OBT 人財マガジン

2010.05.26 : VOL92 UPDATED

この人に聞く

  • 富士屋ホテル株式会社
    取締役総支配人 安藤 昭さん

    【長寿企業研究】
    プロフェッショナル集団を育てる"共育の経営"(後編)

     

    100年以上に渡って存続し続ける企業の強さの根源を探るシリーズ『長寿企業特集』。第三回目は、日本を代表するクラシックホテル、富士屋ホテルの取締役総支配人 安藤昭さんにお話を伺います。富士屋ホテルは、1878年創業の日本初のリゾートホテル。登録有形文化財でもある由緒ある建物は明治の面影を今に伝え、親子三代に渡って利用する顧客も多い、愛される名門ホテルです。伝統と風格を保ちながらも、世代交代していく顧客を魅了し続ける秘けつは何か。人事制度や組織運営など"ヒトと組織"の観点から、安藤総支配人にじっくりと伺いました。

  • 富士屋ホテル株式会社 http://www.fujiyahotel.co.jp/)1878年(明治11年)創業。創業者・山口仙之助氏の手により、箱根宮ノ下の地に開業する。1887年には塔ノ沢・宮ノ下間の全長7キロの道路を、私財を投じて開通させ、1893年には水力発電機も開発。インフラを一つずつ整備しながら、ホテルを拡張していった。1930年には、国内初のホテルスクールである『富士屋ホテルトレイニングスクール』を開校。内装の隅々にまで趣向を凝らした建物がホテルの象徴だが、利用客が富士屋ホテルを語るときに必ず言及するのが、"スタッフの心温まるサービス"。チャールズ・チャップリン、ヘレンケラー、ジョン・レノンなど、富士屋ホテルを愛した海外VIPも数多い。1966年には創業家が経営から退き、国際興業グループ入り。富士屋ホテルチェーンとして国内に12のホテル・施設を展開する。
    企業データ/資本金:5億372万円、従業員数/1214名(2009年10月末現在)、売上高/130億円(2009年3月末現在)

    AKIRA ANDO

    1959年生まれ。1982年に富士屋ホテルに入社。料飲部門からスタートし、フロントなどさまざまな部署を経験。1990年に社内の留学制度に合格し、国際興業グループが所有するハワイのホテルで1年間、現地のマネジメントトレーニングを受ける。帰国後は、本社の総務部で社員教育を手がける。人材開発課長、経営企画室長、管理本部長などを歴任し、2007年7月から現職。

  • 社員の「こうしたい」に応えることが、トップの仕事

    ────富士屋ホテルは、年間の婚礼組数を大幅に伸ばされたことでも、ご業界では有名です。平成18年度に導入された新人事制度「共育型・期待伝達制度」(前編参照)では、各部署に期待することを、安藤総支配人自ら管理職の方々に直接伝えておられますが、業績を伸ばすには、このように目標を具体的に共有することが大切になるのでしょうか。

    期待を伝えるだけでなく、社員が「こうしたい」ということは叶えてあげる。これも大切なことだと思っています。

    ブライダルは、平成18年度が年間205組、私がこちらに赴任した平成19年度も205組と、2年続けて同じ実績でした。それを、「平成20年度は300組にする」とみんなの前で宣言しました。担当マネジャーをはじめブライダルのスタッフは戸惑っていましたので(笑)、私はこう伝えたんです。「どうすれば300組を実現できるのかを、みんなで考えてほしい」と。

    そうすると、スタッフから提案や要望が続々と出てくるんです。それを一つずつ形にしていきました。「宴会場が足りない」といわれれば、「ではどこにつくろうか」とみんなで議論し、あまり活用されていないスペースをすぐに宴会場に改装して。平成19年当時は1日4、5組が宴会場のキャパシティでしたが、今は約3倍に増えました。といっても上限までお受けすることはありませんが、計算上は1日12組まで可能なキャパシティを有しています。

    そもそもは、私は平成14年に一年間だけ富士屋ホテルの副支配人を務めたのですが、このときに最初に手をつけたのがホテル内にチャペルをつくることだったんです。赴任と同時に着工して、2カ月後には完成させました。その前年まで、本社で総務課長兼人事課長をしていましたので、昇進昇格試験などでホテルの社員と面談する機会があるんですね。すると、ブライダルの担当者が「頑張っていますが、業績がなかなか伸びません」という。何が問題かと聞くと、「室内チャペルがないことがネックです」というわけです。

    富士屋ホテルのチャペル。チャペルのある"花御殿"は登録文化財に指定されているが、内装は変更可能。改装した結果、婚礼数は大幅に伸びた。

    当時の富士屋ホテルでは、挙式はテラスで行う"ガーデンウェディング"でした。しかし、屋外では真冬や雨の日は挙式ができません。ですから、「せっかくお客さまが下見に来られても、チャペルがないことが理由でご成約いただけない」というんですね。これは、とても大きなヒントです。チャペルがあれば婚礼数は伸びるのかと聞けば、「確実に伸びます」という。それなら作ろう、と。

    富士屋ホテルは明治の建物ですから、きちんとしたレクリエーションルーム(舞踏会などに使われるホール)があったのですが、当時はたまの会議にしか使われないスペースになっていました。そこをチャペルにしたのです。歴史あるレクリエーションルームですから、社内には反対意見もありましたが、「私が責任を持ちます」と説得して改装に踏み切りました。

    ────そうした成功体験があると、社内も活性化しますね。

    雰囲気は変わりますね。社員が「こうしてほしい」、「こうしたい」ということは、一つずつ叶えてあげる。これが私の一番の仕事だと思っています。

    130年超の歴史で培われた「当たり前」を疑う

    ────社員の方々の提案やアイデアは、まずは肯定することが大切でしょうか。

    大きな投資を伴うことは費用対効果を判断します。そうではない細かなことは、まずはやってみますね。ダメならやめればいいわけですから、私の姿勢は基本的にはすべて「イエス」です。ただし、「その案で大丈夫なの?」ということは確認します。たいていは「大丈夫です」と答えますから、しばらく会話を続けた後に「本当に大丈夫なの?」とまた聞いて、2、3回は念押しをするんです(笑)。それでも「絶対に大丈夫です」と答えたら、「では、やってみよう」と。これは保険といいますか、この言葉が出たら成功しますね。

    ────現場のアイデアは、どのようにして吸い上げておられるのですか。

    私が思いつくことが多いのですが、長年ずっと続けてきたことも、気づいたことは何でも改善しようと周囲には話しています。例えば、ドアには内開きと外開きがありますね。外開きのドアは、開けたときに廊下を歩く方にぶつかってしまうかもしれません。日々の仕事の中で、ドアの向き一つとっても「これでは危ないな」と不審に思わないのはおかしな話で、ちょっとしたことでも、もっとお客さまに喜ばれるための改善、もっと自分たちが働きやすくするための改善を考える。このくり返しです。

    ────例えば、どのような改善をなさったのですか。

    挙げればキリがないほど、いろいろと改善しました。おそらく、500件以上はあるのではないでしょうか。こうして実際に私からいろいろな改善案を出すと、スタッフもアイデアをどんどん出してくるようになるんです。

    (写真左)ロビーの一部を改装した、本館・フロントの近くにあるティーラウンジ。(写真中)ビリヤード場を改装した、ダイニング棟・地下1階にあるカフェ&レストラン/バー「ヴィクトリア」。いずれも改装によってサービス提供の機会が広がり、スペースの収益化に成功した。(写真右)レストランにはウエイティング客の案内番号を表示する機械を設置。案内の機械化には社内で議論が起こったが、ホテルの営繕スタッフがオリジナルの木製カバーを製作し、"富士屋ホテルらしさ"を保つ工夫を施して導入。待ち時間が予測しやすいなど利用客の利便性が高まり、テーブルの回転率も向上した。

    ────ブライダル事業でなさったように、まず「300組」という目標を立てて、実現するためにはどうすればよいかを考える"逆算"の発想も大切でしょうか。

    改革や改善は、すべて逆算の論理ですね。平成20年度は300組、平成21年度は350組の実績を残しました。この4月から始まった平成22年度は、400組という目標を掲げています。婚礼の販促は前年の夏からスタートしますから、どの時期にどんな手を打たなくてはならないのかという期限も逆算する必要があります。いつまでに、何を、誰が責任を持ってやるのかを明確にして、一つひとつ実行していくということです。

    昨年12月にはブライダル事業本部が新設されて、甲府富士屋ホテルなど富士屋ホテルチェーンの他のホテルのブライダル事業も、私が事業本部長を兼務して統括するようになりました。今は、スタッフの意識改革から取り組んでいるところです。

    若いスタッフの中にも、固定観念にとらわれている人がいるんですね。私が「こうしてみたら」ということに、「それは以前にもやってみましたが、効果がありませんでした」という。しかしよく聞くと、一度試しただけで諦めているんです。「ここは、箱根とは地域が違います」というスタッフもいます。そうかもしれませんが、でも同じ日本でしょう。思い込んでいることは本当にそうなのか、過去に試したことは他に工夫の余地がないのか。もう一度考えてみようという話をしています。

    "伝統"という基盤があるからこそ、新たな挑戦ができる

    ────今後の課題としてお考えのことをお聞かせください。

    富士屋ホテルは133年の歴史のあるホテルですが、見直さなくてはいけない点はたくさんあります。特にハードの部分は、施設のバリアフリー対応など改善課題が多くありますので、一つひとつ対応していかなくてはいけないと考えています。収益力の強化も掲げているテーマの一つです。しかし、いくら魅力的なプランをつくって、見せかけの企画を考えても、おもてなしや料理といった基本ができていなければ、今後、150年、200年と続いていくことはできません。

    その意味では、富士屋ホテルの社是である「至誠(このうえなく誠実な事、まごころ)」と、サービススタンダードである「5S(ファイブS)※」、これを守り続けることが基本中の基本。「富士屋ホテルはサービスがいい」とお客さまにいっていただける"おもてなしの心"、これがすべての基本です。

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    ※富士屋ホテルでは、社是である「至誠」を具現化するためのキーワードとして、5つの「S」からなるサービススタンダードを掲げている。
    「この5つがあってこそ、お客様に本当に満足していただけるサービスをご提供できると考えます。お客様に心からのおもてなしとおくつろぎのひと時をご提供するために。
    Sincerity(心をこめて)
    Speedy(迅速に)
    Smile(笑顔を絶やさず)
    Security(安全に)
    Sensibility(目配り・気配り・思いやり)」
    ──富士屋ホテル・会社案内パンフレットより抜粋
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    そのために当ホテルでは、海外派遣研修や各種の内部研修など、さまざまな研修を実施して、人財育成に力を入れています。このところの景況でも教育費は削減していませんので、業界の中でもかなり積極的に注力していると自負しています。

    けれども、仕事の基本を身につけるうえでは、やはり日々の気づきが大切です。座学の研修でいろいろなことを「知る」ことも大切ですが、毎日の基本の部分がないがしろになってはいけません。まずは上司と部下が良いコミュニケーションをとって、OJTを通じていろいろなことを指導することが、一番大切だと思っています。

    富士屋ホテルは130年を超える歴史の中で、基本中の基本である"おもてなしの心"が、先輩方から代々受け継がれていると思うんですね。例えば、お客さまと廊下ですれ違うときには、立ち止まって笑顔で会釈する。こうした富士屋ホテルらしいおもてなしを、次の若い人たちに伝えていかなくてはいけないですね。

    ────"富士屋ホテルらしさ"は、何を基準に判断されるのでしょうか。

    明確な基準はありませんが、"おもてなしの心"に加えるとすれば、"品格"でしょうか。133年の歴史が築いた品格は、今後も守り続けなくてはいけないものです。施設を改修するといっても、この地に近代的なホテルがあったのでは、それは富士屋ホテルではありませんよね。この何ともいえない異空間的な建物、こういったものがあってこその富士屋ホテルですから。

    しかし、守り続けなくてはいけないものがある一方で、変えるべきこと、挑戦できることもまだまだあると感じています。当ホテルでは毎年、年度のスローガンを私から発表していまして、一昨年は『改善』、昨年度は『緻密にそして貪欲に』、今年度は『販売チャンスを逃さず、積極果敢にトライ』をスローガンに掲げています。

    『トライ』は寅年とひっかけたのですが(笑)、景気の先行きは依然として不透明ではあるものの、こういうときこそが最大のチャンスなんです。今年の3月には、近くに会員制のリゾートホテルがオープンしましたが、これも絶好のチャンスです。私どもにはフランス料理、日本料理、洋食と3つのレストランがありますし、ティーラウンジやバーもございます。国道に面しているベーカリーとスイーツの店『ピコット』本店は改装を急ぎ、そのホテルの開業に合わせてリニューアルオープンさせました。

    ────まさに『販売チャンスを逃さず』ですね。

    これに限らず、日々の中でも販売チャンスを逃さないことが今年度のテーマです。2010年はメインダイニングルームが80周年、披露宴会場のカスケードルームが90周年を迎える周年の年でもあり、ブライダルの新しい宴会場も先ごろオープンさせました。今年は、まさにビックチャンスの年です。

    ────ありがとうございました。

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