OBT 人財マガジン

2010.09.22 : VOL100 UPDATED

この人に聞く

  • 株式会社金剛組
    代表取締役社長 小川完二さん

    【長寿企業研究】創業1400年。
    世界最古の老舗企業に聞く"伝統と革新"(後編)

     

    シリーズ「長寿企業特集」は、今回で最終回となります。最後にお話を伺ったのは、飛鳥時代の578年に創業した金剛組。現存する世界最古の企業といわれ、1400年を超える社歴を有する老舗中の老舗企業です。聖徳太子の命によって、大阪の四天王寺創建を担って以来、社寺建築を手がける宮大工として古来の技術を今に伝えてきました。2005年には、バブル期の事業多角化の影響で経営難に陥るものの、地元大阪の中堅ゼネコン、髙松建設の支援を受けて"新生・金剛組"として再建。1400年の伝統を守りながらも、時代の先端をいく技術を取り入れ、社寺建築の新時代を築いておられます。金剛組の長寿を支える、伝統と革新とは。代表取締役社長、小川完二さんに伺いました。

  • 株式会社金剛組 http://www.kongogumi.co.jp/)飛鳥時代の578年に、聖徳太子が百済から招いた三人の工匠の一人、金剛重光により創業。593年に四天王寺の建立を命じられる。以来、四天王寺のお抱え宮大工として、日本建築を代表する歴史遺産を守り続けるが、明治元年に出された神仏分離令により四天王寺は寺領を失い、金剛組も苦難の時代を迎える。昭和30年には株式会社化し、鉄筋コンクリート工法による社寺建築にもいち早く取り組むなど、経営と技術の近代化を図るものの、バブル期の事業多角化により多額の借入金を抱え、2005年に髙松建設から出資を受ける。2008年、親会社の持株会社化に伴い、株式会社髙松コンストラクショングループの一員となる。
    企業データ/資本金:3億円、従業員数/130名、売上高/50億円(2010年3月期決算)

    KANJI OGAWA

    1949年生まれ。1972年に富士銀行(現みずほ銀行)に入行。審査部長、常務執行役員などを歴任した後、2003年に髙松建設代表取締役副社長に就任。2006年1月に金剛組代表取締役社長に就任、現在に至る。髙松コンストラクショングループ代表取締役副社長を兼務。

  • バブル崩壊後、経営不振に。1400年の歴史が途絶える危機を迎える

    ────金剛組は、2005年に経営危機に陥られました。厳しい状態に追い込まれた原因は何だったのでしょうか。

    家訓(前編参照)にもあった「儲けすぎるな」という事業の基本に外れることをしてしまったということです。原因はバブル時代にあります。当時は、高いものから売れた時代です。お寺の本堂なども高級志向となり、材質やデザインのグレードも高くなっていた上に、特命受注が多かったため、利益もかなり出たと思います。

    そうした環境の中で、高コスト体質になってしまったんですね。コストは下方硬直性が高いですから、元に戻すことはなかなか難しい。そうこうするうちにバブルが崩れて厳しい生存競争が始まりました。何とか売り上げを維持したいと思ったときに即効性があるのは、鉄筋コンクリートの箱モノなんです。お寺の本堂が1つ8000万円として、ホテルやマンションなら一棟で5億円。魅力的ですよね。とはいえ、一般建築を専門とする建設会社とはコスト体質が違いますから、普通に考えれば勝ち目がありません。それを無理して受注し、5億円で請け負ってコストは6億円かかるといったこともありました。

    それでもなぜ一般建築に事業を広げたかといえば、最初に手付金として3分の1が入金されるんです。それが魅力で受注するものの、終わるともっと資金繰りが苦しくなっている。そんな状況が続いて、最終的には売上高は年間130億円の規模になっていましたが、赤字も大きく膨らんでしまったんです。

    ────なぜ、窮地に陥る前に手を打つことができなかったのでしょうか。

    金剛組は創業家による経営が続いていましたが、オーナー企業でのオーナーは絶対的な存在。経営を間違えてしまったときも絶対なんですね。金剛組は1955年に株式会社化されていましたが、取締役会は一度も開かれていなかった。実態は、誰も知らなかったんです。銀行からの借り入れがだんだん増えて、おかしいなという認識はあったかもしれません。しかし、恐らくオーナーも正確には財務状況を把握していなかったのではないでしょうか。最終的に手形の決済資金が不足し、このままでは不渡りが出るという事態になって、銀行を通じて髙松建設にご相談をいただいたのです。

    ────髙松建設は、それまで金剛組とはご関係がなかったと伺っています。なぜ救済をご決心されたのでしょうか。

    髙松会長(現(株)髙松コンストラクショングループ 代表取締役会長 髙松孝育氏)の言葉をそのまま言えば、「伝統あるものは一度壊したら、二度と戻すことはできない。大阪の宝である金剛組をみすみす潰すのは、大阪の建設業者の恥だ」ということです。といいましても、髙松建設は上場会社ですから、株主に金剛組再建の意義をきちんと説明したうえで支援しなくてはいけません。そこで、まずは私が金剛組に入ってデューデリジェンス(資産の調査活動)を行ったのですが、「金剛組を何としても守りたい」と髙松会長の意思は決まっていた。支援しないという選択肢はない、難しい役割を担ったんです(笑)。

    再建の過程では、銀行を始めとする債権者の方々に多大なご協力をいただきました。手形でお支払いしていた債権者の方には、任意で3割カットをお願いしたところ、99%の方が応じてくださった。みなさん、金剛組を応援したいと言ってくださるんですね。過去にずいぶんお世話になった、と。この業界の最大手に近い企業ですから、みなさんにとっても死活問題だということもあったでしょう。金剛組が今まで、一切の不義理をせずにきたことも大きかったと思います。債権者集会といえば怒号が飛び交うものですが、非常に紳士的に進んだと聞いています。これは大変なことで、心底ありがたかったですね。

    ガラス張りの経営で、社員の当事者意識を高める

    ────そして2006年1月に、代表取締役社長に就任されました。ご就任当初、金剛組という会社をどのようにご覧になられましたか。

    すごい会社に来たと思いましたよ。何しろ日本最古の会社ですし、社員はみな社寺建築のプロばかり。こちらは、社寺に関しては素人でしょう。「伝統を壊したら許さないぞ」という目で睨まれて、怖かったですね(笑)。

    ただ、みんな本当にいい顔をされていたんです。当時は毎年給与が下がり、ボーナスも何年も出ていなかった。苦しい状態が続いていましたが、社員は辞めずに残ってくれていました。宮大工さんも、金剛組の専属でいてくださっていた。頑張って金剛組を存続させたいという思いが、みなさんの中にあったんです。何としてもこの人たちと力を合わせて再建をしたいと、強く思いましたね。

    また、当時も応援してくださるお客さまがたくさんいらっしゃいましたし、社員も一生懸命やっている。ですから、必ず再建できるという確信はありました。業績不振の原因は経営手法にあったわけで、経営さえ変えれば会社は必ず良くなる。そう確信して、経営のやり方を全面的に改革していきました。

    ────どのようなことを変えていかれたのですか。

    ひと言でいえば"普通の会社"にしたということです。それまでは、取締役会もなければ情報開示も一切ありませんでした。常務すら財務内容を知らず、すべてがベールにつつまれていたんです。全社員にアンケートを取って、新しい経営陣への要望を聞いたところ、「会社をガラス張りにして欲しい」という声が多くあがりました。「自分たちは一生懸命働いてきたのに、なぜこんな事態になったのか。こうなるとわかっていれば、何かやりようもあったかもしれない。だから、ぜひ経営をオープンにしてもらいたい」、と。おっしゃる通りです。

    ですから、今は毎月、工事本部や設計本部、営業本部といった部門の長が集まる会議で、会社の業績や受注状況をすべてオープンにしています。また、年度初めの4月には全社員に集まってもらって年度の方針と計画を発表し、全員で情報を共有しています。

    ────情報をオープンにしたことで、社員の方々の意識に何か変化はありましたか。

    実態が把握できたことで、安心はしているのではないでしょうか。危機感も持てるでしょうし。以前の状況はわかりませんが、今はいたって健全な反応です。会議では意見も出ますし、年度初めの方針発表のときなどは結構厳しい質問も受けます。非常にいいことだと思いますよ。納得しないまま、決まったことをやらされるのは辛いですからね。

    やはり、当事者意識というのは、情報がなければ持つことはできません。金剛組の再建は自分がやらなくてはいけない、自分自身も金剛組を再建する一人なのだという自覚は、情報があって初めて持てるものなんです。

    ────改革で一番苦労されたのは、どのようなことですか。

    これは、どの会社でもいえることかと思いますが、改革に一番抵抗するのは中間管理職なんですね。若い人は、働きやすくなると納得すれば、変化に抵抗しません。判断が非常に合理的です。経営陣は経営に責任がありますから、動かざるを得ない。部長や部門長も、役員に近い判断をします。その中で、中間管理職はいつも板挟みできていますから、「また変わるのか」と。実務を担う立場として「できれば変えてほしくない」という意識があるんですね。

    そうした意識も、"利益実感"があると変わります。改革したら仕事が進めやすくなった、成果があがるようになったといった効果が肌身でわかると、変化を受け入れやすくなる。しかし、これは"鶏と卵"で、中間管理職が本気にならないと会社は変わりませんし、会社が変わらないと中間管理職が本気にならない。そこが難しいところで、どこかで「よいしょ」と、力仕事で変えていく部分も必要です。けれども今は、それもずいぶん変わってきたと感じています。ですから、中間管理職の人たちに、本気で会社を変えなくてはいけないと思ってもらえるかどうかが、変革のポイントになるのだろうと思いますね。

    本業回帰を掲げ、全国的な新規営業を展開

    ────改革の中では、ご事業の"本業回帰"も掲げておられます。

    1棟で5億円や10億円になるような大型の一般建築も受注できれば、売上高をすぐに伸ばすことができますが、社寺建築以外の受注は禁止しています。それしかないとなると、必死になりますからね。人間は追い込まれないと、知恵も力も出ないんですよ。ただし、下手に追い込むとプレッシャーがマイナスに働きますから、明るく追い込むことが大切(笑)。ずいぶん働かされたけれども、苦痛じゃなかったな、と。そういうのが一番いい働き方です。難しいですが、そのように明るく仕事をしていきたいと思いますね。

    ────ご本業をどのようにテコ入れされているのでしょうか。

    これまでは馴染みのお客さまと、その伝手による仕事が中心で、それで事業が成り立っていましたが、今は積極的に新規開拓を進めています。大阪にいますと京都は敷居が高いものですから、京都に沢山ある本山にもあまり伺えていませんでした。しかしこれから積極的に行こうと、本山営業にも力を入れています。

    営業プロセスには、目標管理を導入しました。営業職はホワイトカラーですから、生産性を向上させることが難しいんですね。そこをどうするかといえば、やはりレビューすることなんです。どこを訪問して、どうだったかということを上司に報告する。そして、商談の段階別にA、B、C、D...と訪問先を分けて、何がネックになっているのか、そのネックを取り除くにはどうすればいいのかといったことを、月に一度、グループ長と営業本部長と常務も同席して、レビューしながら知恵を出し合うんです。

    それでも当初は、なかなか新規の訪問が進みませんでしたが、今では毎月一人平均100件訪問しています。全社では営業が25人いますから、全体では月に2500件、一年間では約3万件訪問している計算になります。全国には寺院が約7万寺、神社は約8万社あり、かなり訪問しましたので純粋な新規は減ってきていますが、それでもまだお伺いできていない地域があります。今、重点的に開拓しているのは、中国地方と九州、四国、北関東。京都と名古屋、九州には支店を置き、北海道は電話窓口を開設しています。髙松コンストラクショングループ関連会社の支店が全国にありますから、そこに金剛組の支店を置かせていただいているんです。そういったグループのリソースが活用できるのはありがたいですね。

    社寺建築に最新技術を取り入れ、他社との差別化を図る

    全国の寺院7万寺、神社8万社のマーケットは、金剛組にとっては無限の市場ともいえますが、価格競争が厳しくなっていることも事実です。これは、入札制度の弊害が大きいですね。入札が機能するのは、誰がやっても同じ建物ができることが前提ですが、社寺建築は材料の木材一つとっても、同じものはありません。同じ木を使っても、木組みは宮大工によって違います。でも、設計図にはそんなことまでは書かれていませんから、設計図だけで価格勝負となると、"安かろう、悪かろう"が歓迎されるような風潮にもなりかねない。ですから、われわれ金剛組としては、応札する案件を絞り込んで、品質をきちっと見ていただけるところで勝負していきたいと考えています。

    また、大規模な工事になると、大手建設会社が元請けになり、金剛組が下請けとして入るケースもあります。これは髙松建設の髙松会長の言葉ですが、こういった案件についても「プライドを持とう」と。具体的には、建設現場の看板に、元請け会社と並んで「木工事担当:金剛組」と当社の社名と、担当する棟梁の名前を明記していただいているんです。

    ────それは、通常はされないことなのですか。

    ないですね。業界では異例のことです。ですから、最初に大手建設会社にご相談したときは、すぐには了承いただけませんでしたが、名前が入らないならこの案件はお請けできません、と。以降の案件も、看板に金剛組と棟梁の名前を入れていただくことを、条件にしています。看板に棟梁の名前が入れば、棟梁も命がけでやりますからね。

    ────再建に着手して5年が経ちました。今後のテーマとしてお考えのことをお聞かせください。

    一番のテーマは、他社とどう差別化するかということです。そのために今、力を入れているのは、地震対策です。本堂の中には立派な仏具がたくさんありますから、建物が持ちこたえても仏具が倒れたら大変なことになる。その対策として金剛組では、「エアー断震システム」という断震技術を導入しています。

    これは、空気圧で建物全体を浮かせることで、振動を「断つ」技術です。地震を感知した段階で、タンクに貯めておいた圧縮空気を人工地盤と基礎の間に送り込む。すると、お堂全体が数センチほど浮くんです。浮いてしまえば揺れの影響はほとんど受けません。ただしそのままでは、揺れが終わってお堂を戻すときに、元の位置とずれる恐れがありますが、そのずれを調整する装置もついています。日本全国の社寺や古建築、文化財にこの技術を使えるのは金剛組だけ。金剛組はこの技術の特許を持つ、茨城県土浦市のツーバイ免震住宅株式会社と、社寺や古建築における独占契約を結んでいるんです。

    ────古来の技術を伝承するというイメージの強い宮大工の世界で、こういった最新技術も取り入れておられるというのは、意外な印象です。

    金剛組が永きに亘って続いてきた理由も、そこにあるのではないでしょうか。伝統技術はしっかりと受け継ぎながら、その時々のいいものを取り込んでいく。それを両立させてきたのです。今後も金剛組は、社寺建築については最も先進的でなければならないと思っています。一番古いけれども、一番新しい。それが金剛組なんです。

    例えば、鉄筋コンクリート工法による社寺建築も、当社は業界に先駆けて手がけています。今は、建築基準法で防火地域に指定される地域では、木造では建築許可が下りませんから、街中のお寺は鉄筋か鉄骨のものも多いんです。

    ────現代の法規制に対応することも求められるのですね。

    そうです。また、平成21年に竣工した、京都・西本願寺の参拝施設「龍虎殿」は、高さが約20mあり横幅もかなり大きなお堂ですが、この規模を支えることのできる木が今はもうなかなか手に入りません。かといって鉄筋だと重くなりますので鉄骨を木で巻き、構造の強度と木の風合いを両立した建築に仕上げています。

    浄土真宗本願寺派 本願寺(西本願寺) 龍虎殿 平成21年竣工(画像提供/金剛組)

    構造計算にしても、偽装問題があってから基準が厳しくなりましたが、金剛組は、社寺建築で初めて、限界耐力計算を使って構造計算の適合判定を受け、建築確認を取りました。これもすんなりとは確認をいただけなかったのですが、金剛組の技術者が京都大学の専門の先生のもとで一から構造計算を学び、諮問委員会にもかけていただいたうえで確認を得ることができました。事業を続けていくうえでは、こうした法規制やお役所との戦いもあります。

    しかし、何事も前例がないことから始まるものです。伝統的なものは受け継ぎながら、その時々のいいものを取り込んでいく。それによって他社との差別化ができ、金剛組を次代に引き継ぐことができると考えています。

    ────ありがとうございました。

「この人に聞く」過去の記事

全記事一覧