OBT 人財マガジン

2010.08.25 : VOL98 UPDATED

この人に聞く

  • 株式会社有隣堂
    代表取締役社長 松信 裕さん

    【長寿企業研究】創業1400年。
    本業に加えて多彩な基盤を持つ"拡げる経営"(後編)

     

    『長寿企業特集』のシリーズ第5回は、明治42年(1909年)創業の書店、有隣堂の松信 裕代表取締役社長にお話を伺います。横浜が開港50周年を迎えた年に、伊勢佐木町の地に誕生し、創業の当時から書籍のほかに高級文具も販売。終戦後に再建した伊勢佐木町の本店には、ギャラリーやレストランを併設し、時代の先をいく書店経営を展開してこられました。その一方で、コンピュータソフトやOA機器の販売、音楽教室運営も手がけるなど、多彩な顔を持つ企業でもあります。環境の変化をくぐり抜け、歴史を紡ぐ有隣堂の経営術とは。松信社長に伺いました。

  • 株式会社 有隣堂 http://www.yurindo.co.jp/)1909年に創業者・松信大助氏が横浜・伊勢佐木町に「第四有隣堂」を開業。松信氏の長兄、大野貞造氏が開いた「有隣堂」をのれん分けしたもので、これが現在の有隣堂のスタートとなる。間口2間、奥行き3間の小さな書店から始まり、大正時代中頃には横浜市内第3位の書店にまで成長。終戦後に再建した伊勢佐木町の本店には、ギャラリーやレストランを併設し、文化の発信基地としても市民や県民から大きな支持を受ける。戦後は書店経営のほかに、ITソリューションやOA機器の販売、ピアノ販売、音楽教室運営などの事業も展開。多彩な事業で経営の基盤を築く。
    企業データ/資本金:2億6400万円、従業員数/2217名(正社員654名、サブスタッフ 1563名、2010年5月末現在)、売上高/536億円(2009年8月期実績)

    HIROSHI MATSUNOBU

    1944年生まれ。1967年に朝日新聞社に入社。販売部、国際営業部長、宣伝部長などを歴任した後、1994年に株式会社有隣堂 取締役に就任。翌年に常務取締役、1997年に専務取締役に就任し、1999年に代表取締役社長に就任。学校法人山手英学院理事、書店未来研究会理事長、日本出版販売株式会社相談役などを兼務。

  • 書籍の仕入れはできる限り各店に任せ、現場の選書眼を育てる

    ────書店ではスタッフの正社員比率を高め、売り場づくりは現場に任せておられると伺いました。

    書店の売り場づくりというのは、結局のところ仕入れをどうするかという問題なんですね。採算だけを考えれば、本部で一括して仕入れて各店の棚を同じような構成にし、金太郎アメのような店にしてしまうのが、一番効率がいい。店のスタッフは、納品された本を言われた通りに並べるだけですから、社員が一人いればあとはアルバイトで運営できます。

    けれども、当社は現場の社員に仕入れを任せていますから、あの店にあったのにこの店にはないという本も出てくる。それが店の面白さにつながるわけです。その一方で、失敗する可能性もあります。その社員がとんでもない仕入れをしたら、どうしようもないですからね。人件費もかかる。そのどちらを取るかということなんです。当社は、何とか今のやり方のままでいきたいなと思いますね。

    ────仕入れ全体の何割程度を、各店に任せておられるのですか。

    半分以上はそうでしょうね。出版社との契約上、本部で一括して仕入れる書籍もありますが、それ以外は各店に任せています。本部が仕入れてしまうと、現場には選書する目はいらないわけですから、いくら本を触ってもちっとも覚えませんよね。

    ちなみに書籍は今、年間に約8万点が出版されています。ある学者の方の調査によると、江戸時代の260年間で約6万5000種類の本が出されたそうで、それを1年間で超えたのが6、7年前ぐらいのこと。今年はさらに増えて8万点を超える見込みで、365日で割ると1日に200点以上の本が出ている計算になります。

    ────膨大な数ですね。

    しかし携帯小説は、1年間に100万タイトル以上が発表されているそうです。書籍と比べて、数だけでいえば完全に勝負ありましたね。

    ────iPadやキンドルの登場で書籍が電子され、既存の書籍も流通形態が大きく変わるのではないかといわれています。そういった中、書店の売り場はどうあるべきだとお考えになりますか。

    これは、いろいろな答えがあって難しいですね。一ついえるのは、iPadやキンドルは、本を検索して探しに行かなくではいけないでしょう。それで果たして売れるのかどうかということですね。例えば評論家の立花隆氏が「ぼくはこんな本を読んできた」という本を出されていますが、あれなどを読むとすごいですよ。猥雑なものから宇宙論、哲学まで、実に幅広い。人間の興味とは、そういうものなのだろうと思うんです。本来ならば大きな可能性があるのに、インターネットでは自分で検索できたものが世界のすべてになってしまいかねない。人間というものを、見くびってはいけないと思うんですね。

    ────確かに、書店では買う予定のない本をつい購入してしまことがよくあります。オンライン書店では関連書籍を勧める機能はあっても、意外な本と出会うことは少ないですね。

    そういうものがインターネットの技術と結びついたら、面白いことができるかもしれませんね。ですから、書店の売り場は無機質なものにはしたくない。しかし、面白い試みも採算が伴わなければできません。そのバランスが難しいところですね。

    人財は"磨かざれば光なし"

    ────インターネットではできないことが、リアルの売り場ではできる。御社では"社員は財産である"として、「人材」ではなく「人財」という字を使っておられますが、魅力的な売り場をつくるために、現場の社員の方々が担う役割は大きいですね。

    ただ、私は全員を「人財」と呼ぶのはどうかと思っています。存在しているだけの「人在」もいるでしょうし、いるだけで罪だという「人罪」もいるはずで、普通の「人材」だっている。"玉磨かざれば光なし"というように、最初から「人財」であることを期待するものではないと思います。

    ────社員の方々を「人財」にするには、磨くことが必要だということでしょうか。

    そうです。ですから、もっと磨かなくてはいけませんね。ギリギリの線まで追い込まれる仕事を経験させて、成功体験を与えて。失敗体験も大切です。失敗したときにもう一度、リカバリーのチャンスを与える。そういった経験を積ませることが必要です。

    ────日本には「失敗してはいけない」という価値観が根強くありますが、そういった減点主義では人は育たないのですね。

    当社も、過去に一度、減点主義の人事制度を採用したことがありましたが、ろくなことがありませんでしたね。今は、2007年に導入した「ミッショングレード制(※)」をもとに処遇を決定しています。これは、1から9までの9段階のミッショングレード(以下MG)を設定し、年に1度の人事考課の際に上司との面談をもとに来期のMGを決定するという仕組みです。

    ※ミッショングレード制:職務の役割やミッションのレベルに応じてグレードを設定し、それに応じて処遇する人事制度

    以前の職能資格制度では、P職、M職、EM職と試験制度によって職級が上がる仕組みでしたが、当社の社員は真面目ですから、みんなちゃんと勉強してきて合格するんですね(笑)。すると、例えば店舗に5人の社員がいたとすると、全員がM職やEM職になって、指示命令系統がうまくいかないんです。そこで、店長のMGは「7」、フロアマネジャーは「6」というようにグレードを分けて、責任体制を明確にしたということです。職種ごとにMGの基準書を作成し、本人には「これがあなたのミッションですよ」と伝えますから、自分の役割がハッキリとわかるわけです。

    ただ、自分はもっと上のことができると思っていても、下に配置されることもあります。店売事業部でいえば、店長職のMG7になれるのは店舗数の34人だけで、それ以外の人は7にはなれない。ミッショングレード制の導入によって給与が下がった人も出ました。給与が下がるのはこれまでにはなかったことですが、これも仕方がありません。会社は経営を維持しなくてはいけませんからね。

    ────MGが下がったとしても、"リカバリーのチャンス"をおっしゃったように、上のMGを狙うこともできるのでしょうか。

    それはありますね。大いに上を狙ってほしいと思います。ただ、当社のやり方には欠点もあって、本屋は育っても経営者は育たないんですね。本を売る、ピアノを売る、コンピュータを売る。そういったことを一所懸命にやりながら、やがては会社全体の方向性や財務を見られるような社員が育ってほしいとは思っているのですが、これがなかなか難しい。そこで、取引銀行から役員を迎えたところ、財務的な感覚といいますか、ものの見方が全く違うんですね。こういった財務の知識や会社全体を見る視点を現場の社員も身につけて、役員候補となるだけの力のある人間が育ってきてくれることを期待しています。

    書店の新たな可能性を追求する

    ────今後の展望としてお考えのことをお聞かせください。

    人財育成という点では、女性社員にもっと前に出てきてほしいと思っています。当社は、1999年には厚生労働省から「均等推進企業 労働大臣努力賞」の表彰を受け、女性を活用する企業として評価をいただいています。仕事と育児の両立支援を推進するための社内委員会も設けて、女性の管理職は8人、執行役員も1人誕生しましたが、女性にはまだまだもっと活躍してほしいですね。

    事業展開については、出版業界では必ず出るテーマですが、返品率をいかにして減少させるかということが大きな課題です。書店のマージン率を高めるには、返品率を下げるしかない。そのシステムをどうつくるかということですね。

    特徴のある専門的な書店も、手がけたいと思っていることの一つです。当社は以前、横浜の馬車道に「ユーリンファボリ」という専門店を開いていましてね。芸術関連の書籍と芸術にまつわる小物を置いた店で、画材やデザインの道具、楽器、書道用具、貸しスタジオもあった。いってみれば、有隣堂の「芸術館」ですね。場所が良くなかったのと時代が早すぎたのとで1990年代に閉鎖したのを、まだ完全な形ではありませんが、2009年にたまプラーザテラス店の一角に「favori(ファボリ)」という名前で復活させました。

    ────お客さまの反応はいかがですか。

    いいですよ。売れ行きはとてもいいですね。そのつながりでいいますと、もう一つ考えているのは、「有隣堂科学館」です。「ロボット屋をやりたい」とさんざん言って、みんなからバカにされてきたのですが(笑)、科学は面白いじゃないですか。横浜には大学がいくつかありますから、工学部の学生さんと連携して店内で実験を実演してもらって。お客さまも実験を体験できて、コンピューター部品や実験器具といった科学にまつわるエトセトラを書籍と一緒に提供する。そういう店をいつか実現したいですね。

    実はこれには、見本があるんです。アメリカのポートランドにある「パウエルズ・シティ・オブ・ブックス」という独立系の書店がそれで、約2000坪の本店のほかに、周辺に支店がいくつかある。それぞれ特徴があって、例えば"クッキング・パウエルズ"といって料理の本から鍋まで売っている支店があります。店内では料理研究家による料理教室も開かれ、「今日はこの本のレシピで料理を作りましょう」とやると、お客さまは本と鍋を一緒に買っていく。

    パウエルズよりも前から私はこういう店をやりたいと考えていましたから、これを知ったときには、「ああ、ここにもうあった」と(笑)。パウエルズには、ほかにも旅行をテーマにした店や児童書や知育玩具を置いた子ども向けの店などがあり、テーマがハッキリしています。そういう店を、いつかやってみたいと思いますね。

    ただ、何度も言うようですが、こういったことも経営として成り立つことが条件です。会社を存続させるためにはどうすべきかということは常に考えています。

    ────ありがとうございました。

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