OBT 人財マガジン

2013.01.09 : VOL155 UPDATED

この人に聞く

  • 七福醸造株式会社
    代表取締役会長 犬塚 敦統さん

    【事業で差別化しうるのは唯一人財のみ】
    人が気づき、変わる瞬間とは(前編)

     

    社員が自発的に成長する風土を育むことは、強い組織づくりの永遠のテーマ。施策はさまざまにあるももの、どのような環境や経験を与えても本人の"気づき"がなければ成長にはつながりません。人はどのようなときに気づき、変わるのでしょうか。愛知県の醤油メーカー、七福醸造では"気づかせる教育"を徹底して行い、一体感が自然と生まれる組織をつくり上げています。「組織の都合で人を育てるのではなく、本人の幸せを心から願うことが大切」と語る犬塚敦統会長に、同社の"気づきの教育"について伺いました。(聞き手:OBT協会 菅原加良子)

  • [OBT協会の視点]

    今回、お話を伺った犬塚会長は、"逆境の中での気づきこそが教育の本質"であると語っている。逆境の中での挫折感や自己嫌悪、そして、その際手を差し伸べてくれた人へのありがたみは、経験しなくては分からない貴重な体験であるという。
    我々OBT協会でも、人の育成において『環境を与える→経験させる→気づきを与える』 この流れが、最も重要だと考える。環境がなければ、経験することも出来ず、経験をすることがなければ、気づくという成長を生む機会も与えられないからである。然しながら、多くの企業では"経験を積ませる環境"をなかなか用意出来ないのが現状である。
    人財にとって経験出来る環境 = 企業側にとってのリスクでもあるからだ。だからこそ、経験ある人財を優先的に割り振ってしまうのである。しかし、企業にとって好都合な環境では、新たな人財の力を開花させることは出来ない。要は、企業側がどれだけリスクを背負う覚悟があるのか。経験の場を積極的に作ることが出来るかが、今後、企業で鍵となってくるのではないだろうか。

  • 七福醸造株式会社(http://www.shirodashi.co.jp/)
    1951年創立。白醤油の醸造メーカーとしてスタートする。1978年に日本初の白だし醤油「料亭白だし」を発売。ホテルや料亭の料理人に高く評価され、ヒット商品となる。個人客からの引き合いが増えたことを受けて1988年に通販部門を分社化し、株式会社味とこころを創立。1998年、ISO14001認証取得。2001年には有機JAS認定工場を取得し、日本で唯一の白醤油の『JAS有機認定工場』となる。2006年にISO22000認証取得。安心・安全な自然な食品の開発に注力すると同時に、環境活動や社員の"心の革新"にも取り組み、中国・内モンゴル砂漠での植林活動などに参加。1996年から社員研修の一環として始めた『三河湾チャリティー100km歩け歩け大会』は、外部参加者も含めて1500名を超える大イベントとなり、多方面からの注目を集めている。
    企業概要/資本金:1億円、従業員数:34名、売上高:8億3千万円(2011年度)

    ATSUNORI INUZUKA

    1941年生まれ。明治大学卒業後、七福醸造に入社。80年に専務取締役、85年に代表取締役社長に就任。2011年4月から現職。

  • 社員は"トップの後姿"を見て育つ

    ────この連載では『人を活かす』ということをテーマに、さまざまな経営者の方にお話をうかがっています。御社は、過去に経営危機に陥られた際に、辞表を出す社員の方が続出したという事態を経験されたとお聞きしていますが、そういった状況からどのようにしてみなさんの意識を変えて、今日のような求心力のある組織をつくり上げてこられたのか。社員の方々との関わりといったことについてお聞きできればと思っています。

    当時は、社員の気持ちを変えるとかそういうことではなくて、お尻に火がついていましたから動かざるを得なかったんです。オイルショックのパニックの後でしたからね。銀行さんに金を借りて社員の給料や仕入れの代金を賄いましたが、醤油は醸造期間がありますから、その間は売上が立たないわけです。

    だから出るものはコンスタントに出て行って、入るものがまったく入ってこない。それが何カ月も続くと、銀行さんも心配になるんですね。私の伯父が「財産分けのつもりで」と田地田畑を全て担保に入れてくれて、それで必要な資金だけは入るようになった。そんな状況でした。

    営業はどう立て直したかといえば、父が「お前、自分で売りに行け」と。最初の2カ月ほどは営業部長と一緒に回って営業を覚えて、まあ、それでは覚えたとはいえませんが、とにかくそれからは一人で新規開拓に飛び回りました。正月は3日休んだけれども、お盆休みは1日だけ。社長の息子ですから、私がやらにゃいかんという思いがありましたのでね。夢中でやりましたよ。

    ────取引先となる飲食店を開拓して歩かれたということですか。

    飲食店だけでなく、漬物屋さんからあられ屋さん、総菜屋さん。白い醤油が使われる可能性のある、ありとあらゆるところを回りました。『食品年鑑』というものを買ってきましてね。可能性のある会社に印をつけるんです。それを事務員さんが一軒ずつカードにして、県別に分けて、さらに市別に並べてくれて。それを持って、例えば秋田市に行くとすると、前夜に入って市内の地図を見て、訪問する順番にカードを綴じておくんです。

    そして朝8時に最初の訪問先の前に立って、店が開くや「愛知県から白い醤油の紹介に来ました」と言うと、向こうはびっくりして「まあ上がってください」と(笑)。アポイントがないわけですから、断られないようにそういうこともやりましたね。日曜日に出発して、東北方面なら2週間から3週間、ぶっ続けで回りました。新規開拓を始めた初年度に売上を7割伸ばし、翌年さらに4割伸ばして。そうやって立て直したんです。

    そうして私が必死で回っていれば、社員はみんな文句を言いません。結局、小さな会社というのは、トップの後ろ姿しかないんです。これは後年に師事した先生(経営コンサルタント 故・一倉 定氏)の教えでもありますが、当時はそんなことはまだ知りません。ただ必死でしたが、そうすると「社長の息子がそこまで苦労しているのだから、私たちも頑張らなければ」という風になっていくんです。社員を変えるよりも、まず自分が変わる。自分が動くことが、結局は社員を変えることにつながるんです。

    経営観・人財観を変えた痛烈な体験

    ところが、売上を7割伸ばせば黒字になるはずが、景気が良くなってきたことで人件費も25%上がってしまった。翌年さらに28%上がって、その次が32%。この辺りはトヨタさんが人件費を上げると、われわれの醤油でも人がいなくなってしまうんです。売上が伸びたら伸びたで、人件費も上がる。だから、あの当時の醤油屋さんはみんな赤字ですよ。一番大きいところが12人リストラして、翌年、その次に大きいところが8人。うちは一番小さくて危機意識も鈍かったので3年目でしたが、4人に辞めてもらったんです。

    ────そのリストラをなさられた後、辞表を出す方が続いたとお聞きしています。

    辞めてもらった4人に、残った社員のボーナスを集めて退職金を出したんです。社員には「ボーナスはいずれ返すから、ちょっと待って」と。そうしたら、この会社でこんなに退職金がもらえるなら今辞めた方がいいということで、何人かが辞表を持ってきました。まあ2、3人だったと思いますが、そういうことはありましたね。

    ────そのときは、どのようなお気持ちでしたか。

    辞表は、社長に対する"不信任案"ですからね。社員は行動の責任を取ることはあっても、最終の結果責任はすべて社長にある。だから「社長のやり方が悪い」、「先の見通しが悪い」という不信任案。これはもう一番辛いです。しかも、人を集めるのが大変なときに退職願を出されると、ドキッとするわけです。

    社員4人に辞めてもらったことは、もう二度としたくないと思う体験でした。当時はまだ父が社長でしたが、実質は私が切り盛りしていましたから、私が4人に声をかけましてね。結局、それが私の一生の思いになっているんです。だからね、まず"社員の幸せ"が先なんですよ。"社員がいかに働いてくれるか"ではなくて、"社員の幸せが先"なんです。

    一倉先生には、「社員は息子や娘だと思えるか?」と言われました。私は、会社が潰れそうになった経験をしてから先生の話を聞いていますから、「まさしくそうだ」と。そういう体験をして聞くのと、しないで聞くのとでは、雲泥の差があります。体験がない人は頭で聞くから、言葉の意味はわかっても、本当の意味は理解できない。私は心で受け止めて、腹の底で理解しました。だから、自分を変えることができたんです。

    経営者として、言行一致をどこまで貫けるか

    ────ご創業者である先々代の社長も、社員の方々を大切にする経営をされていたとうかがっています。そうであっても退職を希望した方がいたということは、信頼関係を築くのはそれだけ難しいことだともいえるのでしょうか。

    いやいや、そういうことをやるのはすべて新しい人ですよ。長年いた方が定年退職して、その後に採用した新しい人。やはり、年月が信頼関係を育てるということはあると思いますね。実績が信頼を生むわけですから。「この社長は口と腹が一緒だ」と、実績で社員に思わせなくてはいけないんです。

    その意味で社員が私のことを本当に信頼したのは、阪神大震災のとき。うちの会社で38日間、炊き出しを行ったときのことだったと思います。社員を少ないときで4分の1、多いときは3分の1を駆り出して買い出しやら準備をして、被災地には3人から5人を交替で2泊3日で送って。20日もすると、さすがに暇な会社でも人手が足りなくなって、現場が無茶苦茶になってくるんです。だから「社長、炊き出しの人数を減らしてください」と。炊き出しを手伝ってくれる人も集まってきていましたから、その分だけ社員の派遣を減らしてほしいと言うので、私はこう返したんです。「応援が来るということは、天からの『もっとやれ』というメッセージだ」と。

    ────なぜそこまでしようと思われたのですか。

    困っている人がいたら、助けるのは当たり前でしょう。助けられる人は幸せなんです。日本人はみんな、そういう気持ちを持ってますよ。費用もかかりましたから「会社が潰れる」という人もいましたが、潰れたらまた興せばいいじゃないかと。今現在、困っている人がいるんだから、3000食でも5000食でも受けなあいかんじゃないかと言って炊き出しを続けた。

    だからでしょうね。なんだ、社長は腹で思ったこととやることが一緒かと。この親父ならついて行ってもいいと思ってくれたのだと思うんです。結局、炊き出しに1000万円以上を使いましたが、安い教育料だったと思いますね。

    "逆境の中での気づき"が人を育てる

    『三河湾チャリティー100km歩け歩け大会』では、制限時間30時間で100kmを歩く。1996年に社員教育の一環として始め、17年の歴史を数える2012年には外部参加者も含め歩者1581名、スタッフ92名が参加する一大イベントとなった。

    そうして社長の後ろ姿を見せるということと、もう一つ、教育には"逆境の中での気づき"が大切です。そのために、うちでは毎年『三河湾チャリティー100km歩け歩け大会』を開いているんです。

    ────メディアにも取り上げられた有名な大会ですね。始められたきっかけは何だったのでしょう。

    ある知人の社長が、男性だけで50kmを歩く会をやっていると聞きましてね。「ものすごく感動するよ」と言うのでそりゃ面白そうだなと、うちも春と秋に30km、女性社員も入れて歩き始めた。それが始まりです。

    ────長い距離を歩き通す挑戦が、"逆境"の体験になるということですね。最初から"逆境の中での気づき"を意図されてのことだったのですか。

    いや、はっきり意識したのはもっと後です。何回かやってみて「ああ、これが教育の本質か」と思い至ったんです。どいうことかといえば、例えばうちの工場長が大学4年生の息子と100kmに挑戦したときのことですが、ずっと息子を引っ張って歩いていた工場長が、97kmの休憩ポイントでマッサージを受けたとき、もう足を触られただけでも痛いから揉まれるともっと痛くて、みっともないと思ってもうめき声と涙が出て。悲鳴を上げて、手を一寸離した時に泣きながら、"ありがとうございます"と何回も繰り返していたんです。

    それを見た息子が、「そんなに痛いの?」と。考えてみたら、それまでの休憩ポイントではずっと息子にマッサージを受けさせて、父親はいっぺんも揉んでもらってない。コースの途中でも息子を道端に座らせて、「頑張れ」と足を揉んであげてね。それを息子は、親父が強いと思っていたんです。ところが今、涙をボロボロ流している。その姿を見てドキッときたんでしょうね。「親父、申し訳ない」と息子も最後の3kmを泣きながら歩いていました。これが感謝の心、親子の絆ですよ。

    今は参加者が1500人を超える大会になりましたが、これが恐らくちょっとくらい苦しい大会ならこんなに増えません。100kmでは極限を経験しますから、何回やっても気づきがあるし、感動する。そういう心からの感動の涙を何回流させるかが、社員教育なんです。

    体で理解したことは、いつまでも心に残る

    ────今は、日常生活で逆境に遭うことはあまりないですよね。それをあえて逆境に追い込むことで、人は変わり、成長するということでしょうか。

    そう。30kmでも歩いてみるとわかりますが、ものすごく辛いんです。100kmを歩くときは、40kmから60kmの間に精魂を使い果たすんですよ。あとは"思い"だけで歩く。この辛さが、たまらなくいいんです。普段だと親切にされても「ありがとう」で終わることも、辛いときに親切にされるとものすごく嬉しい。そうした感謝の心も学べるわけです。

    挫折も経験できます。初めて挑戦するときは、むしろ100km歩けなくて挫折した方がいいですね。そうすれば悔しくて、次の年は必ずリベンジできる。それに、そうした挫折体験があると人は優しくなれるんですよ。

    ────仕事ではミスを避ける意識がどうしても働いて、失敗や挫折を経験することは少ないと思いますが、「100km歩けなくて辛かった」という経験にも、人を変える力があると。

    そう。社員教育のために法人として参加する会社もたくさんありますが、ある社長が社員と一緒に歩いたんですよ。で、社員が先に挫折した。そうしたら、社長は「たるんでいる」と言うわけです。挫折した社員にしてみたら、もうどうしようもないでしょう。私は100kmを2回挫折していますから、挫折した子を励ますのはものすごく上手です。その社長は恐らく、挫折を知らないんでしょうね。それでは社員が可愛そうですよ。だから逆境が大事なんです。さんざん辛い中で挫折すれば、人はみんな優しくなるんです。

    ────そうすると職場に戻ってからも変化がありますか。

    まるっきり変わりますね。思いやりがものすごく出てくる。それに、これだけの規模の大会は連携してやらないと運営できませんから、みんなの連帯も生まれます。

    そういった体験をしながら、頭ではなく体で理解させるわけです。ですから、うちの社員教育はすべて"首から下"。首から上で競争しても勝てないから(笑)、首から下の教育しかやりません。その代り、思いやりや心の温かさ、人のためを思える心の豊かさだとかね、体力とか根性とか、連帯感、団結力はものすごくある。うちは"心"で勝負しているんです。

    ────それが社員の方々の幸せにもつながっていくと。

    そう。社員教育の目的は"人間をつくること"にあります。社員に幸せな人生を送ってもらうにはどうすればいいか、隣近所の人や関わる人たちと仲良くやっていけるようにするにはどうすればいいか。それはノウハウやテクニックじゃない。人間の基本を磨かなければいけないんですよ。

    社員教育に大切なのは、トップの後ろ姿を見せることと、逆境の中での気づきを与えること。社員の方々と向き合う犬塚会長の思いの底には、「人は必ず気づき、成長する」と信じる深い愛情があります。その人財観や経営観を、後編でもたっぷりとうかがいます。


  • *続きは後編でどうぞ。
      【事業で差別化しうるのは唯一人財のみ】 人が気づき、変わる瞬間とは(後編)



  • 聞き手:OBT協会 菅原加良子

    OBT協会とは・・・ 現場のマネジャーや次世代リーターに対して、自社の経営課題をテーマに具体的な解決策を導きだすプロセス(On the Business Training)を支援することにより、企業の持続的な競争力強化に向けた『人財の革新』と『組織変革』を実現している。

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