OBT 人財マガジン

2010.08.11 : VOL97 UPDATED

この人に聞く

  • 株式会社有隣堂
    代表取締役社長 松信 裕さん

    【長寿企業研究】創業1400年。
    本業に加えて多彩な基盤を持つ"拡げる経営"(前編)

     

    『長寿企業特集』のシリーズ第5回は、明治42年(1909年)創業の書店、有隣堂の松信 裕代表取締役社長にお話を伺います。横浜が開港50周年を迎えた年に、伊勢佐木町の地に誕生し、創業の当時から書籍のほかに高級文具も販売。終戦後に再建した伊勢佐木町の本店には、ギャラリーやレストランを併設し、時代の先をいく書店経営を展開してこられました。その一方で、コンピュータソフトやOA機器の販売、音楽教室運営も手がけるなど、多彩な顔を持つ企業でもあります。環境の変化をくぐり抜け、歴史を紡ぐ有隣堂の経営術とは。松信社長に伺いました。

  • 株式会社 有隣堂 http://www.yurindo.co.jp/)1909年に創業者・松信大助氏が横浜・伊勢佐木町に「第四有隣堂」を開業。松信氏の長兄、大野貞造氏が開いた「有隣堂」をのれん分けしたもので、これが現在の有隣堂のスタートとなる。間口2間、奥行き3間の小さな書店から始まり、大正時代中頃には横浜市内第3位の書店にまで成長。終戦後に再建した伊勢佐木町の本店には、ギャラリーやレストランを併設し、文化の発信基地としても市民や県民から大きな支持を受ける。戦後は書店経営のほかに、ITソリューションやOA機器の販売、ピアノ販売、音楽教室運営などの事業も展開。多彩な事業で経営の基盤を築く。
    企業データ/資本金:2億6400万円、従業員数/2217名(正社員654名、サブスタッフ 1563名、2010年5月末現在)、売上高/536億円(2009年8月期実績)

    HIROSHI MATSUNOBU

    1944年生まれ。1967年に朝日新聞社に入社。販売部、国際営業部長、宣伝部長などを歴任した後、1994年に株式会社有隣堂 取締役に就任。翌年に常務取締役、1997年に専務取締役に就任し、1999年に代表取締役社長に就任。学校法人山手英学院理事、書店未来研究会理事長、日本出版販売株式会社相談役などを兼務。

  • 事業を多角化し、環境変化に強い体質をつくる

    ────御社は1909年にご創業され、今では書店経営のほかに、文具や教育機器、ソフトウェアなどのITソリューション、OA機器の販売、音楽教室の運営やピアノの販売など、さまざまなご事業を展開されています。多角化にはいつ頃から取り組んでおられるのでしょうか。

    文房具は、創業した当時から扱っていました。ビーカーやフラスコなども店頭で売っていましたので、教育機器も早くから販売していましたね。ITソリューションやOA機器の販売は戦後、1950年頃からだと思います。オフィス設計やオフィス家具の販売も同時期。ピアノ販売も戦後で、1960年代には神奈川県に団地が次々とでき、お子さまにピアノを習わせるご家庭が増えましてね。当時、当社は日本で1、2を争うピアノの販売店でしたので、夜中の2時、3時までかかって納品したと、その頃にいた先輩から聞いています。

    今はそういったお子さまのピアノブームが去って、"大人の音楽教室"が活況です。団塊世代の方が定年退職されて、「美空ひばりさんの『川の流れのように』を1曲だけでもいいからピアノで弾きたい」、と。そういったお客さまが、当社の音楽教室でも増えています。そんな形で、意識的に枝葉を茂らせてきたわけではありませんが、ある程度はバランス感覚よく広がってきたのかなとは思いますね。

    今では、全売上高に占める店売り(書籍や文具など)の割合は、約6割。書店だけに頼っていたら、今の当社はなかったでしょう。わかりやすい例でいえば、当社の年間売上高に占める雑誌の割合は約7%ですが、個人経営のいわゆる町の本屋さんなどでは25%から30%になるといわれ、割合が高いほど雑誌の売れ行きが経営に与える影響が大きくなります。雑誌が売れなくなっている昨今、その意味では、ある程度のリスクヘッジはできているんだろうなという気はしますね。

    ────事業を多角化することで、リスクを分散してこられたということでしょうか。

    結果論ですが、そういうことになるのでしょう。ただ、それがいいのか悪いのかは、わかりません。書店のあり方として、書籍販売だけにかける生き方もあるわけですから。しかしその一方で、企業として経営を維持するためにはどうすべきかも考えなくてはいけない。企業のありようは、それぞれだと思いますね。

    開放的な"浜っ子気質"が、新規事業育成の土壌に

    ────新しい事業を検討されるときに、採用するか否かは何を基準に判断されるのでしょうか。

    何かのご縁があってお話をいただいて、社内で検討して「これならいけるね」と。そんな形で広がってきたものばかりで、それほど論理的にやっているわけではありません。例えば、当社はオフィス用品通販のアスクルの代理店事業も手がけていますが、これなどもそうです。アスクル事業が立ち上がるときに、たまたま母体のプラスさん(プラス株式会社)からお声をかけていただきましてね。当社が、代理店第一号なんですよ。

    アスクルの登場は文房具販売界における大構造改革で、業界内では異論もありました。商品の調達と物流はアスクルが行い、代理店は営業と与信管理、代金回収を受け持つ。これが、代理店制度の仕組みです。代理店側は在庫を持つ必要がなく、物流コストもセーブできますが、粗利率はいわゆる店売りの文房具よりもはるかに低い。だから、「冗談じゃない」という文具店も多かったんですね。

    でも、私はそうは考えませんでした。これからの文具販売は、アスクルのようなシステムが主流の一つになるだろう、と。だからやってみようと思ったわけです。一時は、文具屋仲間から排斥されかかったこともありましたが、今では、アスクルの代理店の中で売上高は全国第2位、年間70億円以上を売り上げるまでになっています。

    売り上げの内容も面白くて、文房具は全体の4割程度。残りは、ミネラルウォーターやティッシュペーパーなどのオフィスで使われる生活用品です。われわれは、知らず知らずのうちに、そういったものも販売しているわけです。仮に、当社が同様のシステムを独自に立ち上げたとしたら、ここまで商品群は広がっていないでしょう。アスクルの事業を始めたことで、新しい商材を販売する機会も得たということですね。

    ────新しい事業に柔軟に取り組まれるのは、御社の社風でもあるのでしょうか。

    横浜の気質ともいえるかもしれませんね。横浜は城のない代表的な街で、歴史もまだ150年しかない。「3日住めば浜っ子」といわれるくらいに、新しいものが好きで寛容なんです。同時に、東京に隣接しているために、ハレの買い物はみな東京に行ってしまうという商売上の難しさもあります。市内の主だった地域が米軍に接収されている間に、企業はみな東京に行ってしまい、再誘致しようとして県がみなとみらいを開発しましたが、直後にバブルが崩壊して未だに空き地がある。そういった、東京に近いがゆえの悲劇もありますが、横浜には伝統もしがらみもなく、外のものを受け入れる風土があるんです。そういう実験場としての横浜は、面白いなと思いますね。

    ただ、新しい試みも、経営的に成り立つものでなければできません。個人経営ならどんな実験でもできますが、当社には社員とサブスタッフとあわせて約2200人の従業員がいますから、面白いからということだけではできない。そういうジレンマはありますね。

    トップは大きな方向性を示し、あとは社員を信頼して任せる

    ────多角化した事業を成功させておられる秘けつは何でしょうか。

    秘けつなんて、そんなものはありませんよ(笑)。ただ、投機的なことはしない、分をわきまえる、真面目にやる、ということでしょうね。本屋は本屋ですから、あまりかけ離れたことをやってもだめでしょうし、この会社はなかなか真面目なんです。当社が経営方針の第一条に掲げる「有隣の精神」は、論語の「徳は孤ならず、必ず隣有り」に由来したものですが、一所懸命にやっていたら誰かが応援してくれますよ、と。そういう意味合いで理解しています。ですから、社員はみんな真面目。新しい事を始めると、何とか成功させようと思うんですね。

    といっても、新規事業もすべて成功したわけではなく、撤退したものもあります。私が当社に入った当初は、開発室というところで新規事業の開発を手がけましたが、実際には開発したものより止めさせた事業のほうが多かったですからね。

    ────どのような事業から撤退されたのですか。

    カルチャーセンターや旅行代理店、テレフォン便といったものですね。電話で書籍のご注文をいただいてお届けするテレフォン便というサービスがあったのですが、これからはインターネットの時代。電話は時代遅れだからやめよう、と。カルチャーセンターも、とても高度なプログラムで、京都の人間国宝の陶芸家の方に1カ月間師事して清水焼を学ぶ講座や、北海道の日高の牧場で競走馬を育てるといった講座。参加する方が、数人しか集まらないんですね。旅行代理店も売上高はかなりありましたが、利益率が低い。ですから、撤退しようと。

    新規事業としては古書事業を提案したのですが、これは役員をはじめ、現場の社員にも否決されてしまいました。ちょうどブックオフが相模原で創業されて、まだ2店舗くらいしかなかったころのことです。「これからは古書が売れる時代になる」と、独自に古書事業を立ち上げるために古物商の鑑札も受けたのですが、社員から総スカンをくらいましてね(笑)。

    当社は昭和の初期には古書部をつくり、昔から古書を扱っていたんです。ただ、私が提案した当時の有隣堂は新刊専門の本屋でしたから、「なぜ古書を扱う必要があるのか」と。誰も聞く耳を持ちませんでした。その後、無聊十数年、ようやくこの2010年の4月に、藤沢店の一部を「リブックス藤沢店」としてオープンさせ、古書事業を手がけることができたのです。

    ────新規事業立ち上げの際には、現場の社員の方々にも意見を聞かれるのですか。

    もちろん聞きます。実際にその事業に携わる人たちが、自分のこととして取り掛かってくれないと物事は成功しません。社長に言われて仕方なくやるというのでは、うまくいかないと思いますよ。もう一つ大切なのは、新規事業は一番優秀な社員に担当させるということです。やるからには成功させなければいませんから。といってもセオリー通りにはいかないこともありますが、一番優秀な社員に担当させるようにはしています。

    トップの仕事は大きな方向性を示すことで、あとは社員を信頼して任せる。そうすれば人も育ちますし、みんな真面目ですから成果も出てくる。その歴史の結果が今なのだろうと思います。

    書店経営でも、「本の仕入れは、できる限り現場に任せる」と、松信社長。後編では、松信社長の人財観と書店運営の今後の展望を伺います。

*続きは後編でどうぞ。
  長寿企業研究 ──本業に加えて多彩な基盤を持つ"拡げる経営"(後編)

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