OBT 人財マガジン

2012.10.24 : VOL150 UPDATED

人が育つを考察する

  • 第六回【成長の瞬間】諦めなければ夢は叶う‐後編 

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      元Jリーガー
      摂津総合法律事務所
      弁護士 八十 祐治さん

      "育つ人と育たない人"の差は何なのか?第6回目を迎える【成長の瞬間】にご登場いただくのは、Jリーガーから弁護士へという異色の経歴を持つ八十祐治さんです。プロ引退後は、アマチュアとして仕事をしながらサーカーを続けていた八十さん。しかし、職場で「プロでダメでサッカーしか知らない人」といわれ、その悔しさをバネに、最難関といわれる司法試験に挑戦。見事4度目で合格し、現在、弁護士として5年目を迎えています。本気でサッカーに打ち込んで来たからこそ、司法試験の辛さにも耐えられたという八十さん。今回は八十さんに、辛くとも貫いたプロサッカー選手の道、そして、弁護士としての今後の目標ついてお話をお伺いしました。(聞き手:伊藤みづほ、菅原加良子)


    • 【プロフィール】

      八十 祐治(YUJI YASO)

      1969年大阪府生まれ。茨木高校卒業後、一浪して神戸大学経営学部に進学。大学卒業後はJリーグ発足の93年にガンバ大阪に加入。その後ビィッセル神戸、アルビレックス新潟に移籍。プロとして通算5年間プレーした後、横河電気(現・横河武蔵野FC)でプレーし、2000年に引退。引退後は、人材派遣の会社で営業をしながら、教員免許を取得したが、一念発起し、予備校に通いながら司法試験の勉強を始め、4回目の挑戦で合格を果たした。

    • 新たな目標を見つけて

      ────プロを諦めアマチュアとなったあと(前編参照)なぜ、学校の先生になろうと考えたのでしょうか?

      自分の中でお世話になったのは、小中高のサッカーの顧問の先生なんですね。だから、もし、自分がサッカーに関わるのであれば、そっちの道かなと漠然と思たんです。それで、仏教大学に通信学部があるので、そこに入学して、4年間かけてとりました。

      ────それは、仕事を続けながら、そして、アマチュア選手を続けながらですか?

      そうですね。仕事して、練習して、家に帰ってレポート書いて、教育実習にも行ったりしましたが、やはり学校の先生は違うなと思ってしまったんです。学校も組織なので方針に振られるところがあって、それが窮屈だなと思ってしまって・・・。自分としては、サッカーを引退した後の長い人生の中で、本当に気持ちを込めて輝いて仕事をしたいと思っていたので。それに、本当に生意気なのですが、ある程度自分の考えで作っていけて、且つ、自分を評価してくれる仕事ってないのかなと思ってしまったんです。

      ────それで、次に目指されたのが弁護士ですか?

      そうですね。

      ────それは、なぜ弁護士だったのでしょうか?

      僕は31歳でサッカー以外は何も持っていなかったので、"お前、何が出来んねん"といわれるのは分かっていました。なので、何か資格を取らないと、社会にも認めてもらえないし、何もない中で『頑張ります』と言ってもダメだろうなと思っていました。それで、まず本屋さんに行って資格の本を見たんです。

      そしたら、一番最初の方に"弁護士"って書いてあって、一番難関で、こういう仕事で、これこれこうで、と幅広く書いてあったんですよ。それで、こんなに幅が広かったら、やりたいことが見つかるんじゃないかなと。それともう一つ、どうせ取るんだったら、一番難しいとこに行っとこ!と思って(笑)。そしたら人からも評価されるし、こういう資格を取れば、自分としてもやりたいことを人から干渉されずにやれるんじゃないかと。それに、その時はあまり深くは考えていなかったのですが、なんか"これだ"って思ってしまったんですよね。

      ────最難関と言われている司法試験ですが、多くの人が"これだ"だけでは、そう簡単に目指せない資格だと思います。また、弁護士に憧れても年齢で諦めてしまたりする人もいるかと思いますが、八十さんはそういうことを考えたりはしなかったのですか?

      思わなかったんです。本当になんの根拠もないんですけれども。ただ、一つだけ言えるのは、サッカー選手としてプロになる前も含めて、サッカーは、本当に好きだったのですが、やはりしんどかった部分もたくさんあったんです。気持ちも費やしてきたし、時間も費やしてきたという、そういう意味で今まま費やしてきた時間とか気持ちとかを今度は全部司法試験の勉強に費やしたら出来んのちゃうか?ってそんな変な自信です(笑)。

      それに、サッカーを引退してなんとくなく会社に勤めて、なんとなくお給料もらって、このままでいいのかなと思っていまして。例えば定年とかを考えてもあと30年もある中で、自分としても今の仕事が嫌というわけでは無かったんですけれども、これに全てを注ぐという気持ちにはなれず、日々悶々としていましたね。目標が欲しいみたいな感じで。

      ────急に弁護士を目指すということで、ご家族の方の反応はいかがでしたか?

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      ようあの決断したなって周りにいわれるんですけれども。その時は、結婚もしていて子どももいたのですが、多分嫁は、僕がサッカー辞めた後、悶々としているのをじっと見ていたんですよね。それで、僕が弁護士目指して司法試験受けたいと言った時に、『ほんだったら頑張りー』と言ってくれたんです。それに、僕は昔から自分で決めたら、人から何を言われても頑張りたいというのが強くあって。

      それに、あまりいろいろ先の事とか、子どもの事、年齢の事、司法試験の難しさとか一つ一つ緻密に考えていたら、辞める方向に行っていたと思うんですけれども。あの時は、それよりも"新たな目標が出来た"というところが強かったと思うんです。ただ、子どももいたので、最低限のことは守るという気持ちはありました。

      ────合格までにどれくらいの期間がかかったのでしょうか?

      4年半ですね。非常に長かったです。2年間は会社に勤めながらだったんですね。だから、給料も入ってくるし、社会との接点もあるので、精神的には安定していたんです。それに、最初の2年は知らなかった事がわかって法律ってこういう考え方なんや、こういう人の為に、こういう考え方で法律って活用したらいいんやと思って凄く楽しかったんです。ただ、2年勉強して1回目の試験を受けた時に、全然受かりそうにもない点数だったんです。自己採点をすると。

      仕事をしながらだったので、夜しか時間が取れなかったから、勉強時間がなかなかとれないし、睡眠時間を削ってやっていたので、身体もしんどくて、且つ、睡眠時間を削っても勉強時間ってたかが知れている。これでは何年経っても受からないなと思って、そこで勉強時間を確保したと思い「仕事を辞める、大阪に戻る」と嫁に言って。当時まだ東京の会社に勤めていたので。

      ────その時の奥様の反応は?

      何も言わないんですよ。『1年で受かってな』みたいな。若干、貯金もあったし、辞めて失業保険も貰っていたので、ギリギリ1年やったら、生活出来るかなというのがあって。本当にのんきな夫婦というか。でも、それが1年では受からなかったんですよね。やはり仕事を辞めて、時間があるので飛躍的に学力は伸びたのですが、合格には届かなくて、もう一年かかってしまったんです。

      ────会社を辞め、1年間だったら・・・という中で、落ちた時に諦めるという選択肢は出て来なかったのでしょうか?

      僕は辞めるということが一番嫌いというか。サッカーもそういう気持ちでずっと続けていて、続けていけばいいことがあるという経験があったので、本当にどんなにしんどくて、辛い時も自分から辞めるということはしないと決めていますから。だた、最初の2年間は先ほども言ったようによかったのですが、仕事を辞めて、社会との接点がなくなると本当にきついかったですね。受かるか受からないかわからない試験をやっている中で、年齢も35歳手前に来ていて、もし、このままあと何年も受からない状況が続いたら社会に復帰出来なくなるんじゃないかとか・・・。

      だから仕事を辞めてから受かるまでの2年間が一番しんどかったです。精神的に。本当に頭が狂いそうになるのと、受かれば大丈夫というのを天秤にかけながらという感じで、あんなに自分の精神が崩れるということは初めてでした。

      ────その時も歩みを止めないのはなぜですか?多くの人は、そこまで追い込まれると諦めてしまうと思うのですが。

      そうですね。普通だったら辞めてしまいますよね。でも、僕は、やっぱり人から言われたことではなく、自分でやりたいと決めたことだし、それに当時はよくわかっていなかったのですが、弁護士になったら、こういう仕事が出来るんじゃないかという憧れがあって、今諦めたら描いていたことが経験出来ないという気持ちと、頑張り続けたらいつかはゴールがあるはずやっという思いでやっていましたね。それもなんの根拠もなく、自信も無くですが(笑)。

      ────頑張れる人と、頑張れない人の違いは、自分の目標を明確に持っているか、そして、自分がやりたい世界をきちんと描けているかなんですね。

      そうだと思います。振り返ってみると、サッカーをやっていたお陰もあって、関西の1部でやりたいとか、もっと上のレベルでやりたいとか、プロになりたいとか、常に目標は思っていました。それを途中で辞めてしまったら、結局憧れになってしまうので実現は出来なかった。僕は、諦めず頑張ったから、プロに行けた。プロに行ったら、苦しいこともいっぱいあったけど、普通では味わうことのできない充実感も味わうことが出来た。だから、自分の今までの経験で、頑張ってきた一番最後に一番気持ちよくなる瞬間がある。そのためには、しんどくなければアカンやろっと。楽にパッと行ける場所だったら、そんなに得られるものもないだろうし、苦しければ苦しいほど、たどり着いた先では、自分に返ってくるものがある、それしかないですよね。

      もちろん、試験が終わって、合格発表まで1ケ月あるんですけれども、求人広告とか見て、『そろそろ仕事やった方がええんちゃうかな』とか嫁に話していて、そんな弱気な部分もありましたが(笑)でも、落ちても勉強は続けようと思っていたんです。

      基礎を固める

      ────それで、4度目に合格されるんですよね。合格された時はいかがでしたか?

      そうですね。その時は腰が抜けるというか、全身の力が抜けて涙が出てきましたね。ほっとしたというか、何とも言えない達成感がありました。

      ────その後、実際に弁護士になられてどうですか?

      もう少しスマートに仕事が出来ると思っていましたが、大変ですよね(笑)。ドラマなんか見ていても弁護士って、颯爽としていてるイメージがあったんですけれどもね。弁護士の仕事は相続の問題だったり、よくあるのは離婚問題。一つ一つ状況が違うので、マニュアルがあってこの時はこうやれば終わるという仕事ではないですし、ルーティンな仕事は殆どなくて、全て手作りというか、一人一人の気持ちを受け止めながら、法的に出来るところ、出来ないところを教えなくてはいけない。

      そういう対応は、正直大変ですが、逆にいい意味で、少しでもクライアントさんが満足できるようなところを、最大限実現させてあげるためには、どしたらいいかなっというのを一緒に考えるていける、非常にやりがいがある仕事だと思います。また、いろんな人の考え方を聞くことで、こういう考え方もあるんかっと、自分なりに参考に出来たり、成長できるのかなと思いながらやっていますね。

      ────今後というところで、こういう仕事をやりたいという思いはありますでしょうか?

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      一つは、仕事で子ども関係の仕事があるんですね。虐待問題、学校のいじめ、不登校とか犯罪を犯してしまった子どもたちへのフォローとか、そういう分野に僕は今、力を入れているんです。虐待問題においても、結局貧困の問題があるんですよね。それに、少年犯罪とか、虐待とか言葉としては知っていても、そういう社会は弁護士になる前までは、実際にどういうふうになっているのか、よくわかりませんでした。でも、自分が弁護士になって、そういう子たちと接する機会が凄く増えているので、子どもも好きですし、そこをもっと頑張っていけたらと思います。

      後は、今弁護士になって5年経ったのですが、まだまだ基礎を築いている段階なので、実力も無い中で『こんなんもやります、こんなん出来ます』といっていると、尻つぼみというか、何もできないんじゃないかという思いがあって、だから、今は弁護士としての力を付けて行きたいと思っているんです。ただ、将来的にはスポーツ関係に関われたらとは思います。今、Jリーグでも選手会みたいなのが出来たりして、選手の地位向上を目指すというのがあって、そういうのを見ていると法的なところでアドバイスできたらいいなと。具体的に何が出来るかはわからないのですが、野望というか、今は逸る気持ちを抑えているというか(笑)

      ────これまでに私どもも様々な方々にお話を伺ってきているのですが、皆様やはり基本というかベースが大事だとおっしゃいますね。ベースの部分がしっかりしてないとその上にいくら積み重ねてもダメだと。

      その通りだと思います。またサッカーの話なのですが、プロになって本当に思ったのが、ガンバに入った時も、ガンバの中で有名な選手が練習終わってからも黙々と基礎練習をやっていて、僕らから見ればベテランで、スターというか中心選手でさえ、小学生がやるような基本的な練習をやってはったんですよね。それを見た時に、本当に土台というか基礎の部分が大事なんやと。プロになったら凄い練習をするのかなと思っていたんですけれども、結局、基礎を固めることが一番重要というか。

      それで、そいうことを感じていた時にたまたま本を読んでいたら、当時日本でプレーをしていた超スーパースターのジーコが同じことを言っていて、日本人は練習が終わったらすぐ帰ろうとする。それをみてジーコは考えられないと。そういうところから考え方を変えて行かなくては、チームは強くならないと言うんです。それから、ジーコが所属していた鹿島アントラーズはみんなで基礎をきっちりやるようになって、グーンと強くなっていったと本に書いてあって。やっぱりジーコもやってんのやっと思いましたね。

      だから、今でも基礎の部分というか土台の部分。自分はそこしかないんじゃないかというくらい重要視していて、そこをしっかりやっていれば、あとの上の部分というのは経験によって身に付くと思うんです。そこがないのに経験していっても、結局身に付かないまま、ただ経験しただけで終わっちゃうのかなって。

      ────本当にその通りだと思います。では、最後に皆さんにお伺いしているのですが、八十さんにとって、生きるとは、または仕事をするとは何ですか?

      生きること・・・仕事。生きることっというのは、自分の中では、目標に向かって進む事というイメージですね。小さい頃から、常に何らかの目標を持ちながら、それに向かって頑張っていることで、しんどさにも耐えられたし、自分としての心地よさもありました。小さいことでも達成した気持ち、それが僕にとっては生きること。つまり目標に向かって進むことかと思います。それの一つの手段が仕事かなと思いますね。もしくは、仕事以外の趣味で凄い目標が出来れば、仕事の部分はそんなに充実感が得られなくても人生としては充実しているのかもしれないですけど、でもどうしても大人になったら仕事=目標というのはリンクするのかなと思いますね。

      目標がなくなったら、生きる事ってしんどいですよね、自分としては。だから、その都度、大きくても小さくても何か目標とか、夢とか、一番いいのは夢だろうけれども、それに向かって行くことが生きるということのような気がします。

      ────八十さんは常に目標を持ち、それに向かって突き進んで来られたのですね。本日は、貴重なお話をありがとうございました。


      インタビュー後記

      今回のインタビュー中、八十さんは『自分で決めた目標は絶対に達成する』『自分で決めたことだから諦めない』という言葉を何度も繰り返していらっしゃいました。そして、その言葉通り紆余曲折を経て高きハードルをクリアーし、夢(目標)を実現させていました。
      しかし、多くの人はここまで、目標に対し執着しているでしょうか。『元々の目標が高すぎた』『他に違う案件がでていきていまい、そちらが優先になってしまった』等々、いいわけはたくさんあるかと思います。しかし、いいわけこそが自身の成長を阻害する。
      決めた事をいいわけせず、やり続ける・やり通すことは、なかなか出来ることではないと思います。然しながら、それが出来る人が目標を達成し、常に成長して行く人なのではないでしょうか。 今出来ることを目標とし、出来る範囲内でやろうとすることは、自身にとって楽ではあるが、全く成長にはなりません。少し高い目標を持ち、ゆっくりでも確実に進んで、ワンランク上の自分になろうとする人が成長する。八十さんのお話を聞いて改めて痛感しました。

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      聞き手:OBT協会  伊藤みづほ

      OBTとは・・・ 現場のマネジャーや次世代リーターに対して、自社の経営課題をテーマに具体的な解決策を導きだすプロセス(On the Business Training)を支援することにより、企業の持続的な競争力強化に向けた『人財の革新』と『組織変革』を実現している。