OBT 人財マガジン

2007.07.11 : VOL26 UPDATED

この人に聞く

  • ペッカリイ株式会社
    取締役事業推進本部長
    丸山 鉄二さん

    飲食業界における人材育成とは(前編)

    労働市場全体の有効求人倍率が1.0倍を上回り始め、慢性の人材不足を訴える企業が多く見受けられるようになってきました。中でもその傾向が強いといわれるのが飲食業界です。採用した人材の定着率を高め、戦力化するにはどうすればよいのか。2007年秋に社内教育機関『ペッカリイカレッジ』を開設する、ペッカリイの取締役事業推進本部長 丸山鉄二さんに伺いました。

  • ペッカリイ株式会社http://www.peccary.co.jp/

    1986年設立。『食を通じて提供する豊かなこころ』を企業理念に掲げ、フレンチ、ポルトガル料理、和食、カフェなど、多様な業態を展開。チェーン店化による多店舗展開という効率至上の風潮が強い業界にあって、店ごとに異なる業態をプロデュースする個店主義を貫く。

    TETSUJI MARUYAMA

    1959年生まれ。81年日本マクドナルド株式会社入社。96年トレーニングコンサルタント、2001年米国子会社統括責任者、04年営業推進本部部長を経て05年にペッカリイ株式会社に入社。事業推進本部長に就任。

  • 『技は見て盗め』という職人の世界に、
    人材育成の思想を持ち込む。

    ────御社は現在、10店舗を運営されていますが(2007年7月11日現在)、チェーン化せずに店ごとに異なる業態を立ち上げるというユニークな展開をしておられます。

    チェーン化をしないという方針を掲げているわけではないのですが、立地や時代に合った店作りをしようとするとチェーン化できないんです。フレンチやポルトガル料理、カフェなど幅広く展開しているのは、あくまでもその結果ですね。

    ────チェーン店であればサービスもマニュアル化できますが、店ごとに業態が異なると客層によって求められることが変わります。人材の育成も難しいのではないでしょうか。

    確かに人を育てるのは難しいのですが、その難しさはチェーン店とあまり変わりはないと思います。マニュアルがあると楽なように思えるかもしれませんが、マニュアルは作ろうと思えばすぐに作れるもの。飲食業界での人材育成の大変さはマニュアルの有無にあるのではなく、むしろ日本独特の古い慣習にあるんです。『技を盗む』とか、『親方の背中を見て育つ』とか。ポイントは、職人の世界をどのようにしてビジネスとしてシステム化していくかというところにあるわけだから、それは当社のような会社でも大手チェーンでも、同じ悩みがあるはずだと思っています。一つ一つの店をのぞけば、店長なり料理長なりがいて、親分・子分の世界が底辺には流れているわけで。そこに、人材が育たない原因の一つがあると私は見ています。

    ────その古い慣習を脱皮することが必要なのですね。

    そうです。なぜ今、人材育成が急務かといいますと、当社に限らずどの飲食店も非常に厳しい利益構造に陥っているという現状があります。デフレが進行する中で、厳しい価格競争があり、従業員の労働環境も厳しくなってきている。業界の中では、社会保険もつかない、残業手当もないという会社も少なくないはずです。ですから、人を育てるということは、労務環境を良くするということにもつながってくるんです。今までのような経営手法はもう通用しないんですね。

    人にかかる費用は、
    採用費、教育費、給与のトータルで考える。

    ────人材育成が労務管理にもつながるのですか。

    つながります。『労務マネジメント』や『人件費の管理』といったほうがいいかもしれません。人にかかる費用はトータルで捉える必要があるんです。給与は労働に対して支払う対価、人材育成の費用は先行投資。そのトータルに対する見返りを、どのようにして得るかということです。もし、人材を育てなくても誰も辞めずに気持ちよく働いてくれるなら、人を育てる必要はないかもしれません。けれども、人材育成をしなければ必ずマイナスが出て、違う費用が増えるようにできている。ですから、人材育成と労務マネジメントは、必ずセットで考えないといけないんです。

    どういうことかといいますと、過去を振り返って人にかかる費用を洗い出したところ、採用費が非常に高いということが分ったんです。年間で新規に採用する人数が、在籍人数の数倍という年もあった。つまり、それだけの人数が出入りしていたということです。これは当社に限ったことではなく、同じ状況を抱えている会社は多いのではないかと思います。その採用費たるもの、相当な額になる。つまり、売り上げが同じだとすると、採用費が減れば減るほど利益が増えるということになるんです。

    ですから、人材育成も費用が発生しますが、効果が上がって従業員の離職率を下げることができれば、採用費が減少するというメリットが出てくるんです。同時に人材の質が向上しますから、売り上げが伸びるというビジネスそのものの効果もある。人にかかる費用が下がったうえに、売り上げが伸びるわけですね。

    人を育てなければ逆のことが起こります。採用費をかけて人を採ってもすぐに辞めて、補充するためにまた採って。在籍人数は必死で保っても、従業員には会社への帰属意識はなく、経験も蓄積されず、店にはコミュニケーションもチームワークもない。だから、サービスの質も低下して売り上げも下がる。逆のスパイラルに入るわけですね。人が足りないから採り続けるという流れをせき止めるには、かなりのパワーがいりますが、そのための努力はすべきなんです。

    ────一方ではお店は毎日稼動していますから、これまでの流れを変えるというのは相当なご決断になりますね。

    結局は、会社が成長してくときに何から手を付けるかということなんですね。当然ながら事業計画がありますので、それに沿った出店計画は達成しなくてはいけない。そのためには人がいる。じゃあ採ればいいじゃないかというのが、従来のありがちなパターン。しかし1年間で増えた在籍数は20人なのに、採用したのは100人などとなると、80人が辞めたことになる。それだけ、無駄な採用コストが発生しているわけです。

    ────同様の問題意識で人材育成に着手する企業もありますが、外部の研修機関を利用する企業が多い中で、御社は社内の教育機関『ペッカリイカレッジ』を設けられました。

    外部の力を借りるのもいいことだと思いますが、問題は研修で勉強したことを店でどう活かすかということなんです。例えば、セミナーに行って何かを得たと思っても、環境が何も変わらなければ、人間って次の日から元に戻るんですよ。「あぁ、昨日は何か違う世界の話を聞いてきたな」と(笑)。外部の研修を利用しても、内部も変化しないと効果は出ないんですね。ですから、『カレッジ』といってもそれほど大掛かりなことをしようとしているわけではなく、内部の受け入れ態勢を整えるにはどうすればよいかという話の延長線上として出てきたことなんです。

    もう一つには、トップや社内に対するデモンストレーション的な意味もあります。目標やビジョンとしていいことをいうのは簡単。「人材を育成して、働きがいのある職場を実現しよう」とかね。でも、現実が伴っていなければ説得力はありません。とすると、何か変化があると分かりやすいわけです。その一つとして、まずは人事部とは別に人材開発室を作り、「人を育てる研修機関を社内に作ります」と宣言しました。いい切ることに効果があるといいますか。いい切らないと伝わらないですよね、現場の社員には。

    ────そう宣言されることで、店舗には何か変化は起こったのでしょうか。

    いえ、当初は変化はありませんでしたね。人材育成に興味があったり、前職で教育研修を受けてきた人なら話も通じますが、職人さんのような人たちにとっては、「人材開発室が刺身の切り方を研修してくれるのか」と、そういう話になるわけですよ。これはもう言葉で説明してもわかることではありませんので、実際に研修を受けてそこから変化が何か起きないとダメですね。

    社内研修機関設立の最終目標は、
    社内研修機関がいらない自律型組織を作ること。

    ただし、人材育成は最終的には店舗で行われるべきもの。内部の力で回り始めるものなんです。それこそがゴールであって、ペッカリイカレッジが肥大化することを目指しているわけではありません。本部経費からいっても、人材開発室はなくなったほうがいいわけです。店舗で人が育つ良い循環ができれば、本社は本社でしかできないことに力を注げるわけですから。そのためには、優秀な店長を作りたいというのが、最終的には目指すところです。

    ────優秀な店長の条件とは何でしょうか。

    お客さまの中からすべてを生み出せる人、ですね。お客さまの動きの中から、売上げや利益が上がる方法が生み出せる。すべて、お客さまに物事をつなげて考えられる人。笑顔がいいというだけの人は、いくらでもいます。けれども、店長であれば売り上げにつなげることができなければダメ。お客さまが好きで、料理が好きで、お客さまを喜ばせることに喜びを感じる人でないと、お客さまの中から売り上げや利益を生み出すことはできないんです。

    ────それは生まれ持った素質なのでしょうか。

    いえ、よほど人が嫌いという人は別にして、素質は誰でも持っていると思います。ですから、誰でも店長になれる。そんなに難しいものではないと思うんです。ただし、努力は必要ですが、人間はやる気がないと努力しませんね。では、やる気をどうやって起こさせるのかということになる。それが人材育成なんです。

    実際の店はどうかというと、店長のほかに料理長がいて、当社に限らずどこの店でもこの2人は仲が悪いというのはよくいわれること(笑)。現に、悪くもなるんです。「ホールのサービスが悪いから、皿が運ばれる頃には料理が冷めている」、「調理が遅いから、ホールがお客さまに怒られる」といった具合に必ずなる。でも、それが当たり前なのであって、問題はその後どうするかなんですね。それにはやはり、店長や料理長、店のスタッフたちとよく話して「目指すゴールは同じでしょう」ということを確認し合うことが大事。『食を通じて提供するゆたかなこころ』という理念が、私たちにはある。そのゴールは同じはずなんです。

    ────これまでは、みなさんの中に「同じゴールを目指している」という認識はあったのでしょうか。

    どうでしょうか。といってもそんなに難く考えることでもなく、「話せばわかる」という認識を持てているかどうか、ということなのだと思います。意見の食い違いがあっても、それは単に意見が違うというだけのことですから、当事者同士がよく話して、ゴールが一緒かどうかを確認すればいい。「ゴールは同じ」ということを店の人たちにどう伝えるかが、人材開発の一番重要なポイントだと感じています。

    そこさえ押さえれば、あとはお店に頑張ってもらうしかないんです。いくら良い研修をしたところで、『ゴール』の共通認識がなければだめ。店でさまざまな意見の食い違いに出くわしたときに、「そういえば、『ゴールが同じ』かどうかを確認しろといわれたな」と思い出せば、キッチンは「ホールだって大変なんだよな」と思えるし、ホールスタッフも「お客さまは料理を食べに来ているんだから、料理長のいうことも一理ある」と思える。ふと、立ち止まって考えることができるわけです。人間というものは意見が違って当たり前ですし、ケンカもするもの。でも、ゴールは一緒だと。そういうことを社内に刷り込んでいくことが、人材開発室の仕事なんだと思います。「サービスの仕方はこう」とか、「お客さまへの言葉遣いはこうしましょう」とか、そういうことではないんです。

    こういったことは、サービス業であれば飲食業以外にも応用できることかもしれません。中途採用というのは、スキルを身に付けた即戦力として採用するわけですから、その即戦力を120%引き出せるかどうかが非常に重要です。そのために必要なのは、本人の『やる気』。面接をしていると、これまでの会社で身も心もズタズタになってきた人がいますが、よくよく話を聞いてみると、スキルはあるし誠実だし、磨けばすごいという人もいる。そういう人を採用して磨くためには、人材育成しかないんですね。

    給与体系や労働環境の整備と、研修システムの構築。
    それぞれの相互効果で人を育つ土壌を作る。

    ────スタッフのモチベーション向上に関わることとして、待遇の面ではどのようにされているのですか。

    給与は取り立てて高いというわけではないと思います。高くしたくて頑張っているわけですが(笑)。ただ、採用時に嘘をいわないということは、すごく大事にしています。高い給与とはいかなくても、入社する以上はその条件に本人も納得しているわけで、大切なのは約束を守るということ。できることは「できる」といいますし、できないことは「できない」という。人材育成も「こういうことはしていますが、これはまだできていません」、福利厚生も「これはありますが、これはできません」と。ですから、そういった意味で現場から不満を聞くということは、ほとんどないですね。給与が高いか安いかではなく、給与体系がハッキリしているからだと思います。

    今取り組んでいるのは、労働環境の整備です。「長時間労働の改善」や「休日の取得率の向上」といったことですね。そういった整理を、この半年でやっています。結局、人材育成のきれい事をいったり、『ペッカリイカレッジ』を作って夢のような話をしても、会社の実態が伴っていなければ意味がないんです。

    ────待遇の整備と研修システムの構築と、その相互関係で人を育てていこうと。

    そうです。その一方で、先ほど定着率を上げる話をしましたが、ペッカリイに10年いる社員はいないとも思っています。若い社員は、だいたい3年で次のキャリアを積むために店を変わっていく。レストラン業界ですから、それは否定することではないと思うんです。ただし、ペッカリイで過ごした2年なり3年なりが、本人の中で意味のある時間だったのかどうか。そこが、私たちの目指すところなのだろうなと、最近考えるようになりました。以前は、みんなが10年、ずっといる会社がいいと思っていたんです。でも、目標のために店を変わっていくというのも、すごく大事な流れ。「ペッカリイで力を付けたから、次はこんな店に行きたいんです」といえば、「行っておいで」と。そうすると、その人は外でペッカリイの話をしますよね。そのときに「とんでもないところだったぞ」というのか、「3年間お世話になったけど、結構いいよ」というのか。それが大事なんです。

    ────退職された後をお考えになるとは、逆の発想ですね。

    そうです。転職が多い業界ですから、それが人材を育成しないことの殺し文句になる場合があるんです。「投資をしても2年もすれば辞めていくんだ」と。それも一理あるのでしょうが、辞めるときに「いい職場だった」といえる人をどう育てるか、ということなんですね。

    ────消費者の口コミと同じで、お店の評判は大切ですね。

    各社ともすごく知れ渡っていると思いますよ。面接にきた人は必ず、前の店の悪口をさんざんいいますから(笑)。ペッカリイを辞めた人も同じことをしているかもしれない。そういうことを真剣に想像すると、恐ろしいですね。

    個々人のキャリアプランも大切にし、
    定期的なフォロー面談を実施。

    ────先ほど、「目指すゴールは同じ」というお話がありましたが、数年で退職されることも止むなしということは、個人のキャリアプランはまた別、ということにもなるのでしょうか。

    個人のキャリアプランはすべて確認していますし、大切にしたいと思っています。例えば「僕は5年後ぐらいに独立したいので、5年間でフレンチもイタリアンもポルトガルもすべて経験したい」といったときに、それができるかどうかは分からないけれど、「今後の人事に関しては頭に入れておくね」と。そして「1年か2年はこのお店でこういう仕事をして、それを自分のためにしてほしいけれども、そういうプランはどうですか」といった話はしています。ただし、将来のゴールは違っても、今、店で責任を果たさなくてはいけないことは同じです。それと同時に、本人のキャリアもすごく大事。先ほどもお話しましたように、長くいることがゴールではないと思っていますので。プロフェッショナルを目指して店を移るという人もいれば、マネジメントやスーパーバイザーという、そういうスキルを磨きたいという人もいる。そういう人は、当社で幹部も目指してほしいですし、それはどちらもあっていいと思いますね。

    ────そういったキャリアプランを入社時に確認された後は、面接などのフォローもされるのですか。

    そうですね。まずは入社1カ月目に最初の面談をします。ただしこれは、能力を発揮する前のタイミングですので、不安の解除といったケアの意味合いが強いものになります。そして次が、3カ月目。3カ月見ると、その人の人となりについての周囲からの評判が出来上がってくるんです。それをこちらで吸い上げて、本人にフィードバックするんです。「あなたの3カ月間を、周りはこんな風に見ていましたよ」と。もちろん人間ですから、いい評判も悪い評判も両方あります。それは本人も、「そうだよな」とだいたい分かっているようですね。その後は、半年に1回の評価サイクルを作ろうとしています。当社は8月決算なものですから、この9月からは新しい評価サイクルで進めていこうとしているところです。

    ────『ペッカリイカレッジ』の開設も今秋と伺っていますが、それでは秋からいろいろなことが大きく変わることになるのですね。

    そうですね。給与テーブルもすべて変えます。実力主義を掲げながらも、実力だけでは判断しきれない部分、一生懸命働いてくれた『一生懸命度』と、その両方の評価をうまくミックスしたような制度を考えています。早期退職を避けることも、課題の一つ。長くいることがゴールではないといっても、入社後に能力が発揮されるようになるまでの期間を考えると、最低でも2年はいてもらわないと困るんです。そういった、ペッカリイにおける在籍も評価する。「1年間、ペッカリイで頑張ってくれました。だから、給与を何千円か上げましょう」と。そうすると、「1年間サボっていても昇給するんですか」という人が必ずいるんですが(笑)、そもそもサボって過ごせるような会社にしていることが問題なのであって、1年間一生懸命働くことが前提の制度ですよね。1年間を一生懸命働けば、能力も必ず上がっているわけですから。

    店のモチベーションを維持できるのは店長。
    本部は店長のサポート役に徹する。

    ────ご同業の中には、スタッフのモチベーションを維持する難しさに悩む企業も多くあります。

    どれだけその人の仕事を見て、それを言葉で評価するかという、コミュニケーションが大切ですよね。給与制度の話をしましたが、お金でモチベーションを維持するのは間違いなく無理です。時給1000円が1500円になればやる気も高まるかもしれませんが、それでももって3カ月くらいですからね。すると次は、時給を2000円に上げなくてはならなくなる。だから、お金は最後の手段です。

    ────スタッフの方々とのコミュニケーションを担うのは、やはり店長ということになるのでしょうか。

    そうだと思います。私も昔、店で働いていましたので分かりますが、店から見ると本社というのは嫌な存在なんです(笑)。ですから、人材開発室のスタッフにも「店に好かれようと思うな」といっています。「好かれなくていいから、店の役に立っているかどうかという判断で行動してほしい」と。よく、「本社がこんなにやっているのに店は分かってくれない」というけれど、分かるわけはないんです。店が一番大変だと私も思いますし、「店のためにしか本社は存在しえない」という考え方が、すごく大事ですね。

    ですから、店にとっては店長が一番偉い。本社も店長にはそのように接すべきなんです。本社の誰かが店に行ったときに、店長がほかの部下と話しているのを急にやめてお茶を持ってきてくれたりなんかすると、部下からすれば店長が一番偉いわけではないんだ、という風に見えますよね。もちろん理屈では、店長の上司は私だということはみんな知っていますけれども、やはり店では店長が一番偉いわけで、そういう環境を徹底的に作ることが大事。すると店長もそれを受けて、「自分一人では店はできない。偉いのは店長よりも店のスタッフだ」となる。そうなってくるとスタッフの仕事に店長が心から「ありがとう」といえるわけで、「いい仕事は褒めましょう」と教えても、そういう関係ができていなければ、褒めたくないものは褒めないし、気付かないものは褒めない。「仕事は自分一人ではできないんだよ」という話を、根気よくすることが大事なんですね。

    人材開発室のスタッフが店長によく問いかけているのは、「自分がうれしい気持ちになるのはどんなときですか」ということです。「どういうときに部下を褒めればいいのか」ではなく、「自分がうれしいとき」「やる気が出るとき」はどういうときですかと。例えば、「誰も見ていないはずのところで頑張っていたことを、たまたま見てくれていた人が褒めてくれた」とか、そういうたわいもないことだと思うんですが、そういうことをその人に思い出させるんですね。教えるのではなく、思い出させる。で、「あなたは部下にもそういうことができていますか」と。すると、「いやー、どうでしょうか」と(笑)。「問題点ばかりほじくり出して、ツメたりしてませんか」という話になるわけですね。本来、そんなに悪い人はいないと私は思うんです。人が困るのがうれしいとかね(笑)。誰にでもコミュニケーションの能力はある。その辺をどうアプローチしていくかということなんですね。

    業績に左右されずに人材育成の投資を続けるには、
    人材育成の効果を戦略的に把握することが必要。

    とはいいましても、いろいろな改革は本当にこれからなんです。上手くいってるなと思ったらドーンと下がったりしますしね。ただし、数値分析上では退職率は間違いなく下がっています。この1年間をトラッキングしたところ、退職率と採用経費は確実に下がりました。

    ────1年間でそれだけの効果を挙げられるとは、非常に効率的に手を打ってこられたのですね。

    最初の2年程度は、何かすればハッキリした効果が出るものなんです。問題はその後。行ったり来たりの繰り返しがくるんですね。それでも、売り上げが伸びている間はいいですが、売上げが下がってくると人材育成は無駄な費用の上位に挙げられます。そこで踏ん張れるかどうかが、会社のトップの決断力ですね。

    ────もう少し続ければ風土が変わるというところで改革をやめてしまう企業もあります。

    人材育成は数値分析ができないから、効果がよく分からないんですね。退職率や採用経費が下がったということぐらいは数値化できます、そこから先はお店のサービスレベルやお客さまの声に現れてくることになりますから。

    ────数値化できない、文脈の間のような効果をトップに理解してもらうのは難しいですね。

    その意味では、人材育成の効果にも戦略的なものが必要です。マーケティングなどと違って売り上げに直結するものではないですから。でも本当は、人材育成も長い糸をたどれば売り上げにつながっているんです。そのことが経営者にも理解されるように、お客さまの声や他社からの評判など、いろんなものを使って形にして見せていかないと難しいんですね。

    ────そういったことも、人材開発室の大事な役割の一つなんですね。

    そうです。売り上げや利益につながっていることを信じられるか、どう証明するか。そこですよね。多くの企業では、人材育成の部署というのは、お店が業績にやっきになっている時期は仕事がないんですよ。「緊急のキャンペーンだ」「プロモーションだ」と営業が忙しいときは、予定していた研修すらキャンセルになったりしますからね。人材育成も売り上げにつながるというのは理屈では分かっても、「3年後につながっていても困るんだよ」という話になるわけです。「来月の売り上げの方が大事」と。それは否定できませんが、そういう環境の中でも地道にやっていくしかないんでしょうね。

    ですから、分かりやすい仕事をしようと思えば、社員を集めて研修したりマニュアルを作って形で表わせばいいわけですが、本当に大事なのは店に入っていって、店の人たちといろんな仕事をして、彼らの持っているスキルを120%引き出す何がしかを残す。それが大事なことなのだと思います。

    ────そしてお店で自主教育システムのような、人を育てる風土が熟成されるといい循環が始まりますね。

    本当にそうだと思います。本社に教えられるよりは店長から直接教えてもらったほうがいいですしね。本社というのはそもそも、店に好かれる存在ではありませんし。私も最近は、好かれようと思わなくなりましたね。最終的に店の役に立てれば嫌われてもいいやと(笑)。

    ────ありがとうございました。

*続きは後編でどうぞ。
  飲食業界における人材育成とは(後編)

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