OBT 人財マガジン

2007.07.25 : VOL27 UPDATED

OBTカフェ

  • ダイバーシティを考える

    『お台場にできた新都市』でないことを知ったのは、つい数ヶ月前のこと。

    英語で書くと"Diversity"。"多様性"と翻訳される。
    日本では一言で"ダイバーシティ"と表現するが、これは英語の"Diversity & Inclusion"を省略したもので、本来は"多様性の受容"を意味する。

    そこで意図しているのは、外見上の違いや内面的な違いにかかわりなく、すべての人が各自の持てる力をフルに発揮して組織に貢献できるような環境をつくること。人種、性別、年齢、身体的障害の有無などの外的な違いだけでなく、価値観、宗教、生き方、考え方、性格、態度、などの内面も皆違う。『こうあるべし』と画一的な型にはまることを強要するのでなく、各自の個性を活かし能力を発揮できるような組織をつくる。それは、個人にとってプラスであるだけでなく、組織自体にとっても大きなプラスである。という考え方である。

    ダイバーシティの考え方も、それを組織内で推進していこうとする活動も、アメリカで始まった。
    もともと「黒人と白人女性」に対する差別的な人事慣行(採用、業績評価、キャリア開発、昇進など)を撤廃し過去の差別の結果を正そうとする動きがはじまりだった。
    過去アメリカでダイバーシティと言えば「黒人と女性という弱者救済」のプログラムとしてだけ捉えられていましたが、アメリカの社会に「さまざまなマイノリティ」(例えばメキシコ系やアジア系アメリカ人、同性愛者、高齢者、障害者、退役軍人など)が登場し、権利を主張するようになり、ダイバーシティの考え方も、より広い「マイノリティ」すべてを包括する考え方に変わってきました。現在多くの組織で行われているダイバーシティに関する活動は、あらゆる意味での多様性を尊重し、すべての人が同じ人権を持っているという考え方に根ざし、各自が持っているさまざまな能力をフルに発揮できる社会を作ろうという方向に変わりつつある。

    私は先日ある一部上場企業の、2日間に渡るダイバーシティ研修にオブザーブとして聴講させていただいた。そこでは、女性活用だけでなく、年下上司/年上部下、雇用形態、外国人雇用、などの多角的な観点からダイバーシティについて議論がされた。

    最近、ダイバーシティが注目されている背景には、「さまざまな個性を持った従業員がフルに能力を発揮することによって、新しい商品が生まれ、画期的なプロセスが実現し、新しい顧客に支援される企業が生まれる」という「人材」に対する再認識がある。つまり「人」という財産を上手に活かせる企業こそが飛躍的発展ができるという認識が生まれてきたからではないだろうか。

     世の中には人種差別、宗教差別、民族差別、女性差別、障害者差別、職業差別、方言差別、外国人差別など、さまざまな差別が存在する。
    差別とは、自分との違いによって相手を卑下し、偏見や先入観などをもとに、特定の人々に対して不利益・不平等な扱いをすること。また、その扱いである。

    しかし、人は常に他者と自分との違いを意識して、その違いを認識し、自分を確立していくのではないだろうか。つまり、人は常に自分と他人とを区別しているのである。

    現在、多様性について見直されるようになったのは、差別があったことに問題があったのであって、区別があったことに問題があったのではないと思う。

    日本の社会は欧米社会に比べて組織の中に階級意識が比較的少なく、企業内でも職位に関係なく従業員が「会社のために」と考え、自らの仕事の改善を自発的に行う傾向があるそうだ。また、ボトムアップという形で現場の意見を経営判断に活かす機会を設けている企業も増えている。

    他方、日本の社会では「和」や「人と同じように」、「ある集団にふさわしい行動規範」などに高い価値を置いているのも事実。このような概念はそれぞれ重要な価値だと思うが、一方では「一般的でない、人と違ったもの」を排斥しがちになることも否定できない。

    女性活用の議論になると、女性を差別するのは良くないから、男性と同じように扱うのがいいのではないか、とういう議論がよくなされる。しかし、私はそのことが正しいのかどうかわからない。
    女性を男性と同じように扱うというのは、キリスト教を信仰している人に、日本にいるのだから仏教徒として扱うと言っているのと同じではないだろうか。キリスト教を信仰している人と、仏教を信仰している人では、根本から違う。それを同じように扱うことは平等ではないのは、誰の目にも明らかである。

    私は、区別することが悪いのではなく、区別した上で差別することが悪であると思う。とはいえ、他人の違いを認め、受け入れることは、そう簡単なことではない。

    ダイバーシティと聞くと女性活用のことと思う人は多いが、多様性の問題は女性だけでなく、さまざまなところで起きている。また、個人個人の価値観で判断してしまっている部分が多い。これまでと考え方をガラッと変えるのは難しいが、「多様性」のスタンスを根底に持っているのと、いないのとでは、会社に対する考え方や、社員に対する考え方が大きく変わってくるのではないだろうか。
    全て区別するのは、その人の視点。視点を変えたらどうなるか。

    また、ダイバーシティへの取り組みは、社会レベルでの変革、組織レベルでの変革、個人レベルでの変革と3つのサイクルが必要となる。どれか一つだけでは機能しない。土台となるものがしっかりしていないと、個人の意識を上げても、企業の体質や上司の考え方が、多様性に否定的であれば、なかなか力を発揮することができない。ダイバーシティの取り組みは全社的に行わなくてはいけない。

    ダイバーシティ
    多様性とは、どちらかが妥協するのではなく、お互いが歩み寄ることではないだろうか。
    その基準に優劣はなく、差別もない。あるのは『違い』のみ。
     多様性とは、人と人との歩み寄りであり、違いを認め、お互いに受け入れる器を持つことではないだろうかと思った。

                                   OBT協会  伊藤誠司