OBT 人財マガジン

2010.05.12 : VOL91 UPDATED

この人に聞く

  • 富士屋ホテル株式会社
    取締役総支配人 安藤昭さん

    【長寿企業研究】
    プロフェッショナル集団を育てる"共育の経営"(前編)

     

    100年以上に渡って存続し続ける企業の強さの根源を探るシリーズ『長寿企業特集』。第三回目は、日本を代表するクラシックホテル、富士屋ホテルの取締役総支配人 安藤昭さんにお話を伺います。富士屋ホテルは、1878年創業の日本初のリゾートホテル。登録有形文化財でもある由緒ある建物は明治の面影を今に伝え、親子三代に渡って利用する顧客も多い、愛される名門ホテルです。伝統と風格を保ちながらも、世代交代していく顧客を魅了し続ける秘けつは何か。人事制度や組織運営など"ヒトと組織"の観点から、安藤総支配人にじっくりと伺いました。

  • 富士屋ホテル株式会社 http://www.fujiyahotel.co.jp/)1878年(明治11年)創業。創業者・山口仙之助氏の手により、箱根宮ノ下の地に開業する。1887年には塔ノ沢・宮ノ下間の全長7キロの道路を、私財を投じて開通させ、1893年には水力発電機も開発。インフラを一つずつ整備しながら、ホテルを拡張していった。1930年には、国内初のホテルスクールである『富士屋ホテルトレイニングスクール』を開校。内装の隅々にまで趣向を凝らした建物がホテルの象徴だが、利用客が富士屋ホテルを語るときに必ず言及するのが、"スタッフの心温まるサービス"。チャールズ・チャップリン、ヘレンケラー、ジョン・レノンなど、富士屋ホテルを愛した海外VIPも数多い。1966年には創業家が経営から退き、国際興業グループ入り。富士屋ホテルチェーンとして国内に12のホテル・施設を展開する。
    企業データ/資本金:5億372万円、従業員数/1214名(2009年10月末現在)、売上高/130億円(2009年3月末現在)

    AKIRA ANDO

    1959年生まれ。1982年に富士屋ホテルに入社。料飲部門からスタートし、フロントなどさまざまな部署を経験。1990年に社内の留学制度に合格し、国際興業グループが所有するハワイのホテルで1年間、現地のマネジメントトレーニングを受ける。帰国後は、本社の総務部で社員教育を手がける。人材開発課長、経営企画室長、管理本部長などを歴任し、2007年7月から現職。

  • 創業1878年。133年の歴史を今に受け継ぐ

    ────今日は、箱根登山鉄道でこちらまで参りました。箱根湯本から急こう配を登ること26分。鉄道も車もなかった132年前に、この地にホテルを開業されたのは、大変なご決断だったと実感します。

    ええ。ですから、箱根の発展は、道路の整備と深いつながりがあるんです。小田原から箱根の玄関口ともいえる湯本の三枚橋までの道路をつくられたのは、箱根塔ノ沢温泉の福住楼(ふくずみろう)の当時の当主、福住正兄氏。三枚橋から塔ノ沢までの道は、沿道の温泉旅館のご当主たちが、塔ノ沢から富士屋ホテルのある宮ノ下までの道は当ホテル創業者の山口仙之助がつくりました。そして宮ノ下からさらに上、芦之湯までの道は、松坂屋さん(鶴鳴館 松坂屋本店)のご当主がつくられたのです。

    ────道路といえば"公共工事"というイメージがありますが、当時はみなさまが私財を投じてつくられたのですね。

    道路だけでなく、山口仙之助は火力発電機も導入しましたし、水力発電の合資会社や、地元のバス会社の前身である富士屋自動車株式会社も設立しました。そういったインフラなくしては、ここでのホテル業は成り立たたないんですね。神奈川県の松沢知事も「官から私へ」をテーマの一つに掲げておられますが、当時の箱根の発展はまさに「私」の力によるもの。当時に生きた方が、私財を投じてインフラを整備されたのです。

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    ※宮ノ下までの道路が開通したのは、開業9年目の明治20年。それまでの間の交通の不便さは想像を絶するほどだったという。「パンや肉類は横浜から馬車で小田原へ運び、朝の食卓に間に合わせるため、毎朝小田原まで人夫を出して運搬した。輸送だけで大変な労力を要したのだ」(富士屋ホテル130周年記念誌「Fujiya Story」より抜粋)
    当時の当主たちが建設した道路は、現在は国道一号線として箱根の交通の生命線となっている。
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    ────ホテル内にある史料展示室も拝見し、歴史を伝えるさまざまな写真や資料、什器などが、関東大震災や太平洋戦争を越えて、残っておられることにも驚きました。

    箱根は昔から保養地だったものですから、戦時中は日本人だけでなく外国の方もたくさん箱根に疎開して、住んでおられました。ですから、空襲を受けなかったんですね。それがなければ、明治のこの建物は残っていないと思います。

    ────そういったご創業時から伝わるものに囲まれていると、スタッフの方々も、歴史の重みを自然と実感されるのではないですか。

    毎日16時から行われる館内ツアーでは、担当スタッフは、あたかも自分がその当時にいたかのように話していますからね(笑)。建物や調度品にはそれぞれ由来があり、歴代の皇室や著名な方などのご来館も多くいただいています。そういった歴史は、やはり当ホテルの財産ですね。

    プロが集まる組織になれば、ホテルは強くなる

    ────そういった歴史を受け継がれる一方で、人事制度については平成6年、平成13年、平成18年と、12年間に改定を3回なさっておられます。どういった経緯で制度を見直されたのでしょうか。

    人事制度は、その時代、時代で変わるべきものです。制度を一度つくったからといって、10年も20年も使い続けるのではなく、何か問題が出たときにはそれに合わせて制度を変える。そういった発想で、改定を重ねてきたということです。

    平成13年の人事制度改定は、私自身が総務課長兼人事課長時代に、平成18年の改定は総務部長時代に手がけました。平成13年の改定は、"努力した人が報われる"制度にすることが目的でした。平成6年の人事制度改定で職能資格制度を導入したものの給与とリンクしておらず、処遇は年功序列になっていました。それを等級にあわせた号俸と賃金テーブルを導入し、努力してもしなくても賃金が同じという"平等"な制度から、努力した人が報われる"公平"な制度に改めたのです。

    ────年功序列の弊害が、何か実際に起きていたのでしょうか。

    当時のホテルの処遇はどこも年功序列だったと思いますが、それではやはり頑張っている人に不満が出ます。もっと認めてもらえる、もっとポジションが与えられるホテルが他にあるとすれば、そこでやってみたいと思う人もいるかもしれません。頑張っていない人は何の不満もないと思いますが(笑)、優秀な人ほどそう思うはずですね。ですから、成果主義を取り入れることで、努力している人たちのモチベーションを高めることが制度改定の狙いでした。

    またホテルには、ベルマンやフロント、ソムリエ、バーテンダー、日本料理や洋食料理の調理人など、さまざまな専門職がいます。専門性として求められることは一律ではなく、必要なスキルや資格はそれぞれの分野で異なります。そういった、それぞれの専門性を高いレベルで習得していなければ、お客さまにプロとしてのサービスはご提供できません。そこで、平成13年の制度改定では、総合職一本だった人事コースを、総合職と専門職の2コース制に改めました。

    さらに、ソムリエやTOEICといった資格取得には報奨金を支給し、専門性を評価する社内資格として「CS1級~3級」というグレードを導入しました。「CS」とは「Customer Satisfaction(顧客満足)」の略です。総合職なら「副主任、主任、係長」と昇進するところを、専門職には「CS」のグレードを付与し、名刺にも「CS1級」などと肩書きを入れて、お客さまにもアピールするようにしました。

    業界で有名なあるベルマンの方は、3000名のお客さまの名前を覚えているそうです。車のナンバーとも一致させて、お車を見ただけで「○○様」だとわかる。すごいことですね。ホテルというのは、プロフェッショナルが集まる組織になることができれば、本当に強くなります。そういった、高い専門性を有する個を育てるために、2コース制を導入したということです。

    ただし人事制度は、社員のやる気を引き出して、それがホテル全体の力につながらなければ、意味がありません。ですから、新制度導入時には、富士屋ホテルチェーンの20近い事業所を一つひとつ回って説明会を開き、制度の目的を説いて回りました。社員が200人いるホテルなら40人ずつ5回開催するなど、一つのホテルが1回では済みませんので、全部で50回は実施したでしょうか。最後には声が出なくなりました(笑)。

    ホテルと社員が"共に育つ"仕組みを導入

    ────その制度を、平成18年にさらに改定されました。どのような課題があったのでしょうか。

    総合職と専門職の2コース制と等級を廃止し、賃金テーブルは係長まで。管理職は3段階のグレードによる年俸制としました。平成13年の制度は、今でも良い仕組みだと思っています。しかし、運用する中ではいろいろな問題も出てくるんですね。

    例えば、ホテルというのは、何をもって仕事の「成果」とするのか、判断が難しいところがあります。先ほどお話したベルマンのように"お客さまの名前を覚える"という人も、ホテルにとっては大切なスタッフです。フロントスタッフの笑顔が、お客さまのリピートにつながることもあります。ホテルの業績が伸びたときに、それが誰の働きよるものか、物差しでは測れない部分があるんですね。

    専門職コースにも、運営上の難しさがありました。熱心な社員は勉強して、ソムリエやTOEICなど、資格をたくさん取るのですが、中には資格取得が目的になっている人もいるんですね。また、「CS1級~3級」という社内グレードでは、保有資格だけでなく人間性なども加味した要件を職種ごとに定義していたものの、判定がなかなに難しい。あまり若いときから競争させると、大切な仕事の基礎がおろそかになる、という懸念もありました。そこで、2コース制と等級を廃止することにしたのです。

    代わりに導入したのが、「共育型・期待伝達制度」です。社員それぞれに期待する「役割」と「成果」を伝え、人事考課では期待に対する達成の度合いを評価の対象とする制度です。

    具体的には、まずは年度の方針を上半期と下半期の二度、社員に向けて私から直接発表します。上半期は前年度の方針に対する達成状況と、当年度の方針を発表し、下半期は達成状況と方針の修正があればそれを発表します。今年度でいえば、「ベーカリー・スイーツ店舗全面改装による売上増」や「メインダイニングルーム80周年記念プランの拡販」などが重点課題。いわばマニュフェストのようなものですね。

    ────とても具体的な方針ですね。

    「サービスの改善」や「ホスピタリティの向上」といった表現では、ホテルとしてどんな課題に取り組みたいのかが伝わりませんので、私の方針はいつも具体的です。全体方針を発表した次には、管理職に対して各人に期待することを、これも具体的に一人ひとり紙に書いて、私から直接渡します。

    ホテルはさまざまな専門職の集合体ですから、例えばブライダルの担当者に「宿泊稼働率○%アップ」と要望しても、それは本人の持ち場でできることではありません。その期待は予約の担当者に伝え、ブライダルの担当者には「婚礼組数の向上」を具体的な数値目標にするなど、専門分野に応じた期待を伝えています。

    ただし、私からの期待だけではノルマのような強制的なものになってしまいますから、本人にも目標を立ててもらいますが、私としては「あなたにこんなことをしてほしいと思っているよ」という期待を伝えているのです。

    ────その期待に従えば、各部署での実践の積み重ねが、ホテル全体として目指すことに自然とつながる。まさに「期待を伝えて、共に育つ」制度ですね。

    その通りです。社員の成長が大きな力になって、ホテル全体の成長につながる。そのためには"期待を伝える"というコミュニケーションを大切にしなければいけない。この2つの思いを込めて「共育型・期待伝達制度」と命名した制度です。

    ホテルの事業運営をする立場になって、これはとてもいい方法だと実感しています。レストランを守る人、お客さまをお迎えする人...と、ホテルにはいろいろなスタッフがいます。その人たちに期待することを伝えれば、自分たちなりに考えて実行し、富士屋ホテルが本当にいいホテルになっていく。こんなに素晴らしいことはないと思いますね。

    組織が抱える問題にスピーディに手を打つ富士屋ホテルでは、そのときどきの課題に応じて人事制度を柔軟に改定してきました。しかし人事制度には、いくら仕組みを練り上げても、制度そのものが組織を硬直化させる原因にもなるという課題が内在しています。制度を"活きた仕組み"にし、組織の活性化や人財育成に結び付けるにはどうすればよいのか。後編では安藤総支配人の組織運営術を伺います。

*続きは後編でどうぞ。
  長寿企業研究 ──プロフェッショナル集団を育てる"共育の経営"(後編)

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