OBT 人財マガジン

2008.03.26 : VOL42 UPDATED

経営人語

  • 新社会人として巣立つ若者を通して考えるべきこと

    桜の開花も近い季節なり、新しい社会人となり就職する人達の数は、大卒だけで約35万人といわれている。

    学校を卒業してフレッシュマンとして入社した時、初めて出会った上司や喜怒哀楽を共にした上司は、確実に若手社員の記憶の片隅に残っている。
    筆者もその昔、新入社員として配属された職場の上司の顔は未だに鮮明に自分の記憶に残っている。
    真面目で緻密で朝早くから夜遅くまで仕事をしている方で、細かい点のひとつひとつについて指導を受け、怒られもした。

    時の流れに身を任せた新入社員も、やがて誰しもマネージャーやリーダーとなる。
    その時、部下を叱責したり、おだてたりする自分の中にふっと昔の上司のイメージを発見してはっとすることがある。
    いつの間にか「鬼」のマネジメント・スタイルも「仏」のスタイルも知らず知らずのうちに、部下の社員に継承されている。

    今企業内では、盛んに支援型リーダーへのワークスタイルの転換が試みられている。良きにつけ、悪しきにつけ、新しいマネジメントのスタイルは部下の社員に取り込まれ十年後、二十年後に彼らの中で確実にイメージが甦り、やがて企業風土として定着する。

    「鬼」であれ「仏」であれ、筆者は多くの若手社員が魅力的なマネージャー達に出会うことを祈るばかりである。

    また、昨今の新人は、自分の意思を明確に持たない人達が多いともいわれている。
    これを単なる時代の流れとステレオタイプに捉えていいのだろうか。

    日本の大学生の目標は、出来るだけ優の数を増やし、就職試験を有利にし、一流企業に入社したいと考えている学生が非常に多い。
    これは、高校時代の受験勉強で成績を良くし、一流大学に入学したいという成績主義の発想と少しも変わってない。

    没個性の画一的行動であり、決まった土俵の中だけでの競争で、ただスピードを上げて早く人を追い抜こうという自分の主体性の無い受身の行動に過ぎない。

    米国では、日本のように決められたカリキュラムを勉強するのではなく、小・中・高から科目は多くの中から選択し、何でも自分で物事を決めていく教育を受けている。
    勿論、そのためにカウンセラーの援助もあるが、小さい時から自分で意思決定することを求められているので、社会に出てからの問題解決能力も磨かれている。

    米国の社会では、医療保険や社会保険年金にしろ、日本のように画一的ではなく、いろいろメニューがあり、自分の責任でメニューを選択しなければならない。
    病気になっても医者が治療を決めるのではなく、常にリスクとの兼ね合いで患者自身にどのような治療法を受けるかを問われる場合が多い。
    日常生活でも常に自分による意思決定を迫られてきた。
    米国人が我々に比べて行動力があるのは、このように何時も自分で意思決定しなければならない教育の賜物である。

    米国の大学生は、大学に入学するのは、自分が何がしたいか、何をすれば社会に貢献していけるのかという自分探しのためで、もし自分のやりたいキャリアがはっきりした場合は、その啓発のために勉強するし、はっきりしない場合には、いろいろ試行できる制度になっている。
    要は自分のキャリアを開拓していけるようになっている。

    日本でベンチャー企業が育たない理由として、法律や税制の不備が指摘されているが、本質的な要因は日本の教育制度そのものに起因しているのではないだろうか。

    教育制度の不備を企業組織において、マネージャーのマネジメント、OJTやOFF-JTといわれる教育制度等で是正していかざるを得ないというのが今の日本の現状であろう。


    On The Buisiness Training 協会  及川 昭