OBT 人財マガジン

2006.10.25 : VOL10 UPDATED

経営人語

  • 【企業の衰退はどこから始まるか!】
    企業とは、サービスを提供する喜び、商品を作る喜び、商品を売る喜びだけが生命力である

    日本企業の組織も大きく成長したが、人々の顔から喜びが失われ、代わりに台頭してきたのが、「サービスを提供する喜び」でも「モノ作る喜び」でも「モノを売る喜び」でもなく、大きくなった組織をいかに「効率的に管理する喜び」だった。


    自分達のサービスを顧客がどのように受けとめるのか、どのようなモノを造るのか、顧客がどんな顔をして買っていくのか・・・・・等という関心と比較すると売り上げ高と経常利益だけに関心を持つ経営者が増えた。


    日本企業の現場に大きく漂っている出口の見えない閉塞感は、こうした「管理する喜び」しか感じない人間達が企業や組織のトップにいるからである。


    「サービスを提供する喜び」「モノを造る喜び」「モノを売る喜び」を経験的に理解している人達の失敗であるならば学習して必ず、次のステップに移行出来る。
    然しながら、「管理する喜び」しか知らない人間の失敗というのはただ虚しい負債が残るだけである。


    組織が大きくなるに従って、上層部や上の人間は、「商品の内容」や「現場の実情」には、ほとんど興味を示さなくなってしまい、利益率や返品率といった結果指標だけで、経営の方向性を判断しようとする傾向が非常に強い。


    更に商品への愛情も理解も無い人事コンサルタントやアナリストなる評論家達が大きな顔をして、日本中の企業組織や行政組織を指導という名の下に蹂躙している状況は痛々しくもある。


    経営のプロ等という者は存在しない。それは、従業員のプロという者がいないように。
    企業とは、サービスを提供する喜び、商品を作る喜び、商品を売る喜びだけが生命力である。


    公認会計士は、財務のことはプロかもしれないが、経営が出来るわけでは決して無い。
    例えばカルロスゴーンの成功は彼が経営のプロだったからではなく、自動車産業を愛している自動車産業のプロだからである。


    日本だと銀行から経営者が送り込まれるというケースが多いが、生きた会社というのは、その会社を作りたいという本物の意思を持っている人間だけが経営をすべきである。


    「戦争において素人は戦術を語り、プロはロジステイックを語る」合理性を追求する限りは、どこかに別の不合理性を発生させるという問題点をただ外部に押し付ける形にならざるを得ない。