OBT 人財マガジン

2011.08.24 : VOL122 UPDATED

編集後記

  • 過去の偉人から国際化を考える

    国際化、国際化と騒がれる現在だが、今から160年前には徳川幕府によって
    300年以上もの間、"閉ざされた国"の道を歩んだ日本。
    しかし、そんな鎖国時代の真っただ中にあった1848年、日本に憧れ、
    当時不法入国では処刑されると知りつつ、銀行員を辞め、船乗りとなり
    漂流者を装い日本に上陸したアメリカ人のラナルド・マクドナルド。

    そして、1841年、漁に出て嵐に遭いアメリカの捕鯨船ジョン・ハウランド号に救助され、
    本人の希望からそのまま一緒に航海に出たジョン万次郎。(本名:中濱万次郎)
    その時、ジョン万次郎は14歳。生まれて初めて世界地図を目にして、
    世界における日本の小ささに驚いたという。

    ジョン万次郎は、助けられた船長の養子となり、日本では貧しく寺子屋にも通えず、
    読み書きもできなかったが、アメリカではオックスフォード学校に入り、
    英語・数学・測量・航海術・造船技術などを学び、寝る間を惜しんで熱心に勉強したという。
    その後、鎖国の日本へ帰国をし、長期間の尋問を受けることとなるが、
    のちに日米和親条約の平和的締結に向け、陰ながら助言や進言をし尽力した。

    一方、ラナルドは利尻島から長崎へ移送され、座敷牢に入れられることとなるが、
    人当たりのよい温厚な性格で日本人と溶け込み、当時オランダ語の通訳であった
    森山栄之助(後にペリー来航の際に、通詞を務める)ら14名に英語を教えたという。
    帰国後は日本が未開社会ではなく高度な文明社会であることを伝え、
    のちのアメリカの対日政策の方針に影響を与えた。

    他国がどのようになっているのか、また自国がどうなっているのかさえもわからない
    情報が乏しい時代にあって、鎖国を破ってまで積極的に世界へ飛び立とうとする2人。
    この行動力はどこから、湧いて出てくるのだろうか...。

    2010年度は日本人海外留学生の減少率が過去最大になった。
    文部科学省は不況や就職活動の早期化、学生の内向き志向などが原因と考えられるという。
    (逆にインド、中国、韓国は増加傾向にある。)
    経済のグローバル化に逆行する流れになっているように感じ取れる日本。

    この文章を通じて"海外に出ろ"と言っているのではない。
    自分の慣れ親しんだ、居心地のよい狭い空間にスッポリ収まっていては
    いけないのではないかと問いかけたいのである。

    臆することなく、一歩を踏み出す勇気。
    夢を叶えたいと思う想い。
    もっと、上を目指したいと思う気持ち。

    この気持ちながくなってしまったら、自ら成長することも、自ら変わることも
    出来ないのではないだろうか。

    日本は"今こそ、変らなくてはいけない時"などとずっと騒がれている。
    しかし、それは「国が」というより「個人が(自分が)」なのだと思う。
    何を持って"変える"なのかは各々が考えていかなければいけないと思うが、
    今までのやり方・考え方を一人一人が変えていかなくて、
    日本が国際競争から脱落してしまうと改めて痛感した。


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