OBT 人財マガジン

2010.11.10 : VOL103 UPDATED

人が育つを考察する

  • 「経験」「論理」「志」――経営課題を解決していくリーダーに必要な側面 (前編)

    • 経営施策を推進させるためには、経営課題を自らの問題と捉え、その解決に向けて周囲をリードしながら主体的に行動できるリーダー人財は必要不可欠である。では、そのような人財はどの様にして育つのか。楠見氏のインタビューから、「経験」「論理」「志」という三つの側面が浮かび上がる。入社4年目にインド市場を一人で担当、入社10年目には中国での現地法人立上げ、という立場を超える様な難易度の高い「経験」、社長直轄の次世代リーダー養成プログラム『ホーユー塾』を通じて獲得した「論理」、そして(会社を変えることを)「誰かがやらなければいけないという覚悟が芽生えた」という「志」。すべての経営施策は、実行されて成果に結びつかなければ「絵に描いた餅」でしかない。そのためには、「経験」「論理」「志」を持ち合わせたリーダー、即ち、経営施策を高い視点で捉え、現場で主体的に遂行していくリーダーの存在が極めて重要となる。
      (聞き手:OBT協会 伊藤みづほ)


      ホーユー株式会社 欧米営業部欧阿課 課長
      楠見育久さん(43歳)

      楠見さんは、ヘアカラーのトップメーカー、ホーユーで入社以来、海外営業ひと筋に歩んでこられました。入社4年目にして広大なインド市場を一人で担当。入社10年目には中国での現地法人の立ち上げをゼロから任され、中国市場開拓の中核を担ってこられました。どのようなご経験によって今の楠見さんが形作られたのか。楠見さんの強靭な意思と行動力の源は何か。じっくりと語っていただきました。

    • くすみ・いくひさ

      1966年生まれ。大学卒業後、ホーユーに入社。国際営業部でインド、ネパール、バングラディシュ、パキスタン、スリランカなどを約8年間担当した後、中国法人の立ち上げを手がけ現地に約7年間駐在。2009年に欧阿課の課長に就任し、ヨーロッパ、南アジア、中東・アフリカ市場での営業の指揮を執る。

      ホーユー株式会社 http://www.hoyu.co.jp/

      ヘアカラー国内市場のシェアトップを誇る、創業100年を超える老舗企業。海外市場においても9カ国に営業拠点・現地法人を置き、70カ国に代理店網を構築。さらなる海外展開の強化を目指している。創業/1905年、資本金/9,800万円、従業員数/875名(2010年2月1日現在)、売上高/394億円(2009年10月期)

    • 最初の上司に、「現場主義」を叩きこまれる

      伊藤 楠見さんはご入社以来、海外営業ひと筋に歩んでこられました。国際的な仕事をするというのは、ご自身の希望でもあったのですか。

      楠見 僕は、小学生のときの作文にも「世界を股にかけたビジネスマンになる」と書いていまして、海外で働くことは子どもの頃からの夢でした。なぜかはわかりませんが、前世は外国人だったのではないかと思うくらいに異国にひかれるんです。

      就職活動ではメーカーや商社を受けましたが、メーカーでは国内の部署からのスタートだといわれ、商社は事業が幅広すぎてどんな商品を扱うのかがわからない。ホーユーは国際営業部で採用してくれるというし、商品も「ヘアカラー」でわかりやすい。それで入社したんです。安易といえば安易ですね(笑)。

      伊藤 夢が叶った毎日はどのようなものでしたか。

      楠見 配属されたのは、インドやパキスタンなどの南アジアと中東、アフリカを担当する課でした。一国一代理店制で、現地の企業と代理店契約を結んでいたのですが、代理店の営業に同行して小売店を一軒、一軒訪ねて歩くという、泥臭い営業を当時はしていましたね。

      1回出張すると1カ月くらい滞在して、毎日30軒ほど訪問するんです。棚や在庫を見せてもらって月間の販売数を聞き、そこから逆算して在庫が少なければ「もう少し仕入れてください」と売り込む。現地では、欧米企業はもちろん、日本の企業でも当社のような活動をしている会社はありませんでしたね。

      伊藤 御社の国際営業では、みなさんそういった営業活動をされていたのですか。

      楠見 基本的にはそうですね。中には少しだけ回って2週間程度で帰ってくるようなケースもあったようですが、僕の課の課長は徹底して「足で稼ぐ」タイプ。僕はこの課長についてインドを担当し、現場を知ることの大切さを叩き込まれました。

      特にインドは、北と南、西と東などエリアによって人種も文化も違う広大な国です。どうすれば全土をカバーできるのかと悩んでいたら、課長は「とにかく行くしかないだろう」と。そして毎日歩き回って、疲れてくると「次のコーナーまで回ろう」というんです。マラソン選手が「次の電信柱まで」と自分を励ますような感じで営業をしていました(笑)。

      伊藤 ご上司の方針には迷いがなく、指示も具体的ですね。

      楠見 「お前はこれをやれ」と、指示はいつも明確でした。新入社員の頃は、「~だと思うよ」というような曖昧なアドバイスをされても、どうすればいいかわかりませんよね。「やれ」といわれて、僕も迷わずできたように思います。

      伊藤 「現場主義」からは、どのようなことを学ばれたのでしょう。

      楠見 文化や考え方の違いなどいろいろありますが、現地の売れ筋が肌でわかったことは大きかったですね。当時のインドでは「粉末ビゲン」が人気でしたが、クリームタイプが主流の日本からすると粉末は一昔前の商品。でもインドでは長らく液体タイプが主流で、粉末は逆に新鮮だったんです。液体と違って、アンモニアや過酸化水素を使わないことも、「髪に優しい」とウケていた。商品は売り方一つで生き死にが決まり、何が受け入れられるかは現地に行かなければわからない。それを学んだ経験でした。

      伊藤 社会人としてのスタート地点で、仕事に対する考え方や行動の基本を、ご上司から学ばれたのですね。

      楠見 そうですね、現場主義は今でも僕の基本です。でも、入社4年目に課長が異動になりまして、その後、課長のやり方を少し変えて、自分なりの営業システムを作り上げていったんです。

      伊藤 どのようなシステムを作られたのですか。

      楠見 当時は、年に3、4回出張していましたが、小売店の訪問記録がほとんど残っていなかったんです。そこで訪問した店をリストにして、各店の取り扱い品目や在庫状況、発注数などを記録するようにしました。現場主義に論理的な方法も導入したということです。

      これによって販売状況が数値で把握でき、POSデータがないインドでもシェアがある程度つかめるようになります。まず大都市でこのやり方を実践し、次に2級都市でも同じようにして小売店を訪問し、3級都市くらいまではカバーしたでしょうか。そうして、インド全体での当社のシェアはこれくらい、競合他社はこれくらいというのを叩き出したんです。

      伊藤 入社して最初の3年間で上司に仕事の基本を教わり、その後に、自分で創意工夫できる環境を与えられたことで、仕事の幅が大きく広がった。そんな転機だったといえるでしょうか。

      楠見 実は、課長の異動を知ったときは目標を失ったような気がして、退職を考えたほど意気消沈したんですよ。担当国もインド以外にネパール、バングラディシュ、パキスタン、スリランカの5カ国に増えましたので、一人でできるのかという不安もありましたし。でも当の課長に「お前はまだ何もやり遂げていないだろう」と指摘されて、おっしゃる通り、自分なりの目標を新たに設定して頑張らなければいけないなと。いつまでも課長に頼っていてはダメだと......。このような一連の経験のお陰で、早くから自律し、自分で考えて判断する力を養うことができたように思います。

    • 中国事業をゼロから立ち上げ。
      現地での「他流試合」を通じてビジネススタイルを構築する

      伊藤 その後、入社9年目にインドの担当から離れ、翌年には中国事業の立ち上げメンバーに指名されました。まったく文化の違う国をゼロから開拓するという、大変なポジションですが、どのようなお気持ちで辞令を受け取られたのですか。

      楠見 これがまた、退職を考えた出来事でした(笑)。そもそも僕は中国語が話せませんし、当時は2歳と4歳になる子供もいたのに、無期限で中国に駐在するようにいわれまして。「人の人生を何だと思ってるんだ」と。でも、下見を兼ねて北京や上海を訪ねたら、想像していた以上に発展していまして、子供の日本人学校もある。これならいけるかなと(笑)。そこでまずは単身で赴任し、半年後に家族を呼び寄せました。

      中国チームのメンバーは、商社からスカウトした日本人の社長(総経理)と営業兼通訳の中国人スタッフ、そして僕の3人です。現地法人を設立して工場を立ち上げ、中国に代理店網を構築することが僕らの仕事でした。ただ始めてみると、よくいわれるように、許認可が予定通りに下りないんですね。ですから手続きを少しでも早めてもらうために、日本ではたぶんありえないような苦労を経験しました。当時は、毎日倒れてましたね(笑)。

      でも、日本では知り合えないような人たちとの出会いもあって。中国には7年間駐在しましたが、この経験で自分のビジネス観が変わり、自分をひと回り成長させることができました。

      伊藤 どのような出会いがあったのですか。

      楠見 僕らが現地法人を設立した蘇州に、同じく進出していた日系企業の先輩駐在の中で、仲良くなった方が7、8人の方いたんです。みなさん業界も会社も別々で、ビジネスの関係はない人ばかり。多くが中小企業から来ていて、現地の日本人の間では「軍団」と呼ばれていたんです。一方で、大企業の社員の方々が集まるグループもあって、そこのメンバーから僕らは「アニキ」と呼ばれていて(笑)。

      伊藤 会社の規模からすると、逆転した関係ですね。

      楠見 複数でやってくる大企業の人たちと違って、僕らは一人または少人数ですべてを託されていましたから、背負っているものが違うんですね。僕も含めて軍団の多くは"無期限"で来ていましたから、駐在期間も違う。中国人スタッフ50人を抱える工場を一人で切り盛りしている人もいて、視点も考えていることも、ぜんぜん違うんです。みんな自律して自分で考えて、自分で判断して、自分で行動、なんですよ。中国でビジネスをする上で何が問題になるのか、どう対処すべきなのか。軍団の仲間からは、たくさんのことを教わり、助けてもらいました。

      伊藤 辛い状況も、仲間がいると乗り越えることができますね。

      楠見 そうですね。しかも、ほとんどが本社でのポジションよりも上の立場で来ていますから、みんな背伸びをしているんです。重い荷物を背負っているのは自分だけじゃない。そう感じて、モチベーションは上がりましたね。本社にいたら異業種の人とつき合うことは少ないですから、これが駐在の醍醐味だなと思いましたね。

      伊藤 そういった中で、楠見さんのビジネス観はどのように変わられたのでしょうか。

      楠見 それまでの僕は、「これ」と決めたら何としても成し遂げようと試行錯誤して苦労していたんです。でも、中国でのビジネスが長い人たちは、物事が計画通りにいかないということがわかっていますから、常に代案をいくつも持って事に当たるんですね。「これがだめならこうしよう」、「それもだめなら次はこうしよう」と。しかも、切り替えがものすごく速い。ですから、僕も当初は「一省一代理店」という計画を立てていましたが、それにこだわらなくなりました。これが、僕にとっての一番大きな変化です。

      同時に、インドで学んだことが中国ですごく役立ちました。まず、市場を一つのものとして捉えてはいけないという考えをインドで身につけていたお陰で、いろいろな価値観を持つことができた。机上論は通用しない、答えはすべて現場にあるというのもインドで学んだことです。

      営業的な話でいえば、インドでは、広大な国での配荷率をいかに高めるかという手法も身につけました。基本は一国一代理店制ですが、一つの代理店が広大な国の全土に配荷するのは、物理的に不可能なんですよ。ですから、インドでは代理店の下に置いた約200社のディストリビューターを通じて小売店に配荷しています。インドで学んだこのディストリビューター制での配荷のネットワークを、中国にも応用したんです。

      伊藤 駐在されていた7年間で、中国事業はどのくらいの規模になられたのですか。

      楠見 代理店数でいえば23社とのネットワークを構築し、いわゆる沿海部と四川省や武漢といった内陸の主な地域はカバーできるようになり、現地法人の社員数は約50人。そのうち営業部隊が約20人という規模になっていました。

    インタビュー後記


    未知の領域にトライする


    今回、お話を伺った楠見さんは小さな頃から海外でお仕事をしたいと強く願っていたそうです。

    しかし、現在の新卒者は30%もの人財が海外赴任を嫌がっているとのデータもあります。
    国内のマーケットは急速に縮小し、企業の海外展開が加速しています。そのため、企業では今、グローバル人財の採用・育成が求められています。

    しかし、初めから海外での仕事がうまくいくとは限りません。楠見さんはインドや中国といった新興国を中心に経験を積んでこられました。『海外に憧れている』と言っても、実際には言葉の壁や文化の壁、そして仕事のやり方の違いなど、様々な苦労があったそうです。

    そんな中、楠見さんを大きく成長させたのは『仕事の体験』だったと思います。
    楠見さんご自身も「複数でやってくる大企業の人たちと違って、僕らは一人、または少人数で全てを託されていたから、背負っているものが違う。」と語って下さいました。
    大企業では、多くの仕事を分担して行い、決まった仕事をこなすだけになってしまう事がしばしばあります。しかし、それほど規模の大きくない企業では、一人、また少人数で、全体で起こる出来事に対処して行かなくてはいけません。
    この経験が何よりも、人を成長させると考えます。

    人は、任された仕事、また自分の出来る範囲内での仕事の中では成長できません。
    今まで体験してこなかった出来事を経験するからこそ、それを超える努力をするのです。

    自分を大きく成長させる機会、それには、今までと違った環境で様々な経験をすることだと思います。それには、待っていても何も状況は変わりません。

    これからの、自律型人財に必要なことは、積極的に一歩前に踏み出し、自身で今までの環境を変えていくことが出来る人財なのではないでしょうか。


    On the Business Training 協会 伊藤みづほ 菅原加良子


    *続きは後編でどうぞ。
      「経験」「論理」「志」――経営課題を解決していくリーダーに必要な側面 (後編)