OBT 人財マガジン

2013.01.23 : VOL156 UPDATED

経営人語

  • 自己実現と組織人としての在り方

    自己実現理論とは、アメリカの心理学者アブラハム・マズローが、人は自己実現に向かって
    絶えず成長していくものであるという仮定のもとに"人の欲求"を5段階に階層化したものであり、
    組織心理学において、働いている人たちの動機付けの説明として利用されてきた。
    然しながら、現実の組織においてこれを応用できるかということになると、かなりハードルが
    高いといわざるを得ない。

    何故ならば、何に自己実現を感じるか、やりがいを感じるかは人それぞれであり、そのことを
    組織として「管理」するのは非常に難しいからである。
    組織で仕事をする場合、その中でマズローがいうところの「自尊の欲求」や「自己実現の欲求」を
    満すためには、組織の中にきちんと親和し、自分の社会性が承認されることにあり、またさらに
    「自尊の欲求」や「自己実現の欲求」のペースになるのは業務遂行に必要な知識や能力の地道な
    積み重ねなのである。

    そのプロセスを無視して自分の個性だけを追求しても所属する組織の中では、大方の場合、
    「狐性」と看做されてしまう。
    それでは不幸であり、その不幸は「狐性」を求めている限りはずっと続く。

    自分なりに会社のために働いているつもりでも、その自分が組織に親和していなければ「狐性」が
    増長され、浮いた存在に映ってしまう。
    それはつまり、組織人にとって最も不幸なことであり、居場所がなくなるということに繋がる。

    組織で働く人間としての最初のボタンの掛け違いは、まだ何ら実績も実力も無いのに、
    個人目線にしかすぎない自分らしさを求めるところにある。
    例えば、どの企業の採用のHPにも「チャレンジ精神、失敗を恐れない積極性を持ち、変革への
    意欲を持った人財」と書かれている。

    これを突き詰めて考えてみると「変革への意欲」とは、「会社のその他大勢とは異なるものを求める」
    ということである。
    経済がグローバル化する中で多くの企業は変化する必要がある。例えば、銀行でも変化が
    求められよう。然しながら、最初に必要とされるものは「失敗しない能力」であり「決められたことを
    きちんとやりきる」ことである。
    例えば、100円でも計算が合わなければ、全員が居残って合わせるという文化を持つ業種に
    おいて変革という視点で「そのやり方を変えましよう。100円は私が払いますから」という斬新さが
    必要とされるのか。

    会社説明会等で「新規事業開発部」「商品開発部」「海外事業部」等といったいかにも
    エキサイティングな部門の若手が登場して日々クリエィテイブな仕事をしているかを語ったりする。
    また、銀行・証券等といった固い会社ですら、そうしたある種の花形部門が前面に出てくる。

    もしかしたらそのような部署では確かに創造性や個性が必要となるかもしれない。然しながら、
    このような面だけ強調して結果として若い人たちに「歯車になるな」的メッセージを発信するのは
    「無意識の偽善」とでも呼ぶべき行為である。

    多くの企業は、採用活動時に「我々に無い視点を提供して欲しい」「個性を発揮してほしい」等、
    一見我が社は斬新であるが如き発信をしているが、厳しい就職活動を通り抜けてきた若者たちは、
    基本的には皆「常識人」なのである。

    従っていきなりポジティブな意味での「個性の発揮」は難しいし、組織が本当にそれを
    求めているかというと大いなる疑問が残る。

    そのためには、本来、会社側は「若手は会社の歯車から始めるべきである」というメッセージを
    出すべきなのである。
    組織というのは、内部で使用されているロジックや言語をわきまえなければまともな議論は
    出来ず、何らの力も発揮出来ない。
    そのため、組織で働く者は組織の求める形に変身し続ける器用さが求められる。

    そして、いろいろな形に変身することが経験となり、順調に成長すればそれぞれの部署の
    基礎知識に裏付けされた強固な「自分らしさ」が出来上がる。

    経験の無い新人に「年齢には関係ない、思ったことはどんどん言いなさい」という上司や
    経営者はいる。
    「どんどん自由に意見を言ってくれ」とは言うくせに本当に自由に言ったら機嫌が悪くなるタイプの
    人は殊のほか多い。
    建前では、「開放的で自由な職場」を目指すとは言っているが、多くの企業において「開放的で
    自由な環境は永遠の目標」といえる。
    「開放的で自由な環境」が理想であると誰もが知っているはずなのに、多くの場合単なる理想で
    終わっているという現実である。

    つまり、そのような環境は、実現出来れば素晴らしいけれど、現実にはなかなかお目にかかれない。

    ここで考慮しておいた方がいいのは、そのような理想をひたすら求めても対して意味は無く、
    また、自分一人でそういう環境を作ろうとしても、結局は何も変わらない可能性が高いという点である。

    入社して基礎的なものを学ぶというステージでは「自分らしさ」は邪魔以外の何物でもない。
    指示されたこと、言われたことをきちんと再現できるかどうか。例えば、「相手の言うことを正確に
    聴きとる能力」を養う等。
    この再現の能力が低いと必ず頭の中で勝手な解釈をしてしまう。
    例えば、キャリア初期においては、才気に走っているひとよりも愚直な人の方が思った以上に
    評価される傾向が強く、組織の歯車の方が高く評価される。

    また、この時代、一芸に特化するのは危険である。
    キャリア中期や後期には、一芸を磨くことが大事になるが、キャリア初期にはいろいろな可能性を
    見出さなくてはならない。
    もうひとつ大切なことは、「大は小を兼ねる」と同様で「多芸は一芸を兼ねる」ということである。

    自衛官の心構えに「服従の誇り」といわれるものがあるそうであるが、つまり組織の歯車である
    ことの誇りといえる。

    つまらない幻想は捨ててまずは、組織人になりきるところから全てが始まり、またそこからしか
    何も始まらないというのが世の中である。

    「創造性や自己実現」等といった「無意識な偽善」で若者をあおるのではなく、組織の現実を若者に
    きちんと教え、それと向き合わせることこそ本来の組織心理学が行うべきことではないだろうか。

    On the Business Training 協会  及川 昭