぱい。教育している時間はありません。ですから、ある程度一人前の状態にして送り出さないと、こちらとしても不安で仕方がない。そのため、初期研修にはかなり時間を割きました。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────どのような研修をされるのですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">まず、最初の二日間を使って、そもそもの心構えを教えます。一つは、社会人としての心構え。もう一つは、当社で仕事に取り組むうえでの心構え。その後に、職種ごとの専門研修に入ります。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────心構えで一番重視されているのはどのようなことでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">相反するかもしれませんが、一つは「自律心」。当社ではこれを「経営者意識」と呼んでいます。もう一つは「素直さ」。この二つは必須ですね。会社組織に入る以上は、当社の理念に共感し、方針を受け入れてもらわないといけない。そのためには「素直さ」が必要です。ただし、それだけでは受け身になってしまいます。買い取りの現場では一人でお客さまに対面しますから、自分の判断で臨機応変に対応できなくてはいけない。そのためには、自分で考えることができる「自律心」、つまりは「経営者意識」も必要です。</p>
<p class="fs14 spacing10">といっても、入社間もない社員に「経営者意識」といってもピンとこないでしょうから、まずは「素直さ」が大切であることを研修や現場のOJTの中で教え、仕事がステップアップしていくに従って「経営者意識」を持つことを教えていくようにしています。特に店長以上には「経営者意識」を強く求めますが、研修の場で急に要求するようなことはしません。急な方向転換をしたところで、身には付かないですからね。店長になる以前の段階から、少しずつ、徐々に教えていくようにしています。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────2009年8月には「バイク王」の100店舗を達成されました。ここまでの事業拡大の道のりは順調だったのでしょうか。もしくは、途中で壁にぶつかられたこともあったのでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">今、まさに壁にぶつかっています（笑）。社員数が1000名近い規模になり、社内の意思統一が少し難しくなってきました。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────どういった場面で、意思統一の難しさをお感じになるのですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">例えば、昔は20名程度で行っていた役職者の会議が、今は50名から60名の規模で行っています。これだけの規模になると、会議内容を聞いていない人が続出し、注意するにも目が行き届かない部分が出てきました。500名程度までは意思統一にさほど苦労はしませんでしたが、1000名という規模になってから急に難しくなったと感じています。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>創業17年目にして迎えた「1000名の壁」。この壁を乗り越えるべく、これまでにない取り組みを始めているといいます。後編では、アイケイコーポレーションの組織づくり、人づくりの施策を伺います。</em></p>
</div>
</li>
</ul>]]>
        
    </content>
</entry>

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    <title>消費不況のさなかに増収増益。社員に報いる幸楽苑流オープン経営（後編）</title>
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    <published>2010-02-24T01:00:00Z</published>
    <updated>2010-02-25T07:11:56Z</updated>

    <summary>株式会社幸楽苑</summary>
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        <category term="この人に聞く" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
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        <![CDATA[<ul class="secList">
<li class="clearfix">
<p class="photo"><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/kourakuen_00.jpg" alt="" /></p>
<div class="textArea">
<p class="fs16 spacing10"><em><$MTEntryTitle$><br />
株式会社幸楽苑<br />
代表取締役社長<br />
新井田　傳さん</em></p>　
<p class="fs14 spacing10">セブン＆アイ・ホールディングスとイオンが今年の1月に発表した2009年の第1～第3四半期の連結決算は、両社とも減収。大手コンビニエンスストア4社もそろって減益となるなど、消費不況を象徴するニュースが今年も後を絶ちません。そのような中、増収増益を連続達成している外食企業があります。「中華そば　290円」を看板メニューに掲げる幸楽苑がそれ。1954年に福島県会津若松市の一軒の食堂からスタートし、2002年には東証二部に、2003年には東証一部に上場。2005年3月期、2006年3月期の2期は減益に陥ったもののV字回復を遂げ、右肩上がりの成長を続けています。一軒の食堂からどのようにして今日を築き、経営危機をどう乗り切ったのか。代表取締役社長　新井田 傳さんに伺いました。</p>
</div>
</li>
<li>
<p class="fs14 spacing05"><em>株式会社幸楽苑</em> （<a href=" http://www.kourakuen.co.jp/" target="_blank"> http://www.kourakuen.co.jp/</a>）</p>
<p class="fs14 spacing20">1954年創業。創業者の新井田司氏（現代表取締役社長・新井田傅氏の実父）が、福島県会津若松市に「味よし食堂」を開店。従業員3名、6坪の店舗からスタートする。1970年に株式会社幸楽苑に改組。1975年に会津若松市の自宅を改造して自社工場を開設。「チャレンジ100」宣言を掲げ、100店舗体制に向けてチェーン展開の基礎を築く。1978年にチェーンストア経営システムの研究会「ペガサスクラブ」に加盟。1997年に株式を店頭登録銘柄として社団法人日本証券業協会（現ジャスダック）に登録。2001年に現在の主業態である「幸楽苑」を出店。それまで展開していた「会津っぽ」「伝（きでん）」を順次「幸楽苑」に転換し、業態を一本化する。2002年に東証二部に、2003年に東証一部に上場。2006年に看板メニューである「中華そば」を390円から290円に値下げし、さらなる低価格を訴求。2005年、2006年の2年を除いて増収増益を続けている。<br>
企業データ／資本金：26億6166万円、従業員数／1120名（2009年12月末現在） 、店舗数／425店（2009年12月末現在）</p>
<p class="fs14 spacing05"><em> TSUTAE NIIDA </em></p>
<p class="fs14">1944年生まれ。1962年、「味よし食堂」に入店。「福島県一の食堂にする」という志を抱いて上京し、東京・四谷の「幸楽苑飯店」で修業。1970年に帰郷し、修業先の店名をもらって「味よし食堂」を「幸楽苑」に改名、株式会社に改組。国内1,000店体制を目指して経営の指揮を取る。</p>
</li>
<li class="end clearfix">
<h3 class="fs18">業績回復の秘策(1) クレームを撲滅する</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────2期連続の増収減益決算という経営危機（前編参照）を、どのようにして乗り越えられたのでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">まず行ったのは、経費の削減です。経費の無駄遣いをしているから、増収だったにも関わらず利益が出なかったわけです。宣伝広告費など社内のあらゆる経費を見直したら、削減できるものがゴロゴロ見つかりました。修繕費などもそうです。自分たちでできるのにすぐに専門業者にお願いするわけです。点検してもらったら、コンセントが入っていなかっただけだったとかね。要するに、経費の管理がまったく行き届いていなかったのです。</p>
<p class="fs14 spacing10">ですから、最初の2年間はとにかく経費削減を徹底し、当面の利益は何とか確保しました。しかし、そんな利益回復は5年も6年も続きません。本当に立て直すには、既存店の売上高の伸びがプラスにならなければいけない。そのために掲げたのは、クレームの撲滅です。「クレーム撲滅が最大の販促だ」と、社内にはこう宣言しました。</p>
<p class="fs14 spacing10">今にして思えば、新社長時代には年間70店も出店するなど、出店計画に無理があったんですね。社員教育も何も追いつかず、各店舗がどんどん荒れていった。私が社長に復帰したときには、1カ月のクレーム件数が多いときには630件近くありました。それが今では50～80件くらいにまで減っています。店舗数が425店ですから、1店舗が1カ月に1件のクレームを出したら、それで425件になりますね。つまり、月間のクレーム件数が50～80件ということは、ほとんどの店がクレームを出していないということです。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────クレームを減らす秘けつは何でしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">毎週、全店のクレームを棚卸しして、会議の中ですべてオープンにすることです。今までは、どんなクレームを起こしても何のお咎めもなかったわけです。それが今では、社長、副社長をはじめ全社員に、誰が何をしたかがすべてオープンにされることが皆わかっていますから、それだけでクレームは減ります。そして店長会議でクレーム撲滅の事例を発表させて全店で共有する。そうした取り組みをコツコツと積み重ねた結果、クレームを削減することができたのです。</p>
<p class="fs14 spacing10">ただし、人間が人間にサービスをするわけですから、クレームをゼロにすることは不可能です。やはり、多少はあります。ですから一番大切なことは、クレームを起こしたときの対応です。クレームをきっかけに、お客さまを逆に幸楽苑のファンにしてしまうくらいの対応ができないとダメなんですね。</p>
<p class="fs14 spacing10">その一つの取り組みとして幸楽苑では、お客さまからご意見をいただくアンケートハガキをレジの横に置いているのですが、この枚数を毎日数えています。ハガキが減っているということは、お褒めで持っていかれる方もいますが、たいていは大変なクレームですね。昼に数えて朝よりもハガキが減っていたら、その日のうちにどんなクレームの種があったかを振り返るんです。</p>
<p class="fs14 spacing10">東京の六本木店ではこんなことがありました。お手洗いに行かれたお客さまが、出てこられるなりアンケートハガキを１枚取って席に戻られた。それを見ていたパートスタッフがすぐに店長に情報を入れ、店長は「何か粗相があったでしょうか」とお客さまに伺いに行きました。すると「トイレの中が汚れていた」とおっしゃる。そこですぐに清掃し、「お客さま、今、掃除をして参りました」とご報告した。そのお客さまは、ハガキは出さずにお帰りになったそうです。今は、ここまでやれるようになってきたわけです。</p>
<p class="fs14 spacing10">実際は、ご来店の客数がかなり多いものですから、トイレを清潔に保つのは大変なことです。徹底した清掃はこれまでも1時間おきに実施してきましたが、今ではこういったクレームの事例をもとに、レジに近い場所にタイマーを取り付けて15分おきに鳴らし、簡単に清掃するようにオペレーションを改善しました。外食産業のクレーム撲滅というのは、こういったことを一つずつ積み重ねるしかないんですね。</p>
</div>
<h3 class="fs18">業績回復の秘策(2)　店長を主役にする
</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────店舗の管理を改善するためには、店長の役割が重要になります。店長の動機付けはどのようにされているのでしょうか。</em></p>
<p class="alignright"><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/kourakuen_0201_b.jpg" alt="" /></p>
<p class="fs14 spacing10">「クレームの撲滅」と並んで、社長に復帰してすぐに掲げたことがもう一つあります。それは、「店長が主役にならない限り、幸楽苑の業績回復はありえない」ということです。というのは、新社長のもとで店長会議が廃止されてしまったんですね。今思えば、教育費を削減して利益を出そうしたのだろうと思いますが、それも店が荒れた一因だったわけです。</p>
<p class="fs14 spacing10">ですから、私は社長に復帰すると同時に店長会議を復活させました。ただし、昔のようにホテルで豪華な昼食を食べながらなんてことは止めて、会場は公共施設などの安いところを探して、開始は午後から。昼食は各自で済ませてくるようにといった具合にして、経費削減は徹底する。</p>
<p class="fs14 spacing10">こうして、あらゆる経費削減で当面の増収増益を確保し、その間私が店長たちにいい続けてきたことは「皆さんが主役にならない限り、業績は回復しない。既存店の客数や売上高の伸びがプラスに転じない限り、本当の意味での業績回復とはいえない」ということなんです。それを3年間いい続けて、ようやく2009年の7月から既存店が客数・売上高ともにプラスに転じました。本当の回復まで、3年間かかったということです。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────意識を変えるには、いい続けることが必要だということでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">それだけでなく、報酬も連動させることが必要です。出す給与は世間より低いのに、やることは高いレベルを要求されるというのでは、人は動きません。ですから、社員の評価制度にもメスを入れました。公平無私です。やった者に報い、やらない者には低く。これが非常に大切なのです。</p>
<p class="fs14 spacing10">ゆるい経営をしていると、表向きは調子良く見せておきながら、実はちっとも仕事をしてないなんていう社員がいっぱいいるんですね。その陰で、真面目に一生懸命やっているのに正当な評価を受けていない社員もいる。そういうものがきちんと公平無私に評価されるシステムを持たなくてはいけない。結果を出すプロの経営者というのは、みんな評価制度にメスを入れるのではないでしょうか。</p>
<p class="fs14 spacing10">加えて、40期を迎える2009年度から、店長クラスの年収を約100万円底上げしました。店長を5つのランクに分け、最高のAランクの年収は120万円プラス、Bランクが100万円プラス、真ん中のCランクが80万円、Dランクが60万円のプラス。最も評価に値しないEランクの年収も40万円底上げしました。分かりやすいので「100万円底上げ」といってますが、正確には、平均すると「80万円の底上げ」ですね。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────この消費不況の折にあえて給与を引き上げる、その目的はどんなことでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">年間の人件費はトータルで4億8000万円の増加になりますから、果たして大丈夫だろうかと、それは心配しました。これだけの不況ですからね。けれども実行してみたら、店長クラスのモチベーションは上がりっぱなし。結果として、この3月期の決算は増収増益というだけでなく、過去最高益を出せる見通しです。</p>
<p class="fs14 spacing10">悩みながらもなぜ踏み切ったかといえば、「社員の待遇を改善することは、必ず会社にいい結果をもたらす」という、平成の大改革で得た信念があったからです（前編参照）。よく、「CS（顧客満足）が先か、ES（従業員満足）が先か」などといわれますが、従業員満足度を高めない限り、顧客満足度が高まるわけがないんです。どんな商売でも、お客さまは神様ですね。その神様に接するのは、従業員なんですから。</p>
</div>
<h3 class="fs18">業績回復の秘策(3)　オープンな経営</h3>
<div class="txt"> 
<p class="fs14 spacing10">さらに社員の意識を変えるために、もう一つ大切なことがあります。それは、オープンな経営をするということです。現場で何が起こっているのかをすべてオープンにし、「そんなことまで社長が知っているの」という会社にならなくては、社員の意識は変わらないんです。そして、社長だけが情報を持っているのではなく、経営幹部をはじめ社員も同じ情報を共有する。いいことも、悪いことも、すべてお互いにオープンにする。これが大切なのです。</p>
<p class="fs14 spacing10">そのための方法として、私が社長に復帰してから、毎週月曜日に「月曜会」という経営会議を開いています。スタートは朝の7時で、参加するのは次長・部長以上の幹部。東京オフィス、名古屋オフィス、小田原工場、及び、京都工場をテレビ会議で結び、総勢47名が参加します。ここで経営に関するありとあらゆる情報を共有し、議論し、結論を出していくんです。オープンにする情報は、数字はもちろんのこと「どこの部署の誰それがこんなことをしてこんな処罰を受けた」といった、「そんな細かいことまで」というようなものも全部要求します。</p>
<p class="fs14 spacing10">工場で起きている問題は、店舗運営部に関係がないわけではない。店舗運営部の失態を、工場の次長クラスも知っている。すべてをオープンにし、その場で結論を出していく。そうすると、これで経営ができるんですよ。もちろん常務会も開催しますが、これは法律上必要だから開くだけのことで、すべて月曜会の決定事項の追認。幸楽苑では、月曜会に参加する47名全員が経営者なんです。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────社長がご自分で決定された方が速い場合もあるのではないですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">そんな急ぎの案件は、年に何件もありません。月曜会では細部まで徹底して議論しますから、朝の7時から遅いときには夜の7時ごろまでかかります。その代わり、それまでにあった13本の会議はすべてなくしました。オープン経営を徹底し、一週間に一度みっちりした仕事をすれば、組織は動いていくんですよ。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────意思決定の場を共有することは、経営に対する危機感を共有し、「今何をすべきか」という価値判断の基準を共有することにもつながりますね。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">そうです。そうやって社員を巻き込んでいくことが大切なんです。私は昨年の7月から地元エフエム福島という放送局の社長も引き受けているのですが、この会社もオープン経営で立て直しを図っています。直前の3月末決算は2300万円の赤字、今年度の4－6月も前社長のもとで880万円の赤字。それを何とか立て直してくれないかという依頼を受けたのです。そこで、昨年の7月から行動を開始し、翌8月には早くも単月黒字、この3月末の決算では約3000万円の利益を出せる見込みです。</p>
<p class="fs14 spacing10">もちろん私自身もトップセールスを行いますが、エフエム福島では毎週水曜日に「エフエム戦略会議」を開いています。次長・部長以上の幹部を集めて、冒頭で私が20分の訓辞を述べ、その後にすべての情報をオープンにしてその場で結論を出していく。訓辞は翌日にはテープ起こしされ、議事録と一緒にすべて社内に公開します。こうすることで、社長方針がだんだんと社内に伝わるようになっていくんです。</p>
<p class="fs14 spacing10">さらに月に1回、全社員を集めた「エフエム夢会議」を開いています。ここでは冒頭で私が40分の訓辞を述べ、その後に全員でフリーディスカッションして意見を吸い上げるんです。後日、感想レポートも提出してもらうのですが、そこには<p class="fs14 spacing10">「今までは、会社の売上高や利益の金額を教えてもらったことがなかった。新井田社長になってからは経営の内容がすべて明らかになり、会社がまだまだ厳しいことを理解した。『忙しいから人を増やしてほしい』などとはいえないことが、よくわかった」といった声が寄せられています。オープン経営にすれば、社員の意識が変わってくるんです。</p>
<p class="fs14 spacing10">幸楽苑も社長に復帰してすぐに業績を立て直しましたが、これは自分の会社ですから当たり前のこと。しかし、エフエム福島というまったく違う会社でもあっという間に赤字を黒字に立て直せる見通しがついた。経営というのは、やり方一つなのだなと思いますね。</p>
</div>
<h3 class="fs18">業績回復の秘策(4)　経営者が思いを語る</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────「経営者の仕事は思いや哲学を語り、社員を育てることである」とも、日ごろからおっしゃっておられます。具体的には、どのようにして理念を伝えておられるのでしょうか。</em></p>
<p class="alignleft"><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/kourakuen_0401_b.jpg" alt="" /></p>
<p class="fs14 spacing10">復活させた店長会議において、月に一度は私が1時間訓示します。幸楽苑は425店舗という規模になりましたが、聞くところによると、外食産業ではこの規模になると社長が店長会議に出ることは少なくなるようですね。しかし、私は今も店長会議に出ます。そういった場を含めて、あらゆる場面で教育の機会はあるわけです。</p>
<p class="fs14 spacing10">企業説明会も同じです。昨年の春も大卒の新卒者を120数名迎えましたが、今も企業説明会には私が出席し、大学生に私が直接、夢を語ります。それは、トップが直接語ることが、真剣に就職先を探す学生の皆さんに対する礼儀であるということが一つ。それから、幸楽苑に就職が決まらなくとも、「幸楽苑の社長の話を聞いたことが、自分の将来に役立った」という学生が一人でも多くいてくれればという思いで、私はいまだに企業説明会の第一線に立っているのです。</p>
<p class="fs14 spacing10">また、企業規模が大きくなればなるほど、トップが学生に直接話すことの効果は大きくなります。上場企業であればなおさらです。それを社員に任せるのはもったいない。中途入社者に対しても、2カ月に1回程度を目安にその期間に入社者した者を集めて、必ず私が直接訓示をします。中途入社者であっても、私の話を聞いていない社員は一人もいません。</p>
</div>
<h3 class="fs18">企業も人も、目標を持つ者のみが成長できる</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────「理念は伝えているのに、人が思うように育たない」と、人財育成に悩む企業も多くあります。どうすれば社員を成長させることができるでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">私がいつもいうのは、「サラリーマンは取締役を目指して勉強しなければいけない」ということです。「なぜ取締役を目指さないのか！」と題した著書も出版しましたが、まじめに努力すれば成功すると思ったら大間違いです。40代、50代でどんな人間になりたいのか。20年先、30年先を今から想像し、それに向かって努力を積み重ねた者が20年後、30年後に成功しているのです。</p>
<p ><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/kourakuen_0501_b.jpg" alt="" /></p>
<p class="fs12 spacing10" style="padding-left:10px;">「なぜ取締役を目指さないのか！」（新井田傅著、財界21刊）
幸楽苑の部長会での訓辞など、13年間649回の訓辞の中から52本を収録。「努力するには目指すものを明確にせよ」、「結果が出ないのは『行動不足』と『勉強不足』」など、幸楽苑の成長を支える哲学に触れることができる。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────長期的な目標をどれだけ具体的に描けるか。人の成長は、そこにかかっているのですね。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">そうです。私が企業説明会で学生の皆さんに必ずする話に、こういうものがあります。ある上場企業に、大卒の新卒者が100名入社したとしましょう。その中の1名だけが東大卒、残りの99名はその他の大学の出身者です。</p>
<p class="fs14 spacing10">その状況下で、東大卒の人間は何を思うか。「99名の同期生と同じ人生を送るわけにはいかない。必ずやこの会社で取締役になって、こいつらの上に立つ」と。誰に教えられなくても、そう考えるのではないでしょうか。それは、「東大卒」というプライドがそうさせるんですね。「東大に合格するまでに人の何倍も努力し、勉強をして東大を卒業した。それなのに、ほかの人と同じ人生を送るわけにはいかない」と。</p>
<p class="fs14 spacing10">このプライドが大切なのです。私もそうでした。18歳で家業の「味よし食堂」を継いだときに、「福島県一の食堂にする」と決めました。誰に教えられたわけでもありません。進学高校でしたから同級生の9割は大学に進んだ中で、私だけが雨漏りする食堂で一生を終わりたくはない。その気持ちがあったから、今日があるのです。</p>
<p class="fs14 spacing10">東大生も同じです。「将来は取締役になる」という目標があれば、どんなことも頭に入ってきます。部長の訓辞を聞けば、「こういう場でこういう話ができれるようになれば、人の上に立てるんだな」など、あらゆるものが頭に残ります。右から左には抜けていかないわけです。常に取締役を意識していますから、勉強をするんですね。</p>
<p class="fs14 spacing10">一方で、残りの99名の同期生はどうか。毎日会社に行って一生懸命働いたとしても、20年後、30年後の目標がない。その状態のままお互い40代を迎えると、東大卒は「そろそろ取締役に...」ということになってくるわけです。すると残りの99名はこういうんですね。「あの人は東大卒だから、頭の構造が最初から我々とは違う。だから取締役になるのは当然なのだ」と。</p>
<p class="fs14 spacing10">その99名に私がいいたいのは、「あなたがたは、ただの一度でもこの会社で取締役を目指そうと考えたことがあったのか」ということなんです。東大卒は頭がいいから取締役になれたわけではない。学歴でなったわけでもありません。何の目標も持たずに20年間を生きてきた人と、目標を持って努力してきた人との間には、明らかな差が生まれるということです。誰にでも大きく成長できるチャンスがあるのに、ほとんどの人は自分で自分に枠をはめている。それだけのことなのです。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────育成する側にも、どのような人に育てたいのかというビジョンや目標がないケースが多いように思います。目標を持たない努力は、結果には結びつきませんね。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">そうですね。さらにいえば、これからの時代は、経営者も単に勉強して努力するだけでは通用しません。バブル時代は、誰がやってもいい経営ができました。しかし今や、数字で結果を出せるプロの経営者でなければ生き残れない時代になっているのです。</p>
<p class="fs14 spacing10">そのときに大きな鍵を握るのが「人」です。企業の盛衰はすべて、いかにいい人を採用し、いかに育てるかにかかっています。社員教育に社長がまったくタッチしていないなんていうのは、私にいわせればナンセンス。人に対する情熱を経営者が失ったときに、その会社はダメになります。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────ありがとうございました。</em></p>
</div>
</li>
</ul>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>消費不況のさなかに増収増益。社員に報いる幸楽苑流オープン経営（前編）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/person/2010/02/post-72.html" />
    <id>tag:www.obt-a.net,2010:/web_jinzai_magazine/person//2.478</id>

    <published>2010-02-10T01:00:00Z</published>
    <updated>2010-03-10T11:11:04Z</updated>

    <summary>株式会社幸楽苑</summary>
    <author>
        <name>OBT</name>
        
    </author>
    
        <category term="この人に聞く" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/person/">
        <![CDATA[<ul class="secList">
<li class="clearfix">
<p class="photo"><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/kourakuen_00.jpg" alt="" /></p>
<div class="textArea">
<p class="fs16 spacing10"><em><$MTEntryTitle$><br />
株式会社幸楽苑<br />
代表取締役社長<br />
新井田　傳さん</em></p>　
<p class="fs14 spacing10">セブン＆アイ・ホールディングスとイオンが今年の1月に発表した2009年の第1～第3四半期の連結決算は、両社とも減収。大手コンビニエンスストア4社もそろって減益となるなど、消費不況を象徴するニュースが今年も後を絶ちません。そのような中、増収増益を連続達成している外食企業があります。「中華そば　290円」を看板メニューに掲げる幸楽苑がそれ。1954年に福島県会津若松市の一軒の食堂からスタートし、2002年には東証二部に、2003年には東証一部に上場。2005年3月期、2006年3月期の2期は減益に陥ったもののV字回復を遂げ、右肩上がりの成長を続けています。一軒の食堂からどのようにして今日を築き、経営危機をどう乗り切ったのか。代表取締役社長　新井田 傳さんに伺いました。</p>
</div>
</li>
<li>
<p class="fs14 spacing05"><em>株式会社幸楽苑</em> （<a href=" http://www.kourakuen.co.jp/" target="_blank"> http://www.kourakuen.co.jp/</a>）</p>
<p class="fs14 spacing20">1954年創業。創業者の新井田司氏（現代表取締役社長・新井田傅氏の実父）が、福島県会津若松市に「味よし食堂」を開店。従業員3名、6坪の店舗からスタートする。1970年に株式会社幸楽苑に改組。1975年に会津若松市の自宅を改造して自社工場を開設。「チャレンジ100」宣言を掲げ、100店舗体制に向けてチェーン展開の基礎を築く。1978年にチェーンストア経営システムの研究会「ペガサスクラブ」に加盟。1997年に株式を店頭登録銘柄として社団法人日本証券業協会（現ジャスダック）に登録。2001年に現在の主業態である「幸楽苑」を出店。それまで展開していた「会津っぽ」「伝（きでん）」を順次「幸楽苑」に転換し、業態を一本化する。2002年に東証二部に、2003年に東証一部に上場。2006年に看板メニューである「中華そば」を390円から290円に値下げし、さらなる低価格を訴求。2005年、2006年の2年を除いて増収増益を続けている。<br>
企業データ／資本金：26億6166万円、従業員数／1120名（2009年12月末現在） 、店舗数／425店（2009年12月末現在）</p>
<p class="fs14 spacing05"><em> TSUTAE NIIDA </em></p>
<p class="fs14">1944年生まれ。1962年、「味よし食堂」に入店。「福島県一の食堂にする」という志を抱いて上京し、東京・四谷の「幸楽苑飯店」で修業。1970年に帰郷し、修業先の店名をもらって「味よし食堂」を「幸楽苑」に改名、株式会社に改組。国内1,000店体制を目指して経営の指揮を取る。</p>
</li>
<li class="end clearfix">
<h3 class="fs18">「負けたくない」という強い思いが、今に至る出発点</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────幸楽苑は創業56年目を迎え、店舗数は今や425店に上りますが、そもそもは一軒の食堂からスタートされました。今日を築かれるまでに、どのような壁を乗り越えてこられたのかを、今日はぜひお伺いできればと思います。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">「壁」という意味で最初に思い出すのは、家業を継ぐことを決心した18歳のときのことです。私は地元の進学高校に進み、当時は大学受験の浪人生活を送っていました。そして初めて、家業の様子を目の当たりにしたんですね。父が電力会社の定年後に始めた食堂で、「味よし食堂」といいますが、会津若松の繁華街にありながら来店客は毎日数名しかなく、頼りは出前の売り上げだけ。従業員3名の、雨が降ればあちこちから雨漏りするような食堂でした。</p>
<p class="fs14 spacing10">しかも、父は当時すでに64歳。私は父が46歳のときの末っ子ですから、私が大学に進んだら父は70歳近くまで店を切り盛りすることになります。父をそんな年まで働かせるわけにはいかない、進学はあきらめて私が店を継ごう。そう決心したのです。</p>
<p class="fs14 spacing10">同級生の9割は大学に進学する中で、私が継いだのは雨漏りがする食堂。このままで一生を終わりたくはない、「味よし食堂」を必ずや福島県一の食堂にしてみせると心に誓いました。この「負けたくない」という強い思いが私の出発点です。この思いがなければ、あのまま一軒の食堂で終わっていたでしょう。経営者としての「壁」からは程遠いものではありましたが、「このままでは終わらない」と現状を強く否定したことが、私にとっての最初の「壁」だったように思います。</p>
</div>
<h3 class="fs18">６店目で多店舗展開の壁にぶつかる</h3>
<div class="txt">
<p class="alignright"><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/kourakuen_0201_a.jpg" alt="" /></p>
<p class="fs14 spacing10">ただ、「福島県一になる」という夢を掲げても、小さな食堂のこと。資金もなければ、人もいません。では、どうすればいいか。小さな店を数多くつくって各店の売り上げを足せば、会津若松一にはなれるのではないかと考えたんです。</p>
<p class="fs14 spacing10">会津若松一にならない限り、福島県一にはたどり着きません。そういう発想で会津若松に小さな店を6軒つくりました。同じ業態では店同士で競合しますから、カレーライス専門店、ラーメン専門店と、業態はすべて変えた。今思えば、これがまったく素人のやり方だったんですね。6店の売り上げを足したら会津若松一にはなりましたがが、それぞれ業態が違いますから、原価率も人件費率もまったく違う。店の管理が思うようにできなくなってしまったんです。これが経営者として最初にぶつかった「壁」。私が30歳のときのことです。</p>
<p class="fs14 spacing10">そして、悩んでいたときにたまたま書店で手に取ったのが渥美（俊一）先生（※1）の著書です。読むと、食堂業にも「立地政策」や「価格政策」「商品政策」が必要だと書いてある。そのことに非常なカルチャーショックを受けまして、これはきちんと勉強しなければダメだなと。そこで、渥美先生が主催する「ペガサスクラブ（※2）」に入会し、外食産業のチェーン展開について本格的に学びました。</p>
<p class="fs12 spacing10" style="padding-left:10px;">※1　渥美俊一氏：読売新聞社会部記者を経て、1962年にチェーンストア経営システムの研究会「ペガサスクラブ」を設立。流通企業へのコンサルティングを手がけている。<br>
※2　ペガサスクラブ：約700社が加盟する流通業界最大の会員制経営研究団体。</p>
<p class="fs14 spacing10">学んだ結果行きついたのは、チェーン展開にはマス・マーチャンダイジングシステム（※3）が必要だということです。つまり、世界中からあらゆる食材を調達して、自社工場で加工して店舗で販売する。製造直販業にならなければ、どこにもない商品を、どこよりも安く、どこよりもよいサービスで提供することはできないということです。その理論を学んだ私は迷わず自社工場をつくると決め、まずは当時会津若松にあった自宅を工場に改造しました。そこで麺や餃子を製造して店舗に供給する体制をつくったのです。</p>
<p class="fs12 spacing10" style="padding-left:10px;">※3　マス・マーチャンダイジングシステム：原材料の仕入れから店舗での販売までの工程を標準化し、自社でコントロールすること。200店舗以上の規模で標準化を実現することを、前出の渥美氏は「マス・マーチャンダイジングシステム」と定義している。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────最初はご自宅を工場にされたのですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">最初はそうでしたね。そこからスタートして、少しずつチェーン展開の基礎をつくっていったわけです。</p>
<p class="fs14 spacing10">今でも思うのですが、壁にぶつかるということは、自分の知識や能力が通用しなくなるということですね。それを乗り越えるには勉強するしかありません。勉強することで壁を乗り越えたという30歳でのこの経験は、今でも私の自信につながっています。今後も壁にぶつかることがあれば、それに対する勉強をするしか乗り越える方法はない。その考えは、今も変わりません。</p>
</div>
<h3 class="fs18">年間休日を57日から105日に。大胆な改革で最高益を記録</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10">しかし、物事はそんなに順調にはいかないんですね。ペガサスクラブでチェーン展開理論を学んだにも関わらず、店舗がさほど増えなくて悩んだ時期もありました。自社工場をつくった後、10年以上をかけて20店舗にまでは増えましたが、そんな店舗数ではチェーンとはいえない。チェーン化が遅々として進まないわけです。</p>
<p class="fs14 spacing10">そして昭和63年、44歳のときに決定的な壁にぶつかりました。それまで毎年、高卒者を何名か新卒採用していたのですが、その年は当社を受験する学生が一人もいなかったのです。チェーン展開をするうえで、社員を採用できないのは致命傷です。</p>
<p class="fs14 spacing10">昭和63年といえば、バブル経済が7合目か8合目にさしかかったころ。猛烈な人手不足で、どの企業も人が採れなくて困っていた時期です。「今は採用できなくても仕方がない」といった見方をする経営者が大多数でした。しかし、私はそうは捉えなかった。経済が急成長しているから人が採れないのではなく、当社に入社するだけの魅力がないから誰も受験しないのだと。そこを直さない限り、人は採用できない。そう考えました。</p>
<p class="fs14 spacing10">そこで早速、幹部社員を集めて合宿をしましてね。みんなで、「将来、どんな会社にしたいか」を話し合ったのです。その合宿で生まれたのが、現在の経営理念です（※4）。将来、上場を目指そうという目標も、そのときに初めて定まりました。</p>
<p class="fs12 spacing10" style="padding-left:10px;">※4　経営理念：幸楽苑は経営理念として2つのミッションを掲げている。<br>
Mission1<br>
より多くの人々の<br>
よりふだんの食の場面に<br>
よりおいしい味で<br>
より低い価格の商品を<br>
より速いスピードで<br>
提供することに私達は喜びを持とう<p>
<p class="fs12 spacing10" style="padding-left:10px;">Mission2<br>
働く人達が、やりがいと<br>
生涯設計の持てる会社にしよう<br>
────幸楽苑の企業サイト「経営理念」より<br>
<a href=" http://www.kourakuen.co.jp/corporate/mission.php/" target="_blank"> http://www.kourakuen.co.jp/corporate/mission.php</a> </p>
<p class="fs14 spacing10">上場を目指すということは、高卒者はもちろんのこと大卒者も採用しなくてはなりません。しかし当時の当社は年間休日が57日、年間賞与は2カ月。高卒者すら受験しないこんな会社に、大卒者なんか来るはずがない。この待遇をまずは改善しようということになったのです。</p>
<p class="fs14 spacing10">そこで、平成元年に思い切ってスターとさせたのが、「平成の大改革」と呼んでいる改革です。平成元年は57日だった年間休日を、平成2年には75日、平成3年に90日、平成4年に105日にする。4年間で48日の休日増です。賞与は平成元年の2カ月を、平成2年には3カ月、平成3年には4カ月、平成4年には4.5カ月にする。この計画を合宿でまとめ、平成元年の社員大会で発表しました。</p>
<p class="fs14 spacing10">そうしたら、場内からざわめきが聞こえてきましてね。みんなが喜んでくれているのだと思っていたら、後で聞くところによると「そんなことをしたら、会社は倒産するのではないか」というざわめきでした（笑）。社員がそんな心配をするくらいの思い切った改革でしたが、結果は大成功です。平成4年には計画をすべて実現し、なおかつ過去最高の利益を出すことができました。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────勝算があっての改革だったのでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">いえ、私も不安でした（笑）。年間休日も賞与もこんなに増やして、果たして耐えられるのだろうかと。それは不安でした。しかし結果的には、思い切った改革をしたことが大成功につながったということなんですね。この経験で得たのは、「社員の待遇を改善したからといって、会社はつぶれない。むしろ成長する」という実感です。これは今では、私の信念にもなっています。</p>
<p class="fs14 spacing10">そして平成5年にバブルが崩壊し、大企業が一斉に採用の門戸を閉めました。たまたまそのタイミングで当社は大卒採用を開始し、大卒一期生が入社してきました。このときに、年間休日57日、年間賞与2カ月の会社のままであれば、いくら就職先がなくても大卒者は来てくれなかったでしょう。それがたまたま、バブル崩壊を予測していたわけではありませんでしたが、将来の目標に向かって一生懸命に努力をしていたら、運が向いてきたわけです。</p>
<p class="fs14 spacing10">昨年の4月には、大卒16期生が入社しました。現在、社員数は約1100名。その6割以上を大卒者が占め、社員の平均年齢は31歳前後です。ですから、当社は昭和29年に創業して56年目を迎えますが、非常に若い会社です。この現在があるのも、平成元年に思い切った大改革に踏み切ったからこそなのです。</p>
</div>
<h3 class="fs18">390円、490円、590円。価格帯を絞り込んで成功</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10">ところが、今から9年前に次の壁にぶつかりました。価格競争の壁です。2000年にマクドナルドが「平日半額バーガー」と銘打って65円のハンバーガーを出しましたね。翌2001年には牛丼チェーンの吉野家が400円の牛丼を280円にした。ほかの牛丼チェーンも右へならえで、マクドナルドを筆頭に大変な低価格が世の中に出回るようになり、当社の売り上げが伸び悩み始めたのです。</p>
<p class="fs14 spacing10">では、なぜ不振に陥ったのか。当時、当社も低価格路線を取っていたのですが、価格にインパクトがなかったんですね。まず、価格の種類が多すぎました。390円、430円、450円、470円、530円と、いろいろな価格があったわけです。ペガサスクラブのチェーン展開理論では、価格は絞り込んだほうがよいというのが定説です。それに従ってメニューをすべて見直し、390円、490円、590円の3種類に価格を整理しました。</p>
<p class="fs14 spacing10">同時にスープの味も見直しました。当時はこってり系スープの「㐂伝（きでん）」とあっさり系スープの「会津っぽ」の2業態を展開していたものを、2つをドッキングさせた味をつくって1業態に絞り、店の外装は屋号よりも「中華そば　390円」という価格が目立つ装飾にした。こうしてできたのが、今の「幸楽苑」の原型です。</p>
<p class="fs14 spacing10">そして、まずは大赤字を出していた不振店を実験店にして「幸楽苑」に改装したところ、月商が500万円程度だった売り上げが1000万円近くにまで伸びました。もう1店の不振店も「幸楽苑」に変えてみたら、やはり手応えがあった。これはいけるということで全店をすべて「幸楽苑」にし、一気に急成長して平成14年には東証二部に上場、翌年には東証一部に上場しました。これが今日に至るあらましです。</p>
</div>
<h3 class="fs18">後継者の不振で3期連続の減収。最大の危機を迎える</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────東証一部上場の翌年には会長職に就かれましたが、その3年後に社長に復帰されました。</em></p>
<p class="alignleft"><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/kourakuen_0501_a.jpg" alt="" /></p>
<p class="fs14 spacing10">東証二部に上場したのが58歳のときで、一部上場が59歳のとき。私のようなものがずっと社長の座にいると辞めるタイミングを失ってしまうんですね。そこで60歳を迎えるにあたって、当時、専務職にあった者に「来年、私は会長に退くから、キミが社長をやりなさい」と、社長を譲ったわけです。</p>
<p class="fs14 spacing10">ただし、当社には古くからの掟がありましてね。「赤字決算を2期連続、または減益決算を3期連続でやったら、社長は責任を取って直ちに辞任すべし」ということを、私が現役の頃から自分自身を律するためにいい続けてきました。そうしたところ、私が社長を譲った年には197億円の売り上げで18億円の経常利益があったものが、その翌年には15億円になってしまった。3億円のマイナスですね。さらにその翌年には11億円になり、3年目の10月の中間決算では8億円になる見通しだという。3期連続の増収減益が決定的になったわけです。</p>
<p class="fs14 spacing10">経営というのは、難しいんですね。新社長を任せた者は、23歳で入社して店舗からスタートし、現場を知り尽くしている者でした。勉強家でしたからチェーンストア理論にも精通し、どこで勉強したのかPL（損益計算書）やBS（貸借対照表）の読み方は、経理部長よりも詳しい。専務を10年間務め、特に後半の5年間はあらゆる会議で私の発言力を上回っていましたので、私は万事を託して譲ったわけです。</p>
<p class="fs14 spacing10">ところが、それだけの能力があった者が経営をしてみたら、3期連続の減益。本人も自信をなくしたのでしょう。「社長を辞任したい」と、自分から申し出てきました。そこで、私がもう一度社長に戻ることになったわけです。このときが、幸楽苑の最大の山場でしたね。病気の患者でいえば、「生きるか死ぬか」という事態です。</p>
<p class="fs14 spacing10">10月の取締役会で社長に復帰し、翌年3月の決算までの期間は正味5カ月。それだけの期間しかありませんでしたが、まずは何とか3億円の経常利益を上乗せして11億4000万円の増益決算に持ち込みました。そして、その決算を含めて昨年3月までに3回の決算を行いましたが、すべて増収増益です。さらに40期を迎える今年度は、店長の年収を約100万円底上げしました。こうしたことができるまでに、この3年間で幸楽苑は息を吹き返したのです。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>「生きるか死ぬか」という窮地からの、劇的なV字回復を果たした幸楽苑。新井田社長は、どのようにして経営を立て直したのでしょうか。後編では、新井田社長の業績回復の秘策を伺います。</em></p>
</div>
</li>
</ul>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>永遠のアマチュア精神で、『挑戦する風土』をつくり上げる（後編）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/person/2010/01/post-71.html" />
    <id>tag:www.obt-a.net,2010:/web_jinzai_magazine/person//2.472</id>

    <published>2010-01-27T01:00:00Z</published>
    <updated>2010-01-27T10:53:23Z</updated>

    <summary>ファイテン株式会社</summary>
    <author>
        <name>OBT</name>
        
    </author>
    
        <category term="この人に聞く" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/person/">
        <![CDATA[<ul class="secList">
<li class="clearfix">
<p class="photo"><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/phiten_00.jpg" alt="" /></p>
<div class="textArea">
<p class="fs16 spacing10"><em><$MTEntryTitle$><br />
ファイテン株式会社<br />
代表取締役　<br />
平田好宏さん</em></p>　
<p class="fs14 spacing10">「Yes, we can.」 オバマ大統領が大統領選でのキャンペーンスローガンに選んだこの言葉は、またたく間に世界に広まりました。今やリーダーだけでなく組織の一人ひとりに、困難な課題に向かう姿勢が求められていることを象徴する言葉といえます。では、どうすればそのような風土を組織に根づかせることができるのか。ファイテンの代表取締役社長　平田好宏さんは、そのヒントは「アマチュア精神にある」といいます。同社は、チタン等を含有する機能性商品などの健康事業を手がける企業。水に溶かすことは不可能だといわれていたチタンを溶かすことに成功し、業界内外の注目を集めた企業でもあります。不可能を可能にする組織を、どのようにしてつくり上げたのか。平田社長に伺いました。</p>
</div>
</li>
<li>
<p class="fs14 spacing05"><em>ファイテン株式会社</em> （<a href=" http://www.phiten.com/" target="_blank"> http://www.phiten.com/</a>）</p>
<p class="fs14 spacing20">1983年設立。平田氏が個人経営による治療院から転じ、創業。プロ野球選手を始め、スポーツ界には同社製品の愛用者が多く、2002年のFIFAワールドカップ開催時には、日本代表選手が同社の『RAKUWAネック』をつけていたことから一般消費者の間でも大流行。2007年には日本で初めて、MLB（メジャーリーグ）とオーセンティックコレクションライセンス契約を締結。MLB選手がグラウンドで使用する野球製品の各カテゴリーにつき1社のみに発行される特殊なライセンスを獲得する。現在では、スキンケア製品や食品・飲料にも商品を拡大。航空会社などの他社に素材を提供する素材事業も拡大中。<br>
企業データ／資本金：3000万円、従業員数／680名（2009年4月末現在）、国内店舗数／150店、海外店舗数13店（2009年4月末現在）
</p>
<p class="fs14 spacing05"><em> YOSHIHIRO HIRATA </em></p>
<p class="fs14">1953年生まれ。1972年、京都の織物メーカー・矢代仁に入社。1973年に料理人に転向し、複数の料理店で経験を積む。1980年に突然倒れ、膠原病と診断されるが半年ほどで自然治癒。この体験を機に1982年に個人治療院を開業、1983年にファイテン株式会社を設立。代表取締役に就任。</p>
</li>
<li class="end clearfix">
<h3 class="fs18">トップ自ら象徴的な事例をつくり、社内の意識を改革</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────『昔のファイテンに戻る取り組み』（前編参照）とは、どのようなものでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">当社には3種類の社員がいます。まず、『昔のファイテン』をよく知る、ブーム以前からいる社員。そして、ブームの真っただ中に入社してきた社員。最後に、ブームの後に入社してきた社員です。この中で人数が一番多いのがブームの最中に入社してきた社員で、彼らが一番のネックになっています。当社がプロモーション戦略で物を売ろうとしていた時代に入ってきましたから、その発想が抜けないんですね。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────具体的にはどのようなことをされているのでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">我々がやるべきなのは、宣伝戦略でものを売ることでも、収益だけを追求することでもなく、お客さまの笑顔を増やすこと。彼らの価値観を、そう変換しなくてはいけません。しかし、これは言葉で言っても伝わらない。お客さまに喜ばれるのがどういうことなのかを、形にして見せなくてはいけないんです。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────社員の意識改革も商品開発と同様（前編参照）、理屈ではなく実践から入るということでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">そうです。例えば、「ガンに効く薬ができた」といっても、理論だけでは人の気持ちは動きませんよね。実際にその薬でガンが治った人がいるという話になると、ワッと注目が集まるわけです。事実には、すべてを突き抜ける力がある。問題は、その事実をいかにつくり、見せつけるかということです。</p>
<p class="fs14 spacing10">その一つの試みとして一昨年、『PSS商品』というまったく新しい商品を開発しました。関わったのは、私とベテラン社員一人のみ。この商品開発で、私はいくつかのルールを決めました。まず、大々的なプロモーション活動はしない。『PSS』とは、『ファイテンサポートシステム（Phiten support system）』の略ですが、『PSS友の会』というファイテンの友の会会員の方々にだけ、クチコミで販売しようということです。</p>
<p class="fs14 spacing10">さらに、『アクアチタン』や『アクアゴールド』（※）という、当社のスター素材には頼らない。ウリは「商品の良さ」だけ。社員たちは、「社長がバカなことを始めた」と思っていたでしょうが、結果はどうなったか。『PSS商品』は、会員の間にダーッと一気に広まりました。</p>
<p class="fs12 spacing10" style="padding-left:10px;">※『アクアチタン』、『アクアゴールド』：ナノレベルでチタンやゴールドを水中に分散させたもの。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────具体的にはどういった商品なのですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">セラミックを配合したマッサージクリームなどです。既存のヒット商品に類似する物はつくらないと、これもルールとして決めていました。宣伝もしませんから、どういうクリームなのかは「お客さまがご自分で実感してください」と。そんなやり方で売れるのかと思うような展開をあえてしたわけですが、お客さまに価値を感じていただければ、広告宣伝に頼らなくても商品は広まるんです。</p>
<p class="fs14 spacing10">社員の意識にブレがなければ、こういった象徴的な事例をつくる必要はないかもしれません。しかし、ブームを機に『儲ける』ことに意識が向いてしまった。お客さまが喜んでくださるというベースのうえに、我々の企業の存続や利益があるわけで、『儲かること』が優先されるのは、非常に危険です。ですから、私が自ら『お客さまに喜ばれれば売れる』という事実をつくって、社員の意識をとり戻そうとしているんです。</p>
</div>
<h3 class="fs18">『土曜日の会議』や『宴会会議』で組織を活性化</h3>
<div class="txt"> 
<p class="alignright"><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/phiten_0201_b.jpg" alt="" /></p>
<p class="fs14 spacing10">ただ、組織がこれだけ大きくなると、ワンフロアーで仕事をしていたころとは違って、私の影響力がなかなか隅々にまで及ばなくなります。その中で、どうコミュニケーションを取るか。これについては、いろいろな工夫をしています。</p>
<p class="fs14 spacing10">最近始めたのは、日常業務や互いの立場を離れて、自由に議論できる場を設けることです。具体的には、月に一度、土曜日に社員を集めてミーティングを開いています。「ファイテンで働いていることを活用して、自分のアイデアを何か実現してみないか」と。社員から事業や商品のアイデアを自由に出してもらい、その場には私も入ってみんなで議論するんです。休日ですから、無礼講。会議の終了時間も決めませんし、「お前、何をバカなことをいっているんだ」という怖い上司もいない（笑）。</p>
<p class="fs14 spacing10">みんなでワーッと自由な議論をして、できれば新人からスターを出したいんですね。いいアイデアを出せば採用されて、新人でも事業を任されるという現実を見せてやりたい。社歴や立場を気にして自分を押し殺す組織になりつつありますので、その風土は変えなくてはいけないと感じています。</p>
<p class="fs14 spacing10">また、開発スタッフの思考が硬直化してきたなと感じたら、1泊2日で連れ出すようにしています。そして、美味しいものを食べて酒を飲んで。酔っ払ってくるとお互いの警戒心も解けますから（笑）、本音で話ができるようになってくるんです。これは、ある経営セミナーで聞いたホンダ（本田技研工業）の手法を参考にしたやり方なのですが、ホンダには『三日宴会会議』というものがあったそうです。</p>
<p class="fs14 spacing10">企画関連のトップを集めて会議をすると、最初はお互いにバリアを張ってコミュニケーションがなかなか取れない。それが二日目の宴会が終わって、裸で一緒に風呂に入るころになると、本音の意見が出始めるのだそうです。そして三日目は非常に盛り上がって、「そのアイデア、ぜひやろう」となる。</p>
<p class="fs14 spacing10">まずは警戒心を解いて、同じ会社の仲間なんだということを再認識し、自分をよく見せる必要はないんだとプライドを捨てたときからしか、話は始まらないんですね。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────人の気持ちは、理屈だけでは動かないということでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">すぐ構えて、すぐに偉くなります。ちょっと物を知ると、もう"博士"になってしまう。チームワークは、自分は相手よりも偉いと思った瞬間にダメになりますね。妙なプライドに固執せず、相手を自分よりもすごいと思っている者同士が、いいチームワークを発揮します。</p>
</div>
<h3 class="fs18">健康産業から素材産業へ</h3>
<div class="txt"> 
<p class="fs14 spacing10"><em>────今後の事業展開は、どのようにお考えですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">事業は今、これまでの健康事業から素材事業へと大きく広がっています。例えば、全日本空輸（全日空）が2010年2月から展開する新しいプロダクト・サービスブランド『Inspiration of Japan』では、機内サービスで提供する寝具に当社のアクアチタン技術が採用されました。</p>
<p class="fs14 spacing10">アクアチタンは、これまでは当社の健康事業の中でだけ活用してきましたが、まだまだ大きな可能性を秘めた素材です。新しい農業や半導体への転用など、いろいろな案件が動いています。当社は、外から見れば健康産業を手がける会社ですが、いってみれば『水溶性金属のエキスパート』。今後は、素材事業にも注力していきます。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────農業にも応用できるのですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">できます。すでに卵も（※1）、お米もつくっています（※2）。他産業への転用も、事実をを示さないと関心を持ってもらえませんから、まずは自社で取り組んでいます。素晴らしい卵やお米ができますよ。</p>
<p class="fs12 spacing10" style="padding-left:10px;">※1　ファイテンGエッグ。エサや環境にこだわり、『アクアゴールド』を配合した水で育てた鶏から生まれた卵。</p>
<p class="fs12 spacing10" style="padding-left:10px;">※2　ファイテンのこしひかり。発芽、育苗、田植え後のすべての段階で、『アクアゴールド』を配合した水を与えて育てた米。</p>
<p class="fs14 spacing10">近々動く案件としては、京都府と滋賀県の農業試験場と共同で、これまでとはまったく違う卵づくりをして、近畿の特産物に仕上げようという試みを進めています。もうほぼできているのですが、非常に美味しくて、良質なたんぱく質を豊富に含んだ卵です。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────なぜ、美味しい卵ができるのですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">稲も鶏も、生き物という点では人間と同じです。人間の身体を健康にするのと同じように、農作物も家畜も健康に育ててあげればいいんです。雌鶏の身体を元気にしてあげれば、本当にいい卵をうみますよ。</p>
<p class="fs14 spacing10">鶏にいいということは、ほかの畜産にもいいはずなんですが、豚や牛は成育に時間がかかります。鶏は卵なら毎日採卵できますし、食用肉もブロイラーなら40日で出荷できる。そこで、まずは養鶏で試して、その結果をもとにほかの畜産業に働きかけようと考えています。水産業も同じで、マグロの養殖などは稚魚の死亡率が高いことが課題。稚魚を健康に育てることにも、当社の素材は力を発揮すると思います。</p>
</div>
<h3 class="fs18">人は「志」以上のものにはなれない</h3>
<div class="txt"> 
<p class="fs14 spacing10"><em>────後継者育成はどのようにお考えですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">公の場でいうのは初めてですが、ここ一年ほどで、「世襲はしない」という決心がやっとつきました。社員よりも子どものほうが経営者にふさわしいと思えば後を任せます。しかし、子どもだからというだけで経営権を渡す必要はありません。</p>
<p class="fs14 spacing10">これは悩んだ人にしかわからないと思いますが、世襲問題は創業者にとっては辛いものです。しかし、世襲をあきらめた瞬間に、気持ちが非常に楽になりました。このことはぜひ、世襲問題に悩む世の創業者の方々にもお伝えしたいですね。「諦めましょう」と（笑）。そうすれば、ものすごく楽になります。</p>
<p class="fs14 spacing10">ですから、後継者は私の弟子である社員から選ぼうと考えています。スター性を発揮してメンバーをひっぱっていくようなリーダーが社内に何人も誕生していますので、次に引き継ぐ準備はできています。ただ、私が急にいなくなることはやはり会社にショックを与えますので、問題はどういったステップでバトンタッチしていくかということですが、人は育っていますので心配はしていません。ただ、私のような創業者のカリスマ時代は、次の経営者には持ち込まないほうがいいと思いますね。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────平田社長はいつも、将来の目標をどれくらい先まで見越してお考えになるのですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">これは社員にもよくいうことなのですが、目的を持たず、目標だけを掲げると道を誤ります。目的は、今後歩こうとする道のセンターラインのようなもの。目標は、その途中にある一里塚のようなものです。『燃え尽き症候群』という言葉がありますが、あれは目標だけを見るからそうなるんです。ですから社員には、「まず目的を持ちなさい」といっています。できれば、次世代に継承できるくらいの目的が持てるといいですね。</p>
<p class="alignleft"><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/phiten_0401_b.jpg" alt="" /></p>
<p class="fs14 spacing10">また、私には「種土水光（しゅどすいこう）」という座右の銘があるのですが、これも同様の考えを表したもの。もう十年以上前のことになりますが、ある夜、不思議な夢を見たんです。私は、杉林の中で違う種類の木の種をまいていまして、それを杉に育てようとするのですが、何をどうやっても杉にはならない。なぜだろうと考えて、あっと気づいたんですね。そもそも種が違う、と。まいた後に何をしても、種のDNAの通りのものにしか育たない。そのことに思いが至ったときに、ぱっと『種土水光』の文字が現れた。そこで目が覚めました。</p>
<p class="fs14 spacing10">いつもなら夢はすぐに忘れてしまうのですが、このときだけはメモに書き留めたんです。それを翌朝にしげしげと見ていたら、これは何かが私にメッセージを送ったのではないかという気さえしてきまして、以来、座右の銘にしています。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────『種』『土』『水』『光』は、それぞれ何を象徴しているのでしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">『種』は『志』です。実際の種子がDNA以外のものにはなれないように、人は志以上の人にはなれない。自分が何者になりたいのかという志を、まずは持たなくてはいけないということです。『土』が意味するのは『努力』です。農業では土づくりが大切ですね。いい作物を育てるには、いい土をつくっていい肥料をやらなくてはならない。それと同じように、志を持ったら、次はわが身磨きを怠らないということです。</p>
<p class="fs14 spacing10">『水』は、『世間』を象徴しています。農業でいえば、水ほど治めにくいものはありません。鉄砲水に流されたり、干ばつで立ち枯れしたり。これは人に置き換えれば、まさしく世間そのものです。いくら志を掲げて自分を磨いても、世間が応援してくれないことにはどうにもならない。だから治水と同じように、自分から世間を動かしていくことが成功には欠かせません。そうすれば『光』が差し、本当の喜びややりがいが得られる。それが、『種土水光』なのです。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────ありがとうございました。</em></p>
</div>
</li>
</ul>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>永遠のアマチュア精神で、『挑戦する風土』をつくり上げる（前編）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/person/2010/01/post-70.html" />
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    <published>2010-01-13T11:00:00Z</published>
    <updated>2010-01-13T13:47:11Z</updated>

    <summary>ファイテン株式会社</summary>
    <author>
        <name>OBT</name>
        
    </author>
    
        <category term="この人に聞く" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/person/">
        <![CDATA[<ul class="secList">
<li class="clearfix">
<p class="photo"><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/phiten_00.jpg" alt="" /></p>
<div class="textArea">
<p class="fs16 spacing10"><em><$MTEntryTitle$><br />
ファイテン株式会社<br />
代表取締役　<br />
平田好宏さん</em></p>　
<p class="fs14 spacing10">「Yes, we can.」 オバマ大統領が大統領選でのキャンペーンスローガンに選んだこの言葉は、またたく間に世界に広まりました。今やリーダーだけでなく組織の一人ひとりに、困難な課題に向かう姿勢が求められていることを象徴する言葉といえます。では、どうすればそのような風土を組織に根づかせることができるのか。ファイテンの代表取締役社長　平田好宏さんは、そのヒントは「アマチュア精神にある」といいます。同社は、チタン等を含有する機能性商品などの健康事業を手がける企業。水に溶かすことは不可能だといわれていたチタンを溶かすことに成功し、業界内外の注目を集めた企業でもあります。不可能を可能にする組織を、どのようにしてつくり上げたのか。平田社長に伺いました。</p>
</div>
</li>
<li>
<p class="fs14 spacing05"><em>ファイテン株式会社</em> （<a href=" http://www.phiten.com/" target="_blank"> http://www.phiten.com/</a>）</p>
<p class="fs14 spacing20">1983年設立。平田氏が個人経営による治療院から転じ、創業。プロ野球選手を始め、スポーツ界には同社製品の愛用者が多く、2002年のFIFAワールドカップ開催時には、日本代表選手が同社の『RAKUWAネック』をつけていたことから一般消費者の間でも大流行。2007年には日本で初めて、MLB（メジャーリーグ）とオーセンティックコレクションライセンス契約を締結。MLB選手がグラウンドで使用する野球製品の各カテゴリーにつき1社のみに発行される特殊なライセンスを獲得する。現在では、スキンケア製品や食品・飲料にも商品を拡大。航空会社などの他社に素材を提供する素材事業も拡大中。<br>
企業データ／資本金：3000万円、従業員数／680名（2009年4月末現在）、国内店舗数／150店、海外店舗数13店（2009年4月末現在）
</p>
<p class="fs14 spacing05"><em> YOSHIHIRO HIRATA </em></p>
<p class="fs14">1953年生まれ。1972年、京都の織物メーカー・矢代仁に入社。1973年に料理人に転向し、複数の料理店で経験を積む。1980年に突然倒れ、膠原病と診断されるが半年ほどで自然治癒。この体験を機に1982年に個人治療院を開業、1983年にファイテン株式会社を設立。代表取締役に就任。</p>
</li>
<li class="end clearfix">
<h3 class="fs18">大病を機に、料理人から治療の道へ</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────平田社長は1983年、30歳のときにファイテンを設立されました。そもそもはご自身が大病を患われたことがきっかけだったと伺っています。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">そうですね。27歳のときに、国から難病として指定されている膠原病（こうげんびょう※）を発症しまして、それがきっかけといえばきっかけなのですが、当時はそれほど明確に健康産業を志したわけではありませんでした。お客さまのご要望に応えるうちに、今の姿になったということです。</p>
<p class="fs12 spacing10" style="padding-left:10px;">※膠原病：自己免疫疾患の一つ。自己の免疫に何らかの異常が発生し、関節や皮膚、内臓など、全身を攻撃する炎症性の疾患。厚生労働省によって特定疾患（いわゆる「難病」）に指定されている。</p>
<p class="fs14 spacing10">そもそも私は、京都府北部の丹後ちりめんで有名な絹織物の産地の生まれ。織物工場の跡取り息子として育ったのですが、20歳のときに父親が工場を閉じてしまったんです。本来ならば悲しい出来事なのでしょうが、私は生来の料理好き。料理人に憧れていたものですから、もう解放されたような気分で（笑）。すぐに料理の道に進みました。</p>
<p class="fs14 spacing10">その世界で20歳といえば後発ですから、遅れを取り戻すべく飲食店のアルバイトを3つはかけもちしたでしょうか。朝は京都市中央卸売市場に買出しに行き、昼は高校の給食センターで働いて、夜は 『皿寿司』といって、今でいう回転寿司のような店の板場に立って。働く先は、あえて庶民的な店を選びました。高級店は下積みが長くて、材料を触れるようになるまでに何年もかかる。でも給食センターや皿寿司のような職場なら、すぐに仕事をさせてもらえるんですね。</p>
<p class="fs14 spacing10">ただ無理がたたったのか、27歳で倒れましてね。病院に行ったら、「今すぐ入院してください」と。そして診断されたのが、膠原病でした。相当進行していたようで、家族は医師から「危ない」といわれていたようです。ところが、そのうちに自然と治り始めたんです。膠原病に特有の自己抗体（※）は、今も私の体の中に結構な数があるそうです。でも発症しない。なぜ発症しないのかは、今もわかっていません。謎のままです。</p>
<p class="fs12 spacing10" style="padding-left:10px;">※自己抗体：自分自身の組織や細胞を攻撃の対象としてしまう抗体のこと。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────民間療法を試すなど、ご自分で何かされたのですか？</em></p>
<p class="fs14 spacing10">いえ、何もしていません。あえていえば、気を楽に持ったということぐらい（笑）。ただ、難しい病気ですから、いくら楽天的な性分とはいっても心配で、再発しないように『家庭の医学』を始めいろいろな医学書を読み漁って自分なりに研究を続けました。そうするうちに、自分が得た知識や技術を使って、人のことも治したくなってきたんです（笑）。</p>
<p class="fs14 spacing10">そして調べてみると、私の年齢からでも取得できる治療家の資格があった。『療術』という、整体やカイロプラクティックなどで知られる治療法の資格で、夜間の定時制専門学校に通えば取得できると知り、すぐに京都市内の夜間学校に入学しました。そして2年間通って『療術師』の資格を取得し、治療院を開業したんです。これが、健康産業に携わるようになったきっかけです。</p>
</div>
<h3 class="fs18">独創的なアイデアの源は『素人の発想』</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────まずは飛び込んで"実践"するという発想は、料理人時代の店選びと共通していますね。</em></p>
<p class="alignright"><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/phiten_0201_a.jpg" alt="" /></p>
<p class="fs14 spacing10">そうですね。ですから、私はいつもプロではなくてアマチュア。しかし実は、そのことが一番の強みになりました。アマチュアは知識がありませんから、何にでもゼロから挑戦できる。これが大きいんですね。</p>
<p class="fs14 spacing10">どういうことかといいますと、治療院を開業したときに私が目指したのは、患者さまを『治す』ことでした。それまでの整体やカイロプラクティックは、肩こりや腰痛を『和らげる』治療が主。つまり、症状緩和のための治療なんですね。でも、私は大病をした経験があったせいか、根本的に治す治療がしたかったんです。</p>
<p class="fs14 spacing10">症状の原因の多くは普段の生活習慣にありますから、治すには生活改善が不可欠です。そこで患者さまにホームケアを勧めるのですが、誰もやってくれない（笑）。簡単なホームケアだったのですが、やはりご本人の意思の力がないとだめなんですね。ところが当時は、小さな磁石を絆創膏のようなテープで貼る健康グッズが流行っていた頃。ホームケアができない人も、それは使っているんです。「効きますか？」と聞くと、「いや、どうかな」と首をかしげるんだけれども貼っている。効くか効かないかわからなくても、絆創膏なら貼るわけです。</p>
<p class="fs14 spacing10">これだ、と。絆創膏のように貼るだけでいい手軽なもので、治療に効果のあるものがつくれないかと考えたんです。といっても、私はアマチュアで知識がありませんから、人がいいという物を手当たり次第に試しました。そして最初に見つけたのが、超伝導のセラミックです。次に、独自に加工した石英ガラスの粒を開発し、これが大評判になりました。ホームケア用の貸出用品として開発したものでしたが、「わけてほしい」という依頼が次々とくるようになり、治療院を閉めて製造に専念するようになったというわけです。</p>
<p class="fs14 spacing10">これが、『素人パワー』なんです。専門家なら、できるかできないかをまずは理論上で判断しますね。しかし、素人は理論を知りませんから、人がいいといえば何でも試します。そうやって、普通の治療家なら絶対に思いつかないような素材と出会ったことが、今につながっているんです。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────石英ガラスに出会われるまでに、どれくらいの数の素材を試されたのですか？</em></p>
<p class="fs14 spacing10">それはもう、ものすごい数ですね。当時はヒーリングストーンがブームになっていた頃でもありましたので、天然石は一通り試しました。でもダメでしたね。「"気"が入る」とか何とかというけれども、あれは『イワシの頭』の世界ですよ（笑）。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────素材はご自身の身体で試されるのですか？</em></p>
<p class="fs14 spacing10">自分自身でも試しましたし、患者さまにも使ってもらいましたね。気心の知れた方ばかりでしたから、「いい物をつくりましたよ」といってね（笑）。たいていは効果を確認しても、「効いてるようにも思うけれど、気のせいかもしれない」という程度の反応だったのですが、石英ガラスを試したときだけは「先生、あれはものすごくいいですね」と、みなさんがおっしゃる。「うわあ、じゃあこれだ」と。偶然の発見です。</p>
<p class="fs14 spacing10">ほかの業界でも、こういうことはよくありますね。例えば日本酒なども、昔は濁り酒しかなかったのが、たまたま樽に木灰が混入し、灰のアクに濁りが吸収されて澄んだ清酒ができたと聞きます。新しい発見は、偶然によるものも多いですね。</p>
</div>
<h3 class="fs18">思い込みを捨てれば、不可能も可能になる</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────どのようにすれば、偶然の発見に出会うことができるのでしょうか？</em></p>
<p class="fs14 spacing10">これという方法があるわけではありません。アマチュアの発想を大切にして、人がいいということを素直に受け取る。これだけです。プロ意識を持つと、素直に取り組むことができなくなるんですね。そうならないように、今も意識してアマチュア精神を忘れないようにしていますが、当社の開発スタッフなどはすぐに『知識汚染』を起こしますね。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────『知識汚染』、ですか？</em></p>
<p class="fs14 spacing10">私にいわせれば、知識は汚染物です。開発スタッフに新しいテーマを与えると、すぐにわかりますよ。「頭の中で否定し始めたな」と。研究室に入ったばかりの何も知らない社員は、私がいうことはすべて信じますから、「これはできる」といったら「できる」と信じるんです。「社長、そうはいっても...」と異論を唱える社員には、「試しもしないで、なぜできないといえるのか」と。その点は、よく話すようにしています。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────その後、水には溶けないといわれていたチタンを溶かすことにも成功されました。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">これもまずよかったのは、チタンは溶けないということを、我々が知らなかったということです。チタンは加工用素材としては、非常に優れているんですね。チタンそのものには健康に対する効力はありませんが、我々はある種のエネルギーを帯びさせる技術を開発したわけです。チタンは硬くて扱いにくい。水に溶かして布に染めることができれば、応用範囲はグッと広がりますから、「ならば、水に溶かそう」と。</p>
<p class="fs14 spacing10">さっそく実験を指示したところ、「チタンは水に溶けるのですか」と開発チームが聞いてきましたので、「世の中に水に溶けないものなんてないだろう」と一喝しましてね（笑）。彼らは私の言葉を信じますから、あらゆる資料を調べて、物を溶かす方法を片っ端から試し始めるわけです。そうこうするうちに、「溶けました」と。開発スタッフがチタンの水溶液を持ってきたんです。</p>
<p class="fs14 spacing10">コバルトブルーの溶液でした。しばらく待っても沈殿せず、上下の濃度が変わらない。これは溶けたぞということで特許申請したのですが、最初は受け付けてもらえませんでした。「ファイテンさん、嘘はいけませんよ」と（笑）。水に溶けるということが、信じてもらえなかったんです。そこで追試を行って改めてデータを提出し、『超微粒子チタン分散水』として特許登録しました。</p>
</div>
<h3 class="fs18">先が見えないときには、トップのリーダーシップが不可欠</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────「チタンは溶ける」と信じて疑わなかったことが、画期的な発見につながったのですね。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">そうです。「できない」と思った瞬間に、人間は思考と行動を止めます。能力があろうがなかろうが、「できる」と信じている人間だけで開発しないと、新しい試みは実現しないんです。</p>
<p class="fs14 spacing10">ただしスタッフを動かすには、「できる」と確信させなければならない。では誰が確信させるのかといえば、当社でいえば私です。「なぜできるのか」と聞かれれば、「俺には未来が見えるんだ」くらいのことは言いますからね。いや、実際には見えませんよ（笑）。けれども先が見えないときには、トップがしっかりとリーダーシップを取らなくてはいけない。自分の直感を信じて、得体の知れない物事に向かって行動を起こせるかどうか。その勝負だと思いますね。</p>
<p class="fs14 spacing10">「できる」と信じて行動を起こすと、実践を通して得た知識が自分の中に入ってきます。『実践知』ですね。『暗黙知』といってもいいでしょう。自覚していなくても、暗黙知が潜在意識の中にどんどん入ってくる。このことに、非常に意味があるんです。やがて、暗黙知からアイデアが自然と湧き出てきます。そうなれば、不可能を可能にするような発見も、次々と生まれるようになる。そのときのトップの役目は、不可能へのチャレンジを面白がる風土をつくることです。人間、気持ちがのってこないとアイデアは出ませんからね。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────そのためには、まずはアイデアを生むに足るだけの暗黙知を蓄積する必要がありますね。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">そうです。ですから、まず、自分は物を知らないということを悟る。そして、夢中になって手足を動かすことが必要なんです。</p>
</div>
<h3 class="fs18">ファイテンブームの後に訪れた危機</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────その後、2002年に行われたサッカーのワールドカップで、日本代表選手がファイテンの『RAKUWAネック（※）』を身につけていたことが話題になりました。その直後からファイテンブームが巻き起こり、2002年度は約71億円だった売上高が、翌年度には202億円にまで急伸したと伺っています。</em></p>
<p class="fs12 spacing10" style="padding-left:10px;">※RAKUWAネック：ファイテンの代表的な製品。ファイテンの『アクアチタン（ナノレベルでチタンを水中に分散させたもの）』を含浸させた生地でつくられている。</p>
<p class="alignleft"><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/phiten_0501_a.jpg" alt="" /></p>
<p class="fs14 spacing10">あのブームを境に、当社は明らかに変わってしまいました。ブーム以前は、当社の商品はやはり売りにくいものだったんですね。特に、新規のお客さまにどういうものかをなかなか理解いただけなかった。ですから、どんなものかを解いて理解者を開拓していくという、地道ですが、非常に固い地盤を築く営業スタイルで、右肩上がりの成長を続けてきたんです。</p>
<p class="fs14 spacing10">それが、ワールドカップで大ブレイクして、待っていればお客さまの方から買いにきていただけるようになってしまった。これも、ある種の暗黙知です。一度甘い汁を吸うと、何度も同じ汁が吸いたくなる。ですから、有名なスポーツ選手に『RAKUWAネック』をつけてもらって、コマーシャルをバンバン打って。プロモーションに頼って商品を売るようになり、きちんとした理解者をつくる努力をしなくなってしまったわけです。それ以降、業績は伸びても、企業の実力としての地盤は沈下する時期が続きました。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────どういったときに、地盤沈下を感じるのですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">お客さまに会うとわかります。当社の商品への期待が薄い方が増えているんです。「（阪神タイガースの）金本選手がつけているから」といって購入される方もいらっしゃいます。当社の商品は、健康を本気で取り戻したい方にご利用いただきたいものであって、ファッショングッズではないんです。それなのに、非常にライトタッチに売れ始めている。ですから、よく売れますが、ドロップアウトしていくユーザーも非常に多くいらっしゃいます。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────顧客が定着しないということですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">新規のお客さまは次々と獲得できていますが、このままでいけば、業績にも影響しかねません。ですから、我々は大ヒットする前の、昔のファイテンに戻らなくてはいけない。そのためにここ3年ほど、いろいろな工夫や努力を続けているところです。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>「大きな成功の陰には、必ず大きな危機が潜んでいる」と平田社長はいいます。組織をどう立て直すのか。後編では、ファイテンの組織活性化への取り組みを伺います。</em></p>
</div>
</li>
</ul>]]>
        
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>強い組織には理由がある　　　──理念経営を支えるマネジメントシステム（後編）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/person/2009/12/post-69.html" />
    <id>tag:www.obt-a.net,2009:/web_jinzai_magazine/person//2.459</id>

    <published>2009-12-22T03:00:00Z</published>
    <updated>2009-12-22T05:38:11Z</updated>

    <summary>ワタミ株式会社</summary>
    <author>
        <name>OBT</name>
        
    </author>
    
        <category term="この人に聞く" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/person/">
        <![CDATA[ <ul class="secList">
<li class="clearfix">
<p class="photo"><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/watami_00.jpg" alt="" /></p>
<div class="textArea">
<p class="fs16 spacing10"><em><$MTEntryTitle$><br />
ワタミ株式会社<br />
代表取締役社長　COO<br />
兼　ワタミフードサービス株式会社　代表取締役社長　COO <br>
桑原 豊さん</em></p>　
<p class="fs14 spacing10">2009年6月、ワタミでは創業以来初のトップ交代が行われました。創業者である渡邉美樹・代表取締役会長・CEOからグループ経営を託されたのは、桑原豊・代表取締役社長 COO。「変えてはいけないことを守り続けることが後継者の役目」と、「理念経営」の継承を明確な方針として掲げます。創業から25年にして、店舗数は国内・海外あわせて641店、社員数は約4,000名。巨大グループに成長してもなお、グループ全体で理念を共有できているのはなぜなのでしょうか。何が、ワタミの成長を支えているのでしょうか。2代目トップとしてグループを率いる、代表取締役社長  COO　桑原豊さんに伺いました。</p>
</div>
</li>
<li>
<p class="fs14 spacing05"><em>ワタミ株式会社</em> （<a href=" http://www.watami.co.jp/" target="_blank"> http://www.watami.co.jp/</a>）</p>
<p class="fs14 spacing20">1984年、有限会社渡美商事として創業。居酒屋チェーン「つぼ八」本部とフランチャイズ契約を結び、渡美商事の1号店となる居酒屋「つぼ八」高円寺北口店を出店。1986年、株式会社ワタミを設立。1992年に「豊かで楽しいもうひとつの家庭の食卓」をコンセプトとした自社ブランドの新業態開発を行い、1号店居食屋「和民」笹塚店を出店。1998年に東証二部に上場、2000年に東証一部に上場。2002年には（有）ワタミファームを設立し、農業に参入（2003年に株式会社ワタミファーム設立）。2005年、持ち株会社制に移行。2006年には介護事業に、2008年には高齢者向け宅配事業に参入し、「外食」「介護」「高齢者向け宅配」「農業」を主な事業領域に据える。「地球上で一番たくさんの"ありがとう"を集めるグループになろう」をスローガンに、理念に基づく事業展開を推し進める。<br>
企業データ／資本金：44億円1,000万円、従業員数／4,130名（連結、2009年9月末現在） 、外食店舗数／641店（2009年10月末現在）</p>
<p class="fs14 spacing05"><em> YUTAKA KUWABARA </em></p>
<p class="fs14">1958年生まれ。1978年、株式会社すかいらーくに入社、エリアマネジャーに就任。1983年、株式会社藍屋に入社。和食レストランチェーン「藍屋」の創業に携わり、第1号店の店長に就任。その後、生産部長、商品開発部長、営業部長を歴任。1998年、ワタミフードサービス株式会社に入社し、営業本部長に就任。1999年には常務取締役営業本部長に就任。すかいらーくと藍屋で学んだチェーンストア理論を活かし、現在の外食約630店を支える基盤を構築する。2004年にはワタミダイレクトフランチャイズシステムズ株式会社代表取締役社長COOに就任。2009年6月、ワタミ株式会社代表取締役COOに就任。</p>
</li>
<li class="end clearfix">
<h3 class="fs18">「トヨタ生産方式」に、経営の基本を見出す</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────桑原社長はワタミご入社以前に、すかいらーくと藍屋でさまざまなご経験を積んでこられました。ワタミの店舗運営の問題点を見抜いて着実な手を打ってこられたのは、こうした知見と、第三者的な目で社内を見ることができたからこそ、でしょうか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">第三者的な目で見ていたつもりはありませんでしたが、知識や経験はやはり必要だと思いますね。私の場合はたまたま運が良くて、前職では営業部長として店舗を統括し、商品開発も手がけ、仕込みセンターを立ち上げて生産部長を務め、いろいろな経験を積むことができました。こういった経験が血肉になるには、単なる担当者としてではなく矢面になる立場として、つまりリーダーとして関わることが必要ですが、そういった責任ある立場で外食チェーン経営の根幹に関わる経験をしてきたことは、大きいと思いますね。</p>
<p class="fs14 spacing10">そしてもう1つ、私の仕事観で一番大きな影響を受けたのは、トヨタ生産方式です。私が藍屋で仕込みセンターを立ち上げたときのことですが、トヨタ出身の方々がつくった研究団体に加盟しましてね。6年間、生産部長として矢面になって、徹底的にトヨタ生産方式の指導を受けたんです。</p>
<p class="fs14 spacing10">なかでも叩き込まれたのは、店舗運営の改革でもお話ししました、「正（しょう）」を決めるということです（前編参照）。自社の現状は本来はどうあるべきなのかという「物差し」を持つということ、一般的にいえば「基準」を決めるということです。</p>
<p class="fs14 spacing10">自分たちがどこに向うのかという目標や方針を明確にし、そのためのあるべき状態としての自社の「正」を決める。そして自社の現状を把握して、不足をどう埋めるのか、課題の優先順位をどう見極めるのかを考える。この改善手法はものづくりに限ったことではなく、経営全般に通じることなんです。</p>
<p class="fs14 spacing10">ではなぜ、こういった一連のステップの中で、「正」を決めることが重要視されるのか。どんな企業にも、目標や目指す方向というものはあります。これがない会社は、まずないでしょう。では何が足りないのかというと、現状把握です。みんな感覚ではわかっているんです。でも誰も、自分の会社の現状を正しく把握できていない。把握するには、物差しが必要です。現状の何が問題で、何は問題ではないのかを見極めるには、「正」に照らし合わせることが必要なんです。</p>
<p class="fs14 spacing10">例えば今、目の前に、このインタビューを録音するためのICレコーダーが、何気なく置いてありますね。トヨタ生産方式の指導では、「この『正』は何だ？」と問われるわけです。聞かれた私は、「は？」ですよ。だって、そうじゃないですか（笑）。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────考えたこともないですね。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">そうでしょう。でも「定位置はここなのか？」、「この場所でよいとすれば、そのルールは明文化されているのか？」「誰がそのルールを定めるのか？」と。質問攻めが始まるんです。当時の例でいえば、トヨタ生産方式の先生が仕込みセンターにやってきて、アルバイトスタッフの動きをつぶさに観察するわけです。そして、「君は、仕事をしていない人間に給料を払っている」と、こうくるんです。ですから私も、「先生、何をいうんですか」と。「このスタッフは今、調理器具を片づけているところで、あちらのスタッフは材料を運んでいるところです」と説明をしました。そうしたら、「彼らは、何の加工もしていないではないか」と。こう指摘されるわけです。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────物を運ぶのは仕事ではない、ということですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">そうです。なぜならその間、釜は使われずに遊んでいるわけです。ですから、「君の工場はムダが服を着て歩いている」と（笑）。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────厳しい指摘ですね。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">でも、一番わかりやすかったですね。なぜムダに気づかないのかといえば、「正」が決まっていないからなんです。といっても高いレベルを目指す必要はなくて、まずは自分たちの現状の中での「正」、つまりは「基準」を決める。このことが、私はいやというほど身体に染みついているんですよ。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────何が「正」なのかは、どう判断すればよいのでしょうか？</em></p>
<p class="fs14 spacing10">自分たちで決めればいいんです。「正」がないことが問題なのであって、「これが『正』だ」というものを、何でもいいから決めればいいんですよ。「正」がなければ、「店は一生懸命やっています」といわれても、その努力が正しいのかどうか判断できませんよね。「正」があれば、現状に何が足りないのかは一目瞭然です。ですからまずは「正」を決めて、次に目指すべき方向を明らかにし、その間を埋めるために現状を把握して、優先順位を決めて課題を解決していく。どんな経営であっても、これ以外に方法はないと思うんですね。</p>
</div>
<h3 class="fs18">自社の強みが活きる事業領域に特化する</h3>
<div class="txt"> 
<p class="fs14 spacing10"><em>────そういった外食部門の改革を経て、今期からはワタミグループ全体を統括する立場になられました。グループとしての強みと今後の打つべき手を、どうご覧になっておられますか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">ワタミグループとしての強みは、大きく2つあります。1つは事業領域にブレがないということです。現在、ワタミグループは「外食」、「介護」、「高齢者向け宅配」を中心とした事業を展開していますが、これらはすべて「人が人を幸せにする事業」なんですね。グループのスローガンにある、「地球上で一番たくさんの"ありがとう"を集めるグループになろう」という理念につながる事業領域にしか、ワタミは進出しません。これが1つ目の強みです。</p>
<p class="fs14 spacing10">現在、ワタミグループには、海外も含めると約4,000名の社員がいます。その一人ひとり、それこそ香港にいる社員一人に至るまで理念をしっかり共有できているかどうか。そのことがいつも心配で仕方がないというくらいに、ワタミでは理念の共有を最重要視しています。そして「理念経営が活きる事業にしか進出しない」と、事業領域の選択基準を明確に示すことで、幹部は「経営の最重要課題は理念共有である」ということをいつも自覚している。これが1番目の強みになるということです。</p>
<p class="fs14 spacing10">2つ目の強みは、事業ポートフォリオのバランスが良いということです。景気を含めた外部環境の影響を受けやすい「外食」を展開する一方で、景気の影響を受けにくい「介護」や「高齢者向け宅配」がしっかりした柱に育ちつつあります。売上高でいえば現在、「外食」が国内外あわせて年間で約900億円（※）。全体に占める割合は約81％になります。一方で「介護」は約147億円で約13％、「高齢者向け宅配」は約43億円で約4％ですが、近い将来、「外食」以外の事業が全体の50％を超えるようになると予測しています。そうなれば、外部環境の影響に対してさらに強くなる。非常に良いポートフォリオが構築されていることが2番目の強みだと考えています。</p>
<p class="fs12 spacing10" style="padding-left:10px;">※売上高はすべて2009年3月期実績</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────「外食」以外の事業の売上高が全体の50％を超えるのは、何年後を予測されていますか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">2013年には超えてくるだろうと思いますね。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────近い将来ですね。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">近い将来です。ただしそれは、「外食」が成長しないということではありません。「外食」ももちろん成長しますが、ほかの事業はそれ以上の成長率で伸びるということです。なかでも、「介護」と「高齢者向け宅配」の成長が大きいと思いますね。</p>
</div>
<h3 class="fs18">理念浸透は、ゴールのないあくなき戦い</h3>
<div class="txt"> 
<p class="fs14 spacing10"><em>────「理念」を、国内外約4,000名の社員一人ひとりと共有ができている秘けつは、どこにあるのでしょうか。</em></p>
<p class="alignright"><img src="/web_jinzai_magazine/person/images/watami_0301_b.jpg" alt="" /></p>
<p class="fs14 spacing10">まず大切になるのは、グループ各社のトップを誰にするかということです。トップが何かを判断するときは必ず理念が基準になり、どんな場面でもその軸がぶれないこと。理念を共有するためには、これが非常に重要になります。トップにはこれができる人間しか選びません。</p>
<p class="fs14 spacing10">次に大切になるのが、いかにして社員に理念を伝えるかということです。ここで、だいたいみんなあきらめてしまうんですね。ポイントは、「理念共有は最重要課題である」と明確に定義づけてしっかりと時間を割くということと、共有するための仕組みを持つということです。事実、ワタミグループでは、トップを始めとする幹部の時間配分の中で、理念共有は一番大きなシェアを占めます。</p>
<p class="fs14 spacing10">仕組みも、いろいろなものがあります。まず「入社時研修」で理念を学び、その後も全社員が年に4回、必ず「理念研修会」に参加することになっています。ここで改めて理念を学び、考え、自分の中に落として帰る。このことを、くり返しているんです。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────理念は、くり返し伝え続けることが大切なのですね。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">そうです。ただ、これだけでは十分ではないんです。次のステップとしては、月に1回、各社で「階層別研修」というものを開き、それぞれの会社の全社員が参加します。この研修の一番の目的は、1カ月を振り返って自分の姿勢を見直すということ。だいたいみんな、入社したときが一番熱いんですよ（笑）。でも、日が経つにつれ少しずつ流されてしまう。それを、この研修会を機に立ち止まって理念と向き合い、この1カ月、理念の実現のために自分はどんな行動を取ってきたかを改めて考えようという場なのです。</p>
<p class="fs14 spacing10">それから「外食」を手がけるワタミフードサービスでいえば、「業務改革会議」という会議を毎週行っています。エリアマネジャー以上の幹部が集合し、そこで話された内容をエリアマネジャーはその日のうちに各店長に伝えます。週に一度、全員が必ず話をするんですね。これも、目的は理念共有です。具体的には、直前の1週間にあったクレームの報告やその対応策の周知徹底などを行うわけですが、この会社では何をすれば叱られるのか、何をすれば賞賛されるのかを、理念を軸にハッキリさせるということです。</p>
<p class="fs14 spacing10">私が会議でいろいろとうるさくいうことも、いわんとしているのは「なぜ、お客さまに喜んでいただけなかったのか」ということ。あるいは、「働く仲間をもっと大切にするには、どうすればいいのか」ということです。それだけをテーマに、お客さまからのハガキの1枚1枚を、徹底的に確認していくんです。</p>
<p class="fs14 spacing10">しかし、だからといってこれで全店が良くなるとは、これっぽっちも思っていません。これはもう本当に、あくなき戦いです。ゴールはないんです。これら一連の取り組みをやめてしまったら、そしてあきらめてしまったら、ワタミグループの理念は一気に崩れてしまいます。こういった一連の仕組みがあり、国内でも海外でもそれは同じだということが、社内で理念を共有できている理由の1つではないかと思います。</p>
</div>
<h3 class="fs18">「変えてはいけないこと」を明確にし、守り続ける</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing10"><em>────「理念共有」という不変のテーマを追求される一方で、経営の次の一手としてはどのようなことをお考えですか。</em></p>
<p class="fs14 spacing10">ワタミグループは今年、創業25周年を迎え、「起承転結」でいえば「承」の段階に入りました。経営トップが初めて交代した節目の年でもあります。そこで私が出した大きな方針は、変えてはいけないことを明確にし、それを今後も徹底的に追求していくということです。</p>
<p class="fs14 spacing10">こういった節目の年というのは、ともするとタガが緩み、大切にしなければいけないものを見失ってしまうことがあるんですね。そうしてダメになった会社を、私はたくさん見てきました。その原因は何かといえば、変えてはいけないことを変えたからではないかと思うんです。変えることが後継者の役割だとか、変えることでしか後継者としての存在価値を示せないという、そういったトップの誤解があり、とてもいいものを持っていたのに無くしてしまった。経営の継承がうまくいかない理由があるとすれば、そこではないかと思います。</p>
<p class="fs14 spacing10">では、何を変えてはいけないのか。大きくは3つあります。1つ目は、「外食」や「高齢者向け宅配」でいえばお客さま、「介護」でいえばご入居者様第一であり続けるということです。我々は、常にお客さまのためだけの店をつくりますし、ご入居者様のためだけのホームをつくります。これは、何があっても変えません。</p>
<p class="fs14 spacing10">2つ目は、我々に関わるすべての方々に優しい会社であり続けることです。一緒に働く仲間や取引先の方、あるいは株主の皆さまを大切にする会社であり続ける。これは、言葉にするのは簡単ですが、実践するのはたやすいことではありません。けれども、それをやってきたのが我々なんです。</p>
<p class="fs14 spacing10">そして最後に、経営トップを始めとする経営陣は、現場第一主義であるということ。トップが現場に出なくなったら、その会社は滅びると私は考えています。事実、私は週に4回から5回は店に行くようにしています。逆にいえば、店にいないといろいろなことがわからなくなってしまう。だから、店を見ていないと不安で仕方がないんですね。これが変えてはいけないことの3番目です。</p>
<p class="fs14 spacing10">具体的な事業展開でいえば、まずは「外食」「介護」「高齢者向け宅配」という3本柱を徹底的に深耕します。そしてさらに、「農業」。これをワタミグループの4本目の柱にするべく伸ばしていきます。今、ワタミファーム生産者ネットワーク（直営農業／協力生産者様）（※）で生産された有機野菜や特別栽培の農産物が、ワタミの野菜の仕入れ全体の約40％を占めるまでになりました。これを将来は100％にまで持っていきたいですし、ワタミグループ以外にも提供したい。そして安全で安心な食材を、もっと多くの方々に食べていただきたいんです。</p>
<p class="fs12 spacing10" style="padding-left:10px;">※ワタミファーム：ワタミグループの農業部門を担う農業生産法人</p>
<p class="fs14 spacing10">この、「外食」、「介護」、「高齢者向け宅配」、そして「農業」の4つの事業を柱に、「地球上で一番たくさんの"ありがとう"を集めるグループになろう」という夢に向かって目標は大きく、志は高く。今、何をしなければいけないのかをしっかり見据えて、着実に前進したいと考えています。</p>
<p class="fs14 spacing10"><em>────ありがとうございました。</em></p>
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