OBT 人財マガジン

2008.02.27 : VOL40 UPDATED

この人に聞く

  • 株式会社一ノ蔵
    マーケティング室室長 山田好恵さん

    伝統のものづくりに学ぶ、オンリーワンの競争力とは(後編)

    昭和30年には4021場あった清酒メーカーは、平成17年には1737と、往年の4割近くにまで減少しています。一部の大手メーカーによる寡占が進み、極端な価格競争の波に飲まれて個性的な中小の事業所が姿を消していく。この現象は、他の産業にも共通なものといえます。その中にあって「オンリーワン」を目指し、清酒の復興に賭ける企業があります。時代の波に流されずに本物を守り続けられる強さの秘けつとは。一ノ蔵マーケティング室室長、山田好恵さんに伺ったインタビュー3回シリーズの後編をご紹介します。

  • 株式会社一ノ蔵http://www.ichinokura.co.jp/

    宮城県にあった4つの酒蔵、浅見商店・勝来酒造・桜井酒造店・松本酒造店が企業合同して昭和48年に誕生した清酒メーカー。機械化すれば6名前後の蔵人で生産可能な3万石の蔵に48名の蔵人を配し、「良い米を使い、手間暇をかけ、良い酒を造る」という姿勢を貫く。昭和52年には良い酒を安く提供するために、あえて級別監査(現在は廃止)に出さず2級酒として発売した本醸造酒「無監査」がヒット。以来、こだわりを貫く酒蔵として清酒ファンの支持を広く受ける。

    YOSHIE YAMADA

    1964年生まれ。86年に、大卒の新卒社員一期生として株式会社一ノ蔵入社。物流企画課に配属になり、入社したその年に、女性向けの低アルコール酒「ひめぜん」の開発を任せられ、ヒット商品に育て上げる。05年に現職に就任。

  • 経営者が代替わりし、後継期を迎える。

    ────一ノ蔵は設立36年目を迎えられました。今後の課題としては、どのようなことをお考えですか。

    そうですね。最近、経営者が若社長(代表取締役社長 松本善文氏)に交代して、今は一ノ蔵にとりまして後継の時期なんです。昨年には創業役員を一人亡くしましたし、役員定年が65歳ですので創業時からいる役員も徐々に一人減り、二人減りというような形になってきまして、新しい第二創世記という時期にきているなという気がいたします。

    これまでは強い経営者がいて、それを補助する管理職がいて社員がいてという図式でしたが、これからは社員全員の力を集めて、前経営者がやってきた経営をみんなでしていかなくてはいけない。というようなことを意識し始めている社員もいれば、まだ無意識の人もいますので、そういうことを喚起しながら、一人一人の力を合わせないと一ノ蔵は立ちいかないんだよということをさらに教育しているような段階にあります。

    ────「第二創世記を迎えた一ノ蔵にとっては、どのようなことが今後の課題になるのでしょうか。

    今年度の年度方針に、「一ノ蔵型 第六次産業の実現を目指す」というものがあります。「第六次産業」というのは創業者の一人である鈴木(鈴木和郎氏・故人)がよくいっていたことなのですが、「産業は、一次産業×二次産業×三次産業だ」と。それを足しても6にはなるんですが、あえて掛け算だとしているのは、「一次産業がゼロだったら全部ゼロだ」ということなんです。

    「一次産業を大切にしない国は滅びる。我々はもっと農業に目を向けて原料米にこだわり、生産から加工、流通、最後は消費の場まで携わって一ノ蔵ブランドをお客様に伝えていかなくてはいけない。また、伝えることでお客さまに喜んでもらえるような企業にならなければならない」ということを、鈴木は遺言のようにいい残していきました。

    それを実現させるためにどんなことをすればいいのかを、今、みんなで模索していますね。それを経営者や管理職だけが考えるのではなくて、本当にパートさんまで、「一ノ蔵型 第六次産業はどうすれば実現できるのか」ということを考えているんです。

    ────平成16年には社内に農業部門の「一ノ蔵農社」を設立されましたね。

    そもそもは11年ほど前に「松山町酒米研究会(※)」というものを立ち上げまして、松山町の専業農家さんにいろんな挑戦をしていただいています。「一ノ蔵が全部買いあげますから、失敗してもいいです」というお約束をして、できた酒米を当社が分析したりしながら、ノウハウのやり取りをして研究を続けています。

    ※松山町酒米研究会:松山地域の農家34戸が参画し、農薬を可能な限り減らす米作りを実践。平成19年には宮城県知事からエコファーマーの認定を受ける。

    そうしていく中で、やはり農業を守っていかないと私たちの産業は守れないという現実に気がついたんですね。酒は米の加工品です。これからは農業をプラットホームに物を考えていかなくてはいけないという考えに至ったわけなんです。

    農社の稲刈り「抜穂式」の風景。2003年春に始まった構造改革特区を受けて農業に参入し、農薬や化学肥料をできるだけ使わない環境保全型農法にこだわって酒米づくりに取り組んでいる。(写真提供/一ノ蔵)

    そこで特区の話が出たときに当社も担い手農家として名乗りを上げて、これからは酒米作りのノウハウを当社も築いていこうと。そして、ノウハウができたら農家のみなさんにどんどん作っていただいて、それを当社が買いましょうということで取り組みを始めました。

    農業従事者の平均年齢は65歳といわれています。小さい農家も多く、松山町などは放置水田が20年前に比べて4割ぐらい増えているんです。あと5年、10年もすれば、放置水田はもっと増える。そのときに自分たちが担い手となろうと。「一ノ蔵農社」の設立は、水田を荒らすことなく米を作っていこうという決意でもあります。

    農社部門については赤字です。ですが、農社を設立したということは社員全員にとって希望の光を見出すことができる、とてもいい機会になったと思っています。本物にこだわるということに対して一ノ蔵は本気なのだということが分かりましたし、自分たちがこしらえたお米で酒をつくるということになれば、つくる人たちにとっても大変誇りになります。また、もう逃げることはできませんので、より本物に近づくステップアップだと思うんです。

    大量生産・大量消費の世であっても、本物は必ず残り続ける。

    ────その一方で世の中は、品質よりも価格を優先する風潮にあります。

    日本酒の場合は、戦争という悲しい事実があって一気に状況が変化してしまったわけですが、大量生産が良しとされた頃から環境もずい分変わっているのに、日本人の感覚は変わっていないという気がしますね。悪くても安ければいいとする価値が根づいてしまって、それがいろいろな物の価値を全体で下げている。良い物の肩身が狭いような気がします。

    けれどもそういう時代にあっても、本当の豊かさを求める人がひと握りでも残っていれば、本物が死ぬことは決してないと思っているんです。100人が1人になっても残していかなければいけない。それが伝統産業に携わっている人間の使命だと思います。

    ────何がみなさんのモチベーションの源泉になっているのでしょうか。

    それは人それぞれ違うと思いますけれども、人はなぜ働くのかと考えたときに、「この人を喜ばせたいな」といったささやかな願いみたいなものをみんな胸に秘めているんだと思うんですね。一ノ蔵がここまできたのも、「創業役員が満足できるような会社づくりに役立ちたい」という気持があったからだと思います。それが今は後継の時期ですので、「創業役員4人の後継ぎを育ててくれ」と創業役員がいえば、「何とかしなくちゃいけない」という気持ちになるわけですよね。

    それと同時に、創業から30年かけて県内トップ(出荷量ベース)になり、全国でも昨年は29位にまでなった。その出荷量を落とすようなことをしてはいけないという気持でいると思います。ですから、競争社会で負けたくないという気持と、自分がいるこの環境をもっとよりよいものにしていこうという願いと。そのためにはどうすればいいのかということを常に考えているんだと思いますね。

    ────インタビューに先立って酒蔵を見学させていただきましたが、案内してくださった方が、ご自分の言葉で思いを込めて話されていたことが印象的でした。

    そうですね。「伝統の手造りの酒」を守るということは、みんなミッションだと感じていると思いますよ。ただその一方で清酒産業というのは本当に斜陽産業で、清酒を飲む人が年々少なくなってきています。「滅びゆく草原だ」という人もいるのですが、それはこの業界に身を置いていると本当に実感としてわかる。前月と同じ業績を打ち出すのにも、首まで水につかってようやく息をしながら、というような感じでいます。

    けれども、どんなにパイが小さくなっても日本酒が廃れることはない。いつの時代であっても本物の美味しさというのを認める人がいる。認められるチャンスは必ずあるので、そのときに生き残れる酒を精進してつくり続けて後世につなげていくことが、私たちにできることだと思っていますし、みんなそれは共通認識として持っていると思います。

    「蓋麹(ふたこうじ)」の作業。丸2日かかる麹づくりの後半では、麹米は「麹蓋(こうじぶた)」と呼ばれる箱に小分けにされる。温度や湿度など、場所によるムラを抑えるために、箱は2時間置きに積み替えられる。麹づくりは、今では機械化している酒造メーカーが多い中、一ノ蔵では人の手によって24時間寝ずの番で厳密な管理がなされる。

    そういう精神が一人一人の社員に根づいていれば、酒づくりにおいてズルはできないですよね。酒蔵では一人きりで作業するときもありますけれど、「面倒くさいから、麹箱を1段ずつ重ねなくてはいけないけれど、3段ずつでいいや」という風にはならないわけですよ。使命感が胸にあれば、誰が見ていなくても、どんなに眠くて疲れていてもズルはしないんですね。

    ────理念を徹底することに苦労している企業も多くあります。一ノ蔵ではなぜ、理念と行動規範を浸透させることができているのでしょうか。

    それは、ものすごく苦労して宮城県内のトップメーカーになったという誇りがあるんだと思います。今、蔵で働いている蔵人は、平均年齢的にいうと全国平均をずっと下回って若いとは思うんですが、18歳のころからそういうことを叩き込まれます。酒を作る人たちは、徒弟制というわけではないのですが、杜氏が絶対でその下は頭(かしら)、副杜氏、主任と、ピラミッド型になっていくわけです。下の人たちは上の人たちの教えを守らないと上には行けないし、ましてその日の仕事もできない。「造りでごまかしをすると杜氏を裏切ることになる」といって、決してでたらめなことはしないですね。

    伝統も企業も、時代と共に形を変えて継承される。

    ────創業者のお一人である松本善雄さん(監査役)の「伝統は時代と共に形を変え継承される」というお言葉も、御社の歩みを表すものとして印象的です。伝統の手作りの酒を守りつつ、新商品の開発や農業への参画など、時代に応じた取り組みを積極的にされているのですね。

    当社ではよく「不易流行」という言葉を使うのですが、絶対変わらないもの、それは一ノ蔵にとっては伝統を守った酒造りをするという経営理念なんですね。そして「流行」とは時代に即した商品や提案、アイデアでお客様に喜んでいただくこと。けれども、いつも立ち戻るのは経営理念なんです。新しいアイデアで新しい物をつくっても、その芯となる考え方は「不易」の部分。それはもう、いつも一蓮托生みたいな形でぐるぐる回っているのだと思います。

    ────山田さんが入社されてからの20年の間に、社風もずいぶん変わられたのではないですか。

    変わりましたね。私が入社した時はまだ男社会でしたが、今では女性の社員がすごく増えましたし、女性の管理職も3人います。ですので「女性が」「男性が」というこだわりは、もはやない気がしますね。

    ────いつ頃から、社風の変化をお感じになりましたか。

    15年ぐらい前からですね。全国的に一ノ蔵がメジャーになってきて、清酒メーカーとしての形が整ってくるのと並行して。小さな町の小さな酒蔵ではないんだと、社員の気持ちも変わってきますよね。注目されているメーカーで働いているんだという気持ちを持つようになったことで、社員も徐々に変わり始めてきたなという気がしますね。

    企業も学校に通う生徒みたいなものなのだと思うんです。低学年から上級生になるにつれていろいろなことが見えてきて、いろんなことが分かってきて。そこの校風みたいなものが生徒によって作られていく。それは決して、校長先生だけが作るものではないんですね。そんな風に企業も変わってくるのかなと思いますね。

    ────「男社会」といわれるような会社の中には、社風を変えられずに苦労している企業も多く見受けられます。

    会社の規模にもよると思うんですね。酒蔵は、比較的小さな稼業が発展して会社になったという形が多いものですから、そこのご主人なり息子さんなりが継承していく中で、外へ出ていくにも男性の営業の方が仕事がしやすいということはあると思います。

    例えば、私は今、宮城県の酒造組合の需要開発委員をしているのですが、女性は私一人だけです。消費を牽引するのは女性パワーと言われて久しいのに、女性心理が理解出来る同性のプランナーが少ない。清酒はまだまだ男社会といえますね。そうはいっても最近は女性のオーナー杜氏さんとか企画専従者が活躍しているのを良く耳にし、大変心強く思っています。

    ───山田さんにとって、お仕事とは何なのでしょうか。

    私にとって、一ノ蔵は学校だと思ってるんですよ。この学校でいろいろな教育を受けてきました。いつか卒業するときまでには、この学校に恥じないようにさらに自分を磨かないといけないし、知ってる人がいれば「あそこの学校いいわよ」といえるようなところであってほしいなと思うんですよね。会社に今居る社員も、定年あるいは事情があって退職された方々にもいつまでも愛される一ノ蔵。人こそが一番大切で重要な経営資源ですから。働いている人たちは家族。ケンカするときは本気でしますし(笑)。みんな、卒業した母校って好きですよね。会社もそうなったら本物ではないでしょうか。

    ────ありがとうございました。

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