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        <title>現場ドキュメント</title>
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        <description></description>
        <language>ja</language>
        <copyright>Copyright 2012</copyright>
        <lastBuildDate>Wed, 25 Jan 2012 10:00:00 +0900</lastBuildDate>
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        <item>
            <title>第四回【仕事を極めた人の成長プロセス－後編】教育とは、生徒の能力を引き出すこと</title>
            <description><![CDATA[ <ul class="secList">
<li class="clearfix">


<div class="txt">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="トップ.jpg" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%97.jpg" width="166" height="213" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>
<br>
<div class="align center" style="width:600px;">
<p class="fs16 spacing10">"私立は公立の格下"と見られていた頃、無名だった私立灘高校を東大合格者数日本一にまで導いたといわれる橋本武さん。しかし、お話を伺うと「彼らを育てたというよりは、彼らが育っていったんですよ。人が育つのに重要なことは、押し付けではなく興味を持たせ、物事を深く調べるというきっかけを作ることです」とおっしゃいます。今回は、伝説の教師に教育についてお話をお伺いしました。<br/>（聞き手：伊藤みづほ、菅原加良子）
</p>
<br>
</div>
</li>
<li>
<div class="align center" style="width:600px;">
<p class="fs18 spacing15"><em> 【プロフィール】 </em></p>
<p class="fs18 spacing15"><em>橋本　武（TAKESHI HASHIMOTO）</em></p>
<p class="fs16 spacing15">1912年京都府生まれ。昭和9年私立灘中学に赴任、昭和25年から中学の現代国語に検定教科書を用いず、岩波文庫の『銀の匙』（中勘助著）一冊を三年かけて読み込むという特殊な授業を展開。昭和59年の退職まで、50年にわたり灘の教壇に立ち続けた。その変わった教育スタイルで2011年秋、イグ・ノーベル賞日本版を受賞。<br>
教え子は、故・遠藤周作氏や現神奈川県知事黒岩祐治氏を始め、各界の第一線で活躍をしている。</p>

</li>
<li class="end clearfix">
<h3 class="fs20">興味をもたせる</h3>

<p class="fs16 spacing15">
『銀の匙』をスタートさせた年の一番初めの授業の一時間目に生徒に"国語が好きか"と質問をしたところ、好きだというのが5％くらい、嫌いだといったのは5％、あとの90％は好きでも嫌いでもない。国語の授業があるから仕方なしにやってるんだという程度だったそうです。しかし、学年の終わりに同じ質問をしたところ、嫌いだというのはやっぱり5％、ところが、あとの95％は好きに変わっていたといいます。「好きでも嫌いでもなかったのが、好きになった。それは、作品の中に入り込んで、主人公と一緒に成長する。分からなければ、先生と一緒になって調べる。調べることが身につくから、普段でも分からないことがあると積極的に本を見るようになる。それが、自分から遊ぶ感覚で学ぶということですよ」と、橋本さん。</p>

<p class="fs16 spacing15">
また、授業では『銀の匙』の知識だけに偏らないよう、毎月『銀の匙』と同じ出版社の岩波文庫を指定して、課題を出し、生徒に読ませたといいます。その際、読んだ証に本のあらすじを原稿用紙2枚程度にまとめなさい。まとめるだけではなく感想を、どこの部分に感動したとか、どこの考え方が素晴らしいとか、こんな考え方には賛成できないとか、自分の思ったことをなんでも自由に書きなさいと。しかも、そこでは「宿題をしてくれば、平常点は満点です。上手に書こうと下手に書こうと賛成意見をいおうと反対意見をいおうと、自分の思った通り答えが書いてあれば、満点です。そうすると彼らは、こんなこと書いて点が引かれないかな、悪い点付けられたらたまらん。なんて気にする必要はなくて、思ったことが書ける。だから、あれも読み、これも読みってするんです。そうしているうちに、本に興味が湧いてきます。こうしていると、本を通して世の中を見たり、人間を見たりする目が広がっていく。そういったことを繰り返し行うことで、興味を持たせていくんです。だから、興味があれば自ら育つんですよ」。続けて橋本さんは語ります。「自然に遊んでいるつもりだけど、最終的にはちゃんと勉強になる。そうやって自然に仕向けていくことがプロの教師のやり方だと思っています」と。</p>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="IMG_1712.jpg" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/IMG_1712.jpg" width="320" height="240" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span>

<p class="fs16 spacing15">
しかし、「それをやらせる。それはもう大変な時間と労働ですね（笑）自分ではじめに本を読んで、この本は薦められるってものじゃないといけないし、書いてきた作文を読まなくちゃなりませんよ。でも、今頃になってね、生徒があの時の先生大変だったろうなあって思う。といってくれるようになった。その時は分からんで、宿題をいろいろいわれる。本を読まなくちゃいけない。まあ自分からはやるけれども、読まされているわけですからね。『銀の匙』の授業だって、生徒は他のことは知りませんから、こういう授業なんだなあってやっている。でも、社会へ出て自分が仕事をしたり、自分がモノを書いたりなんかした時に始めて分かる。それでいいんです。」</p>

</li>
<li class="end clearfix">
<h3 class="fs20">銀の匙再び</h3>

<p class="fs16 spacing15">
2011年6月橋本さんは、98歳で灘校での特別授業「土曜講座」にて再び教壇に立ち、27年ぶりに『銀の匙』の授業を行うこととなります。小学館が土曜講座の枠を2時間空けてくれて実現した企画だったそうです。当日はNHKや新聞・雑誌など16のメディアが全国から集まったといいます。「いい加減なことをやれば、『奇跡の教室』なんて言われていても、あんな程度のことかって、小学館の顔も潰れるし、私が50年やってきたこともダメになってしまう。ああ～さすがだなって思われなければ、浮かばれない。小学館の顔も立ちませんよ。気分的にとてもしんどかった」と橋本さん。</p>

<p class="fs16 spacing15">
授業は『遊ぶ感覚で学ぶとは』をテーマに話をし、高い評価を受けたそうです。</p>

<p class="fs16 spacing10">
現在の公式だけの詰め込み教育、そして、ゆとり教育の影響は、学校の中だけに留まらず、社会・ビジネスの世界でも大きな問題となっています。答えを欲しがる社員、与えられることに慣れてしまっている、また、ちょっとのことですぐに心が折れてしまう社員。それらの点についてお話をお伺いすると「教育って言うのは、叩いて、詰め込むんじゃなくて、生徒の能力を引き出していって、自分でやっていく力をつけて行かなかったら本当の教育じゃない。いわゆる、ゆとり教育っていうのは、その逆で、遊ばせてしまった。ゆとりっていうのはそんなもんじゃないんですよ。水準以上のことをやっているからゆとりが生じてくる。それなのに、そういう考え方を全然無視してしまって、遊ばせるのがゆとりだと思っている。それから、昔はね教育者のことを聖職者といっていたでしょ。今は労働者になっていますよね。昔の教育者は塾をやったような情熱家です。今の塾ではなく、昔の塾ですよ。今の塾は情熱はあるかもしれないけど、詰め込みすぎる。昔の吉田松陰さんの松下村塾（※）だとかは、人間づくり、人と人との交わりを大切にしていました。これはいい加減なもんじゃないですよ。今はそれが薄れてきている」と橋本さん。</p>
<p class="fs14 spacing15">
（※）松下村塾（しょうかそんじゅく）：江戸時代末期（幕末）に長州藩士の吉田松陰が講義した私塾。</p>

<p class="fs16 spacing15">
橋本さんのお話を伺っていると、時代の流れ、経済の豊かさとともに、人との関わりの希薄さが進み、それらが時代を担う子どもたちの教育の現場にも影響が出ているということを目のあたりにします。今後の学校教育・ビジネスマンへの教育はどうあるべきかを根本から考える時に来ていると痛感します。</p>

<p class="fs16 spacing15">
橋本さんへの最後の質問
――生まれ変わってもまた教育者になりたいですか？</p>

<p class="fs16 spacing15">
「また灘で先生がやりたいです。そのときの教材も考えています。今作っているんだけれども、もちろん『銀の匙』で、それはまたちょっと違う切り口で考えています。その教材が出来上がったら、学校に寄付します。そして、何十年か後、それを見た若い教師が『銀の匙』面白そうだから、これやってみるか。っていう人がおったら、それは私の生まれ変わりです」と橋本さんは嬉しそうに語ってださいました。<br/></p>
<br/>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="IMG_1728-.jpg" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/IMG_1728-.jpg" width="345" height="256" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span>

<br/><br/></p>

<h4 class="fs20">インタビュー後記</h4>
<br />
<p class="fs16 spacing15">
お話を伺った橋本さんの授業は、まさに日本の『詰め込み教育』とは全く違うものでした。<br>
<br>

教師から一方的に話をされ、それを聞くだけ・覚えるだけになっている現代の授業。また、日本の学校教育には必ず答えが用意されています。<br>
しかし、社会にでれば答えのない問題がたくさんあり、自らの考えで選択しなくてはいけない場面も多々でてきます。<br>
<br>

橋本さんが行ったのは、興味を持たせ、詳しく調べるという習慣を作り、自ら答え（見解）を出すことの楽しさ、学ぶということの本当の意味を自然と身につかせたこと。<br>
<br>
ゆとり教育・詰め込み教育など、学校教育について現在様々な見解が出され、見直しがされていますが、教育の本質は橋本さんの行った自らヤル気にさせること。教育はその手伝いをすることなのではないかと改めて感じました。<br>
</p>
]]></description>
            <link>http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/2012/01/post-102.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">現場ドキュメント</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 25 Jan 2012 10:00:00 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第四回【仕事を極めた人の成長プロセス－前編】&quot;伝説の教師&quot;の国語の授業</title>
            <description><![CDATA[ <ul class="secList">
<li class="clearfix">


<div class="txt">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="トップ.jpg" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/%E3%83%88%E3%83%83%E3%83%97.jpg" width="166" height="213" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>
<br>
<div class="align center" style="width:600px;">
<p class="fs16 spacing10">"私立は公立の格下"と見られていた頃、無名だった私立灘高校を東大合格者数日本一にまで導いたといわれる橋本武さん。しかし、お話を伺うと「彼らを育てたというよりは、彼らが育っていったんですよ。人が育つのに重要なことは、押し付けではなく興味を持たせ、物事を深く調べるというきっかけを作ることです」とおっしゃいます。今回は、伝説の教師に教育についてお話をお伺いしました。（聞き手：伊藤みづほ、菅原加良子）。
</p>
<br>
</div>
</li>
<li>
<div class="align center" style="width:600px;">
<p class="fs18 spacing15"><em> 【プロフィール】 </em></p>
<p class="fs18 spacing15"><em>橋本　武（TAKESHI HASHIMOTO）</em></p>
<p class="fs16 spacing15">1912年京都府生まれ。昭和9年私立灘中学に赴任、昭和25年から中学の現代国語に検定教科書を用いず、岩波文庫の『銀の匙』（中勘助著）一冊を三年かけて読み込むという特殊な授業を展開。昭和59年の退職まで、50年にわたり灘の教壇に立ち続けた。その変わった教育スタイルで2011年秋、イグ・ノーベル賞日本版を受賞。<br>
教え子は、故・遠藤周作氏や現神奈川県知事黒岩祐治氏を始め、各界の第一線で活躍をしている。</p>

</li>
<li class="end clearfix">
<h3 class="fs20">伝説の授業はこうして生まれた</h3>

<p class="fs16 spacing15">
幼少期は身体が弱く、また9人兄弟の長男として生まれたため、小さな弟妹たちの世話で小学校に入っても机に向かう時間、読書に勤しむ時間は殆ど無かったと語る橋本さん。しかし、小学校3年の国語の授業で、橋本さんの考え方は変わったといいます。</p>
<p class="fs16 spacing10">
「担当の先生が、教科書ほったらかしで授業中に講談本の話をしてくれましてね。弁慶や真田幸村の話をするんですよ。その話から自分が英雄になりきり、夢中になって追体験する。それが楽しくて、楽しくて」と橋本さん。そこから講談本に興味を持ち、時間を見つけては本を読みあさっていたそうです。橋本さんは"追体験こそが、学ぶ意欲を引き出す"と語ります。その後、学生時代には当時不治の病といわれた腹膜炎にかかったり、実家の事業の破産などで、一度は学問の道から外れそうになりますが、優秀だった橋本さんは、周りからの協力もあり、また、自らの努力によって当時超難関だった東京高等師範学校（※）に合格します。</p>
<p class="fs14 spacing15">
（※）当時の学制では、5年間の中等学校教育のあと、高等学校3年、大学3年として進学。しかし、家庭の経済状況で進学できない、優秀な学生が聖職に就けるように、学費免除で教育を受けさせる学校。</p>
<p class="fs16 spacing15">
卒業後は金沢の公立中学に行くはずだったのですが、学校側の事情で、急遽私立の灘中学を薦められ灘での教師生活がスタートします。しかし、灘に赴任して数年、橋本さんはある思いを胸に抱いていたといいます。「生徒にどれだけ自分のやっていることが伝わっているのだろうか。逆に自分が中学生だったときに、先生からどれだけの物を教えてもらったか...。先生自身に対する親しみはあっても、授業の中で、このテキストでこんなことを教えられたなどというのが全然でてこない。いくら自分が一所懸命になっても、生徒の記憶には残らない。卒業したら真っ白になってしまうんだ。そんなことをこれからも毎日毎日繰り返しやっていかなくちゃいけないのか」と。</p>
<p class="fs16 spacing15">
その後、転機は訪れます。昭和20年、敗戦後の日本では授業再開前にまず教科書の"黒塗り"をさせられたそうです。当時、橋本さんが授業で使用していた中学2年生の国語の教科書の3分の2が"国家主義・戦意昂揚を促進する"とみなされ使用不可になってしまったといいます。「教科書は薄くなるし、紙は悪いし、開けた途端に塗りつぶし、こんなものは教科書に使えない。その時に私は、はっきり決めたんです。『銀の匙』を使って中学3年間で、1冊を読みあげる授業をする」と。</p>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="2.JPG" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/2.JPG" width="170" height="239" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span>

<p class="fs16 spacing15">
『銀の匙』を選んだ理由を尋ねると「『銀の匙』は、中勘助の先生である夏目漱石が"これは、非常に綺麗な日本語だ"といって絶賛しているんですよ。日本人として、誰知らぬ人がいない大文豪の夏目漱石推薦の文章だから、国語の教材にして文句の出ようがない。そして新聞連載だから、一つ一つの文章の長さが、長からず、短かからずでちょうどいい。それともう一つは、各章に題がついていない。一、二、三と番号が付いているだけ。だから、各章を読み終えた後に自ら題を考え、表題を付けることができる。それに、内容といえば、ひ弱な男の子が好青年へ育っていく。その経過を中学生に当てはめて、生徒が自分と重ねて考えることもできる。自分もこういうことあったなぁとか、自分はこうじゃなかったなと。つまり、内容に溶け込みやすい」といった理由だそうです。</p>
<p class="fs16 spacing15">
橋本さんは、生涯生徒の心に残る、そして、人生の糧になるようなテキストで授業をやりたい。また、押し付けではなく、生徒が自分の興味を掘り起こして入り込んでいくためには、主人公になりきって読んでいくことが必要だと考えたといいます。それは、橋本さんが小学校の時に経験した"追体験"により、遊びながら学んで行く楽しさを生徒に知ってもらいたいという思いがあったからだといいます。しかし、橋本さんは、その一方で、「結果が出なかったら責任はとる。これは決めていました」と心の内を話してくださいました。<br></p>

<br/>
<h3 class="fs20">好きだからやれた</h3>
<p class="fs16 spacing15">
しかし、『銀の匙』を教科書に決めたからといって、簡単にできるものではないといいます。「教科書指導要録というのがあるんですよ。この章は時間配当何時間でやりなさい。こういうところが重要だから、こういうところに重点をおいて教えなさいって、そういう細かい指示がしてあって、だから、その教科書導要録を見ていたら、今日の授業ができるんですよ。でも、そういうものがなければ『銀の匙』を教材にするっていっても、どう使ったらいいのかわからない。自分でこの指導要録を作らなくちゃならないんです。だから1年間かかって、"銀の匙研究ノート"を作って、この文章の題はこうだ。内容はこんなことがこんな順序で書かれている。それから、夏目漱石が推薦した美しい日本語が書いてあるところはどこだって。じゃ、そんな言葉を使って、他にどんな表現ができるだろうか。とか言葉の意味だとか、そういうのを調べて作っていました」と橋本さん。</p>

<p class="fs16 spacing15">
授業の際に使うのは、『銀の匙』と橋本さんが毎回生徒に配るプリント。このプリントはヤスリ板の上に蝋紙を乗せて、一字一字ガリガリと削るそうです。プリントを1枚作るのにも大変な時間がかかり、その作業が身についてしまい、筆でサラサラと文字がかけず、未だにボールペンでも力を入れた角ばった文字しか書けないと言います。</p>
<p class="fs16 spacing15">
橋本さんが苦労して作ったプリントは、生徒が抱くであろう疑問に答える形で作成しており、『銀の匙』を読み解く上での手助けとなります。毎回、その刷り上がったばかりのプリントを両手いっぱいに抱えて教室に入ると、クラス全員から拍手喝采で迎えられることもあったといいます。しかし、その裏での苦労は計り知れません。学校で遅くまで作業をし、終わらなければ家に持ち帰り朝方まで作業に時間を費やす。その他にも、資料を作るために、自ら莫大な量の本を購入したといいます。しかし、橋本さんは、「自分が好きだからやれた。やりたいと思ったからやれた。"教科書指導要録を基に上からこう進めろ"って、いわゆる教育労働者的なものだったら、とてもじゃないけどやれませんよ。夜中の2時3時までかかろうと、好きだからやれたし、お金を使うことにも何の抵抗もなかった」と語ります。</p>

<br/>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="銀の匙1.jpg" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/%E9%8A%80%E3%81%AE%E5%8C%991.jpg" width="162" height="196" class="mt-image-none" style="" /></span>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="銀の匙2.jpg" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/%E9%8A%80%E3%81%AE%E5%8C%992.jpg" width="254" height="196" class="mt-image-none" style="" /></span>
<br>
<p class="fs14 spacing10"><em>※実際に授業で使われたプリントをまとめたもの</em></p>
<br/>

<p class="fs16 spacing15">
それを支えていたのは、灘の自由な校風にもあるといいます。新任当初の橋本さんに「この学校を日本一の学校にしたいと考えている」と挨拶した校長の存在もまた大きかったとおっしゃいます。校長先生は、高等師範学校新卒で21歳の橋本さんを"先生も10年もしなくちゃ一人前にはなれないんだ"とだけいって後は、ああしろ、こうしろと細かい指図は一度もせず、影で見守り続けたと言います。「私をよく見ててくれて、任せてくれた。それだけ太っ腹な人だったんだと今になってわかる。」と橋本さん。</p>
<p class="fs16 spacing15">
橋本さんの『銀の匙』の授業では、主人公の少年が駄菓子を食べるシーンがあれば、神戸のデパートの地下を回ったり、仙台の専門店に手紙で問い合わせをして、『銀の匙』の当時に近いお菓子を人数分集める。また、凧揚げのシーンがあれば、美術の時間を借りて凧を作り、実際に揚げてみる。文中にわからない言葉があれば、その語源を調べたり、その言葉に関連する単語を調べて視野を広げて行く等、本の中の言葉一つから横道にそれていく。そして、主人公の見解や感情を追体験していく授業だったといいます。その遊びのような授業で、どのように生徒は自ら成長をしていったのか――。後編では、橋本さんの教育についての考え方をお伺いしました。
<br/><br/></p>

<h4 class="fs20">インタビュー後記</h4>
<br />
<p class="fs16 spacing15">
伝説の教師と言われる橋本さんとお会いしお話をお伺いすると、99歳になった今でも、趣味も多く、怒った出来事と一つ一つに興味を持ち学んでいるということに驚かされます。<br>
<br>
そのきっかけは、小学生の時の追体験にあるといいます。（本文参照）つまり、学ぶことの一番重要なことは、その事柄に自ら興味を持つことだと。<br>
人は興味を持つことから、その事を深く調べ、学ぶことができます。<br>
<br>
橋本さんのお話からは、学ぶということは、勉強だけからではなく、世の中の動き、人の感情・考えを受信することで無限に、また日々出来ることなのだと感じました。<br>
<br>
忙しい毎日、日々の業務に追われがちですが、常にアンテナを立てる意識をすることで、学ぶチャンスが得られるのだと改めて思いました。
</p><br/>


<p class="fs16 spacing15"><em>＊続きは後編でどうぞ。<br>　
<a href="
http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/2012/01/post-102.html
">
<u>
第四回【仕事を極めた人の成長プロセス－後編】
教育とは、生徒の能力を引き出すこと
</u>
</em></p></a>

]]></description>
            <link>http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/2012/01/post-101.html</link>
            <guid>http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/2012/01/post-101.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">現場ドキュメント</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 11 Jan 2012 10:00:00 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>社会問題の真っ向から立ち向かう企業！</title>
            <description><![CDATA[<ul class="secList">
<li class="clearfix">
<div class="textArea">

<div class="txt">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="bi01.JPG" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/bi01.JPG" width="187" height="235" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span></p>



<p class="fs18 spacing05"><em>有限会社　ビッグイシュー日本</a><br>
東京事務所マネージャー　佐野未来さん</em><br>　
<p class="fs14 spacing15">
現在日本では、国や行政だけでは解決できない・手が回らない問題、例えば少子高齢化や介護、健康、就労や環境問題などが山積しています。しかし、それらを、ビジネスの手法を使って新たな価値を創造し、革新的なアプローチで解決していく活動（ソーシャル・イノベーション）の考えが少しずつ広まりつつあります。今回お話を伺った有限会社ビッグイシュー日本は、まさに、国が抱える問題の一つでもありますホームレス問題の根本的な解決しようと、2002年に立ち上がった企業です。ホームレスの自立支援を始めたきっかけと実際の仕組みについて東京事務所マネージャー佐野未来さんにお話をお伺いしました。（聞き手：OBT協会　伊藤みづほ）</p>

<ul>
	<li></li>
</ul>

<p class="fs16 spacing10"><em>ビッグイシュー</em>　（<a href="http://www.bigissue.jp/">http://www.bigissue.jp/</a>）</p>
<p class="fs16 spacing10">
1991年に英国で始まり、日本では2003年9月に『ビッグイシュー日本版』が創刊。ホームレスの救済（チャリティ）ではなく、仕事を提供し自立を応援する。（定価300円の雑誌をホームレスである販売者が路上で売り、160円が彼らの収入となる。貯めたお金で、住居と住所を確保し、定職を探す）販売者は、現在ホームレスか、あるいは自分の住まいを持たない人々。しかし、住まいを得ることは単にホームレス状態から抜け出す第1歩に過ぎず。販売により住まいを得た後も、必要な場合にはビッグイシューの販売を認めている。</p>

<ul>
	<li></li>
</ul>

<p class="alignright">
<h3 class="fs18">ソーシャル・イノベーションは同じ思いを持つ者から生まれる</h3>
<div class="txt"> 
<p class="fs16 spacing10"><em>
────1991年にロンドンからスタートしたと伺っておりますが、日本での立ち上げの経緯を教えていただけませんでしょうか。</em></p>
<p class="fs16 spacing05">
今、共同代表でもあり、編集長をしております水越が、2002年にシュワブ財団（※）で、表彰された40人の社会的企業家を紹介したある雑誌の特集の中で、たまたまビッグイシュー・スコットランド版の創設者のメル・ヤングさんの紹介記事を目に留めまして、スコットランドに飛んで、その方にお話を伺ったというのがきっかけですね。ちょうどその頃、日本ではホームレス問題が大きな問題になりつつある時で、大阪は一番ホームレスの方が多い街なんですけれども、そこに暮らす一市民として、"どうしてこの人達がここに寝なくちゃいけないんだ"と。同じような意識は多分みんなあって、何かできないかと考えていた時だと思うんですね。
<br>
<p class="fs14 spacing15">
（※）シュワブ財団＝非営利、独立、中立の組織。社会起業家精神を高揚し、社会のイノベーションと進歩のための重要なカタリスト（触媒）として社会起業家を育成するために、1998年に創立された。
</p>
<p class="fs16 spacing10"><em>
────元々皆さん、そういった活動をされていたのでしょうか。</em><br>
<p class="fs16 spacing15">
立ち上げたのは、水越と今代表をしている私の父と私の3人なのですが、3人ともそれまでホームレス支援に関わったことはありませんでした。</p>
<p class="fs16 spacing10">
父は、都市計画のコンサルをしていたので、ホームレスっていうのは、都市問題じゃないですか。失業などで職を求めて都市にやってきた方々が仕事が見つからず、路上にでる。都市を作るコンサルティングをしているものとして、一番難しい問題ですが、すごく大事な問題だと感じていたらしいですで。どんどん広がっている現状に気にはなっていたとは言っていますね。私も、私一人では無理ですが、なにか出来ることはないのかと思っていて、それぞれの立場でその光景を見て、疑問に感じていたというところはあります。<br></p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="bi02.JPG" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/bi02.JPG" width="276" height="189" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span>
<p class="fs16 spacing10"><em>
────今までのホームレス支援とビッグイシューの考え方の違いはどういったものだったのでしょうか。</em><br>
<p class="fs16 spacing10">
その当時のホームレス支援活動といったら、炊き出しとか、夜回りが主なんですが、今もそうですけれども、炊き出しやいろいろな方の寄付をいただきながら手弁当で活動するのはやってる人に負担が大きいですよね。その人が疲れてしまって続かなくなってしまったりということもある。そうなるとホームレスの人達はどうなってしまうんだろうって...。だから、構造的に続けていける仕組みが必要だろうと感じていました。しかも、路上生活を日々余儀なくされている人たちにとって、今日生きのびるためのこういった支援はなくてはならないものなんですが、次につながる、つまり路上から抜け出すことができるチャンスをつかむことができる、「明日につながる支援」の形が素敵だなと思いました。組織としてのビッグイシューはビジネスとしてちゃんと利益を上げられる仕組みで、しかも結果をだすことがさらなる支援にもつながる、という仕組みでして、すごく面白いなと。
<br></p>

<p class="fs16 spacing10"><em>
────今までの支援の仕方とは違う、新たなやり方を取り入れるにあたっては、リスクもあったかと思いますが、実際に苦労されたこととは、どのようなことでしょうか。</em><br>
<p class="fs16 spacing10">
お金も大変でしたが、なによりも前例のない路上での販売に対する市民の支持をいかに得てゆくか、というところが苦心しました。やはり、始めるまでは市民の皆さんが実際に雑誌を買ってくれるだろうか、とか不安はありましたから。</p>
<p class="fs16 spacing10">
ふたを開けてみると、販売者さんたちの心をこめた挨拶や対応に「元気をもらった」とか「感動した」という言葉をたくさんいただき、応援してくださる方が徐々に増えていった感じです。</p>
<p class="fs16 spacing10">
それから、創刊時にたくさんのメディアに取り上げていただいたことも追い風でした。2003年９月に大阪で立ち上げたのですが、丁度、阪神タイガースが18年ぶりに優勝した年なんです。優勝が決まったのは９月15日。ビッグイシューは９月11日大阪で創刊したのですが、阪神タイガース優勝の瞬間をニュースにするために全国からメディアの方が集まってらして、今か今かと準備をして待っているんですが、なかなか優勝しない。そんな合間をぬってビッグイシューが創刊し、ニュースや新聞、雑誌などで取り上げていただきました。
<br><br>

</p>
</div>
<h3 class="fs18">ホームレスに仕事を提供するために、企業としてすべきこと</h3>
<div class="txt"> 
<p class="fs16 spacing10"><em>
────現在、NPO団体と有限会社の両輪で事業をされておりますが、どういったお考えからなのでしょうか。</em></p>
<p class="fs16 spacing10">
NPOの場合というのは、解決したい問題・変えたいことがあって、これがこうあるべき！というゴールがありますよね。そこに向かって理念を達成するために活動をやっていく。儲かる儲からないは二の次、いわば理念主導です。まぁ会社も理念のもとに経営があるのですが事業性が重視される。ビッグイシューは失業などでホームレスになった方に、仕事という機会を作ることで、当事者の方が自分の問題解決をするチャンスを提供する、それがホームレス問題の解決につながるという仕組みです。これは、雑誌が売れなければ仕事にはならない。売れる雑誌を月２回発行し続けるにはお客様の反応を感じながら企画を考えたり、販売計画を立てたり、その計画を常に変更できる柔軟さとスピードが求められます。この表紙は売れなかったとか、この内容じゃダメだとか、例えば、5万部刷ってみたけど足りない。次は6万にしようとか。今回は少なめに3万にしようとか。</p>
<p class="fs16 spacing10">
有限会社ビッグイシューは出版社なんです。会社として一番大事なことは、やはり、商品価値のあるものを作ることだと思っています。販売者の方が誇りを持って売れるもの。お客様が、書店では買えない、ホームレスである販売者の人からしか買えない、でもその本を買い続けたい、読み続けたいからその人の元へ足を運ぶ。そういう媒体としての質の高い商品でなければ、これはただの寄付になってしまいますよね。そうなると「与えつづける側」「与えつづけられる側」の関係になってしまいます。対等でない、一方的な関係はなかなか続かないと思うんです。</p>
<p class="fs16 spacing10">
でも、ホームレス状態にいったんなってしまった方々は路上生活が長引けば長引くほど、ほんとうに多くの問題を抱えています。仕事を得て、収入を手にしたからといってすぐに路上生活を抜け出せるかというと、そんなに簡単ではなかった。健康や法律の問題、福祉の問題といった多様な問題に対応するためには、私たちだけでは難しくて、多くの市民や団体、企業、行政といったより多くの人たちとのつながりの中でしか支援できないことがたくさんありました。ＮＰＯは理念の実現のために、協力したい市民と行政、企業などを結びつけて社会を変えてゆくことができる。また、多くの人が協力し結びつくことで、非常に大きく困難と思える問題の解決にも取り組むことができると思っています。
<br></p>

<p class="fs16 spacing10"><em>
────私も購読していますが、内容はかなり読み応えがありますよね。ダライ・ラマさんのインタビュー記事とか。表紙も著名な方が出ていらっしゃいますよね。こういった方は、ビッグイシューの考え方に共鳴している方々なのでしょうか。</em><br>
<p class="fs16 spacing10">
そうですね。創刊当初は、半分ぐらいは翻訳記事だったんですね。イギリスのビッグイシューから助けてもらい、記事の提供を受けて雑誌を作ってきたんですけれども、日本独自の記事が増やせるようになりまして、今は9割近くが、日本独自の記事ですね。ダライ・ラマさんは、日本で取材させていただきました。</p>
<p class="fs16 spacing10">
表紙に関しても、PRの媒体の一つにビッグイシューが有効なものだと選んでいただけるようになったってことは、それだけ社会的な地位ができてきたのかなと思っています。</p>
<p class="fs16 spacing10">
イギリスのロンドンで発行している本家『ビッグイシュー』は週刊ですが、毎号10万部以上売れる、雑誌といえばトップテンに入るくらい認知されている雑誌なんですよ。
<br><br>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="bi03.JPG" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/bi03.JPG" width="115" height="168" class="mt-image-none" style="" /></span>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="bi04.JPG" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/bi04.JPG" width="224" height="168" class="mt-image-none" style="" /></span>
<br>
<p class="fs14 spacing10">
2009.3.1号　オバマ大統領（左）　創刊号と最新号＆表紙を飾ったアニメ（右）<br><br>


</p>
</div>
<h3 class="fs18">仕事とは、平等を作るための一番有効なツール</h3>
<div class="txt"> 
<p class="fs16 spacing10"><em>
────最近は、ホームレスの若年齢化が目立っており、販売者の平均年齢がリーマン・ショックを挟む2年間で56歳から45歳へと11歳も若くなったとお聞きしていますが。</em></p>
<p class="fs16 spacing10">
リーマン・ショックの後から若い方が非常に増えてきました。大きな原因は労働者派遣法の改正による規制緩和で非正規雇用が増える一方で、それにみあった社会保障のしくみを作ってこなかったことだと思います。そこに、世界同時不況が来て工場の仕事や寮で住みながら通ってるみたいな人たちが一気に雇い止めにあった。収入を失い、仕事が長期間見つからなければ、最終的に路上生活を余儀なくされるという現状があります。私は派遣労働や労働市場のの自由化は全面的に反対ではないですけれども、今までの、企業に入ったら一生安泰、終身雇用、何かあったら家族が介護する・家族が支える、といった企業と家族が福祉的部分を支えるという仕組みが役に立たなくなったとき、それに変わるセーフティネットとなるあたらしい仕組みをつくる必要があると思います。<br></p>

<p class="fs16 spacing10"><em>
────そうですね。仕事をなくし、また、一人身世帯が進み家族間、そして人との絆が薄れていく状況下で、孤独を感じている方も多くいらっしゃると思います。</em><br>
<p class="fs16 spacing10">
『Work is the greatest equalizer』という言葉があるんですけれども、仕事と言うのは平等を作るための一番有効なツールであるって。まさにそうだなっと思います。仕事は社会参加のツールなんですよね。
<br></p>

<p class="fs16 spacing10"><em>
────ビッグイシューさんのHPでポープレスからホームレスになると書かれていました。しかし、お話を伺っているとビッグイシューの販売者の方々は、ホープレスではないですよね。</em><br>
<p class="fs16 spacing10">
そうですね。販売者さんたちは私達がびっくりするほど明るいですよ。一日中、暑い時も寒い時も雨の日も決められた場所に立っていなくてはいけないので、大変な仕事だとは思うんですけれども、皆さん、お客様が待っているから休めないっておっしゃいますね。</p>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="bi07.jpg" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/bi07.jpg" width="167" height="205" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span>

<p class="fs16 spacing10">
一旦希望を失って路上に出てしまったんですけれども、ビッグイシューを販売することで、お客様から支えられて生きる希望を取り戻したし、更に次のステップに向けて前に踏み出そうとしている人たちだと思います。社会の中で生きていけるという希望を持てるってことが、人にとって何よりも大事なんだろうなと思います。そういう意味で、何度でもチャレンジできる、次に繋がるチャンスが多ければ多いほど、社会って豊かだし、誰にとっても生きやすい社会だと思うんですよね。ビッグイシューはそんな仕組みの一つだと思いますし、ビッグイシュー以外の仕組みがもっともっとあるといいと思うんです。<br></p>

</p>
</div>
<h3 class="fs18">これからのビジネスのあり方とは</h3>
<div class="txt"> 
<p class="fs16 spacing10"><em>
────今後、これからのビジネスのあり方・企業のあり方の定義が変わっていくと思いますし、豊かさの定義も変わってくると思います。</em></p>
<p class="fs16 spacing10">
はじめ立ち上げた時は、本当にシンプルに、仕事を作れば解決するんじゃないかなって考えていたんです。でも、やればやるほど問題の根の深さとか...。コツコツ貯めても保証人がいなくてアパートに入れないとか、アパートを貸してくれる人がいないとか、銀行の口座を持っていないから、タンス貯金じゃないですけれども、ポケット貯金して、全部盗まれちゃったとか。お金が無くて、住民票売ってくれって言われて売ったらなんか知らないうちに借金が何百万もあったとか、それが住所設定して初めて分かったとか、依存症の問題とか。本当に様々なことがあるわけですよ。仕事だけじゃない、特に路上生活が長くなればなるほど、いろんなことに巻き込またり、健康を害されている方が殆どですし、そんなにシンプルじゃなくて。ずっとホームレス支援をなさっている方って、その大変さも知っているので、だから、なかなかビッグイシューが日本で始まらなかったのかな、逆に私たちは知らなかったから、始められたのかなって思います（笑）
<br></p>

<p class="fs16 spacing10"><em>
────そういった状況でも続けて来られている理由はどういったことなのでしょうか。</em><br>
<p class="fs16 spacing10">
うーん、ビッグイシューの販売者さんですかね。本当に、こんな人がホームレスなるなら、自分だっていつなってもおかしくないって考えさらせる人、たくさんいるんです。働きたくても働けない人たちもたくさん。そんな人たちを社会のお荷物にするのか、財産にするのか、ちょっとしたきっかけで結果は180度変わるんですね。一見、回り道で、その時はコスト高に思えても、ひとりの人が社会にとって生涯重荷となるのか、財産となるのかは、長い目でみると社会的な負担という面でも大きな違いを生みます。そのことがやってみて初めて見えたっていうか、すごく腑に落ちたというか。</p>
<p class="fs16 spacing10">
それに、ずっとホームレスの方々を支援してきたNPOさんの協力もそうですし、行政も、そして、応援したいという企業や市民の方も増えてきています。そういった方々の存在にも励まされています。
<br></p>

<p class="fs16 spacing10"><em>
────そうですね。他人事ではないと思います。</em><br>
<p class="fs16 spacing10">
この状態を放置するのではなく、ホームレスのような状態になることを、なんとか止められるような仕組みを作っていかなくてはいけない。多くの人を巻き込んで人がホームレスにならない社会へと変えていく、そのためにＮＰＯビッグイシュー基金が市民の一人ひとりがこの社会をつくる当事者として考え関わっていただけるような機会や情報の提供をおこなっていきたいと考えています。<br></p>
<p class="fs16 spacing10">
企業ってグローバル化する前までは、社会にある程度責任を持たざるを得ないというか、そこの地域でビジネスをするからには地域と一緒に生きてかなきゃという意識があったと思うんですよね。日本の企業にはそういった創業の理念を持っているところも多い。組織として活動し、社会を良くしながら、収益を上げていけるのは理想の形だと思いますし、可能だと思うんです。持続可能な仕組み、また、営業活動すること自体が社会にとってプラスになっていくというような会社がどんどん増えれば増える程、日本の社会はもっと素敵で豊かになると私は思っていますし、そういうふうな意識を共有できるモデルの一つにビッグイシューがなってゆければいいなと思います。今は、経営的にはギリギリですけれどもね（笑）

<br></p>

<p class="fs16 spacing10"><em>
────ビッグイシューさんのお取組みを伺って、これからの企業は自社の利益だけではなく、社会の問題に目を向ける必要があり、また、社会的コストを背負うことが重要だと改めて感じました。貴重なお話をありがとうございました。</em></p>



<h4 class="fs18">インタビュー後記</h4>
<br />
<p class="fs16 spacing10">社会問題解決への鍵となる、仕組みの一つを創り上げつつあるビッグイシュー日本さんですが、いろいろとお話をお伺いすると編集の方はたったの4人。少数精鋭で販売者さんが自信を持って売れる雑誌を作りたいと月２回の発売日に合わせギリギリで回していると状態だといいます。</p>
<p class="fs16 spacing10">
雑誌のボリューム・内容からしても、その人数の少なさに非常に驚かされましたが、なにより、インタビュー後に事務所を拝見させていただくと、皆さん大変な状態にも関わらず、生き生きと仕事をしていました。</p>
<p class="fs16 spacing10">
以前、他のインタビューで「人間の究極の幸せは人に愛されること、人に褒められること、人の役に立つこと、人から必要とされること」とお話を伺ったことがあります。</p>
<p class="fs16 spacing10">
現在、ビッグイシューさんでは販売者の方にとって、生活の上でも、精神的な部分でも無くてはならない存在になりつつあり、また、有限会社ビッグイシューは、販売者さんがパートナーとして大切な存在になっています。</p>
<p class="fs16 spacing10">
お互いがお互いを必要とし、また感謝する関係が成り立つ社会。お互いがお互いを必要とするのは、一般的な需要と供給の関係ではありますが、ビッグイシューさんの場合は、そこに感謝の思いが加わります。その感謝の気持ちこそがお互いの原動力となる。</p>
<p class="fs16 spacing10">
ビッグイシューさんのインタビューから、『人の役に立っているということを実感出来る』ということは仕事のやりがいに、大きな影響を与えているということを改めて感じました。</p>
</div>
</li>
</ul>

]]></description>
            <link>http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/2011/12/post-100.html</link>
            <guid>http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/2011/12/post-100.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">現場ドキュメント</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 21 Dec 2011 10:00:00 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>ソーシャル・イノベーションから見る事業の在り方</title>
            <description><![CDATA[<div>今回の現場ドキュメントは、ある企業の新規事業プロジェクト</div><div>の勉強会をご紹介します。</div><div><br /></div><div>先日プロジェクトメンバーが学習したのは、ソーシャル・イノベーション。</div><div><br /></div><div>ソーシャル・イノベーションとは・・・</div><div><br /></div><div>　地域の抱える社会的な課題（少子高齢化・介護・健康・就労）や</div><div>　環境問題を、ビジネスの手法を使って、</div><div>　新たな価値を創造し、革新的なアプローチで解決していく活動を言い、</div><div><br /></div><div>今回「この人に聞く」でご紹介している、</div><div>「銀座ミツバチプロジェクト」はその代表的な例です。</div><div><br /></div><div>2000年以降から世界的に広まりを見せるソーシャル・イノベーション。</div><div><br /></div><div>その考え方・概念は企業に「新しい事業の在り方」を示唆しています。</div><div><br /></div><div>『社会貢献』が先、『利益は後』</div><div><br /></div><div>一見、対立するこの二つを切り離さず同時に実現していることが、</div><div>ソーシャル・イノベーションの特徴の一つ。</div><div><br /></div><div>「銀座ミツバチプロジェクト」の活動も利益を上げながら、</div><div>銀座に自然をもたらし、現在では地方の地域活性にまで</div><div>良い循環をもたらしています。</div><div><br /></div><div>そもそもソーシャル・イノベーションが注目された背景の一つに、</div><div>"行き過ぎた資本主義"があります。</div><div>自社の利益追求のみが企業活動の目的となり、</div><div>社会貢献への配慮が放置されてきた事が問題視され始めました。</div><div><br /></div><div>「御客様第一と言っても根本はプロダクトアウトの発想、</div><div>　このことを、顧客は口に出さなくても心で思っているはず。　</div><div>　売り手優位の前提に立っていては、いつかは必ず見放されてしまう」</div><div><br /></div><div>メンバーは自社事業の在り方を見つめ直します。</div><div><br /></div><div>～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～</div><div><br /></div><div>人と人が共通の思いで"繋がる"</div><div><br /></div><div>また、ソーシャル・イノベーションには、社会的な課題解決を、</div><div>コミュニティレベルでの"互助"や"共助"で行う特徴があります。</div><div><br /></div><div>「銀座ミツバチプロジェクト」の例をみてみると、</div><div><br /></div><div>　田中代表と養蜂家の出会い</div><div>　 ↓ 地産地消のストーリーの構想</div><div>　 ↓ 銀座でミツバチ・蜂蜜を題材とした新たな商品が生まれる</div><div>　 ↓ 銀座の人々の関心がミツバチに集まる</div><div>　 ↓ ミツバチが住める環境づくりの推進</div><div>　全国へ展開</div><div><br /></div><div>と、共通の思いを持った人達が繋がりそのネットワークが広がっています。</div><div><br /></div><div>この"繋がり"は強制力がなく、</div><div>参画者各自の主体性で結び付いていることが特徴的。</div><div><br /></div><div>ネットと違って、生身の人と人との結びつきであるため、</div><div>そこに責任や役割が伴い、より強固な結びつきとなります。</div><div><br /></div><div>根本にあるのは、社会に貢献したい、という「利他の精神」。</div><div><br /></div><div>「我々は本当の意味で顧客側に立って、一緒になって、</div><div>顧客の望むべきものを実現しようとしているだろうか。</div><div>どれだけの深さで顧客と"繋がっている"だろうか」</div><div><br /></div><div>メンバーの議論は続きます。</div><div><br /></div><div>～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～</div><div><br /></div><div>自社の利益追求、効率性追求だけでは、顧客、市場から見放されてしまいます。</div><div>これから先の時代は「社会との関わり」という大局から、</div><div>自社事業を位置付けることが求められるのではないでしょうか。</div><div><br /></div> ]]></description>
            <link>http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/2011/12/post-99.html</link>
            <guid>http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/2011/12/post-99.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">現場ドキュメント</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 07 Dec 2011 10:00:00 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第三回【仕事を極めた人の成長プロセス－後編】私は&quot;たいたいばあさん&quot;なんです</title>
            <description><![CDATA[<ul class="secList">
<li class="clearfix">
<div class="textArea">

<div class="txt">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="kanou01.PNG" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/kanou01.PNG" width="251" height="203" 
class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>

<p class="fs18 spacing05"><em>日本最高齢声楽家<br>
相愛大学名誉教授<br>
嘉納　愛子さん（104歳）</em><br>　


<p class="fs14 spacing15">
"全国の100歳以上の高齢者が2011年9月15日時点で4万7,756人となり、41年連続で過去最多を更新する見通しとなっています。その中で全体の87.1％を占めているのが女性。今回お話をお伺いさせていただいた嘉納さんは104歳で声楽家。とてもお元気で、またユーモア溢れる女性です。取材当日は喉を痛めていた為に、歌声を聴かせて頂くことは出来ませんでしたが、ピアノを弾いてもらうと一変。ピアノに向かう姿からは、音楽に対する思い・考えがひしひしと伝わり、年齢を全く感じさせませんでした。</p>

<ul>
</ul>
</ul>

<p class="fs16 spacing10"><em>【プロフィール】</em>
<p class="fs14 spacing10"><em>
嘉納　愛子（AIKO KANOU）</em>	<br>

<p class="fs14" spacing10">
1907年大阪生まれ。声楽家・音楽指導者。東京音楽学校（現在の東京藝術大学＜声楽本科＞）を卒業後、山田耕筰の数少ない弟子の一人となる。結婚後、音楽活動を休止するが、相愛女子専門学校（現相愛大学）からの依頼があり、音楽家の講師（のちに教授）として音楽教育に携わる。また、自宅での少人数レッスンを続けている。</p>

<ul>
	<li></li>
</ul>




<h3 class="fs18">人生は公平</h3>
<div class="txt"></em>

<p class="fs14 spacing15">
いつから音楽が好きだったんですか？と嘉納さんに質問したとこと、「物心ついた時からね。だから、歌を好きに産んでくれた両親に感謝だと思っています」と答えてくださいました。嘉納さんは「本当に幸せな人生です。だから、もし、20歳に戻れたら何しますか。っていわれても、ずっと幸せだったから、戻りたくないの」と語ります。<br></p>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="1.JPG" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/1.JPG"   width="240" height="302" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>

<p class="fs14 spacing15">
嘉納さんは、２７歳の時に山田耕筰氏の支援者だった、灘の酒造家（菊正宗）の四男の嘉納鉄夫さんと結婚。しかし、御影にある嘉納家といえば指折りの旧家、"歌を歌ってお金を稼ぐことなんて、はしたないことだ"といわれ、蔵にピアノを入れられてしまったそうです。そこから、音楽とはまったく離れた生活に入ります。しかし、翌年には男子を出産。また、旧家だったため、人の出入りが多く、毎日がお正月のようだったといいます。朝起きたら髪結いさんが一番最初に来て髪を結ってくれる。そして、次は商売人が来る。お菓子屋さんや魚屋さん、それから呉服屋さんも来て、着物を選ぶ。その為、戦争中も何一つも物に不自由しなかったそうです。「そんな生活だから歌いたいと思ってなかったの」と嘉納さん。また、1945年6月10日の空襲では家が全て焼けてしまいます。「その時も不思議と悲しいと思わなかったわ。まわりもみんな焼けていたから」。その後、大阪近くの田舎に疎開し、終戦の翌年に御影に戻ってくることになります。しかし、その数日後、小学生になった息子さんが朝に高熱を出し、夕方に亡くなってしまったそうです。「心は虚ろになり、何も考えられない状態でした。それで２～３年は何もしないで、ボケ～としてました。そしてね、ある夜、真っ暗で何にもない、御影の綺麗な砂浜で歩いていたの。誰もいないと思って、思いっきり淡路まで聞こえるような声で、歌うんじゃなくて、叫んだの。そしたら、樽屋のおじさんが、見てたみたいで、『なんや、夜叫んでたで』って評判になって。それを主人が聞いて、『あ～歌いたいんだなぁ』って、それで大阪に家建ててくれて、『教育ならばよろし』っていって。また、歌を歌えることになったの。その後、すぐ相愛女子専門学校（現相愛大学）の学長から『声楽を教えてくれませんか』と声をかけていただいたんです。本当に嬉しかったわ」と、嘉納さん。<br></p>

<p class="fs14 spacing15">
その後、約60年以上もの間、声楽家として活躍されている嘉納さん。「私の人生は恵みの人生。感謝ばかりです。人から頼りにされるってことは本当に幸せなことよ。だから、私は本当に幸せ。何の苦労もしていません。ただ、子どもを亡くしたことは本当に大きなマイナスなの。そう考えると、『人生は公平ね』このことははっきりいえます」。<br></p>

<p class="fs14 spacing15">
辛い過去を語ってくださった嘉納さんですが、悲しみを決して表には出しません。
「いつかのテレビで、色紙に座右の銘を書いて下さいと言われたとき、私は"感謝"って書きました。それ以外には言葉はありません。ただ、やっぱり、こう思うようになったのは60～70歳くらいかしら。だから、みんな100まで生きないとダメね（笑）」。嘉納さんからは、どんな出来事があろうと、きちんと全てを受け入れ、前に進んで行く強い力を感じます。また、"幸せな人生だった。感謝"の裏には、人には見せない努力の姿、悲しみを超え、精一杯生きた。という自らの思いがあるからなのではないかと感じます。</p>
<br></p>
<h3 class="fs18">欲張りじゃないとダメ</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing15">
嘉納さんは「私は、明日さよならしてもいいです。悔いはありません。それだけ幸せな人生でしたから」と語ります。しかし、その一方でご自身のことを「私は、"見たい・聞きたい・寝たい・食べたい・歌いたい"のたいたいばあさんなの」といいます。「欲張りですからね。最近、開き直ってます。おんなじ生きるんならギネスに載ってやろうと。114歳まで。でも、しわくちゃは嫌なの。だから、しわが寄らないようにしてるのよ。化粧品使って。最期まで、しわくちゃにはなりたくないもの」と。嘉納さんは104歳という年齢が嘘のように、肌がきめ細かく、非常にお洒落でした。お話を伺うと、毎日自ら服を選び、ワンピースを切って、マフラーにするなど、自分で裁縫をすることもあるそうです。また、嘉納さんは104歳になった今でもネイルケアを自ら行うそうです。<br></p>

<p class="fs14 spacing15">
「私は、やりたいことが、いっぱいあるのよ。いつまでも綺麗でいたいし、オシャレでいたい。これもしたい。あれもしたいって。だから、毎日忙しいの。でも、欲張りって大事なことだと思うわよ。欲がなくなったらダメね」と嘉納さん。
<br></p>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="kanousannnnn.PNG" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/kanousannnnn.PNG" width="320" height="224"  class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span>

<p class="fs14 spacing15">
嘉納さんとお話をしていて、感じることは、とてもユーモアがあること。
最近書いたという俳句を見せていただくと『老人太り、三途の川は乗船拒否』また、九十九歳の時に作った俳句では『振り返り、苦労ないんないん。白寿道』。「無い無いと99（ナインナイン）をかけてみたの(笑)。でも、本当に辛かったことも今では、みんないい思い出でね。」とって語ってくださいました。
<br></p>

<p class="fs14 spacing15">
今まで、音楽をやってきて、辛かった経験はあるんですか？と質問したところ「ありますあります。思うように声がでなくて、しょぼくれていました。でも、負けん気で、カバーね」と。自身の歌の点数をお伺いすると。「点なんて付けられないわ。もっともっと上手に歌えると思うの。欲張りだから。限度はありません。これはお医者さんから聞いたんだけど、声帯は老化しないんですって。だから、もっとうまく歌えるはず」。嘉納さんはこうなりたいという思いが強く、年齢で妥協することはなく、プロセスを楽しめる人。そんな印象を受けました。嘉納さんは、自分の歌に納得したことは一度もないと語ります。もっと、上手くなりたいという強い気持ちが、今でも変わることなくあります。
<br></p>
<p class="fs14 spacing15">
現在の若い人たちの中には"簡単に物事を諦めたり、目標がない"という人が多くいます。嘉納さんに質問をすると「日本人は、もっとしっかりしないと。いつから、こんな風になってしまったのかしら。若い人が強くならなくちゃダメね。」と喝を入れられました。「今の子たちは、ずっといろんな物を与えられてきたから。自ら求めないからじゃないかしら。やっぱり欲張りじゃないと。ぼんやり口を開いていても楽しい事なんて、向こうからやってくるものではありません。だから、自ら少しでも興味を持ったら、一途にやってみることね。本気でやっていれば、いつか誰かが"いいところ"を引き出してくれると思うの。人生は公平だから。だから、日本を沈没させないためにも頑張りなさい。そして、100まで生きなさい(笑)。」と。
<br></p>
<p class="fs14 spacing15">
もうすぐ105歳になられるという嘉納さんは、お話を語って下さっている時も常に楽しそうでした。<br>
嘉納さんからみた長寿の秘訣は、オシャレであること。欲張りであること。ユーモアを忘れないこと。そして、自分の一番好きなことをやり続けられること。なのではないかと感じました。
<br><br></p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="3.JPG" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/3.JPG" width="320" height="240" class="mt-image-center" style="text-align: center; display: block; margin: 0 auto 20px;" /></span>



<h4 class="fs18">インタビュー後記</h4>
<br />
<p class="fs14 spacing15">
自らの人生を振り返り"幸せな人生だった"と笑顔で語る嘉納さん。<br>
幸せの感じ方は人それぞれだと思いますが、嘉納さんのように、今まで生きてきた道に悔いはない、といえる人はどれほどいるのでしょうか。<br>
<br>
幸せだった嘉納さんの人生にも、言葉にはださない辛い経験やさまざまな苦しい思いもあったかと思います。<br>
<br>
しかし、嘉納さんからは、それを懸命に乗り越えた、また乗り越えたいという、強い思いのようなものも感じました。<br>
まさしく、〝幸せは、人から与えられるものではなく、自ら掴み取るもの〟であり、心の置き方一つで、幸不幸は変わってくるのだと思います。<br>
<br>
嘉納さんの語る"たいたい"の気持ちが幸せを掴む重要な考え方なのだと改めて感じました。
</p><br/>
]]></description>
            <link>http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/2011/11/post-98.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">現場ドキュメント</category>
            
            
            <pubDate>Thu, 24 Nov 2011 10:00:00 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第三回【仕事を極めた人の成長プロセス－前編】歌は歌詞を理解していないと上手く歌えない</title>
            <description><![CDATA[<ul class="secList">
<li class="clearfix">
<div class="textArea">

<div class="txt">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="kanou01.PNG" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/kanou01.PNG" width="251" height="203" 
class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>

<p class="fs18 spacing05"><em>日本最高齢声楽家<br>
相愛大学名誉教授<br>
嘉納　愛子さん（104歳）</em><br>　


<p class="fs14 spacing15">
"全国の100歳以上の高齢者が2011年9月15日時点で4万7,756人となり、41年連続で過去最多を更新する見通しとなっています。その中で全体の87.1％を占めているのが女性。今回お話をお伺いさせていただいた嘉納さんは104歳で声楽家。とてもお元気で、またユーモア溢れる女性です。取材当日は喉を痛めていた為に、歌声を聴かせて頂くことは出来ませんでしたが、ピアノを弾いてもらうと一変。ピアノに向かう姿からは、音楽に対する思い・考えがひしひしと伝わり、年齢を全く感じさせませんでした。</p>

<ul>
	<li></li>
</ul>

<p class="fs16 spacing10"><em>【プロフィール】</em>
<p class="fs14 spacing10"><em>
嘉納　愛子（AIKO KANOU）</em>	<br>

<p class="fs14" spacing10">
1907年大阪生まれ。声楽家・音楽指導者。東京音楽学校（現在の東京藝術大学＜声楽本科＞）を卒業後、山田耕筰の数少ない弟子の一人となる。結婚後、音楽活動を休止するが、相愛女子専門学校（現相愛大学）からの依頼があり、音楽家の講師（のちに教授）として音楽教育に携わる。また、自宅での少人数レッスンを続けている。</p>

<ul>
	<li></li>
</ul>



<h3 class="fs18">何か一途になるといい</h3>
<div class="txt"></em>

<p class="fs14 spacing15">
嘉納さんの若いころは、女性の習い事と言えばお琴。また、演劇といえば仕舞・謡曲（*）の時代。しかし、嘉納さんは「西洋音楽がやりたい！」と一途に意思を貫き、大学行きを反対していた両親を「音楽学校を受けさせてくれなかったら死にます。」と脅し、当時、難関だった東京音楽学校（現・東京芸術大学）を受験。見事合格をしたそうです。親元を離れての寮生活では、「私は朝寝坊でしたから、寮長さんがお味噌汁の実がなくなるから早くいきなさい、お布団畳んであげるから、って毎日いわれてました」と。でも、その一方では、音楽学校での嘉納さんはレッスンが終わっても、また別のレッスン。と音楽に対して猛勉強の日々。「あれもできる、これもできる。ではなく、何か一つに一生懸命になった方がいいわね。私は、小さい頃から歌が好きだったの」と嘉納さん。<br></p>
<p class="fs14 spacing05">
歌が好きで、上手になりたくて必死だった。だけど、将来、有名になりたいとか、歌で食べてい行きたいとは全く思っていなかったそうです。「歌が上手に歌えるようになって行くのが楽しかったのよね」と。<br></p>
<p class="fs12 spacing15">
（*） 仕舞=能の一部を素で舞うこと。能における略式上演形態の一種。<br>
　　 謡曲=能の詞章のこと。 演劇における脚本に相当する。
<br></p>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="kanou02.PNG" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/kanou02.PNG" width="148" height="234" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span>

<p class="fs14 spacing10">
現在、嘉納さんのもとには、"子どもに音楽を学ばせたい"とやってくる親御さんがたくさんいるそうです。そんな方々に嘉納さんは必ず『将来は専門家にしたいの？』と聞くそうです。嘉納さんは語ります。「頭角を出すには、元々いいものを持ってるか、高度な頭を持っているかね。まずは、ある程度は素質を持っていなかったら伸びません。私は、どんな子でもすぐには断りません。半年は教えますよ。そうすると、ぐんぐん伸びる子もいます。初めからエクスプレッションを持っている子、そういう子は伸びます。それは感じるの。それから、癖がない子、今は何もないけど、餌上げたら、立派に育つ子、そういう子はやっぱりわかりますね。そういう子は伸ばします。それじゃなく、半年で何も伸びない子もいます。そういう子には『あなたフルートいったらどう？』って。声楽もフルートも腹式呼吸だから一緒なの。お金をたくさん出したら金管楽器はいい音しますよ。私は、はっきりいってあげるの。それが、その人のためだから。あとは、才能のある子は、卒業したら外国に行った方がいいわね。プロになるっていうのは生易しいものではないです」と嘉納さん。
</p>
</li>
<li class="end clearfix">
<h3 class="fs18">山田耕筰先生との出会い</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing15">
嘉納さんの学生時代はというと、覚えることがたくさんあり、それを一つずつマスターし、前回よりも歌がうまくなったと自ら感じられることが幸せだったそうです。しかし、音楽学校で教えてもらえるのは基礎の基礎。"もっと上手になりたい"と、昭和3年、東京音楽学校（現・東京芸術大学）を卒業してからは学校では習えなかった勉強をしようと山田耕筰氏に弟子入りをします。当時の山田耕筰氏は三菱財閥の総帥岩崎小弥太氏の援助を受けてベルリン音楽学校の作曲科へ留学。帰国後、近衞秀麿氏らとＮＨＫ交響楽団の前身、日本交響楽協会を設立するなど活躍していました。嘉納さんは、その後、山田耕筰氏が確立した「日本歌曲」の真髄を叩き込まれることとなります。
<br></p>
<p class="fs14 spacing15">
山田耕筰氏からはたくさんのことを教わったと語って下さいましたが、一番勉強になったことは『歌を歌う時には話をしなさい。そして、歌詞をよく理解しなさい』っということだといいます。詩には、その短い文章の中に作詞家の思いがたくさん詰められているといいます。曲を作る作曲家はその詩を何回も何回も読み直し、イメージを膨らませて音として表現していくそうです。その為、伴奏は詩の心の動き、外の風景の音、空気の動きを表現してといわれています。
<br></p>
<p class="fs14 spacing05">
「歌は、哲学です。20代の時に読んだ詩と、今読んだ時では、詩の感じ方が違うはず。だから、表現の仕方（歌い方）が変わってくるの。だから、歌は面白いんです。私もそれはのちに感じたの。だから、歌詞の理解は重要。若い頃は声の出し方が難しいって思っていたけど違うの。本当に難しいのは、声一つで聞き手の人に絵を描かせることができるかどうか。歌は"叙事"の部分と"抒情"の部分それが混ざって出てきます。声楽を研究した人じゃないとわからない。そこが難しいの。からたちの花（*１）も山田耕筰先生の曲は2000,3000あるけど、からたちが一番"叙事"と"抒情"（*２）のバランスが難しいっていいます。声が出ないとき、叙事がでても抒情がでません。だから、私は挑戦してるわけなのよ」。嘉納さんからは、山田耕筰氏を敬い・慕う気持ちが伝わってきます。
<br></p>
<p class="fs12 spacing15">
（*１）： からたちの花=北原白秋作詞、山田耕筰作曲の日本の歌曲。<br>
（*２）： 叙事=事実をありのままに述べ表すこと。<br>
　　　   抒情=自分の感情を述べ表すこと。
<br>
</p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="kanou03.PNG" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/kanou03.PNG" wwidth="216" height="170"  class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>
</p>
<p class="fs14 spacing15">
現在は、相愛大学の名誉教授となっておられる嘉納さんですが、生徒に音楽を教えるときのコツを伺うと「さっきもいったけど、歌詞を理解しなさいっということと、声の訓練ね。学生さんは声を出すのが大変で、その声は腹筋を使えないと出ないの。だから、声を出す訓練をしてあげます。それには私が伴奏を弾いてあげること。初めにピアノの鍵盤の白い部分だけで引いて、次に黒い鍵盤だけを弾いて、また、白い鍵盤だけで次は一オクターブ高い音の出る白い鍵盤部分で弾いてあげるの。それを伴奏で弾いてね。どんどん声をださせてあげるのよ。自然と出せるようになるように。だから、歌の先生はピアノが弾けなくちゃだめ。今は、弾けない人もいるのよね。でも、バイオリンでも作曲でもピアノが土台ですから、これを勉強しないと。最近は、よく理解しないで、歌を歌ったり、作曲する人がいる多いの。悲しいことだわ。」
<br></p>
<p class="fs14 spacing15">
嘉納さんのお話を伺っていて感じることは、全てにおいて基本が大事ということです。
また、素質と感性の豊かさ、そして、一途になって自ら学ぶ意欲。声楽家は"いい声だな～"だけではなれないと嘉納さんは語ります。「頭を使って、いろいろ覚えたり、考えたりと、広くそして深く勉強しないといけません」と。また、バイオリンやピアノは勉強した人がいい楽器、バイオリンでいうなればストラディバリウスを使えば、素晴らしい音が出ます。でも、「声は物じゃ出ないから、本当難しいのよね。」と嘉納さん。後編は嘉納さんの人生観についてお話をお伺いしました。
<br></p>
</div>
</li>
</ul>
<h4 class="fs18">取材を終えて・・・</h4>
<br />
<p class="fs14 spacing15">
60年以上声楽家として、活動を続けられてきた嘉納さん。<br>
なぜ、こんなにも長いあいだ、飽きることなく一つの事に打ち込むことが出来たのでしょうか。<br>
嘉納さんは語ります"もっと上手くなりたいから"と。<br>
<br>
始めたころは、いろいろ覚えることや発見が次々と出てきます。<br>
しかし、何度も繰り返すうちに「刺激への慣れ」がおこり、感動が薄れて行くといわれています。<br>
<br>
嘉納さんの場合は、今現在も感動や日々の発見を楽しんでいるように感じました。<br>
それは、音楽は勿論のこと、それ以外にもファッショントレンドに至るまで<br>
様々な情報を捉えています。つまり、常に物を感じる感性のアンテナを立てているのです。<br>
<br>
新たな情報が入ってこなければ、新たな考えも、感情も生まれません。<br>
『いつまでも感性を尖らせておくこと』<br>
そのことが、自らを成長しさせ、また飽きずに向き合うことができる<br>
条件の一つなのかもしれません。<br>

</p><br/>
<p class="fs16 spacing15"><em>＊続きは後編でどうぞ。<br>　
<a href="
http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/2011/11/post-98.html
">
<u>
第三回【仕事を極めた人の成長プロセス－後編】私は"たいたいばあさん"なんです
</u>
</em></p></a>]]></description>
            <link>http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/2011/11/post-97.html</link>
            <guid>http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/2011/11/post-97.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">現場ドキュメント</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 09 Nov 2011 10:00:00 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>ゆで蛙になる前に　－かつての成功は未来永劫続かない－</title>
            <description><![CDATA[<div><b>長い間、取引のあったメインクライアントから契約が打ち切られている。</b></div><div><b>かつての成功体験を捨て、社員には新しい仕事の仕方に切り替えてほしい。</b></div><div><br /></div><div>ある電子部品商社の人事部長の問題意識から、</div><div>課長職を対象にした「収益力向上プロジェクト」がスタート。</div><div><br /></div><div>今回の現場ドキュメントでは同プロジェクトのワンセッションをご紹介します。</div><div><br /></div><div><br /></div><div><b>◆ 重要なのは推進する人の意識と考え方</b></div><div><br /></div><div>プロジェクトでは最終的に改革案を創り上げますが、</div><div>前段～中盤では主に考え方・意識の転換に集中しました。</div><div><br /></div><div>改革案の実効を上げるためには、それを推進していく社員の意識や</div><div>考え方の転換が最も重要になるためです。</div><div><br /></div><div>その為にはまず、居心地の良い状況、安住できる環境から、</div><div>引っ張り出すことが必要となります。</div><div><br /></div><div>それがない中で、いくら戦略やマーケティングに関する知識を</div><div>インプットしようとしても、頭には入らず、</div><div>でき上がった改革案も形骸化してしまいがちです。</div><div><br /></div><div>&nbsp; &nbsp; &nbsp;《改革案》　　　　←　適合しなければ　←　　《社員の考え方・意識》</div><div>・ 付加価値の最大化　　「絵に描いた餅」　 &nbsp;・ そうはいっても日々の数字　　　　　</div><div>・ ソリューションの実現　　　　　　　　　 &nbsp;　 &nbsp; &nbsp; &nbsp;・ 当面は今のままでも通用する</div><div>&nbsp; &nbsp;・・・　　 &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; 　　　　　　　　　　　　　 &nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp;　　　・・・</div><div><br /></div><div><br /></div><div><b>◆ 現実を直視する</b></div><div><br /></div><div>今回、題材のひとつとして使ったのは取引企業からの「ヒアリング調査結果」。</div><div><br /></div><div>＜調査結果より＞</div><div>口 経営陣からは最近、特にコストダウンが求められている。よくやってくれる、<br />&nbsp;　&nbsp;長い間の付き合い、といった温情主義ではもう、取引はできない。</div><div><br /></div><div>口&nbsp;外部に丸投げ状態だったが、いまではメーカーと直接やりとりできる<br />&nbsp;　&nbsp;領域が増えつつある。自社にノウハウが蓄積される分、メリットも多きい。</div><div><br /></div><div>口&nbsp;新興国企業の参入で、「この価格で」という心理的な基準ができている。<br />&nbsp;　&nbsp;今後は余程、付加価値がない限りコストで選ぶだろう。</div><div><br /></div><div>～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～</div><div><br /></div><div>実は同社では今までに何度も「顧客満足度調査」を実施していましたが、</div><div><br /></div><div><b>・現場には通達のみで終わっている</b></div><div><b>・客観的に納得させられる人財が社内に不在</b></div><div><br /></div><div>等という背景から<u>「落とし込みが不十分」という問題</u>がありました。</div><div><br /></div><div>調査結果を題材に、トレーナーと議論を繰り返す中で、</div><div>受講者の表情にも焦りが出てきます。</div><div><br /></div><div>・「毎日、忙しい」状況に満足してしまっていた</div><div>・「案件をさばくこと」が自分の仕事だと思っていた</div><div>・技術の話はしても「我が社の付加価値」の話はメンバーと全くしていない</div><div>・目先の案件受注に走って、採算性を度外視していた。</div><div>　このやり方で力を入れ続けても会社全体にとってはマイナス。</div><div><br /></div><div>《調査結果》←　　（逃避・建前）　　　←　《社員》</div><div>　　　　　　　　「現実は違うんですよ」　</div><div>　　　　　　　　「わかってはいますが」</div><div>　↑　・・・議論の中で現実を直視させる</div><div>　　　　《ビジネスを熟知したトレーナーが介入》</div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div><div><b>◆ いま今の心地よい環境が、時間差で致命傷になる</b></div><div><br /></div><div>多くの場合、状況が苦しくなると、見たくない現実に蓋をし、</div><div>居心地の良い状況（幻想）に居座ろうとしてしまいがちですが、</div><div>人も企業も「ゆで蛙現象」のごとく、</div><div>既に煮え立ったお湯の中で事態に気がついても、</div><div>もう、身動きはとれません。</div><div><br /></div><div>「今までの成功が、これから先も同じように続くわけがない」</div><div><br /></div><div>我が社、自己の現実を真摯に受け止めることができる人財の有無、</div><div>その人財が改善、改革に向けて行動できる環境の有無が、</div><div>将来の我が社の競争力を決定づけるのは間違いのないことだと思います。</div><div><br /></div> ]]></description>
            <link>http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/2011/10/post-96.html</link>
            <guid>http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/2011/10/post-96.html</guid>
            
            
            <pubDate>Wed, 26 Oct 2011 10:58:11 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>現場力を高めるには</title>
            <description><![CDATA[<div><div>現場が疲弊している、企業全体が閉塞感や停滞感に覆われている</div><div>と言われ始めて数年。それは、なぜ起こるのか...。</div><div><br /></div><div>今回の現場ドキュメントでは、各部門から集まったリーダー達の</div><div>生の声をお届けします。</div><div><br /></div><div>まず、今回のセッションでは、初めに各部門のリーダー達が参加した</div><div>他の部門へ望むこと、『各部門に望むこと』を書いてもらうとこから始まり、</div><div>お互いが日頃感じている事について話合ってもらった。</div><div><br /></div><div>参加したのは下記の部門リーダー：</div><div>生産部門、営業部門、開発部門、管理部門</div><div><br /></div><div>そこでは、今までお互いが面と向かって話して来なかった意見や</div><div>要望が多くあげられた。</div><div><br /></div><div>&nbsp;</div><div>● 開発部門→営業部門</div><div>&nbsp;　顧客からもっと具体的な情報を収集してきて欲しい&nbsp;</div><div><br /></div><div>●&nbsp;営業部門→管理部門</div><div>　 社員のモチベーションが上がる人事システムを作ってほしい</div><div><br /></div><div>●&nbsp;生産部門→全部門へ</div><div>　 もっと生産現場について知って欲しい</div><div><br /></div><div>など具体的な話がされた。</div><div><br /></div><div>特に生産現場は</div><div><br /></div><div>　『生産現場は本部から軽視されているように感じる』</div><div>　『営業部門や開発部門から上がって来る商品は全く生産現場を理解していない』</div><div><br /></div><div>との声があげられた。</div><div><br /></div><div>営業は営業で、顧客のニーズにあった商品を提供したいと考え。</div><div>開発は開発で、新たな製品を常に考える。</div><div><br /></div><div>しかし、個々でいい物を作ろうという思いがあっても、個人の思いや</div><div>頑張りが全体から見た時に逆に上手くいかないこともある。</div><div>つまり、各部門にとっての最適が、全社の最適には決してならないのだ。</div><div><br /></div><div>いくらいいアイディアがあったとしても、実際に製品として形にしていくのは</div><div>生産（製造）部門である。</div><div>そこを無視して、アイディアだけではいい商品は作れない。</div><div><br /></div><div>生産は生産で、ただ物を作っているだけの現場ではなく、効率を考え、</div><div>また、良い物を作ろうと必死で考えているのだ。</div><div><br /></div><div>しかし、他の部門からすると、</div><div>　</div><div>　『なぜこちらが思った商品が出来ないのか』</div><div>　『こうした方がいいのではないのか』</div><div><br /></div><div>などと、感じてしまうこともある。</div><div>また、本社からも、○○％コストカットなどと簡単に言われてしまう。</div><div><br /></div><div>&nbsp;</div><div>"生産現場をもっと理解してもらいたい"というのが</div><div>生産部門のリーダーの訴えだ。</div><div><br /></div><div>今回のトレーニングでは、生産部門の話を聞いて、</div><div>始めて現状を理解した人も少なくない。</div><div><br /></div><div>営業部門のリーダーは、</div><div>　『新しい商品を。と思って提案し、"それは出来ない"という生産部門の</div><div>　 答えだけを聞いて、ヤル気がないと思っていたが違っていた。もっと、</div><div>　 現場の意見を取り入れるべきだった』</div><div><br /></div><div>と話していた。</div><div><br /></div><div>現場が疲れているのは、現場を無視したやり方、考え方を押しつけられ、</div><div>その通りにやることを強いられているからなのではないだろうか。</div><div><br /></div><div>現在、現場力と騒がれているが、</div><div>現場力とは現場の社員自らが問題を発見し、</div><div>解決していくための能力を発揮すること。</div><div><br /></div><div>商品開発にしても、実際に現場の人を入れて開発するなど、もう少し、</div><div>現場の声に耳を傾け、現場が生き生きと働ける環境を作っていく。</div><div><br /></div><div>つまり、現場の人たちの意見をもっと尊重し、自ら力を高めていってもらう</div><div>ようサポートする必要があるのだと感じた。</div><div><br /></div></div><div><br /></div> ]]></description>
            <link>http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/2011/10/post-95.html</link>
            <guid>http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/2011/10/post-95.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">現場ドキュメント</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 12 Oct 2011 10:00:00 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第二回【仕事を極めた人の成長プロセス－後編】死ぬまで進歩したい</title>
            <description><![CDATA[<ul class="secList">
<li class="clearfix">
<div class="textArea">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;">

<form mt:asset-id="45" class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="02.JPG" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/02.JPG" width="171" height="227" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>


<p class="fs18 spacing10"><em>日本最高齢現役パイロット<br>
財団法人日本飛行連盟<br>
名誉会長　高橋　淳さん（88歳）</em></p>　
<p class="fs14 spacing10">
"年を取ったら特にオシャレになれ！って言いたい"と語って下さったのは、ピンクのシャツがよく似合う88歳にして現役のパイロットの高橋淳さん。<br>
"楽しいこと、人を喜ばせることが好き"と笑顔で話して下さった高橋さんですが、第二次世界大戦では、数々の死線をくぐりぬけてこられたそうです。現在ではフリーのパイロットとして活躍中。若い人からは『飛行機の神様』と呼ばれています。
</p>
</div>
</li>
<li>
<div class="align center" style="width:500px;">
<p class="fs16 spacing10"><em>【プロフィール】</em>
<p class="fs14 spacing10"><em>
高橋　淳（JUN TAKAHASHI）</em>	<br>
<p class="alignright">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="hon.jpg" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/hon.jpg" width="100" height="142" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span>
<p class="fs14">
1922年生まれ。1941年海軍飛行予科練習生として、海軍に入隊。一式陸上攻撃機のパイロットとして従軍し、周りの仲間が戦死するなか、唯一の生き残りとなる。戦後は、フリーのパイロットとして、航空測量や斜め写真撮影、機体のテスト飛行、遊覧飛行やメディアの仕事など幅広くこなし、また、パイロットをトレーニングする教官業も行っている。現在、社団法人日本飛行連盟名誉会長を務め、航空スポーツに尽くした人に贈られる国際航空連盟の「ポールティサンディエ」賞を受賞。<br>
著書に「淳さんのおおぞら人生、俺流」（イカロス出版）。</p>
</li>
<li class="end clearfix">

<h3 class="fs18">反省がなくなったら終わり。僕はまだまだ成長したい。</h3>
<div class="txt"></em>

<p class="fs14 spacing15">
戦後は、"新日本グライダー研究会"を発足し、また、予科練時代の後輩たちや戦前にパイロット養成を行っていた航空機乗員養成所のOBが集まり、『社団法人日本飛行連盟』を立ち上げます。その後、プロのパイロット育成を中心に、航空写真の撮影やビラまき、宣伝放送の仕事を引き受け、プロのパイロットの養成が一段落したところで、アマチュア・パイロットの育成にシフトし、たくさんのパイロットを育てたそうです。しかし、49歳にして20年近く所属していた飛行連盟を離れ、フリーのパイロットへ。独立後には、パイロットの育成の他、海外から輸入された新しい飛行機のテスト飛行、また、小型機とパイロットを自社で抱える会社で人員が足りない時のフライト依頼など、様々な仕事をこなします。一機、一機コンディションが違うという飛行機は、パイロットなら誰でも操縦ができるというものではないので、今までの経験を基にどんな機体でも乗りこなせる高橋さんへの仕事依頼は非常に多かったそうです。88歳になった現在でも、仕事で週に1～2度はフライトをする高橋さん。しかし、70年近く飛んでいて、今まで完璧なフライトなんて殆どないそうです。「人前では、名人だ、うまいなんていわせるのはわけないのよ。そういうごまかしするのは。でも、自分自身で今日はいいフライトしたなって思うのは、年に1回か2回。自分で満足するようなフライトはね。あとは飛行機降りてから、あそこはこうすれば、良かったかな。って毎回反省してます。反省がなくなったら終わりじゃない。」と、高橋さんは語ります。
<br></p>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="003.JPG" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/003.JPG" width="281" height="211" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span>

<p class="fs14 spacing10">
現在はアマチュア・パイロットの育成に力を注ぐ高橋さんですが、1回1時間位のトレーニングの中でも、終わった後に、「もう少しこういうのを教えてあげればよかったかな」などと考えるといいます。その為、反省がなくなったとき、人を教えたりなんかはしないで、自分の楽しみで飛ぶだけにしようとボーダーラインを決めているそうです。<br></p>
<p class="fs14 spacing10">
人を育てることについて、お伺いすると「物凄く難しい。やっぱり、人間十人十色だからね。アマチュアの人の場合は安全に飛べるようになればいいでしょ。だから、その人の性格をよく掴んで教えないと、みんなお金を払ってくれるわけだから。だから、払った上に、向こうが今日はいいこと教わりました。ありがとうって逆にお礼を言われるようにならなくちゃプロじゃないね。だから、死ぬまでプロであり続ける、そして、死ぬまで進歩するために、毎回きちんと反省をしてます」と、高橋さんは語ります。
<br>
</p>
</li>
<li class="end clearfix">
<h3 class="fs18">慣れるが『狎れる』になると、それが大変なミスに繋がるってことがあるんだ。</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing05">
たまに新聞等で、"ベテランパイロットが事故"という記事を目にすることがあります。「4000時間、5000時間乗ってる。とかいって、なんでこんな事故を起こすの？って思うと思うんだけど、そのくらいの時が一番危ないんだよね。自分じゃ絶対にうまいと思っちゃってる。僕もちょうどその頃、絶対に自分はうまい。俺よりうまい奴はいないっと思ったこともあったよ。僕は事故を起こさなかったけど、でも、その時を越す頃、あ～やっぱり飛行機って難しいなぁ～って。自分で反省することがいっくらでも出て来た。だからね、変に慣れた時って一番危ないんだよ。思わぬところで、"え"っていうのが出てくるの。これはどんな仕事でも一緒だと思うよ。慣れるって獣偏の『狎れる』になってるの。妙な"なれ"になってるわけよ。立心偏の『慣れ』じゃなくて。だから、"自分はうまい"と思ったらおしまいだね。」と、高橋さん。
<br>
<p class="fs12 spacing15">
※狎れるとは：物事になじみすぎて、その為にかえって新鮮な感覚を失うこと。
</p>
<p class="fs14 spacing15">
高橋さんは現在、フライトをする前に、チェックリストでチェックした後、必ずもう一度見直し（リチェック）を行うそうです。「年取った分、若い時より当然頭は衰えているだろうというふうに自分じゃ思っていますから。だから、今の方が安全に飛んでるよ」と。
<br></p>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="01.JPG" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/01.JPG" width="171" height="227" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>

</p>
<p class="fs14 spacing15">
高橋さんは「チェック、リチェック、ジャッチメント（判断力）が必要」と語ります。地上では、ゆっくり考えることができる。でも、空中じゃ一瞬の判断で決めなくてはいけない。その為、プロパイロットに最も必要なのは判断力。そして、"先を読める能力"だといいます。「普通のビジネスやるんでもマニュアルがあるでしょ。マニュアル通りに出来る人は普通の人なんだよね。マニュアルから抜けだして、自分のモノを創りだす人。こういうふうになったらどうなるだろうって、先読みが出来る人。それが、プロだね。でも、先を読んだだけじゃダメなのね。僕は先の先の先くらいを読んでるの。こうなったら、こうなるだろう。こうなったら...じゃ、こっちに行ったほうがいい、とかね。それは、ビジネスの中で相手が何をしたいか、その先を読めるか、と一緒だよね。そうなってくると、マニュアルの中では収まりきれなくなるでしょ。だからあとは、自分で創っていかなくちゃいけない。でも、マニュアルが完璧に出来ていなかったら、そんなこと出来ないでしょ。だから、あくまでも基本は大事なの。」といいます。
<br></p>
<p class="fs14 spacing15">
最後に、今後の目標をお伺いしたところ、「パイロットは年一度、身体検査があるんだけど、その検査で異常があると飛びたくても飛べなくなっちゃうんだよね。だから、今の体調を維持して行きたい。」維持するために何かしていることは？と質問すると「良く寝ることと、犬の散歩、あとは、生活のリズムを壊さないことかな。それに、食べる量は腹八分目と若いころから決めている。体重が全然変わらなくて、いまだに健康でいられるのは、そのせいかもね。あと、女性との楽しい会話かな」と笑って答えてくださいました。
<br></p>

</div>
</li>
</ul>
<h4 class="fs18">取材を終えて・・・</h4>
<br />
<p class="fs14 spacing15">
高橋さんの取材を終えて、一番心に残っているのが、"人前で名人だ・上手いといわせるのはわけない。ただ、自分で満足いくようなフライトはほとんどない。だから毎回反省している"という言葉です。<br></p>
<p class="fs14 spacing15">
人は、毎日同じ仕事・同じ作業を繰り返していると、無意識に自分は成長している、上手くなっていると勘違いしがちです。しかし、それは"無価値な熟練"であり、作業は上手くこなせても、本当の意味での成長ではないのではないでしょうか。
<br></p>
<p class="fs14 spacing15">
常に振り返りをし、何が良かったのか、悪かったのか、何が出来て、何が出来なかった、出来ない事に対しては、次はどうするか。を自分自身で考える事が大切なのだと思います。
<br></p>
<p class="fs14 spacing15">
高橋さんはそれを70年以上続けてきているそうです。<br>
プロは一日にして成らず。<br>
改めて、高橋さんから"プロとは振り返りの積み重ね"なのだとということを学びました。
</p><br/>
]]></description>
            <link>http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/2011/09/post-94.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">現場ドキュメント</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 28 Sep 2011 10:00:00 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第二回【仕事を極めた人の成長プロセス－前編】どんな戦闘に行っても、俺は最善を尽くし、絶対に帰ってきた</title>
            <description><![CDATA[<ul class="secList">
<li class="clearfix">
<div class="textArea">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;">

<form mt:asset-id="45" class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="02.JPG" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/02.JPG" width="171" height="227" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>


<p class="fs18 spacing10"><em>日本最高齢現役パイロット<br>
財団法人日本飛行連盟<br>
名誉会長　高橋　淳さん（88歳）</em></p>　
<p class="fs14 spacing10">
"年を取ったら特にオシャレになれ！って言いたい"と語って下さったのは、ピンクのシャツがよく似合う88歳にして現役のパイロットの高橋淳さん。<br>
"楽しいこと、人を喜ばせることが好き"と笑顔で話して下さった高橋さんですが、第二次世界大戦では、数々の死線をくぐりぬけてこられたそうです。現在ではフリーのパイロットとして活躍中。若い人からは『飛行機の神様』と呼ばれています。
</p>
</div>
</li>
<li>
<div class="align center" style="width:500px;">
<p class="fs16 spacing10"><em>【プロフィール】</em>
<p class="fs14 spacing10"><em>
高橋　淳（JUN TAKAHASHI）</em>	<br>
<p class="alignright">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="hon.jpg" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/hon.jpg" width="100" height="142" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span>
<p class="fs14">
1922年生まれ。1941年海軍飛行予科練習生として、海軍に入隊。一式陸上攻撃機のパイロットとして従軍し、周りの仲間が戦死するなか、唯一の生き残りとなる。戦後は、フリーのパイロットとして、航空測量や斜め写真撮影、機体のテスト飛行、遊覧飛行やメディアの仕事など幅広くこなし、また、パイロットをトレーニングする教官業も行っている。現在、社団法人日本飛行連盟名誉会長を務め、航空スポーツに尽くした人に贈られる国際航空連盟の「ポールティサンディエ」賞を受賞。<br>
著書に「淳さんのおおぞら人生、俺流」（イカロス出版）。</p>
</li>
<li class="end clearfix">

<h3 class="fs18">初めから"ダメかも"なんて思うってことは、最初から負けてるんだよ。</h3>
<div class="txt"></em>

<p class="fs14 spacing15">
小学校の2・3年の時から、模型飛行機が大好きで、組み立てキットを買って作ったり、竹ひごで自ら作って飛ばしたり、勉強そっちのけで飛行機に夢中になっていた日々。そして、小学校5年生の時に初めて、飛行機に乗せてもらい『僕は飛行機乗りになる』と、心に決めたそうです。
<br></p>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="04.JPG" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/04.JPG" width="170" height="199" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span>

<p class="fs14 spacing10">
当時、飛行機乗りになるには日本の海軍の航空隊（現海上自衛隊）、陸軍の航空隊（現陸上自衛隊）、そして、民間の3つしか道がなかったそうです。しかし、その頃、ちょうど日本は徴兵検査があり、20歳になると2～3年軍務をしなければいけない。高橋さんは、どうせ軍隊に入るなら、最初から入って飛行機に乗ろうと考えたそうです。「でも、僕は根っからの軍人ではないからね。だから、3～4年したら、辞めて民間に出ようと思ってたんだよね。そしたら、入隊したとたんに太平洋戦争が始まっちゃってね、辞めるどころの騒ぎじゃなくなっちゃったんだよ」と高橋さん。
<br>
<p class="fs14 spacing05">
予科練（※）に入隊した高橋さんですが、実際に飛行機を操縦できるのは4分の1程度。あとは、操縦士の適性がないと判断されると、偵察員、無線通信士、機関銃士などに振り分けられるそうです。<br>
<p class="fs12 spacing15">
※予科練：海軍飛行予科練習生の略で、少年を集めて海軍のパイロットや偵察員などの搭乗員を養成する制度。
</p>
<p class="fs14 spacing15">
高橋さんは、適性検査に合格し、一式陸上攻撃機のパイロットとなります。一式は翼の大きさが25メートルと大きな機体で、通常7人（偵察員や無線通信士等）で乗るのですが、高橋さんが戦地に出る頃には、人が少なくなってきてしまい、5人で出撃したそうです。
<br>
<p class="fs14 spacing15">
しかも、当時まだ21歳で訓練生上がり、コ・パイ（副操縦士）の経験もない高橋さんが、いきなりキャプテンになり、搭乗員4人を乗せ、戦地へ飛び立ちます。高橋さんの指示で全員が動く、責任は重大。「"だから、もうどんな戦闘に行っても、俺は絶対に帰ってくるぞ"と思って飛び続けたね」と、高橋さん。昔の軍隊は、敵を攻撃し、最後には体当たりして、向こうの船を沈め、靖国神社に祀られるのが名誉と教えられた時代。しかし、高橋さんは「僕は軍人精神に反していたかもしれないけど、どんなことがあっても帰ってきた。最善を尽くして帰ってくるつもりだった。だから、一緒に乗っている連中にも"お前ら遺書なんか書くなよ、絶対どんなことをしてもお前らを連れて帰るから"といい聞かせたね。だって、攻撃に行くのに、今日はやばそうだな...なんていってるやつは絶対に帰ってこない。最初から負けてる」と、高橋さん。戦地では、いつの間にか、心がおかしくなっていく...。死ぬことが当たり前になってきてしまうそうです。そのため、少しでも機体がやられると、「敵艦に突っ込んでやる」という気持ちになってしまう。しかし、高橋さんは「僕は、そこまで心がやられてなかった。俺は絶対に負けない。乗ってる人間達をみんな無事に帰してやるって気持ちだったよ。」
</p>
</li>
<li class="end clearfix">
<h3 class="fs18">自分が最善を尽くすから運が付いてくる。待ってたって運はこないよ。</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing15">
一式陸上攻撃機は大きいだけに、一番攻撃を受けやすいそうです。<br></p>
<p class="fs14 spacing15">
特攻隊というのは、とにかくそのまま体当たりですが、一式に乗った高橋さんたちは艦船を沈めるために爆弾や魚雷を落とし、また、基地へと戻ります。しかし、敵に見つかれば下から雨が降ってくるみたいに弾丸が飛んで来る。そこを弾丸をかわしながら攻撃しなくてはいけない...。そこで、弾丸を避けるために、普段では絶対に行わない危ない操縦をするそうです。こういった時に一番重要になるのは、冷静であること。「僕は常に70～80％で飛んでるよ。もう、それはいつでもそうですよ。余裕があるから100％が出せるわけでしょ。弾丸が飛んで来たとき、そん時が100％だよ。それまでに、余裕があったからこそ正しい判断ができる。パイロットでも、普通の仕事でもいえるけど、特に飛行機乗りなんてパニックになったらダメですよ。最後に100％が出せるようにしておかないと。その100％のレベルは皆違うけど、経験も違うし。でも、本当にこれ以上やることがないって思うまで全ての力を出すことを100％っていうんだ。それでやっぱり運がよかったからね。ただ運っていうのは、待ってて来るもんじゃないから。自分が最善を尽くすから運が付いてくる。待ってたって運はこないよ。って僕は思ってる」と、高橋さん。<br></p>
<p class="fs14 spacing15">
そして、高橋さんの"運"を手伝ったものの一つが「ハンガートーク」だったそうです。
<br></p>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="01.JPG" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/01.JPG" width="171" height="227" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>

<p class="fs14 spacing15">
ハンガーとは飛行機の格納庫のこと。操縦のマニュアルなんかはまったくない時代、戦闘で弾丸を避ける危険な操縦方法などは、格納庫で先輩たちと夜一杯飲みながら、「弾丸を避けるときはこうしないと避けられないぞ」と教わり、自分と仲間の命を守るために、普段からいざという時のためにイメージトレーニングや練習を欠かさずしていたそうです。「そういうのが一番身になるわけよ。偉い人が来て、話をされても寝ちゃうよね。でも、実質的になんかやってた人の話しならみんな真剣に聞くでしょ。それと同じですよ」<br></p>
<p class="fs14 spacing15">
高橋さんへ戦争体験から学んだことはなんですか？と質問したところ<br></p>
<p class="fs14 spacing15">
「やはり、精神的な強さだね。僕は弾丸の中、何回も潜って、それで養われたと思う。だから、今の若い人より僕のほうが精神的に強いと思うよ。たぶん。それから、僕はパイロットだから、飛行機の操縦テクニックだね。だから、どんな気流が悪くて、飛行機がどんな格好になっても直せる。それに、僕は戦争中の真っ暗闇のなか、なんにもない中で飛んでたから、今はGPSだなんだってあるけど、なんにもなくても僕は飛べる。どれが故障しても心配ない。想定外なモノを戦時中ではいろいろ経験しているからね。だからね、僕の人生にとっては非常にプラスだったわけですよ。いい意味にとってだけどね」。
<br></p>
<p class="fs14 spacing15">
高橋さんは取材中、終始笑顔が絶えませんでした「僕は嫌いなことは忘れる方なの。先の楽しみを考える。だって過去は戻ってこないもん。楽しいことだけ思っていればいいじゃん」と。自分が苦労したこと・辛かったことは語らない。これは高橋さんのポリシーだそうです。
<br></p>
<p class="fs14 spacing10">
後編では、プロのパイロットとしての考え方をお聞きしました。<br/></p>

</div>
</li>
</ul>
<h4 class="fs18">取材を終えて・・・</h4>
<br />
<p class="fs14 spacing15">
現代では、今日死ぬかも...なんて、考え日々を生活をている人はそう多くはないと思います。<br></p>
<p class="fs14 spacing15">
しかし、若干20歳前後の高橋さんは毎日が"死"と隣り合わせ。そんな過酷な状況下でも、『俺は絶対に帰ってくるぞ』と強い精神力を保ち続けていました。では、なぜそんなにも強い精神力を保ち続けることができたのでしょうか...。<br></p>
<p class="fs14 spacing15">
それは、"守るものがあったから"だそうです。同じ飛行機に乗り、一緒に戦っている仲間。仲間を絶対に守る。死なせはしない、という思いが誰よりも強かったのだと。<br></p>
<p class="fs14 spacing15">
今回のお話から、私たちが学ぶべきことは、自らに課す、また、背負うものがあることで、人は強くなることができる。そして、一度課したものに対して、最後まで諦めずに貫くことで成長する。<br></p>
<p class="fs14 spacing15">
"ダメかも"なんて思うってことは、初めから負けてるんだよ"高橋さんの言葉が、胸に刺さります。
</p><br/>

<p class="fs16 spacing15"><em>＊続きは後編でどうぞ。<br>　
<a href="
http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/2011/09/post-94.html
">
<u>
第二回【仕事を極めた人の成長プロセス－後編】死ぬまで進歩したい
</u>
</em></p></a>]]></description>
            <link>http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/2011/09/post-93.html</link>
            <guid>http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/2011/09/post-93.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">現場ドキュメント</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 14 Sep 2011 10:00:00 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>独り歩きする&quot;グローバル化&quot;　―&quot;我が社なり&quot;の定義はあるか―</title>
            <description><![CDATA[<div>価格下落、利幅の減少、縮みゆく日本市場　...　...</div><div>ジリ貧状態から脱するため、海外進出を急ぐ日本企業。</div><div><br /></div><div><b>経営方針に「グローバル」を掲げる企業はこの１、２年で激増しましたが、</b><b>反比例</b></div><div><b>する様に、"グローバル化"という言葉が独り歩きしていることを強く感じます。</b></div><div><br /></div><div>人財の側面では、"グローバル化"に対する打ち手は大抵、次に絞られるように思います。</div><div><br /></div><div>◇育成（教育）：語学やコミュニケーション、異文化の学習、早期の現地配属</div><div>◇採用　　　　 ：海外人材の採用</div><div><br /></div><div>これらは重要ですが　"＝グローバル化"　なのかといえば、</div><div>必ずしも、そうとは言い切れないのではないのでしょうか。</div><div><br /></div><div>なぜなら、海外売上比率50％以上を上げ、</div><div>世間的に「グローバル企業」と言われていても、</div><div><b>「我が社では"グローバル"という言葉を聞いても、<br />&nbsp; 人や組織によって</b><b>認識の仕方が未だにバラバラ」</b></div><div>というお話を担当者様から、聞くことがあるからです。</div><div><br /></div><div>では、何が足りないのか。日々の仕事を通じて感じることが一つあります。</div><div><br /></div><div>それは、例えば、</div><div><b>「我が社にとってグローバルでビジネスをすることとはどういうことなのか」</b></div><div>等といった本質的なテーマに対し、会社を上げて深掘りする取り組みが未だに</div><div>少ないことです。</div><div><br /></div><div>～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～</div><div><br /></div><div>先日、国内トップクラス、世界の売上シェアでも10位以内に入るメーカー様にて、</div><div>課長職を対象にトレーニングを実施した時のこと。</div><div><br /></div><div>同社の市場規模は20年後に100兆円を超える予測が経っていますが、</div><div>全体の2割にも満たない領域で新興国を含めた多くのメーカーがせめぎ合い、</div><div>残りの8.9割は、管理・運営事業を主体とする欧米企業が占めています。</div><div>経営トップからのオーダーで、次の問いに対して答えを出す事がトレーニングのテーマと</div><div>なりました。</div><div><br /></div><div><b>「海外の売上比率を高めた時、我が社はどの領域で、</b></div><div><b>&nbsp; 何処を相手に、どの様な戦い方をするのか」</b></div><div><br /></div><div>選抜された10名の課長は次期経営リーダーとして学習を進めながら、</div><div>この問いに対する"より妥当な答え"を導き出します。</div><div><br /></div><div>特に初回のトレーニングでは、以下が議論の焦点に。</div><div><br /></div><div><b>「汎用化、国際規格（標準化）このままが進んだ時、</b></div><div><b>&nbsp; 我が社の"技術力"は</b><b>優位性足りうるか」</b></div><div><br /></div><div><br /></div><div>【トレーナーを交えての参加者の議論】</div><div><br /></div><div>「"技術の流出"などと言っている場合ではない。汎用品という潮流は避けられない」</div><div>「地場企業、特に韓国、ブラジルメーカーのコスト競争力の脅威。</div><div>&nbsp; ただし単純に高級志向にいけば、勝てるかと言えば極めて疑問」</div><div>「国内市場が主戦場だったからこそ、我々で仕様を決める事ができた。</div><div>&nbsp; 国際規格が基準になった今、以前の優位性は通用しないのではないか」</div><div><br /></div><div>～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～～</div><div><br /></div><div>成長市場を求める企業にとって、「海外進出」は避けて通れない道。</div><div><br /></div><div>しかし、「国外に出る」目先の対応を急ぐあまり、本質的なテーマは</div><div>手薄になっている様に感じます。</div><div><br /></div><div>「我々で言うグローバル化とは何か」</div><div><br /></div><div>一朝一夕で答えは出ませんが、この様な本質的なテーマを深堀し、</div><div>我が社なりの定義を持つ事が本当の意味で、海外で通用する力、</div><div>競争力に繋がるのだと思います。</div><div><br /></div><div><br /></div> ]]></description>
            <link>http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/2011/08/post-92.html</link>
            <guid>http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/2011/08/post-92.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">現場ドキュメント</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 24 Aug 2011 10:00:00 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>事業構造改革に必要なものは</title>
            <description><![CDATA[<div>企業を取り巻く事業環境は目まぐるしく変化しているにもかかわらず、企業のなかには、</div><div>かつての事業構造を維持したままで対応している例は少なくありません。</div><div><br /></div><div>持続的な成長を果たすために、常に自社の事業構造を見直し、</div><div>改革を続ける必要がある現在、この本質的な問題に取り組むために、</div><div>事業構造改革を選抜型の次世代リーダー育成のテーマとされる企業が多くあります。</div><div><br /></div><div>事業構造改革をテーマにしたトレーニングの場合、</div><div>大きく以下のようなステップを行ったり来たりしながら、</div><div>学習→気づき→思考の変革を繰り返していきます。</div><div><br /></div><blockquote class="webkit-indent-blockquote" style="margin: 0 0 0 40px; border: none; padding: 0px;"><div>1．我が社が置かれている事業環境を正しく把握する</div><div>&nbsp; &nbsp; &nbsp; &nbsp; 　　↓　　↑</div><div>２．今後の事業環境の動向</div><div>　　 　　　↓　　↑</div><div>３．自社の事業構造改革の方向性</div><div>　　 　　　↓　　↑</div><div>４．事業構造改革案の立案　</div></blockquote><div><br /></div><div>ステップの１、２である自社を取り巻く事業環境の認識や、今後の事業環境の動向を</div><div>議論する際、参加者の発言で多いのは、</div><div><br /></div><blockquote class="webkit-indent-blockquote" style="margin: 0 0 0 40px; border: none; padding: 0px;"><div>・ とは言っても、頑張ればまだどうにかいけるのではないか</div><div>・ 顧客の要望も厳しくなってきていると実感もしており、危機感はあるのだが、</div><div>　 どうしていけばいいのかがわからない</div><div>・ 上が方向性を出していない</div><div>・ 今いまの業務に追われていて、じっくり考える時間がない</div><div>・ まだやるべきことがあり、それをやってからではないか</div></blockquote><div><br /></div><div>など、参加者間における「自社の現状認識」と、これを誰がやるのだという</div><div>「当事者意識」に大きな違いが見受けられます。</div><div><br /></div><div>また、その後のステップ３．自社の事業構造改革の方向性を検討する際、議論が</div><div>いつのまにか、"今いまの話"や"商品軸"の話になってしまう。</div><div><br /></div><div>各企業のトレーニングには、できる限り張り付いているのですが、</div><div>このような現象は、多くのトレーニング場面で見受けられます。</div><div><br /></div><blockquote class="webkit-indent-blockquote" style="margin: 0 0 0 40px; border: none; padding: 0px;"><div>これまでの自分の構え &nbsp;　vs 　 リーダーとして求められている構え</div><div>これまでのものの見方　　vs　　新たな見方、視点</div><div>　　 &nbsp;これまでの考え方　　vs　　新たな考え方</div></blockquote><blockquote class="webkit-indent-blockquote" style="margin: 0 0 0 40px; border: none; padding: 0px;"><blockquote class="webkit-indent-blockquote" style="margin: 0 0 0 40px; border: none; padding: 0px;"><blockquote class="webkit-indent-blockquote" style="margin: 0 0 0 40px; border: none; padding: 0px;"><blockquote class="webkit-indent-blockquote" style="margin: 0 0 0 40px; border: none; padding: 0px;"><div>　 &nbsp; &nbsp; &nbsp;・</div></blockquote></blockquote></blockquote><blockquote class="webkit-indent-blockquote" style="margin: 0 0 0 40px; border: none; padding: 0px;"><blockquote class="webkit-indent-blockquote" style="margin: 0 0 0 40px; border: none; padding: 0px;"><blockquote class="webkit-indent-blockquote" style="margin: 0 0 0 40px; border: none; padding: 0px;"><div>　 &nbsp; &nbsp; &nbsp;・　</div></blockquote></blockquote></blockquote></blockquote><div><br /></div><div>これらの葛藤を講師が何度も引き起こすのですが、ここを抜け出すまでが、参加者と</div><div>講師が一番戦い、参加者、そして講師にとって一番しんどい場面のように思います。</div><div><br /></div><div>この様々な葛藤の中で、人はリーダーとしての自分の姿勢や、会社や事業などに</div><div>対する考え方を変えていくと実感してます。</div><div><br /></div><div>事業構造改革を成し遂げるためには、事業構造改革に向けての絵やシナリオの</div><div>素晴らしさも重要ですが、改革案を浸透させ、実現していけるリーダーが、我が社に</div><div>質・量的にどれだけいるかどうかではないでしょうか。</div><div><br /></div><div><br /></div> ]]></description>
            <link>http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/2011/08/post-91.html</link>
            <guid>http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/2011/08/post-91.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">現場ドキュメント</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 10 Aug 2011 10:00:00 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第一回【仕事を極めた人の成長プロセス－後編】美味しいコーヒーを作るためには妥協しない</title>
            <description><![CDATA[<ul class="secList">
<li class="clearfix">
<div class="textArea">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="P1020545.JPG" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/P1020545.JPG" width="153" height="204" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>
<p class="fs18 spacing10"><em>カフェ・ド・ランブル<br>
コーヒー店店主　関口一郎さん（97歳）</em></p>　
<p class="fs14 spacing10">銀座の路地裏に『コーヒーだけのお店』と書かれたオレンジ色の看板があります。<br>
「コーヒー以外知らないから。知らないものは提供できないの」と語って下さったのはカフェ・ド・ランブル店主関口一郎さん。学生時代からコーヒーに興味を持ち、97歳になった現在でも「美味しいコーヒー」をつくるために、と日夜研究を重ねているそうです。</p>
</div>
</li>
<li>
<div class="align center" style="width:500px;">
<p class="fs16 spacing10"><em>【プロフィール】</em>
<p class="fs14 spacing10"><em>関口一郎（ICHIRO SEKIGUCHI）</em>	
<br>1914年生まれ。早稲田大学理工学部卒業。学生時代よりコーヒーの魅力にはまり研究を始める。技術屋として様々な仕事をこなし、自らも起業したが倒産。しかし、かねてから取引関係者にお茶がわりに出していたコーヒーの評判がよく、お客様からの強い要望もあり『カフェ・ド・ランブル』を1948年に開店。現在でもお店で、日々コーヒーの試飲や焙煎を行っている。</p>

<p class="fs14 spacing10"><em>カフェ・ド・ランブル</em> （<a href=" http://www.h6.dion.ne.jp/~lambre/index.html" target="_blank"> http://www.h6.dion.ne.jp/~lambre/index.html</a>）</em>
<br>1948年（昭和23年）西銀座に開店。<br>
銀座で一番高い店でコーヒー1杯が90円だった当時、ランブルは100円でスタート。美味しいとの評判が広がり、遠くから来てくれるお客さんも多く、また著名人も数多く足を運んだ。表通りでなく路地の奥で店を始めたのは、銀座が昔から"イイモノ"はどんな迷路であろうとも探して見つけ出してくれるお客様がいる土地柄だったから。現在は8丁目に移転。</p>
</li>
<li class="end clearfix">

<h3 class="fs18">コーヒーに関わるモノすべてにこだわる</h3>
<div class="txt"></em>

<p class="fs14 spacing15">終戦を迎え（前編参照）、その後、軍隊で一緒だった仲間と映画機材屋を起業したのですが、お金を持ち逃げされ二年で廃業してしまいます。そんな中、「映画の仕事をしている時にお客さん（映画関係や興行関係）に、接待で出していたコーヒーが大好評でね。みんなが喜んで飲んでくれてたの。本当は、国内初のストロボを作ろうと研究して、発表したんだけど、この当時、なかなか理解してもらえなくてね、相当な額の資本も必要だったからスポンサーが見つからなかったの。そしたら、周りの人達が、コーヒー屋をやれやれというから、食いつなぎの為に始めたの。」と関口さん。<br>
ここから、20人入ると満員になるような小さなお店でコーヒーを始めたそうです。<br>
<p class="fs14 spacing15">関口さんのお店は、口コミで有名になり、お客さんはひっきりなしに来ます。次の仕事までのちょっとのつもりで始めたコーヒー屋でしたが、コーヒーを飲んで喜んでいる人の顔を目の当たりにして、「そこに損得勘定なんてない」と感じたそうです。ちょうどその頃、関口さんのストロボの研究を目にした電気会社が協力したいと申し出をしてきたらしいのですが、「僕はもうコーヒー屋始めちゃったから、そのまま渡しちゃった。ストロボとは縁切っちゃったの」と。<br>
<p class="fs14 spacing15">そこから、益々研究に熱が入り、一番美味しいコーヒーをつくるために、すべての物を見直します。<br>
<p class="fs14 spacing10">コーヒーフィルターに関しては「綿糸系（フランネル）、動物性（フェルト、絹）、鉱物性（金属の網、ガラス※）とか科学実験室みたいに、いろんな種類を使って、どれが一番美味しいコーヒーが出来るか自分が試してね、究極、今使っている片毛の綿ネルが一番美味しいっていうことがわかったの。いろんな物を試して覚えたわけ。教科書や方程式みたいに、決まっていることではなく、どうしてこれ以外にいけないのか？を見つけるのが楽しいんだ。なぜなぜなぜ？って興味を持って追求することができるのが好きなんだよね」と、関口さん。その当時、"今のままでも十分に美味しい"と言われるコーヒーでしたが、関口さんは、「まだまだ全然満足がいってなかったんだよ」と語って下さいました。<br>
（<small>※ガラス：ガラスを一度砕き、粉にしてから、再度固めたもの）</small></p>

<p class="fs14 spacing15">その後もお客さんにコーヒーを出すまでのプロセスを見直し、ひとつひとつ自ら手を加え、改良していきます。「私はコーヒーについていろいろ勉強したからよく知っているけど、コーヒーの機械を作っているのはコーヒーの本質を知らない人。だから美味しくないの」。<br>

<p class="fs14 spacing15">一番始めは生豆を焙煎・ローストする機械を自ら改造。そして、コーヒーカップは飲むときに唇にあたる感覚を重視した薄手のカップを作りたい。と、京都の窯元でろくろを廻した。お湯を注ぐポットにしても、自社で開発。そして、最後に残ったのがコーヒーミルだったそうです。今までのミルは豆を挽くときに微粉が出てしまい、この微粉がコーヒーの粉に混ざっていると余分な味がでてしまう。その為、設計図を書き、試作品を家で製作し、最終的には工場で幻のミルを作り上げました。コーヒーミルは、2007年7月には特許も取得したそうです。</p>

<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="coffeshop01.JPG" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/coffeshop01.JPG" width="282" height="184" class="mt-image-center" style="float: center; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="coffeshop04.JPG" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/coffeshop04.JPG" width="148" height="197" class="mt-image-center" style="float: center; margin: 0 0 20px 20px;" /></span><p class="fs14 spacing15"><em>左：ランブルオリジナルポットの鶴口状の注ぎ口　　　　ランブルで開発したリードミル<br>
右：市販のポットの注ぎ口</em></p></div>



</li>
<li class="end clearfix">
<h3 class="fs18">義務でやっていることは好きにはならない</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing15">1970年からコーヒー豆の質は下降線。生産量が多くなると、豆の質は悪くなり、味が薄くなる・・・。これが自然の摂理だそうです。
そこで、少しでもいいものを仕入れたいと思うのはどこのコーヒー店でも一緒。しかし、勉強の足りない人は、高い値段で買わされてしまう...。関口さんのお店では、一切の銘柄やランクに惑わされず、テストで合格したものしか購入しません。<br></p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="coffeshop03.JPG" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/coffeshop03.JPG" width="200" height="150" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span>
<p class="fs14 spacing15">「コーヒーが好きで、勉強すればトレーニングでレベルはあがるもの。それは、他の仕事でも一緒だと思うんだよね。本当に好きでね、そのことについて深く知ってみよう、調べてみようと思えるなら大丈夫だと思うの。事柄が解けるというか解決出来るようになってくると面白くなってくるから。いつまでもどうどう巡りしていたら興味がなくなっちゃうからね。仕事として、義務でやってることでは、好きになんないから。面白くって、興味があって、損得度外視できるかだね。そこまでやってみて、少しでも好きと思うものに対しては、一生懸命にやること。一生懸命やる前に、仕事が向かないと勝手に思ってはダメだよね。途中で諦めてしまっては、自分の実力なんて見えないし、本質（仕事の面白さ）も見えてこないからね。寝食を忘れるくらいのめり込んでみるといいよ」と関口さん。<br>

<p class="fs14 spacing15">80年以上もの間、「美味しいコーヒー」を追い続けている関口さんに「まだ、コーヒーに対しての思いは尽きませんか？」と質問したところ、「本当に真髄を掴んだわけじゃないからね。その対象にできるような最高の豆がなくなっちゃったんだよね。だから、それが出るのを待ってるの。最近スペシャルコーヒーを作ってるところが少数でてきたから。それに、時間が足りないね。まだまだ、やることはある。死ぬ気全然ないし、死ぬとは思ってない」と笑顔で語ってくださいました。<br/></p>

</div>
</li>
</ul>
<h4 class="fs18">取材を終えて・・・</h4>
<br />
<p class="fs14 spacing15">『妥協しない人』取材を終えての関口さんの印象です。<br></p>

<p class="fs14 spacing15">一件おっとりしていて、柔らかい雰囲気を醸し出している関口さんですが、作業場に入り、コーヒー豆と向き合うと、関口さんの表情は変わります。<br></p>

<p class="fs14 spacing15">妥協する人としない人との違いは何なのか、自分なりに考えてみました。いくつか考え方はあるとは思いますが『目指すモノが高い』そして、『自分なりの軸がある人』なのではないかと考えています。本当にいいモノを作りたい"と目指すところが高いから、何があっても妥協しない。目指すモノの高さが自分の軸を引き上げ、その軸を基準に物を見たとき、納得の行くものなのか、いかないものなのかが見えてくる。<br></p>

<p class="fs14 spacing15">では、その軸はどのようにして出来上がるのか...。それは、やはり誰にも負けないと思えるくらい、そのことに没頭し、学んだかどうかだと思います。更にいいものを！と思い努力して学んだ結果得た物が、その人の軸になるのではないかと思います。</p><br/>


]]></description>
            <link>http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/2011/07/post-90.html</link>
            <guid>http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/2011/07/post-90.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">現場ドキュメント</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 27 Jul 2011 10:00:00 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第一回【仕事を極めた人の成長プロセス－前編】自ら積極的に行動し、学ぶ</title>
            <description><![CDATA[<ul class="secList">
<li class="clearfix">
<div class="textArea">
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="P1020545.JPG" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/P1020545.JPG" width="153" height="204" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>
<p class="fs18 spacing10"><em>カフェ・ド・ランブル<br>
コーヒー店店主　関口一郎さん（97歳）</em></p>　
<p class="fs14 spacing10">銀座の路地裏に『コーヒーだけのお店』と書かれたオレンジ色の看板があります。<br>
「コーヒー以外知らないから。知らないものは提供できないの」と語って下さったのはカフェ・ド・ランブル店主関口一郎さん。学生時代からコーヒーに興味を持ち、97歳になった現在でも「美味しいコーヒー」をつくるために、と日夜研究を重ねているそうです。</p>
</div>
</li>
<li>
<div class="align center" style="width:500px;">
<p class="fs16 spacing10"><em>【プロフィール】</em>
<p class="fs14 spacing10"><em>関口一郎（ICHIRO SEKIGUCHI）</em>	
<br>1914年生まれ。早稲田大学理工学部卒業。学生時代よりコーヒーの魅力にはまり研究を始める。技術屋として様々な仕事をこなし、自らも起業したが倒産。しかし、かねてから取引関係者にお茶がわりに出していたコーヒーの評判がよく、お客様からの強い要望もあり『カフェ・ド・ランブル』を1948年に開店。現在でもお店で、日々コーヒーの試飲や焙煎を行っている。</p>

<p class="fs14 spacing10"><em>カフェ・ド・ランブル</em> （<a href=" http://www.h6.dion.ne.jp/~lambre/index.html" target="_blank"> http://www.h6.dion.ne.jp/~lambre/index.html</a>）</em>
<br>1948年（昭和23年）西銀座に開店。<br>
銀座で一番高い店でコーヒー1杯が90円だった当時、ランブルは100円でスタート。美味しいとの評判が広がり、遠くから来てくれるお客さんも多く、また著名人も数多く足を運んだ。表通りでなく路地の奥で店を始めたのは、銀座が昔から"イイモノ"はどんな迷路であろうとも探して見つけ出してくれるお客様がいる土地柄だったから。現在は8丁目に移転。</p>
</li>
<li class="end clearfix">

<h3 class="fs18">美味しいコーヒーを飲みたい。と思う気持ちが行動に</h3>
<div class="txt"></em>

<p class="fs14 spacing15">1948年銀座にオープンしたカフェ・ド・ランブル。コーヒー通の間で有名な店であり、長いお客さんになると50年以上も前から、<br>通っている方もいらっしゃるそうです。<br>
<p class="fs14 spacing15">興味があることを追求するのが好きと語ってくださった関口さんは、コーヒーが現在のように、あまり普及されていない大正年間に、喫茶店で淹れたコーヒーと自分が家で淹れたコーヒーの味の違いに愕然とし、「同じコーヒーなのにどうしてこんなに差があるのか」という疑問から、初めは趣味として研究を始めたそうです。<br>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="ランブル2.JPG" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%96%E3%83%AB2.JPG" width="160" height="192" class="mt-image-right" style="float: right; margin: 0 0 20px 20px;" /></span>
<p class="fs14 spacing05">美味しいコーヒー屋があると聞けば、飲みに行く。実際に美味しいと思った店には足繁く通い、手土産を持って行き、仲良くなったところでコーヒーの淹れ方を教わる。美味しいといわれるコーヒー店では、奥でガリガリとコーヒー豆を挽くという音がするが、挽いてある出来合のものを使っている店は美味しくなかったことに気付いた。また、輸入コーヒー会社主催のセミナーなどに積極的に参加したり、貸し出し禁止の貴重なコーヒーの本『オールアバウトコーヒー』目当てに国会図書館へ通う毎日。当時は、まだ日本語に翻訳されておらず、辞書片手に一つ一つ自分なりに訳しながら本を読んだそうです。自宅に帰れば、早速、学んだことをチャレンジしてみる。そして、検証→再チャレンジ→検証を繰り返す。関口さんは、この時期のこの行動が、今の自分の知識の基だと語ってくださいました。現在では、オールドコーヒー（※）をつくるため、超音波の機械を使い早期熟成方法の研究をしているそうです。「その研究の為に超音波工学って本があるんだけど、どういうことだろうかと思って読んで見たら、僕が知りたかっことは1～2行しか書いてなかったよ」と笑う関口さん。
<p class="fs12 spacing15" >※オールドコーヒー：30年くらい寝かせて熟成させる生豆。<br>
<p class="fs14 spacing15">関口さんは、美味しいコーヒーを作るために、コーヒーの事だけを学ぶのではなく、その取り巻く環境全てを勉強していました。<br>例えば、コーヒーの歴史や水の研究など・・・様々な角度からコーヒーの研究をしています。「一つのことをクリアーすると、また問題が出てくるんだよね。そして、また、自身で勉強して、その壁を越える。でも、その先にはまた高い壁があるんだよ」。と語ってくださいました。<br></p>
<p class="fs14 spacing10">しかし、初めからコーヒー店を開こうとは思っていなかったそうです。コーヒーはあくまで趣味。仕事に関しては、早稲田大学理工学部を卒業し、東芝の研究所に就職。当時にしては多額な大卒初任給80円という給料に惹かれて入社したものの、会社組織に馴染めず僅か3ケ月で退社。その後は日立製作所や、様々な企業で臨時のエンジニアとして働いています。「仕事は食べていく為の手段だったね。仕事では面白くてのめり込むほどの興味のあるテーマがなかったの。与えられた仕事をこなして、なんとなくやってたの」と。</p>
</li>
<li class="end clearfix">
<h3 class="fs18">軍隊での生活から学んだこと</h3>
<div class="txt">
<p class="fs14 spacing15">エンジニアと趣味のコーヒーの研究をしている28歳の時、召集令状が届いたそうです。<br></p>
<p class="fs14 spacing15">もらった時には「これでおわりだ...」。戦地に行けば、当然爆弾の洗礼を受ける。自然と死を意識せざるを得ない。しかし、そんな中で、「切り替えたんだよね」と関口さん。<br></p>
<p class="fs14 spacing15">エンジニアだった関口さんは、兵器修理班に配属がきまり、幸いなことに直接戦地へは行かなかったものの、そこでの生活は常識では考えられない屈辱の連続だったそうです。<br></p>
<p class="fs14 spacing15">初年兵の仕事は使役。本業の技術の仕事は先輩達がやってしまうため、初めは畑を耕したり、糞尿の処理、先輩の奉仕の為の手伝いや身の回りの世話（洗濯、掃除、食事の用意など）物を考えている暇が無いほど大変。しかも、少しでもまごまごするとビンタ。殴られるのは日常茶飯事、殴られない人は誰一人としていない。「この屈辱だったら、死んだ方がいい」とまで思ったそうです。極端に弱い人は耐え切れない。中には何ヶ月かに一度実家に帰れる制度があるのですが、帰省したきり戻って来ない人もいたといいます。そんな中で、関口さんは「その時に、切り替えたの。こんな常識が通用しない中で生き抜くには、自分がどれだけ耐えられるか、限界を試してみよう。切り替えようとね」と。それから、人が嫌がる仕事を率先して行ったそうです。週番上等兵が「各班で使役出ろ」と声がかかると、必ず一番に並ぶ。「一番に並ぶって決めたから」と関口さん。<br></p>
<span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="0713.JPG" src="http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/0713.JPG" width="160" height="192" class="mt-image-left" style="float: left; margin: 0 20px 20px 0;" /></span>
<p class="fs14 spacing15">人間誰しも嫌な仕事と好きな仕事とでは、殆どの方が、好きな仕事を自然と選んでしまうと思いますが、関口さんは、"考え方を切り替えた"といって嫌な仕事ほど積極的に取り組みます。その結果、その積極性を買われ雑用でも比較的、楽な方を回してくれるようになったそうです。もちろん人情を期待していたわけではありません。しかし、周りはよく見ていて「あいつに頼め、あいつはよくやってくれる」と。次に与えられた仕事は使役ではなく、事務仕事だったそうです。事務仕事の役割の一つに、人の采配があります。兵器修理班なので、修理・工事は誰でも出来る。しかし、その仕事を誰にふるか。要は、その修理・工事に必要な技術を即座に判断し、適した人を派遣できるか。今まで、積極的に仕事を引き受け、多くの修理・工事の現場をこなし、そして、人との関わりの中から個々の仕事の向き不向きを理解している人でないと采配できません。<br></p>
<p class="fs14 spacing15">関口さんは、「なんでも積極的にやったからね。いろんなことがわかって来たんだよ」と。最終的に、殆どの仕事に携わり、関口さんが関わらなくては、誰も出来ないという仕事がいくつか出来てしまったそうです。<br></p>
<p class="fs14 spacing15">関口さんはこの時の体験を「役に立つね。今、翻って少なくても、２年くらい20歳位になったら兵役のような制度に行った方がいい。ああいう生活を潜ったらすごいね。あの経験はよくても悪くても役に立つから。気配りだよ。気配りがなかったらすぐビンタだ<br>からね。ただ、ビンタの本当の意味は、"諦めるな、精神的に強くなれ"っていう上の人からの思いも込められてるらしいんだけどね。」と笑いながら語ってくださいました。<br></p>
<p class="fs14 spacing10">後編では、コーヒーに対しては、決して妥協しない。関口さんの"こだわり"についてお話をお伺いしました。<br/></p>
</div>
</li>
</ul>
<h4 class="fs18">取材を終えて・・・</h4>
<br />
<p class="fs14 spacing15">関口さんのお話をお伺いして一番感じたことは、"ものの見方・考え方の柔軟さ"です。<br></p>
<p class="fs14 spacing15">コーヒーに対しては、"コーヒーはこうもの"という決め付けをせず、常に新しいことを学び、吸収し、実際にチャレンジする柔軟さ。一方で、戦争という状況下で苦しいことに遭遇した際に、考え方を転換し、嫌なことに対して、率先してそのことに取り組む姿勢。一見、全く違うように思えますが、固定観念に囚われず、発想の転換を行うという部分で共通していると思いました。<br></p>
<p class="fs14 spacing15">人は、今まで自分の中の培ってきた知識だけで、物事を判断しがちですが、決め付けをせず、もっと深く調べてみる。そして、<br>嫌いな事に関しては、実際にやってみるなど、考え方を変え一歩前に進んでみるとまた違ったものが見えてくるのかもしれません。学ぶにはまず、固定観念を捨て、様々事に積極的にチャレンジする（チャレンジして経験してみないと何事もわからないということ）ことが必要である。関口さんのお話を伺い、改めて感じました。</p><br/>

<p class="fs16 spacing15"><em>＊続きは後編でどうぞ。<br>　
<a href="
http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/2011/07/post-90.html
">
<u>
第一回【仕事を極めた人の成長プロセス－後編】美味しいコーヒーを作るためには妥協しない
</u>
</em></p></a>
]]></description>
            <link>http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/2011/07/post-89.html</link>
            <guid>http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/2011/07/post-89.html</guid>
            
                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">現場ドキュメント</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 13 Jul 2011 10:00:00 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>制度や仕組みは誰の為のものか？　‐営業現場で感じる企業の課題‐</title>
            <description><![CDATA[<div>今回の現場ドキュメントは、日々の営業活動から伺える</div><div>「企業の課題」についてお伝えしたいと思います。</div><div><br /></div><div>様々な企業を御伺いする中で、最近特に多く感じる課題の一つは、</div><div><b><br /></b></div><div><b>会社側（企画部門）が導入する制度や仕組みが、</b></div><div><b>現場の末端まで浸透せず、実効が上がらない。　</b>という事です。</div><div><br /></div><div>「新たに中期経営計画を立てたけれども、現場の末端まで浸透しない」</div><div>「人事制度を改定したが、運用が上手くいかない」等々。</div><div><br /></div><div>また、お話を聞き進めていくと、「企画側の立てた施策の内容が悪い」</div><div>「運用しない現場に問題があるのでは」と、</div><div>双方のギャップが浮き彫りになることも多いです。</div><div><br /></div><div>「どちらが良い、悪い」という事ではありませんが、多くの場合、</div><div><b>導入する施策の整合性には高い関心が寄せられるものの、</b></div><div><b>運用する人や組織にはあまりフォーカスされていないこと</b>が、</div><div>本質的な課題の一つに挙げられます。</div><div><br /></div><div>どれだけきれいな絵を描いても、実践するのは感情を持った人間。</div><div>納得感がなければ、進んで実践しません。</div><div><br /></div><div>一方で「この人に聞く／人を大切にする経営特集」でご紹介している</div><div>二社を見てみると、共通点があります。</div><div><br /></div><div><b>それは両社とも「人・組織の活性化」を根底に置いて、</b></div><div><b>制度や仕組みを独自に構築している点です。</b></div><div><br /></div><div>－会社が社員に合わせる&nbsp;</div><div>　　　　　（サイボウズ株式会社　代表取締役会長　青野慶久さん）</div><div><br /></div><div>－人を仕事にあわせるのではなく、仕事を人にあわせる</div><div>　　　　　（日本理化学工業取締役会長　大山泰弘さん）</div><div><br /></div><div>両社とも「社員が活き活きと働ける環境」を創りだすことを目的に、</div><div>制度や仕組みを独自で創り、成果を上げています。</div><div><br /></div><div>－制度や仕組みは誰の為のものか？</div><div><br /></div><div>まずは運用する側、人・組織の状態に目を向けること、</div><div>その上で施策そのものではなく、</div><div>全体としての整合性を突き詰めることが、</div><div>実効を上げるための近道になるのだと感じています。</div><div><br /></div><div><br /></div><div>最後に、OBT協会では、HPのリニューアルに伴い、</div><div>顧客企業様と一緒になって取り組んだ</div><div>経営課題／組織課題の解決事例を、刷新しております。</div><div>是非、こちらもご覧頂ければ幸いでございます。</div><div><br /></div><div>◆Case01経営理念や戦略が末端まで浸透しない</div><div><a href="http://www.obt-a.net/case/case01.html">http://www.obt-a.net/case/case01.html</a></div><div><br /></div><div>◆御問合せ・無料御相談はこちらから</div><div><a href="http://www.obt-a.net/lp/service/index.html">http://www.obt-a.net/lp/service/index.html</a></div><div><br /></div><div><br /></div><div><br /></div> ]]></description>
            <link>http://www.obt-a.net/web_jinzai_magazine/enterprise/2011/06/post-88.html</link>
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                <category domain="http://www.sixapart.com/ns/types#category">現場ドキュメント</category>
            
            
            <pubDate>Wed, 22 Jun 2011 10:00:00 +0900</pubDate>
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