OBT 人財マガジン

2011.07.27 : VOL120 UPDATED

人が育つを考察する

  • 第一回【仕事を極めた人の成長プロセス-後編】美味しいコーヒーを作るためには妥協しない

    • P1020545.JPG

      カフェ・ド・ランブル
      コーヒー店店主 関口一郎さん(97歳)

       

      銀座の路地裏に『コーヒーだけのお店』と書かれたオレンジ色の看板があります。
      「コーヒー以外知らないから。知らないものは提供できないの」と語って下さったのはカフェ・ド・ランブル店主関口一郎さん。学生時代からコーヒーに興味を持ち、97歳になった現在でも「美味しいコーヒー」をつくるために、と日夜研究を重ねているそうです。

    • 【プロフィール】

      関口一郎(ICHIRO SEKIGUCHI)
      1914年生まれ。早稲田大学理工学部卒業。学生時代よりコーヒーの魅力にはまり研究を始める。技術屋として様々な仕事をこなし、自らも起業したが倒産。しかし、かねてから取引関係者にお茶がわりに出していたコーヒーの評判がよく、お客様からの強い要望もあり『カフェ・ド・ランブル』を1948年に開店。現在でもお店で、日々コーヒーの試飲や焙煎を行っている。

      カフェ・ド・ランブル http://www.h6.dion.ne.jp/~lambre/index.html
      1948年(昭和23年)西銀座に開店。
      銀座で一番高い店でコーヒー1杯が90円だった当時、ランブルは100円でスタート。美味しいとの評判が広がり、遠くから来てくれるお客さんも多く、また著名人も数多く足を運んだ。表通りでなく路地の奥で店を始めたのは、銀座が昔から"イイモノ"はどんな迷路であろうとも探して見つけ出してくれるお客様がいる土地柄だったから。現在は8丁目に移転。

    • コーヒーに関わるモノすべてにこだわる

      終戦を迎え(前編参照)、その後、軍隊で一緒だった仲間と映画機材屋を起業したのですが、お金を持ち逃げされ二年で廃業してしまいます。そんな中、「映画の仕事をしている時にお客さん(映画関係や興行関係)に、接待で出していたコーヒーが大好評でね。みんなが喜んで飲んでくれてたの。本当は、国内初のストロボを作ろうと研究して、発表したんだけど、この当時、なかなか理解してもらえなくてね、相当な額の資本も必要だったからスポンサーが見つからなかったの。そしたら、周りの人達が、コーヒー屋をやれやれというから、食いつなぎの為に始めたの。」と関口さん。
      ここから、20人入ると満員になるような小さなお店でコーヒーを始めたそうです。

      関口さんのお店は、口コミで有名になり、お客さんはひっきりなしに来ます。次の仕事までのちょっとのつもりで始めたコーヒー屋でしたが、コーヒーを飲んで喜んでいる人の顔を目の当たりにして、「そこに損得勘定なんてない」と感じたそうです。ちょうどその頃、関口さんのストロボの研究を目にした電気会社が協力したいと申し出をしてきたらしいのですが、「僕はもうコーヒー屋始めちゃったから、そのまま渡しちゃった。ストロボとは縁切っちゃったの」と。

      そこから、益々研究に熱が入り、一番美味しいコーヒーをつくるために、すべての物を見直します。

      コーヒーフィルターに関しては「綿糸系(フランネル)、動物性(フェルト、絹)、鉱物性(金属の網、ガラス※)とか科学実験室みたいに、いろんな種類を使って、どれが一番美味しいコーヒーが出来るか自分が試してね、究極、今使っている片毛の綿ネルが一番美味しいっていうことがわかったの。いろんな物を試して覚えたわけ。教科書や方程式みたいに、決まっていることではなく、どうしてこれ以外にいけないのか?を見つけるのが楽しいんだ。なぜなぜなぜ?って興味を持って追求することができるのが好きなんだよね」と、関口さん。その当時、"今のままでも十分に美味しい"と言われるコーヒーでしたが、関口さんは、「まだまだ全然満足がいってなかったんだよ」と語って下さいました。
      ※ガラス:ガラスを一度砕き、粉にしてから、再度固めたもの)

      その後もお客さんにコーヒーを出すまでのプロセスを見直し、ひとつひとつ自ら手を加え、改良していきます。「私はコーヒーについていろいろ勉強したからよく知っているけど、コーヒーの機械を作っているのはコーヒーの本質を知らない人。だから美味しくないの」。

      一番始めは生豆を焙煎・ローストする機械を自ら改造。そして、コーヒーカップは飲むときに唇にあたる感覚を重視した薄手のカップを作りたい。と、京都の窯元でろくろを廻した。お湯を注ぐポットにしても、自社で開発。そして、最後に残ったのがコーヒーミルだったそうです。今までのミルは豆を挽くときに微粉が出てしまい、この微粉がコーヒーの粉に混ざっていると余分な味がでてしまう。その為、設計図を書き、試作品を家で製作し、最終的には工場で幻のミルを作り上げました。コーヒーミルは、2007年7月には特許も取得したそうです。

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      左:ランブルオリジナルポットの鶴口状の注ぎ口    ランブルで開発したリードミル
      右:市販のポットの注ぎ口

    • 義務でやっていることは好きにはならない

      1970年からコーヒー豆の質は下降線。生産量が多くなると、豆の質は悪くなり、味が薄くなる・・・。これが自然の摂理だそうです。 そこで、少しでもいいものを仕入れたいと思うのはどこのコーヒー店でも一緒。しかし、勉強の足りない人は、高い値段で買わされてしまう...。関口さんのお店では、一切の銘柄やランクに惑わされず、テストで合格したものしか購入しません。

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      「コーヒーが好きで、勉強すればトレーニングでレベルはあがるもの。それは、他の仕事でも一緒だと思うんだよね。本当に好きでね、そのことについて深く知ってみよう、調べてみようと思えるなら大丈夫だと思うの。事柄が解けるというか解決出来るようになってくると面白くなってくるから。いつまでもどうどう巡りしていたら興味がなくなっちゃうからね。仕事として、義務でやってることでは、好きになんないから。面白くって、興味があって、損得度外視できるかだね。そこまでやってみて、少しでも好きと思うものに対しては、一生懸命にやること。一生懸命やる前に、仕事が向かないと勝手に思ってはダメだよね。途中で諦めてしまっては、自分の実力なんて見えないし、本質(仕事の面白さ)も見えてこないからね。寝食を忘れるくらいのめり込んでみるといいよ」と関口さん。

      80年以上もの間、「美味しいコーヒー」を追い続けている関口さんに「まだ、コーヒーに対しての思いは尽きませんか?」と質問したところ、「本当に真髄を掴んだわけじゃないからね。その対象にできるような最高の豆がなくなっちゃったんだよね。だから、それが出るのを待ってるの。最近スペシャルコーヒーを作ってるところが少数でてきたから。それに、時間が足りないね。まだまだ、やることはある。死ぬ気全然ないし、死ぬとは思ってない」と笑顔で語ってくださいました。

    取材を終えて・・・


    『妥協しない人』取材を終えての関口さんの印象です。

    一件おっとりしていて、柔らかい雰囲気を醸し出している関口さんですが、作業場に入り、コーヒー豆と向き合うと、関口さんの表情は変わります。

    妥協する人としない人との違いは何なのか、自分なりに考えてみました。いくつか考え方はあるとは思いますが『目指すモノが高い』そして、『自分なりの軸がある人』なのではないかと考えています。本当にいいモノを作りたい"と目指すところが高いから、何があっても妥協しない。目指すモノの高さが自分の軸を引き上げ、その軸を基準に物を見たとき、納得の行くものなのか、いかないものなのかが見えてくる。

    では、その軸はどのようにして出来上がるのか...。それは、やはり誰にも負けないと思えるくらい、そのことに没頭し、学んだかどうかだと思います。更にいいものを!と思い努力して学んだ結果得た物が、その人の軸になるのではないかと思います。