OBT 人財マガジン

2011.01.12 : VOL107 UPDATED

人が育つを考察する

  • 第四回【自律型人財-前編】環境を変えれば人は変わる 志ある人財を見い出し、次のステージを与える

    • 「自ら課題を発見し、その課題解決に向け、周囲をリードしながら主体的に行動できる人財」。今、多くの企業がそんな"自律型人財"を求めています。どうすればそのような社員が育つのか。ヒントを求めて、現場で活躍する若手リーダーを訪ね、成長の軌跡を伺いました(聞き手:OBT協会 伊藤みづほ)

      シリーズ──「自律型の人財」の成長プロセスとは (第四回-前編)

       

      寿がきや食品株式会社 物流管理部 マネジャー
      廣津貴子さん

      日本で初めてスープを粉末化したことで知られる加工食品メーカー、寿がきや食品。廣津さんは同社で、女性として初めて一般職から総合職に転換され、その2年後には女性初の管理職に抜擢。女性社員の道を切り開いて来られました。事務職からスタートして24年、どのような紆余曲折を経て廣津さんの今日があるのか。先駆者としての道のりを伺いました。

    • ひろつ・たかこ

      高校卒業後、大手流通企業系列のアクセサリーショップを経て、20歳のときに寿がきや食品に転職。販売事務からスタートし、入社12年目に営業統轄部に異動。営業所別の利益管理を任される。入社17年目には、労働組合の執行部メンバーとなり、19年目には女性として初めて一般職から総合職に転換。22年目に女性初の管理職に抜擢される。

      寿がきや食品株式会社 http://www.sugakiya.co.jp/

      東海・近畿地方を中心に、「甘党とラーメンの店『寿がきや』」などを展開する外食企業スガキコグループのメーカー部門として、即席めんや粉末スープの製造を手がける。「みそ煮込」「本店の味」シリーズなどのロングセラー商品には根強いファンも多い。創業/1963年、資本金/9,326万円、従業員数/263名、売上高/153億4326万円(2009年3月期)

    • 信頼できる上司や仲間がいたから、「会社のため」を思えた

      伊藤(OBT協会) 廣津さんは女性初の総合職、女性初の管理職と、女性社員の道を切り開いてこられました。寿がきや食品様には転職で入られたと伺っていますが、そもそも、どのような動機で入社されたのでしょうか。

      廣津 寿がきやの商品は、子どものころから私自身も家族で食していましたので、強い愛着もありましたし、食品を扱う会社で働きたいということが動機でした。

      伊藤 入社後はどのような仕事からスタートされたのですか。

      廣津 営業部で販売事務を担当しました。出荷手続きや販促費・営業経費の処理といった営業に伴う事務全般を受け持つ仕事です。パソコンがない時代ですから、今と同じ仕事をするにも時間がものすごくかかり、毎日、夜の9時、10時まで残業していましたね。中には、それが辛くて辞めていった人もいて。すべてがアナログでしたから大変な時代でした。

      伊藤  毎日深夜までというのは、大変ですね。退職する方もいた中で、廣津さんが辞めずに会社に残られたのはなぜだったのでしょうか。

      廣津 当時の上司が支えてくれたから、ですね。上司はいつも、私の仕事が終わるまで待っていてくれました。といっても、与えられた仕事は自分で成し遂げるという職場でしたから、上司が手伝ってくれるわけではないんです。でも、残業している私を待っていてくれて、終わったらご飯を食べさせてもらって。そんなことがよくありました。困ったときはいつも傍にいてくれる、父親みたいな存在だったんです。

      また私に対してだけでなく、女性社員の個性を認めて、いつも同じ目線でいてくれる上司でしたので、そのお陰で女性部員は皆のびのびと仕事をすることができました。その上司を裏切れない、応えなくてはいけないという思いで皆が働いていたように思います。その後、入社4年目に父が他界しまして、そのときに上司や職場の仲間にすごく助けられて。そのころから、会社のためにどんな仕事をするべきかを考えるようになりました。

      伊藤 辛いときや困ったときに、上司や同僚の方々に助けられたというご経験がベースになっていらっしゃるのですね。

      廣津 自分がいなくても仕事は回るという考え方もありますが、仕事が回っているのは皆のお陰なんだということに気づいたんです。それに、当時は父を看病しながら病院から通勤する毎日でしたので、会社に行くとホッとしたんですね。そこには、いつもと変わらない日常があったから。会社に自分の居場所を見つけていたのかもしれません。

      その後、入社8年目に後輩の教育係になり、ちょうどその頃に女性社員が総合職として採用されるようになりました。期待の新人でしたので、私も手をかけて教えたのですが、その中の一人が体調を崩して退職してしまって。頑張っていた彼女の心の声に気づかず何もしてあげられなかった。そのときの思いが今も心に残り、それ以来、自分の後輩が気持ちよく、いきいきと仕事ができるような会社にしたいと思うようになりました。

      実務面では、タイプからワープロへ、ワープロからパソコンへと、事務のオペレーションが大きく変わる時期に重なったものの、社内には教育制度がなく、教えてくれる人もいなくて悩みました。そこで、自分で本を読んだり会社が終わった後に学校に通ったりして。20代は、実力をつけて皆に教育できる先輩にならなければいけないと自覚して、努力することで精一杯でしたね。

    • 仕事の意味を示されて、視野が大きく広がる

      廣津 そして30歳になる年に、営業統轄部というところに異動になったんです。これも大きな転機でした。営業統轄部は営業をサポートするために新設された部署で、当時の経営層に言われたのが「これからは、会社全般の利益計算できる営業が必ず必要になる」ということ。「営業は売るだけ、経理は計算するだけという縦割社会では視野が狭くなる」と。そこで、それまでは経理部が担当していた営業所別の概算の利益管理表作成が、私の仕事になりました。

      伊藤 それまでの販売事務とはまったく違うお仕事ですね。廣津さんにとって、どのような転機になったのですか。

      廣津 販売事務はルーチン業務が中心でしたが、営業統轄部ではルーチンはほんの一部でしたので、ある意味、仕事がなかったんです。新しい部署ができたことの意味は理解できるものの、実際の業務としては何から形をつくればよいのかわからず、こんな状態で給料をもらっていいのだろうかと、自分に自信がなくなっていく毎日で......。当時の上司に相談したら、「営業統轄部には何が必要か、何をすべきか、よく考えてみて。仕事は与えられるだけでなく、自分でみつけだすものだよ」と笑顔で返されました。目からうろこが落ちて、そこから今度は社内情報の猛勉強です。どんな情報があるのか、いろいろな部署に聞いてまわって、仕事をつくっていました。

      営業所別の利益管理は、計算があまりにも複雑で、最初は苦痛以外の何ものでもありませんでしたが、そのお陰で、表に見える経営数値の下にどれだけの深い数字があるのかを思い知りました。経営層が言っていた「売り上げだけを見ていてはいけない」とは、このことかと。企業というのは、やり方によっては売り上げが伸びても利益が出ないということを実感できたのがこの仕事であり、皆にもこのことを伝えたいと思うようになったんです。

      伊藤 人事異動によって仕事の範囲が広がり、経営トップから「利益」という視点を与えられたことで、ものの見方や考え方が変わられたのですね。

      廣津 そうですね。配属以前は、利益計算は誰かがやることで、私は販売事務のルーチンの仕事だけをしていればいいと思っていましたから。入社6年目や7年目の一般社員が経理部に出向き、「今、利益はいくらですか」と聞けるわけもありませんし、知らない情報に対しては何も考えることもないし、意見も言えないじゃないですか。

      それが、営業部門で利益管理表を管理することで、「利益がこれだけ出た」とか「実は粗利が下がった」等、営業は利益管理に関する情報をいち早く知ることができるようになったのです。組織の部署間の壁というのはないようでいて、やはりあるんですね。あえて、他部署にまで出向き、聞く時間がとれないのであれば、各部門にそれぞれの専門知識を持った人を置き、情報共有のスピード化を図ることが意識改革につながるのではないかということが、当時の経営層の思いだったんです。

      伊藤 組織として目指すことと任された仕事とがリンクして、仕事の意味を理解して取り組めるかどうか。これによって、モチベーションの高さも仕事の成果も、かなり変わってきますね。

      廣津 なぜ営業統轄部が利益を管理する必要があるのかを、経営層が最初に明確に示してくださったから、自分の中にうまく落とし込むことができたように思います。

      また、当時の社長のひと言が、経費節減を考えるきっかけになりました。「100円のボールペンを1本買うのに、ラーメンをどれだけ売ればいいかわかるか」と聞かれたんです。「利益率が5%とすると、100円の利益をあげるには2000円の売り上げがいる。それだけのラーメンを売って初めて100円のペンが買えるんだよ」と。事務職の一般社員だった私がこういう仕事に異動になったということは、視野が広がる私自身の大きな転機となったと思います。

    インタビュー後記


    気付く人、気付かない人 


    今回お話伺う中で、廣津さんは非常に「気付きの多い方」だという印象を感じました。
    職場の仲間、上司のひと言、経営層の発言等、様々な場面からいろいろなことを学びます。

    同じ状況にいても、気付く人と、全く気付かない人がいるかと思います。

    その違いは何なのか・・・。

    今回の廣津さんのインタビューのお話の中から感じた事は
    会社への"強い思い"また、仕事や自分の役割に対する自我関与の強さを感じました。

    人は自分の好きなこと、興味のあることに関しては積極的に吸収しようとし、
    苦手なこと、興味のないことはスルーしてしまいます。

    廣津さんが、会社の中で、さまざまな場面から気付きを見出すことが出来るのは
    根底に会社をよくしたいという"思い"があるからではないでしょうか。

    OBT協会では、自律型人財の要素の1つとして"思い・志"を上げています。

    自分が本当にやりたいと思う仕事だからこそ、些細なことでも気付き、吸収する。
    また、困難なことも乗り越え、率先して動ける人財になる。

    つまり、その前提として『この会社をどうして行きたいか、自分は何をしたいか』
    を明確に持っている人財の芽を見極めること。そして、その見極めた人財に対し、
    企業が充分な肥料・水を与えていけるか、が社員を自律型人財に育成出来るか
    どうかの鍵になってくるのではないでしょうか。


    On the Business Training 協会 伊藤みづほ 菅原加良子


    *続きは後編でどうぞ。
      第四回【自律型人財-後編】環境を変えれば人は変わる