OBT 人財マガジン

2011.11.24 : VOL128 UPDATED

人が育つを考察する

  • 第三回【仕事を極めた人の成長プロセス-後編】私は"たいたいばあさん"なんです

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      日本最高齢声楽家
      相愛大学名誉教授
      嘉納 愛子さん(104歳)

       

      "全国の100歳以上の高齢者が2011年9月15日時点で4万7,756人となり、41年連続で過去最多を更新する見通しとなっています。その中で全体の87.1%を占めているのが女性。今回お話をお伺いさせていただいた嘉納さんは104歳で声楽家。とてもお元気で、またユーモア溢れる女性です。取材当日は喉を痛めていた為に、歌声を聴かせて頂くことは出来ませんでしたが、ピアノを弾いてもらうと一変。ピアノに向かう姿からは、音楽に対する思い・考えがひしひしと伝わり、年齢を全く感じさせませんでした。

    【プロフィール】

    嘉納 愛子(AIKO KANOU)

    1907年大阪生まれ。声楽家・音楽指導者。東京音楽学校(現在の東京藝術大学<声楽本科>)を卒業後、山田耕筰の数少ない弟子の一人となる。結婚後、音楽活動を休止するが、相愛女子専門学校(現相愛大学)からの依頼があり、音楽家の講師(のちに教授)として音楽教育に携わる。また、自宅での少人数レッスンを続けている。

    人生は公平

    いつから音楽が好きだったんですか?と嘉納さんに質問したとこと、「物心ついた時からね。だから、歌を好きに産んでくれた両親に感謝だと思っています」と答えてくださいました。嘉納さんは「本当に幸せな人生です。だから、もし、20歳に戻れたら何しますか。っていわれても、ずっと幸せだったから、戻りたくないの」と語ります。

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    嘉納さんは、27歳の時に山田耕筰氏の支援者だった、灘の酒造家(菊正宗)の四男の嘉納鉄夫さんと結婚。しかし、御影にある嘉納家といえば指折りの旧家、"歌を歌ってお金を稼ぐことなんて、はしたないことだ"といわれ、蔵にピアノを入れられてしまったそうです。そこから、音楽とはまったく離れた生活に入ります。しかし、翌年には男子を出産。また、旧家だったため、人の出入りが多く、毎日がお正月のようだったといいます。朝起きたら髪結いさんが一番最初に来て髪を結ってくれる。そして、次は商売人が来る。お菓子屋さんや魚屋さん、それから呉服屋さんも来て、着物を選ぶ。その為、戦争中も何一つも物に不自由しなかったそうです。「そんな生活だから歌いたいと思ってなかったの」と嘉納さん。また、1945年6月10日の空襲では家が全て焼けてしまいます。「その時も不思議と悲しいと思わなかったわ。まわりもみんな焼けていたから」。その後、大阪近くの田舎に疎開し、終戦の翌年に御影に戻ってくることになります。しかし、その数日後、小学生になった息子さんが朝に高熱を出し、夕方に亡くなってしまったそうです。「心は虚ろになり、何も考えられない状態でした。それで2~3年は何もしないで、ボケ~としてました。そしてね、ある夜、真っ暗で何にもない、御影の綺麗な砂浜で歩いていたの。誰もいないと思って、思いっきり淡路まで聞こえるような声で、歌うんじゃなくて、叫んだの。そしたら、樽屋のおじさんが、見てたみたいで、『なんや、夜叫んでたで』って評判になって。それを主人が聞いて、『あ~歌いたいんだなぁ』って、それで大阪に家建ててくれて、『教育ならばよろし』っていって。また、歌を歌えることになったの。その後、すぐ相愛女子専門学校(現相愛大学)の学長から『声楽を教えてくれませんか』と声をかけていただいたんです。本当に嬉しかったわ」と、嘉納さん。

    その後、約60年以上もの間、声楽家として活躍されている嘉納さん。「私の人生は恵みの人生。感謝ばかりです。人から頼りにされるってことは本当に幸せなことよ。だから、私は本当に幸せ。何の苦労もしていません。ただ、子どもを亡くしたことは本当に大きなマイナスなの。そう考えると、『人生は公平ね』このことははっきりいえます」。

    辛い過去を語ってくださった嘉納さんですが、悲しみを決して表には出しません。 「いつかのテレビで、色紙に座右の銘を書いて下さいと言われたとき、私は"感謝"って書きました。それ以外には言葉はありません。ただ、やっぱり、こう思うようになったのは60~70歳くらいかしら。だから、みんな100まで生きないとダメね(笑)」。嘉納さんからは、どんな出来事があろうと、きちんと全てを受け入れ、前に進んで行く強い力を感じます。また、"幸せな人生だった。感謝"の裏には、人には見せない努力の姿、悲しみを超え、精一杯生きた。という自らの思いがあるからなのではないかと感じます。


    欲張りじゃないとダメ

    嘉納さんは「私は、明日さよならしてもいいです。悔いはありません。それだけ幸せな人生でしたから」と語ります。しかし、その一方でご自身のことを「私は、"見たい・聞きたい・寝たい・食べたい・歌いたい"のたいたいばあさんなの」といいます。「欲張りですからね。最近、開き直ってます。おんなじ生きるんならギネスに載ってやろうと。114歳まで。でも、しわくちゃは嫌なの。だから、しわが寄らないようにしてるのよ。化粧品使って。最期まで、しわくちゃにはなりたくないもの」と。嘉納さんは104歳という年齢が嘘のように、肌がきめ細かく、非常にお洒落でした。お話を伺うと、毎日自ら服を選び、ワンピースを切って、マフラーにするなど、自分で裁縫をすることもあるそうです。また、嘉納さんは104歳になった今でもネイルケアを自ら行うそうです。

    「私は、やりたいことが、いっぱいあるのよ。いつまでも綺麗でいたいし、オシャレでいたい。これもしたい。あれもしたいって。だから、毎日忙しいの。でも、欲張りって大事なことだと思うわよ。欲がなくなったらダメね」と嘉納さん。

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    嘉納さんとお話をしていて、感じることは、とてもユーモアがあること。 最近書いたという俳句を見せていただくと『老人太り、三途の川は乗船拒否』また、九十九歳の時に作った俳句では『振り返り、苦労ないんないん。白寿道』。「無い無いと99(ナインナイン)をかけてみたの(笑)。でも、本当に辛かったことも今では、みんないい思い出でね。」とって語ってくださいました。

    今まで、音楽をやってきて、辛かった経験はあるんですか?と質問したところ「ありますあります。思うように声がでなくて、しょぼくれていました。でも、負けん気で、カバーね」と。自身の歌の点数をお伺いすると。「点なんて付けられないわ。もっともっと上手に歌えると思うの。欲張りだから。限度はありません。これはお医者さんから聞いたんだけど、声帯は老化しないんですって。だから、もっとうまく歌えるはず」。嘉納さんはこうなりたいという思いが強く、年齢で妥協することはなく、プロセスを楽しめる人。そんな印象を受けました。嘉納さんは、自分の歌に納得したことは一度もないと語ります。もっと、上手くなりたいという強い気持ちが、今でも変わることなくあります。

    現在の若い人たちの中には"簡単に物事を諦めたり、目標がない"という人が多くいます。嘉納さんに質問をすると「日本人は、もっとしっかりしないと。いつから、こんな風になってしまったのかしら。若い人が強くならなくちゃダメね。」と喝を入れられました。「今の子たちは、ずっといろんな物を与えられてきたから。自ら求めないからじゃないかしら。やっぱり欲張りじゃないと。ぼんやり口を開いていても楽しい事なんて、向こうからやってくるものではありません。だから、自ら少しでも興味を持ったら、一途にやってみることね。本気でやっていれば、いつか誰かが"いいところ"を引き出してくれると思うの。人生は公平だから。だから、日本を沈没させないためにも頑張りなさい。そして、100まで生きなさい(笑)。」と。

    もうすぐ105歳になられるという嘉納さんは、お話を語って下さっている時も常に楽しそうでした。
    嘉納さんからみた長寿の秘訣は、オシャレであること。欲張りであること。ユーモアを忘れないこと。そして、自分の一番好きなことをやり続けられること。なのではないかと感じました。

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    インタビュー後記


    自らの人生を振り返り"幸せな人生だった"と笑顔で語る嘉納さん。
    幸せの感じ方は人それぞれだと思いますが、嘉納さんのように、今まで生きてきた道に悔いはない、といえる人はどれほどいるのでしょうか。

    幸せだった嘉納さんの人生にも、言葉にはださない辛い経験やさまざまな苦しい思いもあったかと思います。

    しかし、嘉納さんからは、それを懸命に乗り越えた、また乗り越えたいという、強い思いのようなものも感じました。
    まさしく、〝幸せは、人から与えられるものではなく、自ら掴み取るもの〟であり、心の置き方一つで、幸不幸は変わってくるのだと思います。

    嘉納さんの語る"たいたい"の気持ちが幸せを掴む重要な考え方なのだと改めて感じました。