OBT 人財マガジン

2013.01.09 : VOL155 UPDATED

経営人語

  • 環境こそが人をつくる最大のもの!

    私にとって仕事は人生の道場みたいなもので、全てとは言わないまでも大事なことは、
    大方仕事に教えてもらったと思っている。

    打たれ強さとかプレッシャーへの耐性、リスクテイクする決断等全て仕事で学んだ
    ものである。

    例えば、若い頃は、給料は安かったので、食べていくだけで精いっぱいであった。
    6畳と4.5畳の風呂なしのアパートに住んで共稼ぎで何とか生活出来るという状態で
    あった。たまに、飲む50円ぐらいのカップコーヒーがなんとも贅沢であったという記憶は
    未だにぬぐいされない。

    そういう生活を若い時にしてきた、昭和の人間から見ると、今の若い人たちはやはり非常
    に恵まれていると思う。
    今時の若者みたいな話は年寄りくさくて嫌だが、便利、安全、快適を当たり前のように
    享受して育った人間には、順境ばかりで逆境の経験が少ないから、メンタル面では
    どうしても弱い。

    自分の力で自分のリスクで生きるという根源的な力のようなものがスポイルされている
    から様々なプレッシャーへの耐性も低下している。

    生命力の弱体化は危惧するところである。
    ある年代の人たちは、生まれ育った環境そのものがワイルドだったから、普通に野性や
    バイタリティを自ずと身につけることが出来た。
    今のように便利、安全が蔓延している時代には、たくましさや逆境への耐性等は後天的、
    意思的に備えなくてはならない。
    昔は当り前だった省エネを敢えて強調しなければ、経験も実現もできないわけだから、
    これらはこの時代、特有の不幸なのかもしれない。

    また、ものがたくさんそろっている時代ということは、選択肢が多いということ。
    しかし、人間は選択肢が多ければ多いほど、自分が行った選択に後悔が生じやすい。
    たくさんの可能性からひとつを選ぶよりも少ない可能性からひとつを選ぶ方が後で
    「あっちにすればよかった」といった後悔はしない。

    例えば、就職でも、結婚でも或いは食事でも、メニューが多いと人は迷うのである。
    迷ってハンバーグ定食を頼んだら、隣の人のエビフライが美味しく見えたりする。

    人間はそのようにできている。
    メニューが一つか二つしかなければ迷いもしないし、後悔もしない。
    たくさんのメニューの中から何を食べるか選べばいいだけで別の言い方をすると簡単に
    選ぶことは出来るが、自分で作るという喜びはない。

    出来合いのメニューがたくさん用意されているので、自分で考える、自分で工夫するという
    こともしない。
    結果的に指示されたことには忠実だけれど、その域はほとんど出ない。
    自ら工夫する、工夫して動くといった自主性や主体性には大きく欠如してしまう。
    自主的に動く、主体的に行動するというのは、ある意味で生物としての野生の一種といえる。
    根源的な生命力の衰えはこの辺にあるのでないだろうか。

    自分の糧は自分で稼ぐ。それは生きるための最低条件となってくるはず。
    日本の自殺者は3万人といわているが、その一方で、アフリカでは飢餓や感染症で毎日
    数万人単位の人が亡くなるという。然しながら、自殺者はほとんどいない。

    生きること、食べるのに必死な時は、「人間は生きる意味」なんて考えることもない。
    パンが足りた時、初めて「パンのみにて生きるにあらず」と哲学的な問いを発するわけで
    あろう。

    日本はパンが足りたことで必死に生きていく、自分で餌をとるという生きる力を衰弱させて
    しまった。
    生まれた時からエアコンの効いた部屋にいるから汗腺が減って、体温調節が
    ままならない子供が増えている。また、背筋力が弱くて赤ちゃんを抱けない母親も
    多いと聞く。

    また、企業組織においても、余暇が必要であるという意味でワークライフバランスなるものにも
    大方賛同ではあるが、然しながら、それは、一人一人に与えられた組織人として責務を
    十二分に果たしていることが大前提であろう。
    中途半端にしか仕事がやれていないサラリーマンの「駆け込み寺」になっているのは
    危惧されるところである。

    フランスの地下鉄では、社内アナウンスが全く流れない。
    乗り過ごしても全て自己責任である。
    ところが、日本はとても丁寧で車内アナウンスがきっちり流れる。
    そのおかげで間違いなくすむし、ある意味でとてもいいシステムである。
    然しながら、度が過ぎると感覚も麻痺し、乗り越したのは社内アナウンスが聞き取れない
    から等他人に責任を押し付ける人も出てくる。

    自己責任の意識が弱い我々は、どうしても個人的な目標意識を強く持つことが出来ず、
    何となく周りに流されてしまう。
    そして、その結果生じる不都合を決して自責と捉えることなく、上司や組織或いは環境等
    にその要因をもっていくという他責の文化となっている。

    人の能力や姿勢、或いは人間性等のほとんどのものはどのような環境で育ってきたか、
    いかなる状況で仕事をしてきたかに大きく規定されることは間違いない。

    現在では、企業組織として後天的に、意思的に勝てる人間を育てるための環境を作る
    必要があるのではないだろうか。

    On the Business Training 協会  及川 昭