OBT 人財マガジン

2006.06.27 : VOL2 UPDATED

この人に聞く

  • 東洋ビジネスエンジニアリング株式会社
    取締役社長 千田 峰雄さん

    大企業発のベンチャーにおける競争力の確立と人材育成

    大企業の中には、優秀な技術でありながら中核事業でないがために成長の機会を奪われているものが多くあるのではないでしょうか。そこで救世主となるのが、スピンオフして新会社を設立する道。大企業発のベンチャーが成功するポイントとは何か。東洋ビジネスエンジニアリングの千田峰雄社長にお話を伺いました。

  • 東洋ビジネスエンジニアリング株式会社http://www.to-be.co.jp/

    国内製造業向けERP導入コンサルティング及びシステム構築においてトップクラスの実績を持つ。『ビジネスエンジニアリング』という独自の価値によって、経営課題解決のためのソリューションを提供している。

    MINEO SENDA

    1948年生まれ。1973年東洋エンジニアリング入社。人事、海外営業、経営企画を経て1999年に東洋エンジニアリングから分社・独立した東洋ビジネスエンジニアリングを創立。2002年に代表取締役・取締役社長に就任。

  • よい技術、使える技術を発見し、育て上げる目利きの力。
    本業のコアが生きる新規事業を選ぶ。

    ――――1999年に、東洋エンジニアリングから分社して、東洋ビジネスエンジニアリングを創立されました。独立の経緯はどのようなものだったのでしょうか。

    東洋エンジニアリング(以下、TEC)は、産業の基軸となる化学プラントを海外に建設するという先端的な輸出型企業です。開発途上国の経済発展に貢献し、世界のために日本は何ができるのかといった事を自問自答しながら技術で挑戦し、志を絶やさない。そういう社風があるんですね。

    そんな中、1980年代後半ごろからコンピューターが普及し始めて、ITを通じたモノの作り方や情報の流れというものが生まれてきました。TECでも、IT技術をサービスに入れていくべきではないだろうかと考えるようになりました。一種の多角化ですね。

    もともとプラント輸出というのは、世界の最も優れたライセンス技術を開発途上の国に移転する、技術移転産業でもあるわけです。先見性を持ってよいものを目利きし、それを求めているところに移転する。もちろん、単なる移転ではなくて、より適した形にして、言い方を変えれば、付加価値を付けて移転するわけです。加えて、我々は相手方に喜ばれる形でプロジェクトを成し遂げる技術力では他に引けを取らない。そういった事を、ITの世界でやれないかと考えたのです。

    そこで、80年代から90年代にかけて、ITサービスをビジネスにする部隊ができ、世界の優れた技術にも目を向けていたところ、出会ったのがドイツのSAPでした。今でこそ、ERPパッケージで世界に冠たる会社となり日本国内でもナンバーワンの地位を得ていますが、当時、経営企画室にいた私がドイツに調べに行った1989年ごろは、日本ではまだ、そんなパッケージは役に立つのだろうかといった程度の認識。

    しかし、僕らの強みは先取り精神です。いいモノを早くに目利きして、役に立つ商品に育て上げ、まだ知らない人たちに提供する。相手は知らないのだから不安を感じるけれども、会社に対する信頼と、優れた提案、そしてリスクマネジメントも含めて僕らが背負うことで任される。こうした我々の技術移転の力をこのSAPで生かそうと考えた。そこで、どの日本企業よりも早くSAP(独)との技術提携を進めていったわけです。

    結果的に、1993年に日本にいよいよSAPが進出してきた時に、我々には準備期間があったお陰で、競合他社に対して圧倒的な差別性を持つ事ができ、山之内製薬様やシャープ様から次々と仕事をいただきました。

    経営企画で新規事業を検討する事が僕の仕事でしたから、それまでにもいろいろな事をやりました。フロン代替装置の製造や不動産開発みたいな事とか。しかし、ダメだった。なぜダメかというと、コア人材が生まれないんです。コアの素養や志は同じものでないと、うまくいくはずがない。ITというのは、そこにうまくはまったんですね。

    そして、SAPは日本市場に見事にデビューし、我々も30名程度のSAP部隊で仕事を取っていったのですが、あっという間にブームが起り、小部隊の当社を横目に、時流に乗ろうと大手の競合他社が50名、100名と部隊を広げてきた。それがとても悔しくて、僕らの部隊も増やしましょうと社内で提案したのですが、リスクは取れないという事で、人員がなかなか増えなかった。

    こういう事は、新規事業を起こす時にはいつも問題になる事ですね。新しいものを生む時に、古いものを否定してまでやるのか、協調的にやるのか。僕らの選択は、分社してでも世の中に打って出ようというもので、2年かけて3回くらい社長に提案しに行きました。実際には、それですんなり決まったわけではありませんが、子会社化して上場させるというTECの資本政策や、我々の思いや、いろいろなタイミングが合い、1999年に分社させようという話になり、急遽、独立が決まったのです。

    独自性ある技術を持つ事が、分社化成功の秘けつ。
    自信と誇りが競争力の源になる。

    ――――大手の関連企業の中には、親会社の経営施策を受けて相当な制約の中で経営している経営者もいらっしゃいます。親会社との親子関係のあるべき姿について、どうお考えになりますか。

    子会社に必要なのは、自信と誇りだと思います。当社でいえば、自社の技術が圧倒的な力を持っている事への信頼や自信。よく、政策子会社ではダメで戦略子会社でなくてはといいますね。しかし、親会社を助けるための戦略子会社だったら分社する必要はなくて、カンパニー制などの方法を取ったほうがいいと、私は思っています。

    よく聞かれるのが、親会社向けのITの仕事を持って出たのではないか、内販比率はどれくらいかという事。親会社からの受注はほとんどありません。もともと社外から受注してやっていた事業を持って出た形ですから。親会社の仕事は売り上げの2、3%程度で、全く依存しない形で独立しました。

    といっても、出資比率はTECが51%。その意味での依存度は微妙に高い。しかし、その庇護のお陰で敵対的買収に対しては、全く問題がない。スポンサーシップが信用になることもある。ですから、それはそれでいいのではないでしょうか。ただし、コアのビジネスでは圧倒的な独自性を持っていないと分社する意味がないですね。分社化の翌年にジャスダックに上場しましたが、株主の方たちは子会社だから買っているわけではないと思います。そういう人もいるかもしれないけれど、僕らは、ITサービス業界の中でそれなりの会社だと思って買われている。独自性や発信性は自分たちで持っていないといけないと思っています。

    顧客に守られたという事もあります。分社化して小さな企業になっても発注し続けてくれる顧客が多くありました。これは、大きいと思うんです。市場でのポジショニングを確立していたからこそ、分社化してでも、もっと大きいものに育てていけたという事なんですね。

    そういう人間の誇りというものは、すごく大きな競争力になると思います。分社化の際には、覚悟を決めるために全員転籍、退職金は全て清算、年功序列型の経営はしない、TECの労働組合は脱退し新会社では新たに社員協議会を作る、といった事をやりました。そして、115名で出発して、やむを得ずTECに戻った社員が2、3名ほどいましたが、他は見事に全員が残った。新しい事業にみんな燃えていました。

    ――――ある意味では、片道切符みたいなものですね。

    片道切符です。一部上場企業の社員をすぐさま転籍にしてしまうという会社は、今でもそう多くはないと思います。世の中には、親会社のブランドが魅力で入社したのであって、子会社として分離されたのでは困ると社員が拒否反応するケースもありますね。そういったマインドのケースに比べたら、かなり独立性の高い企業として出立したと思います。

    市場を絞り込み、知財を蓄積する事で、
    圧倒的な優位性を確立する。

    ――――現在では社員数が約350名と、分社化以降に入社した方が3分の2以上になられました。その事で、会社の文化や風土に変化はありましたか。

    風土は、変わっていないですね。東洋エンジニアリングからの社員が約3分の1、毎年20、30名を採用している新卒入社者が約3分の1、中途採用者が約3分の1。今は、そういう構成です。新卒者にはコアなものを教え込むし、中途採用者も当社を理解した志のある人しか採用しません。

    ビジネスエンジニアリングというのは、ビジネスコンサルティング+システムエンジニアリングという事。そこが強みです。ビジネスコンサルティングが主体の会社は、システムはサブだと。その逆も同じですが、僕らは両方をやるから正しいコンサルティングができると言っているわけで、ビジネスエンジニアリングってすごくいい言葉なんです。それが分かる人だけが入社してくる。会社の定義付けがハッキリしているので、漠然と入社する人はいないんですね。逆にいうと、それほど大きい会社にはなれないという事でもありますが。

    また、製造業のモノづくりのプロセスに特化している事も変わっていません。製造、販売、物流管理など、ロジスティクスと総称しますが、顧客である製造業にとっては価値を生むコアコンピタンスであり、常に進化し続けなくてはいけないものでもあります。顧客は市場の変化に対応して製品を開発し、製造し、マーケティングするという全てのロジスティクスはいつも新しいので、それに合わせた僕らのシステム提案もいつも新しいのです。日本の製造業の課題がどんどん生まれてきますので、これにフィットするソリューションを提供し続け、そのノウハウをMCFrame(エムシーフレーム)という自社のERPパッケージに織り込んで開発し、魅力的な商品に育てています。

    ロジスティクスのERPにこだわっている事が、僕らの特徴であり強み。他の業界分野でのERPの経験があっても、日本の製造業の厳しい環境を潜り抜けてきた製造現場の工場長にコンサルティングするなどという事は、そうできる事ではありません。競合にとっての参入障壁が高いという意味では、ニッチなところがあるのかもしれないですね。

    ――――深さという意味で、ニッチですね。

    爆発的には大きくならないけども、知財をどんどん織り込んでいるので、いつも新鮮です。ですから、そうしてできたMCFrameを中国などのアジアに早く広めないといけないと思っています。中国はいまだに1980年代のような資源多消費型の生産プロセスのままですから、日本発のきめの細かいリーンな「ものづくり」の知がつまったMCFrameを普及させて資源保全に貢献したいと思っています。

    プロジェクトリーダーの育成と
    ラインマネジャーの創出が今後の課題。

    ――――業界他社には、社員を大量採用し、業容を一気に拡大する企業もあります。

    一気に広げるという事は、できないですね。採用して育て上げるには、メンターやアドバイザーといった先輩社員が必要です。そういう人たちが何人育てられるかを考えると、そんなにはキャパシティを大きくできないですよ。

    ――――その一方では、マーケットの広がりを感じておられます。

    そこが、実に辛いところですね。いつも人が足りないですから(笑)。業績を決定付けるのは、プロジェクトマネジャーの数です。社員数が3倍になったからといって、リーダーやプロジェクトマネジャーが3倍になるわけではありません。2倍になっていればいいほうでしょうか。それは、売り上げにも現れていまして、70億でスタートして2006年3月期が約120億。約1.8倍ですね。リーダーの数が経営を左右するという面はあると思っています。

    ――――プロジェクトリーダーに最も必要とされる能力やスキルは、どのようなものでしょうか。

    先見性ですね。顧客をリードする力です。言われた事をパフォーマンスするのではなく、一歩前に出て問題をつかみ、責任者として顧客に対しても説得力を持ち、メンバーに対してもより早く対策を指示できる、そういうマネジャーですね。技術的な説得力もある程度は必要ですが、細かい事まで知らなくてもいい。視野が広く、こちらに行った方が正しく解決できるという方向付けができ、顧客にそれを共感させる事ができる。そういう人って、そう多くはないんですね。

    ――――それは、仕事の経験の中で培われるものなのでしょうか。

    顧客をリードできる人間力を持った人材はどのようにして育つのかと考えたら、いろんなキャリアパスを経て力を付けてきている。SEをやって、かなり大きいプロジェクトのユニットリーダーをやって、商品開発をやってみて。開発とプロジェクトを行ったりきたりしながら、育っていくのだと思います。

    もう一つの課題は、経営マインドを持った人材の育成です。プロジェクトができる人材は育っていますが、ラインマネジメントにはもう少し違う気質が必要です。果実を作るのと器を作るのは違うという事ですね。今は、果実を生んでいく集団なわけです。いい果実はできている。それを、どういう器に入れるのかという事が、もう一つの大きい問題としてあるんです。新しい会社であるが故の問題ですが、次世代のリーダー形成のためには、40歳前後の人たちが育つのを待たなくてはいけないという問題があります。

    ――――全体観を持った人材をいかに育てるかというのは、他の企業にも共通する重要な課題ですね。

    ラインマネジメントは、いつも難しいですね。見よう見まねで身に付くものなのか、その人材に本来備わっている力なのか。360度研修もいいとは思うんですが、気付いてどうするのかという事ですね。プロジェクトが忙しくてとか、言い訳も多い。けれども、ラインマネジメントというのは、寝ても覚めてもいつも考えていることから始まると思っています。考えるのはいつでもできる筈なんです。あの社員の次の仕事は何にしたら良いかとか、この社員は昨日の会議であんな顔をしていたがどうしてだろうかとか、そんな事の積み重ねだと思うんです。

    いつも考え、働きかけ続けることが必要で、止めてしまえば部下は早くに引き上がってこないと思っています。

    「こだわる人事」が身上。組織に代謝は必要か。

    ――――最近では、会社は誰のものかという議論も多くありますが、最後に残るのは社員ではないかと思います。

    そう思いますね。法人も「人」ですから。当社は、人材育成には力を入れていて、それが管理費として計上される上、稼働率を下げることにはなりますが、やむをえないコストだと思っています。そういった費用を抑えて稼働率を高めれば高採算の会社になるでしょうが、未来のためのお金は削ることはできません。

    それに、不器用な会社だと思うんですが、当社は技術者が営業するんです。そこがまた、議論が分かれるところですね。営業は営業マンにさせれば効率が上がると言われますが、やはり技術営業でなければダメだと思っています。間違いのない話を顧客として、それから仕事を頂かないといけないと思うんですよ。

    ――――育てる対象である社員のみなさんの定着率はいかがですか。

    最近は、少し悪くなってきています。離職率は、業界平均よりは低いレベルにあると認識していますが、正直にいって、最近の人は1、2年目で辞める人が多いと感じています。僕は、全員の名前を覚えて一人ひとりに声をかけるようにしていますが、それでも辞めますね。

    ――――社員全員の名前を覚えていらっしゃるのですか。

    これは、東洋エンジニアリングからの伝統なんです。僕が入社した時に内藤社長という方がいたのですが、その方は社員の事を本当によく覚えていた。これはもうすべてのスタートだと、僕は信じて疑いませんでした。社員が350名になって、覚えるのが相当厳しくなってきましたが(笑)、エレベーターで乗り合わせたりするときにパッと声をかけると、みんな驚きますね。

    それでも、辞める人は辞めます。ある教育コンサルタントから聞いたのですが、人員にも代謝があると言う。新陳代謝ですね。しかし、僕は、冗談じゃないと言ったんです。必ずどこかにいいところがあるはずだから、採用した以上は辞めさせないで育てると。「こだわる人事」、「しぶとい人事」と言っているのですが、ダメでも何度でもやり直させる。新入社員にも、一意専心で10年間はやり続けなさいと言っています。それで、何も人生を損する事にはならないと。

    しかし、最近は転職にドライな人々が増えていて、一旦外に送り出して、それからまた戻ってきなさいと、そうせざるを得ないかもしれないと思い始めています。社内で育てるという事は、目標が社内にある事が前提です。しかし、目標が社内にないから出て行く、外のベンチマークの方がいいというのであれば、それは仕方がないかもしれない。1回は社外に出てまた戻ってくるといった、本当の意味でのキャリアローテーションですね。

    ――――最近は、一人前なるのに時間がかかるのは耐えられないとか、会社が変わるのに時間がかかるのは耐え切れないといった、時間のかかる事がダメな若い人が多いと感じます。

    そうですね。しかし、昔のように20年、30年と居続けるのではなく、20年、30年の視野でのキャリアパスという考え方もあると思うようになってきました。そうではないと言ってくれる若手が沢山欲しいというのが本音ですが(笑)。変化に耐えられる、進化する企業が最も強いなどと言いますね。ダーウィンの進化論になぞって。だから、社員は動かないというのもおかしいと言えるのかも知れません。代謝という言葉に最初はすごくネガティブな印象を持ったけれども、最近は、一つの道筋なのかもしれないと考え始めています。

    チャレンジはベンチマークから生まれる。
    マークすべきは未来を描く先行指標。

    ――――御社での進化は、社長がお考えになっているスピードで進んでいらっしゃるのでしょうか。

    結構いいスピード感だと思いますよ。350名の所帯だという事もあるとは思いますが、みんなせっかちに、言いたい事は言い合っていますし。

    ――――遠慮のない社風でいらっしゃる。

    そう。チャレンジをするうえで、それが一番大切なポイントだと思っています。

    ――――社長がいわれるチャレンジとは、どのような事なのでしょうか。

    僕のチャレンジは、全て悔しさから出ています。つまり、そのベンチマークに達していない自分がいる悔しさ。そこにギャップを感じたら克服しようとするのが人間であって、チャレンジが生まれる。チャレンジは、やらされるものではなく、悔しい、どうにか変えたいといった、やむにやまれないものなのです。人々にその衝動をどのように与えるかというと、しっかりとしたベンチマークを見せ、ギャップを示す事しかない。

    ――――どのようにして社員の方々にベンチマークを教えておられるのですか。

    それは、バランススコアカード(以下BSC)ですね。幸いにして、独立後の早いうちからBSCを導入していまして、最初は単なる数値設定だったのですが、この4年くらいはいわゆる先行指標にウェイトを置いています。扱うのは、財務の視点、顧客の視点、組織・業務の視点、学習と成長(人材育成)の視点の4つの視点のうち、後半の3つについて。当初はみんな、定性的で指標化できないと言っていました。しかし、これこそが大事なのであって、3年後にどうありたいかを描き、半年分ずつくらいに細分化して現状を確認する。そのベンチマークがなかったら3年後はないという事です。結果指標としての財務の数値も大切ですが、大事なのは先行指標。その先行指標が作れないという事が問題だと、そうやって追い詰めていますね。

    ――――先行指標を作る場合に一番大事な事は何だとお考えになりますか。

    そうですね......、手本になるような会社を想定してチャレンジ目標をベンチマークしていくことだと思います。IT業界とは異なりますが、チャレンジを着想する感性の点で僕が手本にしているのは、一貫してリクルートです。いつも話題があって新鮮で、新しいものを発見してきて、何かと何かをつなぎあわす抜群のリンク力がある。憧れますね。

    安定経営を目指す一方で、先行指標を打ち鳴らす。
    経営者のミッションは二律背反。

    ――――中長期の時間軸で考えた場合に、どのような姿を目指しておられますか。

    Web2.0というのが、最近言われていますね。「ウェブ進化論」でいう、こちら側・あちら側という新しい仕事の仕組みが生まれようとしている事に、非常にワクワクしています。当然、僕らはこちら側の人間でしかなくて、あちら側というのは仮想。しかし、それは新しいリアルの作り方です。意思の有無に関わらず、自然に何かをするプロセスが、どんどんと情報を発信していってしまう。それはすごい事で、いろいろな事が変わるはず。RFID(※認証技術の総称。ICチップなどが応用例)やMCFrameなどのERPのアーキテクチャにも影響してくると思いますね。

    この進化に乗っていち早くビジネスに組み込むことを考えたいですね。例えば、日本と中国の関係も、すごく変わるはずです。「中国2.0」化した情報の流れが世界を大きく変えると思いますから、チャレンジするには最高のテーマです。

    ――――そのために御社に課題があるとすれば、どんな点でしょうか。

    安定経営ですね。相当な未来投資をしながら、一方ではプライムとしてリスクを取って大規模プロジェクト、新規分野のプロジェクトに挑戦しているわけです。そうすると、1つでも赤字のプロジェクトがでると、営業利益率に大きな影響を与えます。ですから、私のミッションは安定経営。安定経営を目指す一方で、先行指標で警鐘を打ち鳴らす、そのバランス感覚が大事ですね。安定経営を実現しないと、どんなに未来の事を言っても誰も耳も貸さないです。我々は、上場企業ですから。その二律背反が一番の課題です。

    ――――トレードオフではないという事でしょうか。

    トレードオフではないです。しかし、今はプロジェクトに偏っているかもしれません。ですから、時間との勝負になる新しいビジネステーマについては、先行部隊を作って早いうちに戦略的な事をやっていこうと思っています。問題は、そういう人間がどうやって生まれてくるかという事。異分子をどう作るかという事ですね。リアルなプロジェクトを安定的に運営しながら、異分子の芽を早い段階でつかんで、育てるという事をしたいと思っています。

    ――――最後に、経営者として会社にこれだけは残したいなというものがあるとすれば、それはどんな事でしょうか。

    アジア規模で事業運営する会社になるための基盤を、きちんと作りたいと思っています。例えば、グローバルITパートナーになろうと言っているのですが、日本から易々としてアジアに出て多くの国々のパートナーとビジネスを行える環境を作るという事。今も中国で会社を作っていますがまだまだ足りません、インドも見なければならない。世界に発信するフロントにいる会社であろうとするならば、鍵になるのは拠点展開です。プラント輸出を通じ世界を舞台にプロフェッショナルとしてやっていける勇気と自信を与えられたことが、僕が東洋エンジニアリングで頂いた恩だから、みんなに返さないと。恩返しのためにも、まずはアジアでのビジネス拠点を作りたいと思っています。

    ――――長時間、本当にありがとうございました。

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