OBT 人財マガジン

2010.09.08 : VOL99 UPDATED

この人に聞く

  • 株式会社金剛組
    代表取締役社長 小川完二さん

    【長寿企業研究】創業1400年。
    世界最古の老舗企業に聞く"伝統と革新"(前編)

     

    シリーズ「長寿企業特集」は、今回で最終回となります。最後にお話を伺ったのは、飛鳥時代の578年に創業した金剛組。現存する世界最古の企業といわれ、1400年を超える社歴を有する老舗中の老舗企業です。聖徳太子の命によって、大阪の四天王寺創建を担って以来、社寺建築を手がける宮大工として古来の技術を今に伝えてきました。2005年には、バブル期の事業多角化の影響で経営難に陥るものの、地元大阪の中堅ゼネコン、髙松建設の支援を受けて"新生・金剛組"として再建。1400年の伝統を守りながらも、時代の先端をいく技術を取り入れ、社寺建築の新時代を築いておられます。金剛組の長寿を支える、伝統と革新とは。代表取締役社長、小川完二さんに伺いました。

  • 株式会社金剛組 http://www.kongogumi.co.jp/)飛鳥時代の578年に、聖徳太子が百済から招いた三人の工匠の一人、金剛重光により創業。593年に四天王寺の建立を命じられる。以来、四天王寺のお抱え宮大工として、日本建築を代表する歴史遺産を守り続けるが、明治元年に出された神仏分離令により四天王寺は寺領を失い、金剛組も苦難の時代を迎える。昭和30年には株式会社化し、鉄筋コンクリート工法による社寺建築にもいち早く取り組むなど、経営と技術の近代化を図るものの、バブル期の事業多角化により多額の借入金を抱え、2005年に髙松建設から出資を受ける。2008年、親会社の持株会社化に伴い、株式会社髙松コンストラクショングループの一員となる。
    企業データ/資本金:3億円、従業員数/130名、売上高/50億円(2010年3月期決算)

    KANJI OGAWA

    1949年生まれ。1972年に富士銀行(現みずほ銀行)に入行。審査部長、常務執行役員などを歴任した後、2003年に髙松建設代表取締役副社長に就任。2006年1月に金剛組代表取締役社長に就任、現在に至る。髙松コンストラクショングループ代表取締役副社長を兼務。

  • 金剛家の家訓に残る「儲けすぎない」という教え

    ────今日は、世界最古の企業でいらっしゃる金剛組の長寿の秘けつを伺えればと思っておりますが、そもそも社寺建築のご業界は、どういった構造になっておられるのでしょうか。

    この業界の最大手は、おそらく松井建設さんだと思います。社歴400年以上の、日本の上場企業では一番古い会社です(注:松井建設の創業は1586年)。北陸の発祥で金沢城の復元などを手がけられ、東京では築地本願寺を建設されました。2番手が金剛組で、当社の売上高は年間約50億円。10億円前後が次の大手になり、以降は数億円規模でなさっておられる企業が中心になります。個人経営の大工さんも多く、いわゆるピラミッド構造になっていないことがこの業界の特徴です。

    その中で、金剛組が永きに亘って続いた背景には、いろいろな要素があると思いますが、一ついえるのは、日本では歴史上の大きな紛争がなかったということです。社歴が千年を超える会社はほかにもありますが、どれも日本の会社。海外では、600年の会社が一番古いといわれていますし、中国などは「四千年の歴史」といわれる国ですが、200年の会社もないはず。歴史を見ると、他国では支配者が変わると民族も変わるんですね。その度に、前支配者の一族は根絶やしにされる。仕えていた商人も一蓮托生なんです。

    日本だけは、天皇家が続いていますでしょう。戦国時代も、戦うのは武士だけ。そういった、本当の意味での政変がない穏やかな国で、残るべくして残ったのだろうと思います。ただ、数百年続いている会社でも、同じ事業を続けている会社は少ないですね。たいていは、事業や製品が変わっています。その中で、金剛組は何も変わっていないんです。日本には、社寺仏閣を美しいものとして崇め、貧しくても浄財を納めてお堂をつくろうという文化があります。そういった民度の高さといいますか、宗教心があって、社寺が残ってきたから、われわれの仕事が続いたのです。

    ────しかし、宮大工と呼ばれる方々は、今では数少なくなられたと伺っています。その中で、金剛組が永く続いておられるのはなぜなのでしょうか。

    一つは、金剛家の家訓(※)にも残されていることですが、儲け過ぎなかったことがよかったのだろうと思います。儲け過ぎてしまうと、本業が馬鹿らしくなるんですね。そしてほかの事業に手を出して、本業を真面目にやるということが難しくなってしまう。もちろん、赤字になっても本業は続きませんから、儲けなくていいということではありませんが、ほどほどの利益を生んできたことが、一つのポイントなのだろうと思います。

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    ※江戸中期に金剛組を率いた32代・金剛喜定が、遺言書に「職家心得之事」として以下の家訓を記した。その中で、「入札は廉価で正直な見積書を提出せよ」と、暴利を得ることを厳しく禁じている。-
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    一.儒仏神三教の考えをよく考えよ-
    一.主人の好みに従え
    一.修行に励め
    一.出すぎたことをするな
    一.大酒は慎め
    一.身分に過ぎたことはするな
    一.人を敬い、言葉に気をつけよ
    一.憐れみの心をかけろ
    一.争ってはならない
    一.人を軽んじて威張ってはならない
    一.誰にでも丁寧に接しなさい
    一.身分の差別をせず丁寧に対応せよ
    一.私心なく正直に対応せよ
    一.入札は廉価で正直な見積書を提出せよ
    一.家名を大切に相続し、仏神に祈る信心を持て
    一.先祖の命日は怠るな
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    また金剛組のトップは、職人を率いるだけの技術や統率力が必要ですから、後継者は実力主義で選んできました。長男がだめなら廃嫡して、次男に継がせる。それもだめなら代を飛ばして、孫に継がせる。息子がいるのに、優秀な宮大工を養子に迎えたこともあったと聞いています。ある意味で冷徹に、長男にこだわらずにトップにふさわしい者を選んできたことが、金剛組が永く続いたもう一つの理由だと思いますね。

    専属の宮大工と築く"信頼関係"と"緊張関係"

    またこの業界では、宮大工はどの建築会社にも属さないのが普通ですが、金剛組は唯一、8組、約120人の宮大工を専属で抱えています。専属契約を交わしているわけではないけれども、お互いの信頼関係の中で、代々、専属関係が続いているんです。通常はその都度、工事を請け負った建設会社が宮大工を集めて、仕事が終わったら解散。従って工事の都度、宮大工の顔ぶれは変わりますが、金剛組では専属の宮大工が担当する。お客さまに安心して任せていただける体制が整っているんです。

    ただし、専属関係になると甘えや癒着が生まれて、高コストになりがちです。そういったリスクがありながらも、金剛組が長年、この関係をうまく続けることができたのは、宮大工との間にいい緊張関係と信頼関係があったからだろうと思います。

    緊張関係というのは、月に一度、「名儀人会議」という会議を開いているんです。名儀人とは、「金剛組」の名儀を使うことが許されている、金剛組を代表する職人のこと。鳶土工1組、棟梁が8組と左官工が2組の、計11組の名儀人がいます。その方たちに集まってもらって、今の受注状況や各組の仕事の状況、価格やコスト削減について、お互いに厳しくやり合うんです。「この価格では落札できない。品質を保ちながらも、コストダウンできないか」「わかりました、何とかしましょう」といったように。すると、そこに工夫が生まれるんですね。この緊張感がなくなってもたれ合うと、競争力がなくなってしまうわけです。

    ────そういった議論を個別にではなく、皆さんが集まる場でされる目的は何ですか。

    名儀人会議で話し合えば、状況を全員で共有できます。また、例えば、人手が足りないある組にほかの組から大工が応援に行くといった人員の話になることもありますが、それも各自で融通するのではなく、金剛組が取り仕切る。すべて、金剛組の指揮命令系統のもとに動いてもらうという目的もあります。

    ただ、いい仕事をするには、こうした管理体制を整えるだけでなく、互いの信頼関係も必要です。「何かあったら面倒は見る。だから、何かあったら頼むぞ」と。そういう信頼関係があるから、高い技術が維持できるのだろうと思います。

    ────各組への仕事の割り振りは、どのようにして決定されるのですか。

    一つの現場は、一つの組にすべて任せます。「この五重塔をつくったのはこの組」と、責任体制がハッキリしているんです。各組への振り分けは、当社の常務が一手に取り仕切ります。常務は、18歳でこの世界に入って50年のベテランで、各組の得意分野やこれまでの依頼状況などを加味しながら不公平がないように、バランスを非常に細かく考えて、割り振っていきます。これも大変な仕事で、こういったノウハウもまさに金剛組の財産だと思いますね。

    "任せて見守る"ことで、若い世代に技術を伝承する

    また、仕事の割り振りでいえば、金剛組の工事担当者を誰にするかも大切な問題です。棟梁との相性もありますし、どこかのタイミングで新しい仕事を任せないと、本人の能力も伸びません。経験のない現場も、「よし、彼にやらせてみよう」と。その挑戦を乗り越えることで、一皮剥ける。人というのは、こういった一皮剥けるタイミングが成長のときなんです。棟梁も同じことを言いますね。若い宮大工に下働きばかりさせていたのでは力がつきませんから、あるタイミングで1本100万円くらいする木を任せるんです。失敗すれば親方の持ち出しですから、100万円を捨てる覚悟で任せる。こうした経験を通して身に付けたことは、一生覚えているものです。

    そのときに、親方は任せっぱなしにするのではなく、ちゃんとウォッチしてあげるんですね。自分がやったほうがよほど仕事が速いけれども、そこは我慢して、本人にやらせて見守る。ですから実際のところは、何百万円もする木をムダにするケースは、ほとんどありません。そして本人には、「自分がやった」という達成感が残る。これがいいんです。この達成感が、何にもまして力になります。

    ────仕事を任せなければ、部下は育たない。それがわかっていても、一般の企業では、失敗を恐れて若手に任せることができない管理職が増えています。

    確かに、自分は仕事を任せてもらって育ったのに、年を取ると若手に任せない人が最近は多いですね。任せる時期がどんどん遅れて、しかも年寄りが元気で引退しないから(笑)、世の中全体に非常に閉塞感がある。そういう意味では、この業界は若手を育てるシステムが非常に優れていると思います。

    金剛組としても、そうした技術の切磋琢磨の場として、加工センターを宮大工8組に無償で使ってもらっています。昔は、組ごとに加工場を用意していたのですが、効率化を考えて8年前に大阪・堺市の材木団地内にのべ床約2300坪の加工センターを構えて統合しました。そこで各組が、親方を中心に技術を競い合うんですね。宮大工の世界は親方が一番ですから、技術的な指導を受けるのは親方か兄弟子。でも加工センターでは、ほかの組の仕事も目に入ります。これが、互いにいい刺激になるんです。

    ただ、宮大工の仕事では、こうして磨いた技術の評価が定まるのは早くても50年後になります。というのは、文化財や国宝というのは、どんなに素晴らしいものでも建築後50年以上経過しないと、認定を受ける資格がないんです。しかし、手がけた棟梁の名前は棟札(※)に入りますから、何十年、何百年経っても、誰の作品かはわかる。みんな、その数十年後、数百年後の評価を得たくて、頑張っているんです。

    ※棟札:建物の棟木に貼りつける札。建主や施工主の名前や上棟式の日付などが記される。

    こうして飛鳥時代から平成まで続いた金剛組は、2005年に倒産の危機を迎えます。その事態を救ったのが、地元大阪の中堅ゼネコン・髙松建設。髙松建設から派遣された小川社長はさまざまな改革に着手し、1年で最終損益を黒字に転換させました。小川社長は、どのような課題にどんな手を打たれたのか。後編では、金剛組再建の道のりを伺います。

*続きは後編でどうぞ。
  長寿企業研究 ──創業1400年。世界最古の老舗企業に聞く"伝統と革新"(後編)

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