OBT 人財マガジン

2011.03.09 : VOL111 UPDATED

この人に聞く

  • メーカーズシャツ鎌倉株式会社
    取締役会長 貞末 良雄さん

    目先の利に走らない"非合理な発想"が顧客を創造する(前編)

     

    こだわり抜いた上質なシャツを1枚4900円で提供するという独自のビジネスモデルで、不況をものともせず業績を伸ばしてきたメーカーズシャツ鎌倉。創業者である貞末良雄会長は経営の真髄は「顧客の創造」にあると話す。それを体現しているエピソードがある。リーマン・ブラザーズ倒産直後、全社に向けて「3000万円損する計画書を作ってくれ」と号令をかけたのだ。今こそ「顧客との関係を深めるチャンス」と見極めたのである。結果的には利益が出たのに加え、同社製品の品質に満足するファンが増えた。目先の利益に走った安売りとは訳が違う。「右にならえ」の考えでは決してこのような発想は出てこないだろう。これからの経営リーダーには、深く、大局的な見地で経営、事業、顧客などを捉え、他に流されない独自の道理を持つことが必要となるのではないだろうか。(聞き手:OBT協会代表 及川昭)

  • メーカーズシャツ鎌倉株式会社 http://www.shirt.co.jp/
    1993年創業。コンセプトは、"上質なシャツを、誰もが手が届く価格で販売する"こと。最上質の80番手双糸以上の生地に、メイド・イン・ジャパンにこだわった手の込んだ縫製を施し、天然貝のボタンを使用するなど、商品のクオリティを追求。製造から販売までを一貫して手がけるSPA型(製造型小売)のビジネスモデルで、1枚4900円という低価格を実現した。第一号店は、コンビニエンスストアの2階にある15坪の店舗。商品が評判となってクチコミが広がり、95年に横浜ランドマークタワーに出店、96年に50坪の鎌倉本店をオープン。2010年には対前年160%の売り上げを記録するなど、快進撃を続けている。
    企業データ/資本金:5000万円、従業員数/70名(2010年5月現在)、売上高/20億円(2010年5月決算)

    YOSHIO SADASUE

    1940年生まれ。工業大学卒業後、電気メーカーに就職。26歳でVANヂャケットに入社。VAN創業者・石津謙介氏に師事するも、1978年に同社が倒産。その後、アパレル4社を経て1993年に創業。

  • 聞き手:OBT協会  及川 昭

    企業の持続的な競争力強化に向けて、「人財の革新」と「組織変革」をサポート。現場の社員や次期幹部に対して、自社の現実の課題を題材に議論をコーディネートし、具体的な解決策を導き出すというプロセス(On the Business Training)を展開している。

  • 急激な拡大路線が、経営破綻を招く

    ────貞末会長は、かつてVANヂャケットにご勤務されていたと伺っています。私はいわゆるVAN世代なものですから、当時を懐かしく思いながらご経歴を拝見しました。

    私が入社した1960年代当時は、VANはアパレル業界のナンバー1でした。けれども1978年、私が37歳のときに倒産してしまいましてね。業績が悪化してからは、あっという間でした。私はその生き証人ですが、今、倒産する会社を見ていても問題点はまったく同じですね。

    それは何かといえば、マーケットが無限大にあると思ってしまうことです。実際にはマーケットは有限ですが、そのことを予測していないから、反動があっても受け止められないんですね。それでもなお突き進む。組織が拡大し、経費が膨張していると、退却という選択がないんです。

    ────成長し続けなくてはいけないという経営の呪縛に陥りますね。

    ですから、怖いのは上場ですね。投資家から資金を募る以上は、売上高も利益も伸ばし続けなくてはいけない。しかし、そんなことは不可能です。もちろん、立派にやっておられる上場企業も多くありますから、一概に私の考えが正しいとはいえませんが、起業家の志と投資家の志とは、やはり相容れないように思います。

    起業家としての思い入れが、お客さまの心に響く。私たちは、このスタイルで今日までやってきました。例えば、当社のシャツにはすべて天然の貝ボタンを使用していますが、「留めるだけなら、プラスチックでいいじゃないか」と言われると、反論のしようがないんです。貝ボタンをやめれば、年間で8000万円以上も利益がアップしますからね。

    ────その違いは大きいですね。

    そうです。しかし、だからこそお客さまが支持してくださるわけです。縫製も同様に、破れなければいいわけではなく、手のかかる巻き伏せ本縫いにこだわります(※)。ただ、これは価値観の問題ですから、好き嫌いと同じ。シャツとしての機能のみに価値を見いだす方には、私どものシャツは意味がないんです。

    ※シャツの裏側に縫い代が出ない、美しさと強度を併せ持つ本格縫製

    ですから誰にでも売るということではなく、自分たちが思い描いた人に提供する。私どもは、「顧客」をこう捉えています。では、そのお客さまに買っていただくにはどうすればいいか。これが戦略の第一です。つまり、誰に売りたいのかを答えられないようなものを作ってはいけないということなのです。

    マーケットは「あるもの」ではなく、「つくるもの」

    ────具体的には、どのような顧客像を描かれたのですか。

    私がVANヂャケットにいた時代に、ボタンダウンシャツというものを作りましてね。それまでにないシャツでしたから、年間60万着売れました。しかしその後、あのカーブの美しいボタンダウンをどの会社も作っておられなかった。あるとすればラルフローレンかブルックスブラザーズか、インポートブランドで高くて手が出ない。日本製で、昔のVANの面影をしのばせるシャツを作って世に出せば、恐らくそれを待ちわびている人はたくさんいるはずで、最低60万着は売れるなと。勝手な思い込みです。でも、その確信がなければ、踏み出せなかったかもしれませんね。

    ────なぜシャツだったのでしょう。ほかの商品はお考えになりましたか。

    シャツは、一年中売れる商品です。年齢を問わず、流行も非常に少ない。そして必需品である。つまり、最も安全性が高い商品なんです。ただし、作るのが非常に難しい。いいシャツには、限りがないくらいいいものがあります。

    ────想定された顧客層は、シャツに何を求めるのでしょうか。

    シャツを着ることに誇りやステータスを感じ、人前で胸を張るための勇気を一枚のシャツから得る。シャツとはそういうものです。しかし、インポートブランドは高くて1年に1着買えたらいいところ。それを1年に4着も5着も買える価格で提供すれば、みなさんが複数枚買ってくださって評判が広がり、新たな顧客が創造されていく。こう考えたのです。マーケットが縮小し、競争が激化する中で売り上げを伸ばすには、顧客を創造する以外にありません。昨年、私どもが苦しい中でも対前年160%の売り上げをあげたのも、私どもの商品によって触発されたお客さまが増えたということなのだろうと思います。

    模倣できないビジネスを立ち上げることが、創業の鉄則

    ────ご創業は、コンビニエンスストアの2階のわずか15坪の店舗からのスタートでした。ターゲット層に対する認知を、どのようにして高めていかれたのでしょうか。

    一緒に始めた家内(代表取締役社長 貞末民子氏)には、「半年後には行列ができるよ」と、言い続けました。お客さまが1人来たら、「こんなにいいものがこの値段で」と感動していただけるはず。その方は必ず誰かに話すから、1人のお客さまが2人になり、2人が4人になる。「だから行列ができるよ」と。家内は笑っていましたが、実は本当に半年後にお客さまが並んだんです。当社は広告宣伝費を一切使いませんから、すべてクチコミです。

    ────オープン当初から順調だったのですか。

    それは、最初の1カ月くらいは断末魔ですよ。毎日ゼロで、「あなたの理想と違うわね」と。けれど私には確信がありましたから、まったく心配していませんでした。

    ────それだけの商品を作っておられた、と。

    さまざまな商品を見てきて、「この商品がこの値段なら」というものを作りましたからね。独立する10年以上前から、知り合いの縫製工場の社長に「いずれ30万着を売るシャツ屋を作るから、そのときは協力を頼む。俺はやるよ」と、酒を飲むたびに話しましてね。そうして立ち上げた事業でしたから、確信はありました。しかし、先ごろ30万着を達成したときに、その社長がこう言っていましたね。「大ボラを吹くのもほどほどにしてほしいと思っていた」と(笑)。

    ────ご創業から20年近くが経たちましたが、御社に続くような企業は現れませんね。

    模倣できないビジネスを立ち上げることが、創業の鉄則です。当初、私どもには資本がなく、人材もいませんでした。金にあかせた追随者が簡単に真似できるやり方であれば、今の当社はなかったでしょう。しかし現実には今日に至っても、似たスタイルのものはあっても当社のような会社はゼロです。何が違うかといえば、われわれは利益を計算せずに始めたんです。

    ────事業計画は作られたのですか。

    いいえ。唯一、年間10万着を売るようになったら給料がもらえるかな、と。それだけが、当時考えた計画でした。事業計画の通りにうまく行くことなんてありませんし、いくら儲かる計画を立てても、買いに来る方がいなければ商店経営は成り立たない。逆にいえば、買いに来る方がいる限り可能性はあるわけです。

    では、どうすれば買いに来ていただけるか。それは、私が損をする以外にないんですね。店1軒では、コストダウン能力はありません。工場でも発注枚数が少ないものですから、サンプル製作かと思われたりしましてね。そんなスタートでしたから、原価の発想はありませんでした。「1枚4900円で売る」と、売値だけを決めて始めたのです。

    ────原価計算もされなかったのですか。

    しませんでした。ですから、原価の方が高いものもありましたね。でも、それは当たり前のことなんです。原価から算出した価格でものが売れるなら、誰でもできます。そうではなく、いくらならお客さまが買うかを考えて値段を決めるのが小売業です。原価は私の実力で左右するものであって、お客さまには何の関係もない。原価は数の力で低減しますから、「10万着売らない限り、給料がもらえない」という計画になるんです。

    ────現在の原価率は6割前後だそうですが、これはガイドラインを設けておられるのでしょうか。

    原価率は、今は6割を少し切りますね。年間の販売枚数が40万枚、50万枚という数になってきましたので。ただし、ガイドラインなんてものはありません。今でもとんでもない原価のものもたくさんありますよ。例えば、毛足の長いモンゴル産のカシミアを使ったマフラーを4900円でご提供していますが、とてもこんな値段ではできない商品です。

    しかし、お客さまにファンになっていただくには、こういった商品も必要なんです。私どもは多品種少量生産で、売り切ればそれでおしまい。瞬間風速でなくなるすごい商品が毎週入荷しますから、お客さまは「あの店にはいつもいいものがあって、早く行かなくてはなくなってしまう」、と。

    ────来店頻度が高まりますね。

    高まります。わかっている方は毎週来られますし、手にした商品を周囲に自慢していただけるのでクチコミが広がるんです。

    不況だからものが売れないわけではない

    ────深堀りすれば、マーケットにはまだまだ余地があるということですね。

    ビジネスのスタートは、人々の欲望と不満の解消です。物々交換の時代から、山の人は海のものを、海の人は山のものを欲しいと思い、物と物とを交換することからビジネスというものは始まりました。それは現在も一緒で、どんなに不況になっても人々の欲望が封殺されることはない。「買いたい」という欲望があります。

    その買いに来る店が、隣の店なのか自分の店なのかが問われていることを「不況」というんです。不況だから売れないという店は、お客さまに選択してもらえなかったということ。しかし残念ながら、トップ自らがそれを不況のせいにして、自社の問題点を棚卸していないケースが多いように思いますね。

    ────業績が悪化するには、そうなるだけの理由が必ず自社の中にありますね。

    そうです。もちろん、外的な要因も無関係ではありませんが、それをもってすべてとすると、どんな企業も成り立たなくなります。企業としてやっていく以上は、そういった外的要因によるダメージが、全体の20%なのか30%なのか、10%で終わるのかという、そこを読みきって経営しなくてはならないと思うのです。

    そのダメージの程度がわからない人が、慌てふためくんですね。要するに、不況は地殻変動なんです。地殻変動があっても地球は壊れませんし、人類も滅亡しません。何人かは犠牲者が出るかもしれないけれども、いずれ何事もなかったかのように街はもとに戻り、粛々と人間の生活は営まれます。われわれは、そのことを何度も見ているんです。例えば、あの第二次世界大戦の壊滅的な打撃からわれわれ日本人は復興してきたわけで、「リーマンくらい」となぜ思わなかったのか。物質的なことは何一つ変わらず、世の中のお金の流れの異常さが修正されようとしただけの話です。そう考えると、たいしたことではないと思えるんですよ。

    世界中が震撼したリーマン・ブラザーズの倒産直後、貞末会長は前代未聞の指令を全社に発します。それは「損をする計画を立てろ」というもの。それこそが、経済危機をチャンスン変える秘策だったという貞末会長の経営観、組織観を、後編でじっくりご紹介します。

*続きは後編でどうぞ。
  目先の利に走らない"非合理な発想"が顧客を創造する(後編)

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