OBT 人財マガジン

2012.09.26 : VOL148 UPDATED

人が育つを考察する

  • 第五回【成長の瞬間】今までの仕事の枠を超える‐後編

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      株式会社松屋
      特別専門職 バイヤー 
      宮崎 俊一さん


      百貨店の売り上げは、91年の9兆7千億円をピークに、2011年段階で6兆1千億円と37%減っています。そのため、各百貨店では今、大きな分かれ道に来ています。高級路線を貫くのか、それとも安売りにシフトするのか・・・。そのような中、今回お話をお伺いした松屋銀座の宮崎俊一さんは、『高品質な商品を適正価格で』をコンセプトに、独自のルートで調達したイタリア生地を使い、日本の職人が縫い上げる「丸縫い既製スーツ」を作り上げました。選んできた商品をただ並べるだけのバイヤーではなく、売り場に立ってお客様の話を聞き、それを形にしてお客様が本当に欲しいと思う商品を作って行きたいと語る宮崎さん。今回は宮崎さんに、お客様に喜ばれる商品とは何か?そして、モノづくりを担うバイヤーとして歩んできた軌跡についてお伺いしました。(聞き手:伊藤みづほ、菅原加良子)


    • 【プロフィール】

      宮崎 俊一(SHUNICHI MIYAZAKI)

      1965年北海道生まれ。1989年株式会社松屋入社。同社食料品売り場担当後、91年から紳士洋品を担当、96年より紳士服バイヤーとして活躍。2002年から、年2回開催される紳士服の催事「『銀座の男』市」のオリジナルスーツ等の企画開発を手がける。

      株式会社松屋(http://www.matsuya.com/m_ginza/)

      1869年 初代古屋徳兵衛が横浜石川町に鶴屋呉服店を創業。事業内容は百貨店業、通信販売業及びこれらに関連する製造加工、輸出入業、卸売業等幅広く手掛ける。創業以来、常に新たなことへ挑戦する風土があり、デパート初の屋上遊園地やショーウィンドー等を導入。1948年 商号を「株式会社松屋」に変更。
      資本金/7,132百万円、従業員数/569名、年商/60,339百万円(平成24年2月29日現在)

    • 妥協したか、しなかったかは自分が一番知っている

      ────宮崎さんがバイヤーになられて、まず初めに取り組まれたことは何ですか?

      99年に紳士服のスーツ担当になったのですが、商品は約1年前にはもう準備が終わっているので、1年間は前のバイヤーが作ったモノを売ることになるんです。だから、担当になっても1年後じゃないと、自分のモノが売れない。それに、僕は元々選んでくるだけのバイヤーにはなりたくなかったんです。選んでくるだけではなくて、オリジナルを作りたいって思っていました。

      ────敢えて、オリジナルの商品を。と思った理由は何ですか。

      一番は松屋に来てもらう理由ですね。例えば、紳士でも、婦人でも各デパートごとに殆ど重複したブランドが入っていますよね。そういった特定のブランドは松屋ではなくても買えます。だから、逆に、他の百貨店が置いていないクオリティーの高いモノを松屋で取り扱っていれば、絶対にうちに来なくてはいけない。それで、そのスーツを買ったら、ついでにネクタイや靴も松屋で。となるので、そんなに大きくない百貨店の紳士売り場を見てもらうために大事なんですよ。うちが凄く大きくて、ブランドも全部入っていたらそういう考えにはならなかったと思いますね。でも、そうじゃなかったので、だからこそ自分たちで生地を買って、自分たちで縫製工場に入れて、それを自分たちで売るってことをやってみようと思いました。

      そこで、まず海外に生地を調達しに行きたいと企画書に書いて出したんですけれども、前例がない出張だし、経験がないので却下されてしまって。要するに、それが事業規模になるか分からない出張なので。それに、僕も自信がなかったので、それだったら休みだけもらって自分のお金で行ってこようと思いまして。それはOKだったんですね。それで、イタリアに行ったんです。

      ────食品担当時代もそうですが、"今後の仕事につなげる為に"と自らお金を出して勉強に行くということは、なかなか出来ることではないと思います。実際イタリアへ行ってみていかがでしたか?

      生地展に行ったのですが、全然ダメでしたね。言葉も通じないし、買うルールも分からない。まして輸入の方法も全然知らないので、1回行ってみてどれくらいダメなのかなって思っていましたけど、8割がダメで、思ったことの2割もたぶん出来なかったというのが正直なところです。それで、打ちひしがれるわけですよ(笑)。そこから、言葉は夜必死になって独学でイタリア語を勉強し、生地はどうやったら仕入れられるかを考えて、次の生地展に行くことになるんです。

      2回目は、言葉は何とか通じたんです。それに、英語のブースは混んでいて待ちますが、イタリア語のブースはすぐにできるので、割とスムーズに見れました。ただ、まだどれだけ買えるかもわからないというところはあったのですが、2回目で大分絞り込めたんです。それで、会社に『こういうプランで行ったらこのぐらい出来ます』。っと申請をして、海外買付品を2週間の催事期間中(※)に一定の売上目標を達成するという計画をだしたところ、やってみようっていう形になったんです。だから、3回目からは会社で出張扱いになりましたね。

      (※)『銀座の男』市:「オーバークオリティ」を実現するため、毎回、生地の調達から縫製にまでこだわったスーツを提供。なかでも、仕立て職人がすべてを縫い上げる「丸縫い既製服」が人気。

      ────オリジナルスーツは非常に低価格で高品質だと伺っております。

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      低価格というか適正価格なんです。僕らは、低価格と思っていなくて、百貨店がプライスで勝負すること自体ありえないと思っているんですよ。今は若い人を狙った戦略に切り替えるといって、ファストファッションを取り入れたり、脱百貨店と言っている百貨店グループもある。でも、松屋みたいに、百貨店本来の品揃えを維持しながら生き残っていこうという時には、低価格ではなく適正価格で勝負しなくてはいけないんです。

      メインの商品は百貨店が元々扱ってきたブランド等の高品質な商品でいいのですが、ただ、オリジナルで勝負する時には、もっとやりようがあるんじゃないかと思っています。高品質な部分を維持しつつ、今まで百貨店だと買えないなと思っていた人に対して適正価格で売る。凄くわかり易く言うと、市場に無いくらい高い品質のモノを適正価格で出すという新しいビジネスモデルなんです。それらの商品は、僕がそう思うのではなくて、お客様が納得して買うレベルにしないといけない。だから、ちょっと安いくらいでは買っていただけないんですよ。その品質に対して、どこと比べてもあり得ないくらいいいものになっていて、しかも適正価格であること。そこで初めてお客様は動く。

      ────確信はありましたか?

      100%はないですよ。でも、自分が扱っている商品で、そういうのがあったら圧倒的に売れるなっというのはありました。ただ、生産が間に合うかどうかとか、輸入の生地がちゃんと入るか、というリスクは伴いますよね。そうなると自分ではどうすることも出来ないリスクが出てくる。だから、商品が並ぶまではちょっと心配でした。

      ────百貨店のなかで、宮崎さんのように生地を仕入れ、縫製工場に入れるという、一般的にいう"モノ作り"をするバイヤーさんは多いのでしょうか?

      あまりいないでしょうね。雑貨とか部分部分でやる人はいてもトータルでモノづくりをするとかは・・・。例えば、工場に1~2時間行って様子を見る人は居ても、工場に入り込んで、技術を指導したりとか、そういうところまでしている人は少ないと思います。

      ────なぜ、みなさんそういうことをされないのでしょうか?

      難しいと思います。相当な知識がないと。それに、例えば、通常これこれこういうスーツが欲しいと工場にお願いして作ってもらうのですが、自分が思っているのと違うものがあがってくることがよくあります。すると僕は、生産ラインに行って班長さんを呼ぶんですね。そして、3人ぐらいでやっているのですが、一人ずつ縫ってもらうんです。そうすると、1人やはりダメな人が居るんですよ。となると100着あげると33着失敗してしまう。でも、その人を怒るのではなくて、うまい人とその人をペアにして作らせるんです。そうすればあがりにブレがでないようになる。そして、班長にはその人を見てもらって、一日に何回かチェックしてもらう。私も皆さんを名前で憶えています。写真を撮らせてもらっているので。だから行った時もその人に『○○さんうまくなりましたね』とか、『前よりいいですね』とかそういう声掛けもしています。

      あと、細かいのですが、糸も番手があって30番よりも50番の方が細くなるんですよ。それで、一度縫ってもらって、合っていなかったら番手を細くしたり、ミシンの縫う幅も調整できるので、僕が居る間にいろいろと決めてくるんです。だから、うちのオリジナルスーツは必ずこの基準になっていなかったら出荷しないで欲しいと見本を置いてきて言うんです。"細部にまできちんと関わって納得のいくものを仕上げる"僕は、本当はこれがモノ作りだと思っているんですよ。『工場にお金を払っているんだからちゃんとやってくれ』というのではない。それに、売る側の僕が着るためではなく、最終的にお客様が着るために僕が間に入っているだけの話なんです。そこを理解してもらう。

      ────バイヤーでありながら、そこまで細かくモノ作りに携わっていらっしゃるのですね。非常に驚きました。おっしゃる通り、ここまで細かく指示する為には、それ相応の知識や考え、そして、何より時間や労力を費やさなければできないですね。

      商品って店頭に並ぶ時期が決まっていて、オーダーを工場に入れる日も決まっている。だから、納期が来れば自然に出来てしまうんです。完成度が低くても。そうなると、要はどれだけ妥協しなかったかなんですね。妥協したか、しなかったかは自分が知っている。海外出張とか入っていて、忙しくて生地とかボタンホールとかもちょっと他人任せにしやっちゃったなって...。自分は知っているんですよ。

      それで、その商品が入ってくると、やはり手をかけていない部分は、手をかけていないなりのモノが出来上がってくるんです。全てモノに表れるんですよ。だから、どれだけ自分で手を抜かずにやったかだと思うんです。本来ここまで関わるバイヤーは少ないと思うんです。でも、僕の様に自分からモノ作りをしようと思って入っちゃうと、自分の責任になるわけですから。ただ、それがきちんと出来る上がると一般の大手ブランドのレベルを超える商品が出来るってことがある。だから面白いんですよ。

      現場が教えてくれること

      ────今まで、"オリジナルスーツを作る"というプロセスの中で、一番難しかったところはどこですか?

      そうでうね、それはやはり生地ですね。生地の知識。これはどの生地がいいのかとか、生地をオーダーするということは本当に真剣に向き合って10年はかかるんです。生地を少し触っているとわかったような気にはなるんですけれども、本当にわかるまでには、かなりかかります。それには、重要なことがあって、一つは長い間異動なしで携われるという条件と、もう一つは、生地が好きで仕事にせず、勉強するということが両方重ならないとダメだと思います。

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      僕の場合は、異動がなかったことと、そして何より生地が好きで、常に生地を手元に置いて触って、自分の身体で覚えていました。だから、プロになると生地を触っている人の触り方でその人のキャリアが分かります。5年やってるのか10年やっているのか一目瞭然ですね。若いころは、生地は分からないけど、見えていたんですよ。でも今はちょっとメガネかけたりしないと見えないときもある(笑)。だけど、その分、指の腹は覚えているんです。嘘じゃないですけれども、触っている生地の1メートル1メートルの重さまで出せます。10グラム20グラムくらいはずれるかもしれませんが、ほぼ判ります。でもそれは普通ですよ。10年以上やっていて、生地が好きな人は。

      ────そこまでになるのには、やはり多くの失敗を重ねてこられたのでしょうか?

      そうですね。例えば、生地を仕入れる時も日本に帰ってきてうちの商品試験室で厳しい検査をしたら、ダメだとかね。引き裂き検査とか、摩耗検査があるんですよ。イタリア製のすごくいい生地で、つやもあって素晴らしいものでも、ヨコ糸が弱いのでひっぱたらすぐに破れてしまうことがあるんです。イタリアでOKでも、日本じゃダメなんです。そういうのも、本当は何時間もかかって調べることを、海外ではその場でジャッジしなくちゃいけなかったりとか。だから、イタリア人の目の前で、生地破くし、引っ張ったりもします。でも、まだよくわかっていないバイヤーは、そんなことしちゃ失礼だと思っているので、優しく触ったりしかしない。でも、それではアウトですね。それに、他の百貨店で規模が大きいところは、当然ヨーロッパに駐在員もいるし、サポートもしてもらえる。でも、松屋は向こうにサポートしてくれるスタッフもいませんでした。

      だから、初めて生地展に行った時も、分からないので値段聞くじゃないですか。そしたら、『いくらなら買うの?』って逆に言われるんです。試されているんですね。この人はこのクラスの生地でいくらって言うかなっと。それは凄い緊張しましたよ。洗礼です。年に2回の生地展に来ている人は、みんな分かっているので、そのレベルに達していない人は来ちゃいけない場所だったんですよね。だからもし、初めから会社が出張扱いしてくれて行っても、自分の技能はそこまではいっていなかった。通用しないじゃないですか。言葉もしかり、生地の商品知識もしかり。その時、自分でまだまだ全然ダメだなって思ったんです。そういう経験はいっぱいしましたね。でも、それぐらいやらないと適正価格でいいものを作るというレベルには行かないんです。

      ────宮崎さんは今も現場に立たれると伺っておりますが、その理由はなんですか?

      お客様の声は現場に居ないと聞こえないんです。僕が工場に持っていく情報は、僕の個人的な考えではなくてお客様の声なんですよ。いいと思って作っても、どこか良くなかったりとか、品質表示が見づらかったりとか、たとえば僕はタバコを吸わないので、タバコポケットを付けていなかった時期があるんです。今は全部付けていますが。そしたら、タバコ吸う人は『買ったらここに付いてるもんじゃないの?』と思っているわけですよ。お客様にしてみたら、どんなに気に入っていても、その人にとっては、タバコとライターはどこに入れるんだよという話になる。でも、僕は吸わないから分からない。その時、『そっか、それオプションじゃダメなんだな』とか。

      だから、今でも教えてもらう事がたくさんあります。分かれば分かるほど、どうしても見逃してしまっているんですよね。こんなに分かっていると思ってしまっているから。だから、お客様と話す時間の中で、僕は接客して説明しているのですが、終わってみると僕の方が教えていただいていたりということもあるんです。だからこそ、今後も接客時間というのは絶対に取っていくし、永遠に店頭を離れることはないと思います。バイヤーでいるうちは。

      ────終わりはないですね。?

      無いですね。その人その人で好みも違いますし、お客様は間違ったことは言わないですから。だから、お客様を素人だと考えることは全くないです。プロじゃないから出る意見というのも多いので。それに、その人たちは他の百貨店や、或いは松屋の中でも他のブランドを買っているはずなので、それと比べた意見が出るじゃないですか。それは、本当に貴重な意見です。

      ────本当に服が好きなんですね。では、最後に宮崎さんにとって仕事とは一言でいうと何ですか?

      一番長く時間を過ごすものなので、だから僕は納得して終わらせたいと思うんです。もちろん嫌なこともたくさんあるし、辛いこともたくさんあるけれど、あんまり苦痛に感じたことはないです。それに、仕事と考えるのが嫌なんです。勉強するとか、商品知識も勉強したという記憶はあまりないんですよ。好きで触っているうちに覚えたので。生地だって好きだったら、頼まれなくても手元に置いて触って、休みの日でも、空いてる時間でも、電車に乗っていても見ていたいなと思うんです。それが結局自然に身に付いていくんですけれども。仕事だから勉強しなくちゃと思うことがマイナスじゃないかと思いますね。

      でも、好きなことを仕事に出来ている人は少ないですよね。僕はバイヤーになろうと思って、松屋に入り、それを仕事にしていますから。そういう意味では、ある意味好きなことをして、それで給料をもらっているわけで、今の立場にいることは幸せだと思います。

      ────好きなことを仕事に出来るということは、なかなかありません。好きだからのめり込む、さらに新しいこと、難しいことにチャレンジする。苦労も多いことと思いますが、宮崎さんのお話をお伺いしていると、その苦労さえも楽しみに変えているように思えました。本日は貴重なお話をありがとうございました。


      インタビュー後記

      今回お話をお伺いして、一番心に残った言葉は「妥協したか、しないかは自分が一番よくわかっている」という言葉。結局、成長出来るか出来ないかは、自分の心ときちんと向き合えたかどうかで決まる。自分に甘く、面倒臭い・辛いことから逃げていると、一向に成長することはできない。それは『現状維持は退化である』という言葉があるように、常に新たな事を取り入れていかなければ、成長はないということだと改めて学んだ。

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      聞き手:OBT協会  伊藤みづほ

      OBTとは・・・ 現場のマネジャーや次世代リーターに対して、自社の経営課題をテーマに具体的な解決策を導きだすプロセス(On the Business Training)を支援することにより、企業の持続的な競争力強化に向けた『人財の革新』と『組織変革』を実現している。